2005年10月13日 木曜日
バンがいた街
●●今日の寄り道→【六義園正門前のパン】

 

かつて『清水目玉焼』サイトに【まる子゛と清水】という駄文を書き「子供には子供のけもの道があるのだ」と題した章に清水入江地区にかつてあった子ども相手の店のことを書いた。
 
僕の生家から徒歩で178歩離れた場所で11年も後に生まれた『ちびまる子ちゃん』の作者さくらももこが、そういう店のひとつ『バンの家』の常連であり、買い食いしていた店の名は「バン」と言っていた、という話しを聞いたのは1999年のことである。
 
11歳年上の僕と11歳も年下のさくらももこが知っている『バンの家』という店はもうないが、考えてみると『バンの家』のご主人は斎藤さんなのであり、斎藤さんの家(店)がどうして『バンの家』と呼ばれていたのかが長いこと謎だった。

写真上:『バンの家』のある入江南町の朝(10/9)
写真下:バンも散歩したかもしれない淡島町『めぐみ幼稚園』脇線路沿いの道(10/9)
DATA:Panasonic LUMIX DMC-FX8

2005年7月7日、清水七夕まつりの日、清水淡島町『パソコンスクールPC21』(旧中村タイプ)の中村さんからメールをいただき、なんと『バンの家』の「バン」はかつて斎藤さん宅で飼われていた犬の名だと教えていただいた。
 
母の通夜や葬儀で入江地区縁故の者が集まったので、
「ねえねえ『バンの家』ってどうして『バンの家』って言ったか知ってる?」
と聞いてみたら誰も知らない。
「11歳も年下のさくらももこまで『バンの家』って呼んでたんだってさ」
と言うと
「そりゃそうだよ、あの子を連れてお母さんが売れ残った野菜を手土産にうちへ遊びに来るたびに退屈したあの子は『バンの家』に遊びに行ってたから」
などという話しを80歳近い伯母が始めるが
「だけん、何で『バンの家』って言ってたかは知らないやぁ」
と言う。伯母にとっても『バンの家』は謎なのだ。

写真上:東海道本線・静岡鉄道線路脇の雨上がり。淡島町(10/9)
写真下:ロバのパン屋が通った入江岡跨線橋の朝(10/9)
DATA:Panasonic LUMIX DMC-FX8

中村さんが斎藤さんに確認してくださった話しによれば、「バン」は秋田犬とブルドッグのモングルで「番犬」になるように「バン」と名付けられたという。愛犬「バン」が店番をしていたので、看板にそう書いてあったわけでもないのにこの辺りの人は皆『バンの家』と呼んでいたのであり、何ともほのぼのとする話しだ。
 
「バン」がどうしてそんなに地域の人に親しまれていたかというと、バンは番犬である以外に首にバスケットをさげて買い物をする名物犬だった。
 
昭和30年代、久能街道が静岡鉄道を跨ぐ入江岡跨線橋を渡って定期的に『ロバのパン屋』がやってきた。
「バン」はこのロバのパンが好きで斎藤さんのお父さんと買いに行き、家に帰る頃にはよだれだらけになったパンを分けて貰って一緒に食べるのを楽しみにしていたのだという。 
僕はロバのパン屋が持ってくる蒸しパンが好きでよく食べたが、ロバのパン屋に詳しいサイトによれば日本全国をロバのパン屋が歩いていた時代は昭和35年をピークに昭和39年頃までであり、昭和40年生まれのさくらももこはおそらく実家前をロバのパン屋が歩いていた時代と、ロバのパンを買いに行く「バン」の姿を知らない。
 
きっと「バン」は地域の人に鮮烈な思い出を残して去っていったのであり、その後も長く『バンの家』と呼ばれて名を残し、40歳のさくらももこから80歳の伯母まで、今でも『バンの家』といえば「ああ斎藤さん」で通用してしまうことにしみじみとする。
 
貴重な情報を調べてくださった『パソコンスクールPC21』の中村通則さんに感謝。

友人から清水のロバのパン屋に関して資料を送っていただいた。

「ろばパン」 幸町 渡会勇蔵(当時68歳)


わしが「ろばパン」をやりはないたころ(昭和24年)は、パンを食う人はそういないっけよ。店でお客をまっていたじゃあ商売にならないってんで、思いついたんだ。
 朝の2時ごろから一つ一つ手でこさえて、出来立てを売りに出かけるだ。雨の日も、風の日も休まずにな。パンはホヤホヤだし、ロバは珍しいやらで、思いのほかよく買ってもらったよ。コッペパン、あんぱん、三色パンなんかをどっさり積み込んでな。たいがいのパンは10円で売ったっけ。車が今みたいにたんと走っていなかったからばっかしやれたんだよな。ロバは利口な動物だで、売り歩く順路はちゃんと知っていて、わしが手綱を引かなくたってどんどん歩くだ。レコードを掛けてやりゃあ、調子をとって歩くし、おとなしくてよく働いてくれたなあ。お客さんにニンジンをもらって、うまそうに食っていたっけよ。みんなに
かわいがられたんだ。ただ、道の真ん中でウンコしちゃうのには困ったがね。ロバにくっついて歩いた子供っちも、大人になって、時々、「ロバのおじさんだね」なんて声をかけられるとうれしいね。
(「まちの思い出」清水市「広報しみず」昭和57年9月15日号に掲載)

 

関連ページ:
パソコンスクールPC21
子供には子供のけもの道があるのだ
ロバのパン屋

 


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【六義園正門前のパン】

東京本郷通りの東大赤門前にある料理店の名が『ビストロモンバン』であるのは笑えるがちょっと意図的な洒落も入っているのだろうか。
 
六義園正門脇にもモンバンがいて、カラスが「アホー、アホー」と間抜けな鳴き声を出す正午近くになると、ロバのパン屋のテーマ曲だった『パン売りのロバさん』ではなく、アントン・カラスの弾くチターの音に乗ってパンを売りに来る自動車がある。
 
六義園正門近くに停車し「焼きたてパンができました…」というテープが映画『第三の男』のテーマ曲をバックに流されるので、わが家ではそのパンを「第三のパン」と呼び、
「あ、もう第三のパン屋が来たから昼だ!」
などと正午のサイレンがわりにしている。

 


 

 

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