電脳六義園通信所管理人 石原雅彦の日日抄

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三好春樹主催・生活とリハビリ研究所サイトの管理日誌です。

2000年11月26日 日曜日

落ち葉のメッセージ

北風が六義園の木々たちを裸にしていく。仕事で、勤労奉仕で、もしくは山のような枯葉を何とかして処分せざるをえず毎朝かき集めている住人たちは大変だ。

北風の強く吹きつける日、風に乗って8階の窓を横切り、遥か空高くプロペラのように見事に回転しながら舞い上がって行く枯葉がある。欅(けやき)の枯葉だ。

枯葉が風を捕らえて、もしくは捕まえられて遠距離を旅行する見事な仕組みは「植物たちの生き残り戦略」などと言われることがある。はて、欅の葉が何故あのように竹とんぼのような見事な飛行をして行くのか気になってきた。

朝のゴミ捨てのついでに欅の落ち葉拾いをしてみると面白いことに気づいた。欅の落ち葉というのは5cmくらいの小枝の先頭の方に3〜4枚葉っぱを残した状態で落葉しているものが多いのだ。道理で竹とんぼのように奇麗に回転するわけだ。

それでは、何故そのような仕組みで風に乗って自分の落とした小枝を遠くに飛ばさなければならないのかなぁと思って観察してみると葉のつけ根に小さな実生が付いているのに気づいた。

自然観察は楽しい。

2000年11月23日 木曜日

てんまい

道灌山下に「天米(てんよね)」という、かき揚げが美味しいと評判の天麩羅屋がある。一度行ってみたいと思っていたのだが、義父母がことのほか天麩羅好きなので両親の慰労にかこつけて出掛けて見ることにした。

予約の電話を入れなければならないのでインターネットで検索したら、森まゆみさんが主催する「谷根千ねっと」に住所等の詳細が記されている部分がヒットした。おやっと思ったのは店名の読みが「てんまい」となっているのだ。これには笑ってしまった。他人の些細な誤記が何故それほどおかしいかというと、私もついこの前まで「てんよね」を「てんまい」と読んでいたのだ。

私が通った大学の正門に近い路地裏に「てんまい」と呼ばれる天麩羅屋があり、金欠気味の学生で賑わっていたのだ。ちょろっと天麩羅らしき衣の塊が載っているが、ほとんど醤油だれで飯をかっ込むような天丼、そして肉の代わりに揚げ玉が気持ち程度に入ったやきそばが主なメニューだったと思う。これも貴重な青春時代の「うままずい」食べ物に対する良い修行の一つで、お世辞にも美味しくないが、破格の値段でで一丁前に腹が膨れることは何にもかえがたく有り難いことだと教わった気がする。

文教地区だった事もあり、その界隈にはいくつか女子大もあったのだが、当時の女子大生は虚飾が無いというか、頓着しないというか、金が無ければ無いなりに、むさ苦しい男子学生に混じって、この澱粉の塊をむさぼり食っていたものだった。

愛おしい時代、そんな我らの「てんまい」を知っている女性スタッフが「谷根千工房」にもいて、思わず「天米」に「てんまい」と仮名を送ってしまったのではないか、などと想像したらしみじみ笑えてならなかったのだ。

2000年11月20日 月曜日

はったいこのその後

夏頃、頻りに「はったいこ」に関する聞き書きをこの日記帳に書き綴っていたことがある。

2000/6/8(木)にこんな記述がある。
はまボーズさんより: 「はったいこ(はったい粉)」の語源は「はたく粉」のなまったものでしょう。大阪でも、熊野市でも、小麦粉(おそらくは小麦粉に限らず、大麦粉・大豆粉など粉一般)を、「はったいこ」と呼んでいたように記憶しています。「はったいこまぶし」(はったいこに砂糖をまぶして湯で溶き、かき混ぜたもの)は、幼少時の大好物でした。(原文引用)

「はたく粉」=「はったい粉」、なるほどなぁとは思ったものの、じゃあ福井で「おちらし」と呼ぶのは何故だろう、などと考えて心の中で保留にして置いたのだが、昨夜静岡の郷土食の本を読んでいて面白い記述を見つけた。

静岡では、米が割れてしまったりして商品価値の無くなったものを「おはたき」と呼び自家用菓子の材料などに使っていたらしい。「はったい粉(はたく粉)」「おちらし」「おはたき」と並べて行くと意味的にも見事に繋がって行くではないか。一つのことにこだわって日記に記しておくというのは良いものだ。

割れた米を「ぼた」と呼ぶ地方もあるそうだ。ぼたで作った餅だから「ぼた餅」だというのである。「牡丹餅=ぼた餅」の異説である。いずれにせよ、食べ物を大事にしていた時代のお話しだ。

2000年11月17日 金曜日

大宮

仕事で大宮まで出かけた。

同行した編集者に、大宮は小学校の遠足以来だと言ったら笑われてしまった。

私の通った東京都北区の小学校の最初の遠足は荒川遊園地だった。都電で数駅の距離に有る小さな遊園地。観覧車に乗ると眼下に荒川が流れ、工場地帯をポンポン蒸気船が焼玉をくべながら陽気な音を立てて上り下りしていた。多分次の遠足が、京浜東北線で十駅足らずの距離に有る大宮公園だったのだと思う。私はこの公園で、生まれて初めて本物の孔雀を見た。

思えば昔の遠足と言えば他愛のないもので、小学校最終学年に近くなっても行き先は狭山湖とユネスコ村程度のものだった。母親に弁当をこしらえて貰い友人達と出かけた入間川辺りは見渡すかぎりの田園地帯だったが、今では集合住宅が立ち並び、都内で働く人たちの通勤圏になっていたりするのだから、地方から上京した方からみれば、当時の遠足など笑ってしまうほど滑稽なのだろう。

人の事をとやかく言えないのは私とて同じである。私など、もっと高貴な御方を笑ってしまったことがある。郷里の静岡県清水市のはずれに袖師と言う地が有り、港の一部なので灰色の倉庫が立ち並び、時折大型輸送トラックが行き交うだけの寂しい一角を歩いていた時のことだ。道端にポツンと石碑が有るので書かれた文字を読んでみると「大正天皇御海水浴の地」と書かれてあったのだ。遥か先に岸壁としてしか残っていない海岸線に石碑だけが取り残されている。

都市というのは残酷なユーモアの宝庫なのだ。

2000年11月16日 木曜日

雑誌休刊

定期購読している雑誌が休刊になった。

休刊とはすなわち廃刊を意味するとは、友人でもある編集者の弁。彼も自らが編集長を務めた雑誌が廃刊の憂き目に会っているのだ。

男が離婚する時は背景に必ず金か女が有ると言うのもその友人の弁だが、本が休刊する時の背景を突き詰めれば多分金の問題だけが残るような気がする。定期購読していた雑誌は私が初めて複数年の年間予約購読をしていた大出版社のものだったのだが、休刊の半年ほど前から内容が希薄になり、惰性で刊行し続けているに過ぎないような有り様になっていた。売れなくなるわけだ。編集者の創意工夫、というか全くやる気の感じない業務内容が手に取るようにわかったので社内で何らかの確執があったのかもしれない。読者としては、そんな事情など知ったことではなく、定期購読期限が切れたら更新しないつもりだったので手間がが省けたといえば省けたことになる。

休刊に際して編集者が断腸の思いで綴る後記もしくは休刊の挨拶というのは、無責任な読者にとっては最高の楽しみの一つでもある。立つ鳥跡を濁さずというが、淡々と事務処理をこなしながら抑制の効いた文章を綴った前出の友人の文章は好もしいものだった。また、写真好きだった私の心を熱く燃やしたカメラ毎日休刊時の編集長挨拶のように、哀切の思いを素直にぶつけた名文章もある。最終号だけはまだ本棚で微かな熱気を保っている。編集長西井一夫氏のつけたタイトルはこうだ。「写真よさらば、義をもって振り返る」。

今私が手にしている、死んだばかりの某雑誌は既に冷たい。編集者達の後記も紙の燃えかすのようにふわふわと風に揺らいでいる。いわば「雑誌よさらば、荷物を持って席かえる」程度のものだ。定期予約購読の金を返して欲しければ電話をしろというのも、考えてみればこの会社らしい。日本経済失速の象徴のような出版社だったのかもしれない。

2000年11月15日 水曜日

夢の引力

小学校の同窓会に出る夢を見た。

奇妙な夢を見たものだ。
古びたホテルの宴会場にクラス全員三十六名が集まって、立ったままの朝礼のような会だった。 やがて列が崩れあちらこちらに話の輪が出来て行くのだが、引っ込み思案の私は仲間に加わることができない。ふと自分が奇妙なものを持っているのに気づいた。古びた自転車の空気入れ、母親が同窓会出席のついでに近所の知り合いに届けるよう私に持たせたのだった。

話の輪に加われないうちに時間ばかり経ってしまうので、先に空気入れを届けてから会場に戻るのも手かなと思い立ち、外に出てみたのだが後にした会場の様子が気になってならない。予定を早く切り上げて、二次会に出かけてしまうことだってあり得る。二次会の場所はまだ決まっていないのだ。

そう思うとなんとも情けなくなってきた。こんな時に空気入れを持たせて使いを頼む母親など、何処の世界にいるものかと思うと泣きたくなってきた。そうだ、空気入れなど道沿いの川に投げ込んで、電車の中に忘れてしまったと言い訳すればいいではないか。どうせ古びた我楽多なのだし。

そう決心して引き返しかけると、何のことはない、空気入れがショルダーバッグに入ることに気づいた。鞄の中に入れたまま忘れていたことにすれば後ろめたさも感じずにすむのだ。心も軽くなって会場に向かったのだが、当然あるべき場所にホテルが見当たらない。裏通りから辿っても見知らぬ場所に出てしまう。

そういう迷路に迷いこんで途方に暮れると夢というのは醒めることに決まっている。 奇妙な夢を見たものだ。そう思ってぼんやりしていると、長い旅から帰った時、現実の世界がいくぶん違った角度から眺められるように、夢の旅行帰りも現実からの逃避としては悪くないなと思ったりする。

しかし精神が覚醒してくると現実の重力が世界を満たし、明け方の空に月が白く消え残っているように夢は遠く淡いものになって行く。

夢の引力が衰えるのは哀しいくらいに早いのだ。

2000年11月13日 月曜日

静岡おでん…3

日記というものはいいものだ。

数日前に書いた時点より、少し賢くなっていることも許されるような気がするか ら。

おでんの事を調べていて、肝心なことに頭が回っていなかったのに気づいた。 おでんのルーツはおそらく田楽なのだから、「焼く」田楽が「煮る」田楽になって も味噌だれが付随するというのは、考えてみればごく当たり前のことなのだ。そう思って調べてみるとおでんに味噌だれを付けて食する習慣は全国各地にあることがわかった。 清水のように年中味噌だれを付ける地方としては青森、静岡、愛知、岐阜、岡山、徳島、愛媛などがあるらしい。

また、通常は味噌だれは付けないが春から夏にかけては付ける、お盆の頃は付けるなどという地方も多い。田植え祭り・田植え踊りなど田楽とのかかわりを考えるとなるほどなぁと思う。 おでんに味噌だれというのは「ハレ」の食事であり、日常の「ケ」の食事には味噌だれの付かないあっさりしたものを食すのだろう。

味噌だれを常時付ける習慣の無い地方でも、夏祭りに出る屋台のおでんでは味噌だれが付くらしい。駄菓子屋とい うのは屋台が常時出ているような、子どもにとっての「ハレ」の場所なので味噌だれが習慣として定着していったのかもしれない。

してみると静岡おでんに特徴的な「だし粉」というのは何処から来た習慣なのだろうか。大阪の串揚げ屋に行くとソースの壷に「二度づけ禁止」などと書かれているが、味噌だれを付けたおでんに「だし粉」をたっぷりかけてしまうと二度づけがしにくくなるという駄菓子屋のオババの妙案だろうか。違うだろうなぁ。

静岡おでんの必需品
おいしい「黒はんぺん」を食べたい方はこちらへ。
http://www.app.ne.jp/~hassan/hannpenn.html

2000年11月10日 金曜日

静岡おでん

昔からこんな言葉が有ったわけではないが、私たち静岡県清水市で育ったものが食べ慣れていたおでんというのは大阪や東京など大都市部のおでんとちょっと違っているので、いつの間にやら「静岡おでん」と呼ばれるようになったらしい。

主催するメーリングリスト【オダマメ通信】でこのおでんのことが話題になっている。

最近マスコミで「静岡おでん」として取り上げられるのだが、その紹介内容が清水で一般的な「静岡おでん」と根本的に違っているというのだ。

清水のおでんというのは、いわゆる関東だきのおでん鍋の中に「味噌だれ」を入れた壷が温められており、客は串を手に持って味噌壷におでんを突っ込み、取り出したら鯖節の粉や青海苔をまぜた通称「だし粉」を匙でたっぷり振りかけてから食すのである。しかもそのおでん種に欠かせないのが色黒の「黒はんぺん」なのである。

実はこの食形態のおでんは清水から東海道を西進し名古屋に至って「味噌煮込みおでん」に至るまで各地に見られるらしいのだが、「静岡おでん」をマスコミが取り上げるにあたっては、巨大なおでん横丁を有する静岡市に取材することになり、昔から国府であり城下町であり県政の中心であった言わば都会的で品の良い食文化を対象とするので、「味噌だれ」?そんなもん付けん、「黒はんぺん」?そんなもん入れん、「だし粉」?そんなもんかけんという珍説が飛び出してしまい、揚げ句の果てには「清水のおでんは静岡おでんの中でもちょっと例外である」などとオマケのような扱いで書かれてしまう始末なのである。

前述した「黒はんぺん」は沼津あたりから西進するにつれ関東だきおでんの種の主流となり新居あたりで消滅して行くらしい。逆に名古屋の味噌煮込みおでんは、東進して味噌壷としてだしと味噌が分離され清水を通り越して蒲原あたりまでその影響力を及ぼしているらしい。すなわち清水というのはその両勢力が融合した「魅惑のおでん鍋地帯」なのである。だが都会的な静岡市では局所的に「田舎臭さが消された例外的な静岡おでん」が生まれ、その地勢をかって独自のおでん文化を形成するようになっただけのことなのである。

ところが、そんな屁理屈をこね回さなくても「静岡おでん」といえば、あああれだねと意見の一致を容易に得られる県民たちがいるのだ。いわゆる駄菓子屋でおでんを食べたことのある人たちである。

「たこ焼き」を例にとれば、ファミリーレストランでしか「たこ焼き」を食べたことの無い人が、「ドロッとしたソースをハケにつけて塗ってから青海苔をかける」という行為を知らず、「ハケなんて無かった、青海苔のタッパーなんか無かった」と言い張っているだけ、そしてそういう人たちが大多数になりつつあるというだけの話しなのだ。結論を言えばマスコミで紹介される「静岡おでん」は単なる「関東だき」に過ぎないものがあるのでご用心といったところでヒートダウン。

現在【オダマメ通信】では、地元の若手鮮魚店主が中心となって「本物の静岡おでん」再現プロジェクトが進行中である(smile)!

おいしい「黒はんぺん」を食べたい方はこちらへ。
http://www.app.ne.jp/~hassan/hannpenn.html

2000年11月9日 木曜日

昼下がりの本郷通りにて

本郷通り沿いで仕事をする機会が増えて楽しい。

都営バス、向丘二丁目あたりから東大赤門前バス停まで、道の片側は東京大学の敷地が延々続き、もう片側はモダンな建物が増えたとはいえ、どこか人々の暮らしぶりに昔風な情緒が漂っていて、天気の良い日の昼時などは歩いていて楽しい。

医療器具や、化学実験器具のお店も多く、見慣れぬガラス製品や顕微鏡などをアンチックなウインドウ越しに眺めるのもワクワクして嬉しい。

食事処なども、昔風の店が残っていて、折り目正しい学生や会社員たちが守り育てている感じがして好もしい。立ち並ぶ古本屋も空いているし、ワゴンなどにある特売本も、いわゆるぞっき本が少なく、手にとって心地よい。

道端にセキセイインコの鳥篭を趣味で置いている店があって、小鳥のしぐさに見とれていると、

「もうすぐ雛が生まれます。予約受付中」

などと書かれていて微笑ましい。

そんな小春日和の舗道をぼんやりと歩いて行くと突然初老の紳士から、

「やぁ、どうもどうもお久しぶり」

などと挨拶されて驚いた。見知らぬ顔なので呆気に取られていると、

「違ったかな?違ったっけ?」

などとにこやかに話しながら通り過ぎそうになり、返事をしないのも憚られるので、

「違います」

などとあわてて振り向きながら言ってみた。

それだけのことなのだが、どうにも気になる。何処かで会ったことがあるのかなぁ。歳を取られたので顔を見忘れて、失礼なことをしちゃったんじゃないかなぁ。あれっ、室内装飾会社の専務さんだったかしら。いやそんなことはない、あの人に連れられてこの町を歩いた頃はまだ路面電車がガラガラと音を立てて走っていたし、三十年以上も前に亡くなられたと聞いていたのだった。

2000年11月8日 水曜日

風土と酒

日本酒の美味しい季節になりました。

良い時代になったもので、気の利いた酒屋に行けば各地の地酒が容易に手に入るようになりました。酒瓶を手に取りラベルを矯めつ眇めつし、あれにしようか、これにしようかと悩むものの、訪問したことのある土地、仕事場を眺めたことのある蔵元のものを結局は選んでしまいます。

ああ、あの土地、あの風、あの水で仕込んだものなんだなぁと思い浮かべながらいただくのは何とも味わい深いものです。洋酒に今ひとつ夢中になれないのは海外旅行の経験が乏しいからかもしれません。「いや、想像力の欠如に過ぎない」などと洋酒も行ける口の某氏に言われそうですが。

酒は風土とともに味わうものだと思うのですが、本当はその土地の空気を呼吸しながら、その土地の季節の食材を肴にしていただくに優るものはありません。富山の銘酒「立山」なども、雪の立山連峰を遠望しながら飲むと全く味が違って感じるのが不思議です。

ただ、好きな酒の生まれ故郷を訪ねたとしても、蔵元を訪ねることが良いとも限らないようです。酒蔵を見たらパイプを張り巡らした近代的工場で飲む気もしなくなったということが間間あります。

「絵」と「描き手」を切り離すなどという芸当が、こと酒に関してはできないのは人格の一貫性の無さかもしれません。

2000年11月7日 火曜日

弔文

「人柄が気に食わないからあの人の絵は好きじゃない」ということは私には無いです。当然「あの人はいい人だから描く絵も好きです」なんてことも無いのです。

絵を描く友人が亡くなって弔文を書くとしたら、人柄を偲んで哀切の念を綴ったとしても「画業には言及しない」ということもあり得るかもしれません。それでは弔文など寄せる資格はないと言われればそれまでです。最後の贐(はなむけ)にお世辞も言えなければ愚直に本音を吐露するなどという豪胆なことも私には出来そうに無いのです。

私は「絵」と「描き手」を切り離してしまう「癖」があって、「あの人の絵は好きだったが、会ってみたら唾棄すべき手合いだったので絵も嫌いになった」などということが凡そ考えられない。

誰の事でもないけれど、最近そんな事を考えさせらる今日この頃です。

2000年11月6日 月曜日

November Steps

「君はどこか遠いところに行っていたんだね」とかいう泣かせる台詞があったのは「夕顔」だったかなぁ。

メーリングリスト運用開始とともにたくさんの友達が増え、立て続けに新しいサイトを作ったりしているうちに一ヶ月も自前のサイト更新を怠ってしまいました。その間、最近更新が無いのを心配して電話やメールを下さった皆様、どうも有り難うございました。遠いところから帰って来て電脳六義園通信所に復帰です。 思えば、特定のメンバーに必ず読まれることを前提に語ったものより、誰にも読まれないことを覚悟で呟いている文章を読んでくださっている方がいて、かえって確かな手応えを感じるというのも不思議なことであり、かつ有り難いものだと痛感しています。

枯れて行くものもを嘆いているかと思えば、新たな芽吹きに励まされるというのも人智の及ばない大きな慈愛の中で人が生かされている証拠かもしれません。種蒔きに時間をかけ過ぎて、あわてて畑に水を撒くという、なんとも段取りの悪い「言葉の農民」の晩秋の野良仕事が始まり、六義園周辺でゴミ袋をあさるカラス達の瞳にはもう冬の気配が映っています。


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