電脳六義園通信所管理人 石原雅彦の日日抄

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三好春樹主催・生活とリハビリ研究所サイトの管理日誌です。

2000年4月28日 土曜日

時計に想う…続

機械式自動巻き腕時計の、裏側のガラス窓を見ていると水族館で水槽を覗き込んでいるようだ。傾けるたびにクルックルッと回転する半円形のロータリー越しに覗き込むと赤い宝石のような軸受と連動した位置に(-+)の表示のある調整ネジがある。

この極小のネジを回して時計が遅れたり進んだりするのを調整するのだろうが、実際時計屋さんはどうやって調整したのだろう。二三日預からせてくださいと言って狂いの程度を確かめるのだとしても、この極小のネジをどれくらい回せば、どれくらい調整できるのかをどうやって知るのだろう?

想像して楽しい予想の第一は、「時計屋さんは指先の感触で1日1分の遅れくらいまでネジ回し一本と指先の感覚で調整できてしまう」というものだ。まさに職人技の世界である。

第二は「聴診器をつけて時計のビートを聞きながら耳で正しい1秒のリズムを聞き分けて調整する」だ。これも凄い。

第三は科学的ではあるけれど、あまり楽しくないのだが「時計内部の時を刻む音をもとに時計の正確さを数値化して表示する装置に接続し、その数値とにらめっこしながらネジを回す」というものだ。

どうなのだろう?

2000年4月27日 金曜日

時計に想う

私の郷里では、中学生や高校生になると分相応の持ち物が許可されることになっていて、中学生では万年筆、高校生では腕時計の所持が学校から公認された。

幸か不幸か、その時期になると『お古』をプレゼントするという奇特な方が現れるので、特に腕時計に関してはつい最近まで自分で新品を買うという経験が無かった。ふと、自分で腕時計を選んでみたくなり時計屋を覗いたりして見たのだが、クォーツの電池式腕時計が圧倒的に多いようだ。しかも安い。安いのはいいのだが、どうして最近の時計はこんなに厚いのだろう。私が中・高生の頃テレビCMを見て憧れていた時計は、自動巻きで世界最高の薄さであることを誇示していた。電池式腕時計の時代には、薄さなんてどうでもいいのだろうか。しかも、径の大きいこと…。私はボーイズサイズという小振りの男性用腕時計のサイズが好きなのだが、昨今のものは小型の目覚まし時計を腕にくくりつけているように大きく感じるのだ。

仕方なしに比較的小振りのクォーツ式の安物を買ってみた。電池式の腕時計という奴は、ネジを巻かなくても動き続けてくれるので便利なのだが、電車を乗り継いでの出張など時計が是非とも必要なときに限って電池切れになるので腹が立つ。しかもなまじ防水機構などが施してあるので、町の電池交換などではメーカーに送り返さないと防水は保証できませんなどと言われてしまうのだ。安物だし、急いでいるし、それでもいいですなどと妥協してしまうのだが、途端に愛着が沸かなくなってしまう。

ふと、小さなディスカウントショップを覗いたら、私が探していたような小さくて薄めの自動巻き腕時計でシンプルなやつが1万円以下で置いてあるのを見つけた。新品で、しかも Swiss Made と書いてある。Swiss Made とはいえ聞いたことの無いメーカーなのだが、裏ぶたがガラスになっていて、ルビーだろうか、小さな宝石が軸受でキラッと光っているのを見たら欲しくなって買ってしまった。しかし、自動巻き腕時計というのはいいものだ。買ってから一度も巻いていないのに律義に動き続けている。たまに時報にあわせてみると2日で1分ほど進むようだ。思えば、時計が進んだり遅れたりという言葉も今となっては懐かしい。

昔は街を歩くとどの商店にも真正面の壁に誇らしげに掛け時計が掛けられており、腕時計など持っていない少年でも、いつでも時刻を知ることができた。客へのサービス、もしくは客寄せだったのかもしれないが、クォーツの無い時代だったのだから毎日の時刻合わせも商売熱心な店の主人の自己表現だったのかもしれない。

電池がいらず、薄くて小さく、1分単位で誤差の出る腕時計を身につけて街を歩いてみるが、一向に不自由は感じたことが無い。昔ほどではないが街中に時計はあるし、それらは大概クォーツなのだから気になったらこちらのを調整すればすむ話なのだ。ディスカウントショップで投げ売りされるような、小さくて精密な機械式時計をいまだに作り続けているスイスの小メーカーを想うと感謝とともに、頭の下がる思いである。

2000年4月26日 水曜日

ポパイは死んだ?

雑誌 Popeye といえば学生時代、その編集センスの切れ味の良さで
私たちを夢中にさせ、いまだに捨てられない永久保存版が
我が家にも保存してあったりするのだが、
昨夜コンビニの雑誌コーナーを見たら、週間プレイボーイや
晩年の平凡パンチのような姿に変貌してしまっているのに気づいた。

あららっ!と、思って手に取ってパラパラっとめくったら
私の嫌いな女性タレントのセクシーショットが……。

うわっ!と、棚にすばやくもどしたら
Popeye の文字が、単なる Oppeye に見えた。黙祷。

2000年4月25日 火曜日

黄色い粉末の謎

数日前、激しい北西の風と雷雨が通り過ぎた後、六義園に面したベランダに黄色い粉末がうっすらと堆積した。

今年は激しい花粉症に悩まされたので、これが花粉の実態か?とも思ったが、ひょっとすると中国方面から飛来するという黄砂というものかも知れない。気になったので採集しておいた。それにしても、黄砂って本当にこんなに黄色いのかしら?う〜ん、顕微鏡が欲しくなって来た。

2000年4月24日 月曜日

おとなの理由

いつだったか、青山の書店で、ある出版社の文庫本コーナーが棚ごと移動されており、「おとなの理由で移動しました」と書かれていたことがあった。「おとなの理由」って何だろうと頭を傾げてしまった。「頭は使うために有って、傾げるために有るんじゃない」とは、高校時代の教師の口癖だったが、どうにも「おとなの理由」の意味がわからなかったのだ。

雑誌を読むとは無しにパラパラめくっていたら、偶然「おとなの理由」という言葉が使われている記事を見つけ、どういう意味で使われているのか、おおよその見当をつけることができた。要するに、上記書店の例で言えば、大手出版社からの圧力で棚を拡充させられ、その皺寄せで他の出版社の棚が隅に追いやられた、という意味らしい。

ああ、そうか。それならわかる。

こんな例を聞いた。不況による営業不振打開への活路を見いだそうと、ある商店主がホームページを開いたら、某大手メーカーの営業マンから他社製品(標的になるのは大概、本物志向で巻き返しを図る弱小企業)を宣伝するなと圧力がかかるのだそうだ。情けない話だ。「おとなの理由」ってその程度の意味で用いられているらしい。

「某大手メーカー」にムッと来たので「名指しで抗議してやろうか」……という「やり口」がインターネットでまかり通っているようだが、「某大手メーカーの営業マン氏」同様に気味が悪いので嫌いだ。
そんな「おとなげない」事をしなくたって、その「某大手メーカー」は放っておいてもやがてジリ貧になりそうな企業だと予想している。

根拠はもう少しまっとうな「おとなの理由」からである。

2000年4月22日 土曜日

女の不思議

草思社あたりが「なになにできる人、なになにできない人」みたいな二項対立的書名の本をヒットさせたあたりから、柳の下に泥鰌目当ての出版社が集まって来て類似企画の出版ブームがあったようだ。ようやく下火になったかなと思うと、相変わらずいくつか新しい企画も登場していているようだ。こら、いい加減にしないか!

てなこと言ったって、この二項対立物ってちょっと興味をそそられる所が有って、広告などついつい読んでしまう。世紀末の閉塞感もさる事ながら、人間の弱い部分に触れて来る息の長いブームなのかもしれない。

先日も「話を聞けない男、地図を見れない女」(違うかな?)という本の中吊り広告にじっと読み入ってしまった。男の方は良くわからないが、女が地図を見るのが苦手なのは薄々感づいていたりしたのだ。

そうだよな、まったく女って奴は、と心の中で毒づくついでに思ったのだが、飲食しながら泣いたり怒ったりするのって女の特技ではないだろうか。女ったって長い事一緒に暮らしたのは母親と妻くらいのものだから、いささか心もとない資料しかないのだけれど。男というのは、本当に悲しかったり、怒ったりすると、何も喉に通らなくなるものだと思うのだけど、他の男性はどうなのだろう。

泣いたり怒ったりをおかずやつまみにして飲食を続ける女を見て背筋の寒くなる思いをした男性は多いのではないだろうか。どうなんだろうね。

2000年4月21日 金曜日

雨の日の散髪

激しい風雨の日は嫌いではない。ガラス窓の内側、屋根の下にいるかぎりは。窓が大スクリーンで窓外が自然の記録映画だと思えば、果てしなく続く単調さも、強い意思に裏打ちされた極めて芸術性の高い営為のように思えて来る。

ただ半日もこの芸術映画を眺めていると、時に陰々滅々の暗雲が心にたれ込めて来る。

そんなときは、傘をさして近くの理容室に散髪に行くのに限る。鋏の軽快な響きとともに黒い毛がパサパサと床に散って行く様はマゾヒスティックな快感を感じさせたりするし、汚れちまった海岸に流れ着いた椰子の実を洗うようにゴシゴシ洗髪されるのは、「ただいま考え中」の脳味噌をグイグイ揉まれているようで生体実験に自身が供されているような気分になって不思議なのだ。

そして雨の舗道を歩き、交差点を渡る男の後ろ姿に字幕が重なってこの芸術映画は終わる。

fin

2000年4月20日 木曜日

若葉の頃

桜が散るのを待ちかねたように、六義園の木々が若葉を一斉に広げ始め、園内の様子は外部からは全く見えないほどになって来た。例えて言うなら、夏の青空に入道雲がモクモクと立ち上って行くような勢いだ。

「相似律」というものがあって、自然の営みというのは全く関係ないように思われるもの、マクロとミクロほど隔たっているもの同士が、実に奇妙な相似的共通性を持って立ち現れて来るから不思議だ。

8階の窓から見る木々の成長は入道雲だし、高層ビルから眺める都市の緑は青黴の繁殖のようだ。冬空の欅の枝は空に向かう落雷のようでもある。

この季節になる度に、六義園の木々に向けてデジカメを固定カメラとして設置し、駒落としの「若葉入道雲ムービー」を作ってみようと思っているのだが、今年も機会を逸してしまった。よし、来年こそ。

気の長い話だ。

2000年4月19日 水曜日

浦和にて…2

和に行ったら、行ってみたいお目当ての店があったのだが、見つけることができなかった。やはり下調べは大切だ。そのかわり、駅前の中華料理店にさり気なく架けられているおもしろい絵を見つけた。

新興宅地造成地の家並みを描いた絵なのだが、何とも不思議なムードの漂う絵なのだ。浦和市内でこんな場所は思いつかないので、描かれた場所は何処か他の地域なのだろう。背景に夕焼け空が描かれているので、早めに日が暮れる東向きの斜面。急峻な造成地に延々と続く石段。ポツンと灯った街灯と青緑系統の家々に忍び寄る闇が美しい。

およそ中華料理店に似つかわしくない寂寥感のある絵なのでなおさら気になる。デジカメで咄嗟に写したので左半分に外の明るさが写り込んでしまったが、本当はもっと暗い。AKIYAとサインがあるが秋谷さんだろうか。どんな方で、どんな思いでこの絵を書かれたのだろうか。

カメラマンの川上哲也さんでも一緒だったら、遠慮を知らない人なのでお店の人に尋ねてくれたのになぁ…と、ちょっと残念。

と、浦和駅ホームに行ったら、その川上さんに会ってしまった。う〜ん、何か不思議な今週の浦和なのである。

 

2000年4月19日 水曜日

浦和にて…1

浦和行き。やはり先生方も「さいたま市」が気になっているらしい。例えば浦和レッズの本拠地は「埼玉県浦和市駒場」にあるスタジアムだけど、「埼玉県さいたま市駒場」になったらやっぱり「さいたまレッズ」になっちゃうんだろうか、県庁所在地「浦和」を校名にいただいた学校も「さいたま●●学園」とかにした方がいいのだろうか…とか。

住所変更に伴う印刷物の経費も大変らしい。その分、地元企業にお金が落ちるかというと、不況もあって県外ドタバタ目当てにやって来る格安業者に流れちゃうんじゃないかとか。

2000年4月18日 火曜日

夫と妻の別居介護

当サイトにもリンクしている松井省吾&松井幸江ご夫妻の本が出来上がって来ました。装丁は石原雅彦、装画は川上 京さん、出版社は中央法規です。5月1日には書店に並ぶそうです。とりあえず入手できましたので速報です。

2000年4月17日 月曜日

浦和を笑う

…なんて、回文駄洒落にしたって、なんとも不謹慎で申し訳ない。私、浦和の町がとても好きなのだ。

清水の蔵談義で浦和・大宮・与野の3市合併問題の話を伺って来た週末明けの月曜日、朝一番で浦和の先生から電話が入って水曜日にお邪魔する事になった。そして、夜のニュースで3市合併後の名称が「さいたま市」で合意に達したという。なんか浦和に縁のある1週間になりそうだ。

誰でも知っている事だろうが埼玉県の県庁所在地は浦和市である。関東大震災の被害が少なかったため、大量の都市民が移住し急速に巨大化したものの、中山道の宿場町だった当時の面影を今も残す趣のある町である。

一方、私が東京で小学生時代を過ごしていた頃の大宮市というのはまだまだ長閑な町で、遠足に「大宮公園」に行くというのが我が小学校の習わしだった。そのせいか、顔にご飯粒をつけて歩いている友人を見ると、

「おべんと付けて何処行くの、大宮公園ひと回りっ!」

と、囃し立てたものだった。その大宮市は新幹線が止まるようになり、巨大開発が進み、凄まじい都市化の嵐が縦断中である。「さいたま市」誕生後は県庁をこちらへ移転する計画もあるようだ。

さて、政令指定都市「さいたま市」が誕生すると浦和市民にはどのような運命が待ち構えているのだろうか。思惑通り「市民が実感できる」豊かさがもたらされるのだろうか。「政令指定都市神話」は健在なのか。巨大な共同体感情を結集したコミュニティ(地域社会)の魂は、真新しい「さいたま市」という器に吹き込まれるのだろうか。

水曜日は、浦和市内にある、長年有名ホテルで経験を積んだおじいちゃんコックさんが営む古い小さな食堂を訪れてみたいと思う。穏やかな時の流れる浦和の町を忘れないように。

2000年4月16日 日曜日

ふるさとは遠きにありて…

清水より帰京。清水市内、有東坂方面で買い物をして、次郎長通りの「魚初」さんに回り、ポートサイドマーケットで可愛い従妹の顔を見て昼ごろ清水インターから東名に乗ると2時過ぎには都心に着いてしまう。東名の片側3車線化が進んだ恩恵である。ああ、本当に清水が近くなったなぁと思うが、心から有り難いと言えるかというと、そうでもない。

子どもの頃や、お金が無くて暇が有った学生時代、鈍行列車に乗って東京・清水を往復した頃が無性に懐かしい。夕暮れの清水駅前で買った「やすい軒」の駅弁を食べながら遠ざかるふるさとを思って感傷に浸ったあの頃。貧しかった時代が、今ではとても豊かな時代に思えるのだ。

箱根の温泉街の経営者の方々は大変らしい。かつて東京から一泊旅行というと箱根や熱海がまず候補に挙がったものだが、中途半端に近くなってしまって宿泊客が激減してしまっているらしいのだ。友人が、どのようにしたら再び地域を活性化できるかのアイデア披瀝の講演なんぞに行っているらしい。どんなイベント、施設を作ったら良いかと。

だが、よくよく考えると何処かヘンなのだ。戦前の都市文化人の記録を見ると、朝東京を出立し、程良い頃合いに箱根の山の湯の宿に到着し、数日間雨の日も晴れの日も抱えて行ったたくさんの書物を読んで過ごし、温泉に入り、質素ながら品目の多い理想的な日本食をいただき(昨今の旅館の食卓で火を焚いたりする馬鹿な接待合戦にはうんざりする)、のんびりと身体の英気を養ったりした、当時の旅の何と豊かな事か。珍妙な「見所」にかかずらわされる事も無く、程良い距離に有ったが故に、大切な時間とじっくり付き合うことができたのだ。たかが1週間程度の旅程で数ヶ国を回りくたくたになって帰って来る格安パック旅行の何と貧しい事か。

新幹線なんか停まらなくたって、鈍行列車で程良い時間に着くことができる土地に、安くてとびきり新鮮な海の幸が有り、穏やかでゆったりした時間の流れる人情味溢れる町があることの方が、より豊かなように我が郷土を思うと感じられてならないのだ。それらをぶち壊す様なイベントや箱物建設なら金と資源をドブに捨てるようなものだと思う。

昔、旅先で日が暮れてしまい、飛び込みで一夜の宿を乞うた会津喜多方の宿のマッチにはこう書かれていた。

  寂しさの懐に入る心地して 夕暮れに着く山の湯の宿

2000年4月15日 土曜日

蔵談義

「清水には、おいしいもの、楽しい事、不思議な事がたくさんあります。知られていない事、忘れ去られてしまった事など、もう一度さがしてみようではないか。そして、それが清水の活性化のヒントになればと、お蔵プロジェクトが動き出しました。嘉永五年創業の、石野源七商店の蔵で、楽しい集まりを企画しております。」(お蔵プロジェクト)

第二十回目を迎える蔵談義に清水の「魚初」の若主人、中田さんの口利きで初めて参加させていただいた。以下、楽しい一夜の感想と備忘録。

【見知らぬ町並み】
実は石野源七商店の蔵の立つ辺りは足を踏み入れたことが無い一角だった。さつき通りから右折して港橋を渡り次の通りを左折すると清水次郎長の家がある「次郎長通り商店街」。ここを左折せずに進んで次の道を右折するとお目当ての蔵がある。巴川を利用した水上輸送も盛んだったそうで、酒問屋が集まっている一角でもあるらしい。見知らぬ土地に来たようで楽しい。

【今回の講釈師】
清水市と静岡市は政令指定都市
(政令で指定する人口五○万人以上の市をいう(地方自治法二五二条の一九)が、実際には自治省では、一定の要件を備えたおよそ一○○万人以上の市という方針をとっている。かつての大阪、北九州、京都、横浜、名古屋、神戸の六大都市に加えて、一九七二(昭和四七)年からは川崎、札幌、福岡の三市、八○年に広島市、八九年には仙台市、さらに九二年四月に千葉市がそれぞれ政令指定都市に指定されて、現在では一二市ある(東京都は都制のために入らない)。政令指定都市はほぼ府県並みの行財政権をもつとともに、行政手続き上、府県を経由しないで国と直接コンタクトをもてる地位にある。『現代用語の基礎知識』より)をめざして合併協議中なのだ。というわけで合併協議会委員の村上さんが静清合併について肩の凝らないわかりやすい講義をしてくださった。

実はこの「静清合併」、市民レベルでは大変盛り上がりに欠けているようなのだ。前日の「静岡新聞」を読んでいたら、静岡市長は“これだけ市民の関心が無いってことは委員に一任したという事だ”というニュアンスの発言、清水市長宮城島さんは“もっと興味の沸きそうな『名前の問題』に話を振ったらどうか”との発言。私見だが宮城島さんに賛成。

村上さんの講義の中に「流さなければならない血」というお話があったが、市民にとって逼迫して感じられる「流さなければならない血」は『名前の問題』ではないだろうか。『名前の問題』ぐらい、ちっぽけな「流さなければならない血」の一つだと考える委員がいるとしたらどうかと思う。宮沢賢治の「よだかの星」で明日から鷹の名を捨て「いちぞう」と名乗れと言われた「よだか」の悲しみは身を星に変えるほどのものだったのだ。私の住んでいる東京都文京区の一地域はかつて雑木林の美しい武蔵野原だったそうだ。地名にも「林町」「薪町」「駕籠町」など土地の成り立ちを髣髴させる趣のある物が多かったのだが合理主義的な町名変更で「奇妙な町名+背番号」に変わってしまった。生まれ育った「地名」を失った者の無念の思いを綴った文献はインターネットで検索しただけでも山ほど出て来る。

たとえ府県を飛び越えて国に物申す権限を得たとしても地域住民の「地域を愛する拠り所の一つ」を「流さなければならない血」として切り捨ててしまっては、ますます地方自治への関心を失わせてしまうだけなのではないか。私の本籍地は清水市旭町234で今は清水市役所になってしまっているが、いまだに動かさずにいる。例えば「静清合併」が実行されれば「静岡県しずおか市旭町」ということになるだろう(4/18大宮・与野・浦和3市は合併後「さいたま市」になることに決まった。こういうものだ)。「俺は清水市江尻の生まれだ」「私は清水市駒越の生まれです」といつでも何処ででも胸を張って言える事って大事なのだ。「複雑系」なんていう難しい学問を持ち出さなくても、「風が吹けば桶屋が儲かる」式に、合理主義的考えからすれば些細な事が、人民の心の荒廃に大きな影響を及ぼすということは日本近代の失敗から明らかなのだ。

万が一合併が決まるようなら、それによってかえって地域に生きる人びとの郷土愛の絆を強めるような柔らかで粋な計らいのある「清水っ子」らしい行政のかじ取りをお願いしたい。

【おっ蔵談義本日の酒リスト】
入江岡篠田酒店提供
●1…清泉・特別本醸造(新潟)淡麗辛口
●2…東北泉「ちょっとおまち」純米(山形)まろやかうま口
●3…正雪・特別純米「備前雄町」(静岡)吟醸香あり、やさしい辛口
●4…初亀・純米吟醸(静岡)吟醸香あり、きれいな辛口
●5…満寿泉・特撰大吟醸(富山)吟醸香あり、すっきり辛口
●6…松の司・大吟醸「陶酔」生(滋賀)吟醸香あり、骨格のしっかりした辛口

私見ですが初亀は噂に違わず美味しい。満寿泉は当たり外れあり。今回のは当たり。

【蕎麦うちの達人】
そば道場『入江の里』の井上さんとお仲間による手打ちそば実演と喰いまくり。美味しい!蕎麦湯は瓶に入れて貰って持ち帰り東京に帰ってから蕎麦焼酎の蕎麦湯割りでいただく。悶絶するほど美味い。感謝。

【みんなのうた】
中田さんの選局で「TSUNAMI」は良かった。清水に帰る車の中で流しっぱなしにしていた曲なのだ。止めど流る清(さや)か水よって清水にピッタリ。

【町に血が通う】
みなさん良い方ばかり。聞けばあの家具屋さん、陶器屋さん、お茶屋さん、お菓子屋さん、魚屋さん……と、売り方買い方の商売だけではない生身の人との面識が出来て心の中の町並みに血が通って来た気がして幸せ。商売も人間関係も合理性一本槍では貧血気味になる一方なのだ。

2000年4月14日 金曜日

清水の桜

母親が小さなマンションのワンフロアを借りて藍染めの工房を開くことになったので、引っ越しの手伝いのため帰省。

4階建の最上階という大した高さでもないのに、清水市内がかなり遠くまで見渡せて感動。嬉しいのは山の中腹にある大内の観音さんが見えること。麓から山門への坂道に植えられた桜が満開だった。私の好きだった中腹の一本桜はどうしても見つからなかった。

「参道の桜って昔からあったっけ?」と、私。
「昔からあったよ」と、母。
「そうかな〜?」と、心の中で私。

夜、「新生丸」で祝杯を上げる。カサゴというのはこの季節によく水揚げされるのだろうか。魚屋さんの店頭でもよく見かけた。美味しい魚がこんなに安く食べられるなんて…清水の町に感謝。

2000年4月13日 木曜日

穴の時代

身体に穴を穿った高校生なんて今の時代当たり前なのだろうか。

年に一本ぐらい学校案内のパンフレットの仕事が来るのだが、ポジフィルムをルーペでチェックしていると、ピアスをした男子生徒が多いのに気づく。そんな男子生徒と校長が和やかに談笑している写真を見ると、何とさばけた世の中なんだろうと唖然とする。

思えば私も高校を卒業する年頃の子供がいたっておかしくはないのだが、子供をもうけたとしても、鼻ピアス・耳ピアスの息子と和やかに談笑できるほど寛容な父親にはなれなかったと思う。せっかく高等師範に入ったんだから教師になって頂上をめざせと激励していただいた郷土の方々の、期待にそえる校長になるなんぞ土台無理な話だったのだ。

身体髪膚、受之父母(しんたいはっぷ、ふぼよりこれをうく)と聞いただけで背筋が延びて、不敢毀傷、孝之始也(あえてきしょうせざるは、こうのはじめなり)まで聞けば目がウルウルしてしまうようなヤワな精神の持ち主にはとても勤まる職業ではない。オヤジも校長も。

悲しい気持ちで銀座を歩いていたら桑田佳祐のTSUNAMIをピアスの若者に混じってCDショップで買ってしまった。桑田佳祐とは大学卒業年が一緒なのだ。歳は一つ上だけど。彼はオヤジになったんだよなぁ。

津波のような侘しさを感じる。本当は見た目以上に打たれ強い僕なんだけどさ。

2000年4月12日 水曜日

つくし

能登でいさざ漁が始まったそうだ。同じいさざでも【魚少】と1字で書くと琵琶湖固有種のハゼ科の魚なのだが、能登のは字が違い(どう工夫しても表記不可)シロウオの別称だ。シロウオというのはハゼ科の魚だが、シラウオというとシラウオ科の硬骨魚。姿形が似ているだけでなく、春に産卵のため河口から登って来るなどの習性も似ているのでややこしい。

澄まし汁にした時、お椀の底で姿形が「つ」「く」「し」になるという話は、長谷川法世『博多っ子純情』で初めて知ったのだが、

「春、シロウオ、つくし…なんて奇麗な例えなんだろう」と、私。

「子どもの頃から、シロウオのお澄ましを作る度に、母さんが良く言ってたよ」と、妻。

う〜ん、口惜しい。お澄まししちゃってさ。

2000年4月11日 火曜日

Stand by Men!(蕎麦に居てくれ!)

ライス・カレーの話をしているのに、印度ネイティブの作るカレーや、ホテルで長年修行したシェフの作る正統派英国風カレーの旨さを得意げに話し出す奴がいるが頭の中身がどうかしてるんじゃなかろうか。

サンダル履きで出かけてニッカーボッカーズをはいた逞しい若者たちと相席で食べるソバと、網目が透けて見えるほどちょっぴりのセイロを目の玉が飛び出るほどの金を払って横柄な店主に気を使いながら食べる蕎麦を、同じ土俵に乗せて論じるのも同様にどうかと思う。

近所にうまい手打ちそばを食べさせる店があるというので出かけてみた。店内に入るとニッカーボッカーズで満員、「タモリの笑っていいとも」をガンガン大音響で流している。出前もやっているので家族総出のてんてこ舞い。皆が食べているものを見るとカツ丼やアサリ丼等が多い。品書きに無いのにおいしそうな「蕎麦屋風ラーメン」を食べている常連風の若者二人組もいる。壁の片隅に「手打ちをご希望の方は前もって“手打ち”とご注文ください。各80円増し」とある。早速手打ちを注文。

これはおいしい。良い意味で凄い田舎風。つけ汁も甘くないし、こんな蕎麦をこんな値段、こんなアットホームな雰囲気で食べられるなんて…と感激。ひどく足の便が悪いのに探し出して紹介したグルメ本もあるらしいが、偉い! いい店を教えて貰ったと大満足。不忍通り沿い、道灌山下交差点側、手打ちそば「角萬」。ご近所をお通りの折りはどうぞ。

2000年4月10日 月曜日

だいせんじがけだらなよさ

昨日は強風が吹き、今日はやがて雨模様になるらしい。今年の東京の桜はもうおしまいになりそうだ。

有名な漢詩を「花に嵐のたとえもあるぞ、サヨナラだけが人生だ」と訳したのは井伏鱒二だったというのは、かなり後から知ったことで、私が初めてこの名訳に触れたのは、寺山修司のレコードだった。ふと入ったレコード屋で宇野亜喜良のデザインによる不思議な音盤を見つけたのだ。朗読はカルメンマキだったのだろうか…。内藤洋子?いやちがうかな。

「さよならだけが人生ならば、また来る春は何だろう……だいせんじがけだらなよさ」という寺山修司の言葉に何となく感動したりしていた中学生時代だった。

昨夜、風に吹かれながら友人と飲んでいたら、郷里の母から残念知らせを伝える電話が入った……と、書き接ごうと思ったがやっぱり書けないな…。

人には一年のうち最もスランプに陥る特別な時期があるようで、妻は夏が苦手だったりするのだが、私は春が駄目でこうして一人パソコンなんぞに向かっていると陰々滅々たる気分になってきて、やっぱサヨナラだけが人生だよなぁ、などと……。

2000年4月9日 日曜日

速報!六義園にツバメが到着!

本日午前9時45分、六義園上空をツバメが旋回するのを確認しました。「お疲れ様でした、今年もよろしく!」と言いたい気分です。

今来たと顔を並べるつばめかな

小林一茶

2000年4月8日 土曜日

六義園周辺桜散歩

本日は特別番組です。

2000年4月7日 金曜日

田端の桜

JR京浜東北線田端駅東南の高台は、かつて多くの著名な作家が居住していたことからいつの頃からか「田端文士村」と呼ばれるようになったらしい。知っている人以外には意外と知られていない(あたりまえか)のだが、田端駅には北口の他に南口がある。小さな改札を出て急な石段を東南方向に登るのだが、この道が「不動坂」、その坂を登ると短い区間だが見事な桜の通り抜けがある。この界隈は不思議に昔風の趣きがあって何とも気持ちの良い場所なのだ。

かつて芥川龍之介が住んでいて、有名な「木に登っている龍之介」の写真が撮られたのもこのあたりだろう。

「あれ、桜の木だったんじゃないか」と私。

「何言ってんのよ、柿の木よ」と妻。

はたしてどっちだったのだろう。芥川龍之介もくぐり抜けたかもしれない(?)桜並木をご覧あれ。

2000年4月7日1:15AM

2000年4月3日 月曜日

スアン

近所にちょっといい蕎麦屋がある。迷路のような路地裏を阿弥陀籤のように辿って行くので、ちょっと他人に道順を教えにくい。そんな解り難いところにあるのでグルメ雑誌などに載っているのを見かけたこともない。大層古くて由緒有りそうな蕎麦屋なのだ。

これは店内にある昭和十二年の品書き。

麺類公定価格単位一杯又ハ一盛
もり、かけ、狐南ばん、花巻、笊そば蕎麦五十五匁、うどん六十五匁
種物は蕎麦うどん共五匁減
そばがきは蕎麦粉一合五勺

と、書かれていて「種物は五匁減」などと書かれているのが、当時の日本が偲ばれて面白い。この品書きを順に読んで行くと、

「肉カレー南ばん二拾五銭」の次に「すあん」とあるのが何だかわからない。手許の辞書類を調べて見たのだがお手上げなのだ。はて、「すあん」とは一体どんな蕎麦なのだろう?


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