電脳六義園通信所管理人 石原雅彦の日日抄

2009/03
2009/02
2009/01
2008/12
2008/11
2008/10
2008/09
2008/08
2008/07
2008/06
2008/05
2008/04
2008/03
2008/02
2008/01
2007/12
2007/11
2007/10
2007/09
2007/08
2007/07
2007/06
2007/05
2007/04
2007/03
2007/02
2007/01
2006/12
2006/11
2006/10
2006/09
2006/08
2006/07
2006/06
2006/05
2006/04
2006/03
2006/02
2006/01
2005/12
2005/11
2005/10
2005/09
2005/08
2005/07
2005/06
2005/05
2005/04
2005/03
2005/02
2005/01
2004/12
2004/11
2004/10
2004/09
2004/08
2004/07
2004/06
2004/05
2004/04
2004/03
2004/02
2004/01
2003/12
2003/11
2003/10
2003/09
2003/08
2003/07
2003/06
2003/05
2003/04
2003/03
2003/02
2003/01
2002/12
2002/11
2002/10
2002/09

2002/08
2002/07
2002/06
2002/05
2002/04
2002/03
2002/02
2002/01
2001/12
2001/11
2001/10
2001/09

2001/08
2001/07
2001/06
2001/05
2001/04
2001/03
2001/02
2001/01
2000/12
2000/11
2000/10
2000/09
2000/08
2000/07
2000/06
2000/05
2000/04
2000/03
2000/02
2000/01
1999/12
1999/11
1999/10
1999/10以前



三好春樹主催・生活とリハビリ研究所サイトの管理日誌です。

2000年8月28日 月曜日

ナプキン

夜、食事時にテレビのスイッチを入れたらシベリアの狐が死んだトナカイで食事中だった。口の周りが血だらけの子狐が、口の両脇を雪になすりつけて汚れを落としている。食事のあと人間がナプキンを使うようなものだ。

おやっ?と思ったのは、母親の愛犬ミニチュアダックスフントの「イビ」が同じ行為をする。フローリングの床に布が落ちていると盛んに口をなすりつけている。タオルでも毛布でも、人の脱ぎ散らかした洋服でもおかまいなしである。床に布が見つからなければカーテンで代用している。だが、かつて我が家にいたミニチュアダックスフントの「早太郎」はそのような行為をついぞ見せたことがないのだ。

イヌ科の動物はみんなやるのだろうか。そして「イビ」は「早太郎」よりイヌらしい本能を色濃く残しているのだろうか。

2000年8月27日 日曜日

朝市

清水に帰省した際楽しみなのが、市内各所に立つ朝市訪問。

私が良く行く朝市は七割方農家のおばちゃん、残りは我楽多市風の古物を商うおじちゃんたちだ。こんなものが売り物になるのかと思う珍品・奇品が楽しくて何とも長閑なのだが、耳をすましているとインターネットの話などしている。おやおやと、さらに耳をダンボにしてみると、こんな話だ。

珍品・奇品を仕入れて売りに出るのだが最近は仕入先もインターネット・オークションを取り入れているらしく、掘り出し物はネットでさっさと競り落とされてしまうので、通信環境を持たない古物商は仕入れも侭ならなくなってきた。曰く、「インターネットやってるやつにはかなわない」のだそうだ。ほのぼの気分の散歩道にも情報社会の足音が忍び寄っている。

2000年8月26日 土曜日

清水蔵談義

清水蔵談義に出席。清水次郎長通りまで川沿いを辿ってみたいと妻が言うので、懐かしい道を母と三人で歩いた。

市が配布している商店街活性化の資料によると、次郎長通りあたりは「オールドタウン」という区分けにされているのだが、その地域に近づくとどんどん闇が深くなる。川面にはぼんやりと、岸に舫われている小舟の影が揺れ、歩いていく先には屈み込む人の気配がしていて、母が「あっ、送り火を焚いてる……そんなわけないか……」。だんだん小さな焚き火が大きくなると、書きつけを燃やしているおじいさん。火を焚く老人を遠巻きにしてたくさんの猫が寝そべっている、何とも不思議な光景だった。

焚き火から目を戻すと闇はいっそう深い。 八月の蔵談義は毎年閑古鳥が鳴くそうで、こじんまりした静かな蔵談義だった。嘉永五年創業石野源七商店の蔵の前にビールケースを並べての即席ビアガーデン。蔵主の石野さんの話、次郎長生家服部さんの話、テレビ「そこが知りたい」で名を馳せた入港外国船出張販売小原茶ママの話、森美佐枝さん北陸路大暴れの話。和やかな談話につれて闇の中に清水大空襲が、懐かしき次郎長おとっつぁんが、望郷のフィリピン人船員たちが、走馬灯のように浮かんでは消える。やがて魚初商店中田さんが愛用の iMac を抱えて闇の中から登場。スティーブ・ジョブスその人が清水の「オールドタウン」に新製品発表のために登場したような不思議な光景。Macintosh ファンなら爆笑だったに違いない。

2000年8月25日 金曜日

ヘンな日本語

知り合いの女性がパソコン用のプリンタを購入したとかで、電話を貰ったのだけれど、接続用のEther(イーサと読む)ケーブルのことがわからないという。10とか100とかあるのは何のこと?と聞かれて、「あ、それはテン・ベース(10base)とヒャク・ベース(100base)のことで…」と説明していて妙なことに気がついた。あれっ、日本語が変だ。10がテンで100がどうしてヒャクなのだろう。そういえば「OS9」は「オーエスナイン」などと格好つけて言うくせに、「OS8.6」は「オーエスハッテンロク」などと言っている。タバコをまとめ買いするときも「マルボロをワンカートン」などというくせに5箱だと「ゴカートン」などと言っている自分に気づいた。テレビのアナウンサーもそうだ。「ジャンボ尾崎は、結局ツーバーディ、ファイブボギー、通算ジュウニオーバーのジュウハチ位タイまで後退しました」などと言っている。「モー娘はナナランクあげてゴ位、トップワンにあと一息のサン位に赤丸急上昇」などとも言ってるぞ。東京の市外局番「03」を「ゼロサン」と言うのもヘンだ。「ゼロゼロイチイチ」なんて言うのもヘンじゃないのか?これは、とても恥ずかしいことかもしれないぞ。

2000年8月24日 木曜日

AD Train

毎月恒例、凸版印刷に出張校正。

本郷三丁目、風人社の幸江さんに「S&Bホンコン焼きそば」を御裾分けし、小滝橋行きのバスに乗って大曲まで。帰りは裏道を通って江戸川橋に出て再びバス。途中「川上衡器」そばの豆腐屋で美味しいと聞いていたがんもを二枚購入。「早起きした」「一生懸命豆腐を作った」「明日も早いので道具をきちんと片づけた」「夕方までに売り切れるといいな」という生活の柄がすっきりと見える良い豆腐屋さんだった。地道な暮らしというのは清々しいものだ。

2000年8月23日 水曜日

AD Train

山手線がホームにはいってきたら「AD Train」だった。「AD Train」というのは連結された車両全体を一つのクライアントが借りきって広告媒体として使用するらしい。相当金のかかるものだろうから、馬鹿な使い方か否かを勝手に審査してやるのも楽しい。

その電車は日本自転車振興会(?)がクライアントなのか、すべて「競輪」の広告だったが、なかなか面白かった。なぜ「競輪」のキャンペーンかというと、シドニーオリンピックから「競輪」が「Keirin」として正式競技種目になるのだそうだ。オリンピックの自転車競技、トラック短距離種目には「男子1000mタイムトライアル」「スプリント」があるが、今大会から「オリンピックスプリント」と「Keirin」が新種目として加わるのだそうだ。「Keirin」は日本人の金メダル獲得が期待される種目らしいのだ。

我が郷里清水は昔から自転車競技が盛んだった。子どもを早く大金持にさせたかったらマグロ漁船に乗せるか競輪選手にしろといった話を子どもの頃聞いたことがある。高校のクラスメートも自転車部に所属し卒業後競輪学校に進学してプロになった。もう引退してるんだろうなぁ。小柄な奴なのだが、やたら瞬発力のある下半身をしていて、私が「便所コオロギ(かまどうま)」というあだ名を付けてやった。世が世なら、あの「便所コオロギ」も栄えあるオリンピック代表になっていたかもしれない。恐れ多いことである。

2000年8月22日 火曜日

運転免許証

誕生日が近いので運転免許の書き換えに。当然ながら前回の書き換えより三つ歳を取ってしまった。無違反無事故なので近くの警察署で簡便な手続きで済むのが有り難い。最近の免許証はいろいろ変更があったようで無違反無事故だと金のラインが入っていて「優良」と書かれている。銀とか銅とかの「普通」や「不良」もあるのだろうか。食肉品評会に出されたみたいでちょっと嫌な感じ。

嫌な感じといえば、運転免許証の写真ってどうしてこんな写り方をするんだろう。まさに顔の標本写真だ。友人と見せっこして大笑いしたりするのだが、「それなりのひとはそれなりに」という写り方はしないようで、「それなり」の顔は「滑稽」だったり「グロテスク」だったりする。で、運転免許証の写真が「美人」や「ハンサム」の人って本当に「美人」で「ハンサム」なのだ。標本写真というのは誠に残酷にできている。お見合い写真は運転免許証のコピーにすると容姿秀麗か否かは一発でわかるので便利かも。

更新期間も延長されたようで次回は五年後だ。五年後ということは…なんと五十歳。五十歳で「グロテスク」で、おまけに「不良」だったら嫌だなぁ。

2000年8月21日 月曜日

秋雑感

六義園ではアオマツムシが鳴き始めた。日暮れとともにこの虫の声が聞こえてくると我が家では「秋だなぁ」ということになる。

ロシアの原子力潜水艦の事故で亡くなられた118名の乗組員に黙祷。私は潜水艦乗りにはなれないだろう。船酔いするし、閉所恐怖症なのだ。子どもの頃はトラベルミンを欠かしたことがないし、大人に布団蒸しにされたり、押し入れに閉じ込められると発狂するのではないかと思うほど恐ろしかった。

私が少年だった昭和三十年代というのはまだ軍国主義の余韻が残っていたのだろう。子ども向け漫画雑誌には良く「海洋少年団募集」とか「少年パイロット募集」などの記事が掲載されていた。乗物酔い常習者の私は「海洋少年団」は無理だなぁと思ったのだが、「少年パイロット」はいいなぁと思っていた。叔父に打ち明けると「お前は飛行機乗りにはなれない」と言う。何故かと尋ねるとお前のような持病持ちは除外すると募集要項に書いてあると言うのだ。私はヘルニアだったのである。

大人になったら自動車を運転するぞと友人に話したら、絶対やめろという。私のような一人っ子で自意識過剰な男は事故死する確率が高いというのだ。自動車を運転するようになって二十年近くなるが今のところ無事故で生き長らえている。だけど予言が的中する前に自動車の運転なんてやめてしまおうと思いはじめている。イヤなものばかり目について最近のドライブはちっとも楽しくないのだ。こんな乗り物で死にたくないと思う。

つくづく私は乗り物に向いていない。

2000年8月19日 土曜日

懐かしきホンコン焼きそば

「S&Bホンコン焼きそば」というのをご存知だろうか。インスタント焼きそばの走りである。当時インスタント焼きそばというとフライ麺をフライパンで水とともに煮立て、ふやけたところに乾燥粉末ソースを加えるというものが多かったのだが、この「乾燥粉末ソース」が大層不味かったのだ。フリーズドライ技術が未熟だったのだろうか。インスタントラーメンの粉末スープもイヤな味のするものが多かった。

ところが「S&Bホンコン焼きそば」は、最近リバイバルしている「日清チキンラーメン」の様に乾麺自体に液体ソースが滲み込ませてあり、「焼きそば」というか何というかそれなりの美味さがあったのだ。コップ一杯の水を加えて煮立たせ、水分が飛んだところで、別添の青のり・白ごま・乾燥紅しょうがの三点セット混合粉末を加えれば出来上がりという手軽さも、当時中学生だった私には嬉しかった。

立川談志が中国民族衣装で登場し「S&Bホンコン焼きそば、ホンコンにうまいよ」などと言う寒いCMを演じさせられていた。いつの間にか見かけなくなり、「日清チキンラーメン」がリバイバルしたのだから「S&Bホンコン焼きそば」にも帰ってきて欲しいなぁと思っていたのだが、なんと九州の一部地域と北海道でまだ売られているらしい。そしてなんとファンのホームページまであるのだ。取り寄せまでできるので一箱注文してみようと思う。懐かしさを共有できる友人にはおすそ分けでも…と思ったのだが、知ってる人って結構少ないようで哀しい。

S&Bホンコン焼きそばファンのページ

2000年8月18日 金曜日

ふるさと

誰もがふるさと恋しい週末である。
カメラマンのKさんが本郷で仕事があったとやらでぶらっと現れたので、妻と三人南北線で王子まで飲みに出た。お目当ての店に行くと老夫婦がシャッターの降りた店先に立って「すみませんねぇ、従業員がみんな里帰りしちゃって」と笑いながら頻りに詫びている。「年より二人じゃもう無理なんですよ。またよろしくお願いしますね」。

仕方なしに路地裏に山形料理の店を見つけて入ってみた。女主人は帰省せずに一人で頑張っているようだ。しばらく飲んでいると、帰省帰りらしいなじみ客が山形土産を持ってぶらりと入ってきた。
「これ、ひょう」
「わあ、うれしい。夏はやっぱりひょうが食べたいもんねぇ」
遠慮の無いKさんが頻りに“ひょう”とは何かと尋ねるので、私たちもご相伴にあずかることができた。サッと湯掻いてからし和えにしたものだが、微かに苦みと酸味があってぬるっとしている。そのくせ歯応えがあり、どちらかというと“紫つる菜”に似ている。

続いて飛鳥山脇「桜新道」にある小さな沖縄料理の店へ。奥座敷にあるテレビで沖縄の祭りのビデオを流し続けており、カウンターに並んだ男女が遠い眼差しで見つめながら泡盛を飲んでいた。

自宅に戻りインターネットで検索してみると“ひょう”の正式学名は「すべりひゆ」。 広辞苑第五版には

すべり‐ひゆ
スベリヒユ科の一年草。世界の暖地に普通の雑草。茎は地をはい、暗紅色。葉は多肉で対生し、楕円形。夏、鮮黄色の5弁の小花を開く。果実は熟すと上半部が帽状にはずれ、種子を多数放出。茎・葉は食用、また、利尿・解毒剤にも用いる。イハイズル。

と、ある。 この仲間で花を観賞する品種が「はなすべりひゆ」、すなわち松葉牡丹なのだそうだ。湯掻く前のものを見せて貰い、何処かで見たなぁと思ったのは松葉牡丹に似ていたからなのだった。「ひょう」も奇麗な花が咲くが、花の咲く頃には硬くて食べられないらしい。

高校野球も明日は準々決勝。今年の夏も終わりだ。

2000年8月15日 火曜日

迎え火

旧盆の習わしとして昔は門口で迎え火を焚いた。精霊会(しょうりょうえ)、盂蘭盆(うらぼん)、霊迎え・魂迎え(たまむかえ)、霊送り・魂送り(たまおくり)、精霊流し(しょうりょうながし)……。清水の祖父母の家では胡瓜や茄子で動物(牛だろうか)を作り供え、送り帰す時は前を流れる巴川に流した。「おしょうろさん」と呼んでいて、それを流すのは私たち孫の役目だった。祖父母に連れられて土手の露が降りた草むらを歩き、お供えを流すと、暮れなずんだ水面を「二頭の野菜」は濃緑と濃紺の点になってゆっくりと川下へ消えていった。

初めて飼った犬が死んだ年、私たち夫婦は「おしょうろさん」を作った。静かになってしまった夏、やり場のない寂しさに胡瓜と茄子で作ったそれは、何故か犬に似ていた。東京では送り返す川が無くて福島県まで延々一般道を走り、昔ながらの川を見つけて流したのだった。あの川は何という川だったのだろうか。

清水の次郎長通り近くを歩いていたら迎え火用の松の割り木を商っている店を見つけた。ああ、この辺ではまだ迎え火を焚くのだなぁとしみじみとした気分になった。祖父母も既に遠くへ旅立ち、巴川もコンクリート護岸になってしまい、年々歳々、少しずつ失くしたものが増えていく。私たち夫婦はいつか二人きりになったら、また「おしょうろさん」を作るかもしれない。

2000年8月12日 土曜日

鎮魂の日

もう17〜8年も前の話です。富山県の利賀村というたいへん山奥の村に、鈴木忠志さんが主催する劇団スコット(旧早稲田小劇場)の芝居を家内とその友人の3人で見に行こうということになりました。

なにぶん辺鄙な場所ですので、前夜は菅沼集落の合掌造りの民家に泊まらせていただきました。お盆休みをとって大阪で働いている娘さんが帰省する前ということで、滑り込みで一夜の宿をお願いしたのでした。心温まる素朴なもてなしを受けさわやかに目覚めた翌朝、静かな集落の一軒の家になにやら人だかりがしています。聞けば、東京から九ちゃん(坂本九さん)が、こけ(きのこ)料理を食べに来るのだとのことでした。直接お会いする絶好のチャンスだったのですが、急ぐ旅でそれもかないませんでした。

そして、今から14年前。8月のちょうど同じ日に、私たち夫婦はそれぞれの親を伴って合掌造りの村を再訪することになりました。その前々日、日航ジャンボ機が御巣鷹の尾根に墜落し坂本九さんは亡くなられました。 犠牲になった方々のお名前を放送するラジオを聴きながら利賀村の林道を走っていたとき、思いがけないことが起こりました。深い砂利でスリップし私の運転する車が谷に落ちたのです。咄嗟にアクセルを踏んで逆ハンドルを当ててみたりしたのですが、一瞬のことでどうにもなりませんでいた。谷底に落ちていたら一家全員の人生はその年で終わっていたはずです。幸い深い夏草に絡まって45度ぐらい傾いて車は斜面に止まったのでした。エンジンを切り山側の席から一人ずつ静かに降車し、車を支え、次の者に手を貸しながら、無事全員車外に出ることができました。蝉の声と谷川のせせらぎと、傾いた車のウインドウ洗浄液が噴水のようにビュービューと噴き出す音が聞こえていました。

林道で面倒を起こすものではありません。行けども行けども人気のない山道を汗をかきながら麓まで助けを呼びに走りました。空は抜けるように青く暑い夏の日でした。8月12日の鎮魂の日が来るたびに、大惨事と、九ちゃんと、我が家の小さな惨事を思い出します。合掌。


(「生活とリハビリ研究所」1999/8/12より)

2000年8月9日 水曜日

ロシア木工

私と同様清水市に生まれ、他地域から故郷に思いを馳せる小川さんという方からメールで私が高校生時代に撮影し当サイトに掲載している写真を転載させて欲しいとの申し出があり快諾したのだが、よくよく聞いてみると私の高校時代の一学年後輩だと言う。さらに結婚前教師をなさっていたお母様を私の母が存じあげているという二重三重の不思議な縁で、おまけに第三管区海上保安部勤務で森林インストラクターというユニークな生き方にも惹かれ、私が手がけるもう一つのサイト『蔵談義@Web』で「自然塾」という連載をお願いしてしまった。

その小川さんの清水に関するサイトが見られると言うので昨夜お邪魔してみた。トップページに「怖い顔」があるというのもちょっと楽しみだったりしたのだ。あまりにインパクトが強かったのか奇妙な夢を見たので日記に記録して置くことにした。

小学生時代の駄菓子屋に飛行機の玩具が売られていた。昭和30年代当時5円で買える玩具としてはとても良く出来ていたと思う。薄い経木のような木の板に印刷した紙を貼り付けたもので作られたグライダーなのだ。設計が巧妙で実によく飛んだ。

夢の中で小川さんのサイトを訪問すると以下のようなページが目に止まった。

ロシア木工


こんな玩具をご存知ですか?昭和30年代、駄菓子屋で売られ当時の子どもたちを夢中にさせたグライダーの玩具です。薄い木と紙で作られた組立式の飛行機は第二次大戦後シベリアに抑留され、命からがら引き揚げて来られた方々が、現地で覚えたロシアの伝統的民芸「ロシア木工」の技術を生かして、生活の糧を得るために考案しました。

実際に戦闘機の設計に携わった技師の設計によるこの玩具は、高い動的性能と五円という低価格もあって、当時の子どもたちの心をつかみ隠れたヒット商品となったのでした。

Nobuaki Ogawa

確かにマトリョーシカなどを通じてロシアの木工が盛んなのは想像がつくけれど、経木に紙を張ったものが「ロシア木工」等というはずがないわけで、にもかかわらず夢の中で「なるほどなぁ、世の中には物知りな人がいるのだなぁ」と妙に感心していたのが可笑しい。

小川信明さんの清水に関するサイト
http://nonboo.hoops.livedoor.com/

2000年8月6日 日曜日

広島

子どもの頃叔母に貰った『千羽鶴』という本は泣けた。泣いて泣いて、それでもまた何度も読み返して泣いたのを覚えている。この叔母は戦争中広島在住だったが瀬戸内の小島に疎開していて難を逃れたという。その小島に、空から大きなトタン板が降って来たときは「世界の何処かで、いったい何事が起こったのか」と子どもながらに恐怖を覚えたと言う。

それ以来、一度広島に行ってみたいと思っており、それが実現したのは理学療法士の三好春樹さんが主催する「広島おむつ外し学会」に参加したときだった。春樹さんが、「広島に来たら原爆ドームは見ておいたほうがいい」と言うのがちょっと意外だったが、快晴の広島市街を歩いて爆心地まで行った事は良い想い出になっている。全国から寄せられた色鮮やかな千羽鶴も見ることができた。

実は、広島に行ったのはそれが初めてと言うわけではないのかもしれない。結婚直後だからもう20年も前だけど、妻と義母の3人で長崎諌早に住む妻方の親戚を訪ねたことがあった。夜行列車で向かうことになったのだが、その時初めて乗った寝台車で、自分が閉所恐怖症である事を知った。安い寝台車だったのか、三段ベッドになっていて、当然義母が一番下、その上に妻、最上段に私ということになった。ところがその最上段が狭くて、しかも窓も何にも無いのである。寝つかれずに冷や汗ばかり出て来て、妻に頼んで中段にして貰った。そこには小さな窓が付いていて閉塞感もいくぶん和らぐような気がしたのである。

それでも眠りは浅く、深夜、列車が少し長い停車をしているのに気づいて目を覚ました。小さな窓から車外の様子をうかがうと、「広島」という駅名表示板が闇の中に小さく見えた。「ああ、ここが広島か」と初めて実感した、その映像が何故か忘れがたく、「初めての広島」と言うと抜けるような青空の爆心地に続いて、深夜の広島駅の光景が浮かんで来る。

2000年8月4日 金曜日

時刻合わせ

機械仕掛けの時計も、おつむのなかの時計も、自分の世界の中で完結するなら狂っていたって一向にかまわないのだが、他人との関係があるうちは正確でないと都合が悪い。

Macintosh の内蔵時計の多少の誤差が気持ち悪いので、インターネットの時代なんだからタイムサーバーにアクセスして時計合わせをしてくれるソフトが有った筈だよなぁと探してみたのだが、あまり新しいのは無いようだ。

それで「日付 & 時刻」コントロールパネルを開いてみたら「ネットワーク・タイムサーバーを使用する」というチェック項目があるのに気がついた。「サーバーオプション」というボタンが有るので押して「Apple アジア」を選択。「システムクロックがタイムサーバーと異なるときに自動的に設定」ラジオボタンを押し、「すぐに設定」をボタンを押してみた。

別段何事も無いようなので 電話で117をダイヤルしてみると“現在の時刻”の表示が秒までピッタリに修正されている。あらま、なんて便利なんだろう、いつからこんな便利な機構が…と、調べてみたら何と OS 8.5 以降標準搭載だそうだ。またまた浦島太郎状態。

2000年8月3日 木曜日

水に揺れる影

学生時代、及川恒平という歌手の歌が好きだった。この人は元六文銭から出て来た人なのだけれど今どうしているのだろうか。特に『水に揺れる影』という歌が忘れられない。美しい歌だった。

先日、妻と話していて懐かしいことを思い出した。

夏の暑い日、田んぼの畦道にしゃがみこんでじっと飽きもせず、生温い水に漂う浮き草を眺めていたことがある。

「何をしてたと思う?」

「黄土色の水底に映る影を見てたんでしょ?」

一人っ子同士のせいか、子どもの頃の一人遊びまで似ているらしい。

そう、田んぼの水に浮かぶ水草が数センチ下の泥の上に落とす影は何とも美しいのだ。どんよりとした草いきれを微かな風がかき回し、ゆっくりゆっくり移動する浮き草の影は回りに眩しい太陽の輪を持っていた。表面張力で盛り上がった水面が凸レンズになり、粘土の上に光の物語りを描いていた。ツツツッとアメンボウの影が横切るとアメンボウの足先にも小さな太陽の点が光っていた。

懐かしいなぁ。もう一度あんな気だるい静かな夏を過ごせるのだろうか。及川恒平の歌はこうだ。

水に揺れる影 太陽に向けて旅立つ舟

2000年8月2日 水曜日

拝啓 川上哲也様

貴兄の『じっとり酔眼』いつも楽しく読ませていただいております。酷暑の中、食あたりもせず元気にお過ごしのことと思います。小生、敬愛する貴兄の奇行・偏愛に心酔しながらも、一人で飲み歩く習慣を持たず、夜の魔界に貴兄の足跡をたどる追体験の旅もままならない身の上ですが、せめて外出時の昼食だけは爪の垢ほどの至福の時を求めて怪しい脇道を選んで歩くよう心がけています。そんな心がけが報われたのか、素晴らしい店で夢のような昼餉を食す事が出来ましたのでご報告いたします。

その店は当然裏通りにありました。当然エアコンなどは無く、玄関は通りに向かって開け放たれ、狭い店内の様子を観察することができました。貴兄なら「当然」と素っ気なくおっしゃると思いますが、3人ほどしか座れないカウンターはビニール製のドーナツ型座面の丸椅子でございました。そして、さらに「当然」の事ながら客は誰一人おりませんでした。もう午後一時をとうに過ぎてサラリーマンのランチタイムも終わりなのに、正面厨房の壁に開けられた小さな出窓には、何を注文されても良いようにあらかじめキャベツの千切り、トマト、ポテサラの定番3品が盛りつけられた真っ白い皿が一枚置かれ、直立不動の老人がこちらを向いて立っておりました。そう、まるでつげ義春のマンガのようだったといえば貴兄なら、よし入れと背中を押されたことでしょう。はい、当然私も入りました。

店内のすすけた貼り紙には「とんかつ」「あじフライ」など貴兄の好きな揚げ物が並んでおりましたが、申し訳ありません、勇気の無い私は「豚の生姜焼き」を頼んでしまいました。出て来た生姜焼きを見て、ああ、これでこの皿の定番3品も生ゴミにならずに済んだ、良い功徳を施したと爽やかさすら感じながら割り箸をパチンと勢いよく割ったのでありました。

余程客がこなかったとみえ、私を待ちわびていたものは老主人だけではありませんでした。カウンターの上の壁の隙間から柿の種ほどの茶色いゴキブリが「やったっ、飯だ飯だ」とばかり飛び出してまいりました。貴兄はゴキブリが躓いて転ぶところをご覧になられたことはお有りでしょうか。そのゴキブリは歓喜のあまり壁のささくれに足を取られ危うくカウンター上に20センチほど落下しそうになり、慌てて「おっとっとっと」とささくれにしがみついて体勢を立て直したのでした。貴兄がおられたらゴンズイ髭をひくひくさせ、わき腹を引きつらせてお笑いになったことと思います。いかに貴兄に心酔している私でも、皿の上に柿の種がズカズカ乗り込んできてはたまりませんので、箸の背でコンコンと壁を叩いて警告を与え、ベンチに引き下がらせました。ちょうど脂身のかけらをカウンターにこぼしていたので角のコーナーに突っ込み、後に柿の種が飢え死にすることの無いよう供え物にして置きました。

ああ、重ねて功徳を施したと心も胃も満腹になり、勘定を済ませて外に出ますと、午後二時も回りいくぶん日差しも和らいだようでした。振り向くと何事も無かったように老主人は直立不動でカウンター脇に立ち、出窓には「新たな定番3品盛りの白い皿」が置かれているのが見えました。 それではお元気で。

石原雅彦 拝

2000年8月1日 火曜日

狂った果実

愛しい林檎(Macintosh)が発狂したのかと思った。

仕事が忙しい時は電話のかかって来ない深夜に働くに限るのだが、同じマンション内とはいえ大のおとなが夜更けにガチャガチャ事務所の鍵を開けている様は風紀上宜しくない気がするので、PowerBookで自宅に持ち帰り残業と決めている。

夜更けの数時間作業するだけなので650MBのPDが1枚あれば事足りる。アメリカ製のシンクロナイズソフトで事務所と自宅のPCのデータを同期させることでスニーカー・ネットワークしているのだが、どうも最近具合が悪い。書き換えなくて良いはずのファイルを書き換えたり、その逆のことをしでかしたりするのだ。

「おっかしいな〜」と今朝も首をひねっていたら日付が一日ズレているのに気がついた。確か最初のセットアップを深夜に行ったので、時刻合わせを12時間間違え、私のPowerBookは正午に1日分日付がズレていたに違いないと思い修正。謎が解けて爽やかな朝食となったのだが、朝のNHKニュースのアナウンサーが、

「今日から八月です」

等と言うので驚いた。

「え〜っ、今日七月三十一日じゃないの?」

というわけで、私の頭が狂っていたのだった。歳だろうか。そういえば先日一歳年下の編集者と打ち合わせしていて、

「時間はどれくらいいただけますか?」

と尋ねたら、

「意外と余裕があるから一週間後の○月○日までにお願いします」

等という。

「あの〜、それ今日なんですけど」

といったら青ざめて、結局急ぎ仕事になり、大笑いしたのだが、人ごとではなくなってきた。


電脳六義園サイトへのリンクは下のバナーをご利用ください。