電脳六義園通信所管理人 石原雅彦の日日抄

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三好春樹主催・生活とリハビリ研究所サイトの管理日誌です。

2001年4月23日 月曜日

暇考

十グループ以上のメーリングリストに加入したりしていると、様々なダイレクトメールや仕事の連絡、友人からの私信を含めて毎日刻々と膨大なメールが届くのだが、今日は極端にメールが少ないなぁと感じる日がある。
週末・月末・年度末は忙しいと決まっているのだが、なんでこんな日に、とカレンダーを見ると大型連休前の一週間だったりするわけで、メールを書いたりしている「暇」が無いというわけだ。じゃあ私の場合読む「暇」もないかというと、メールをサーバーやローカルディスクに溜め込むと後々まとめ読みが面倒なので、逐一チェックして、整理してと忙しさに拍車がかかる。書く暇は無いけれど読む暇は有るというおかしな状況になる。考えてみると「暇」というのはおかしなものだ。
貧乏暇なしという言葉、本来は「貧乏暮しから抜け出せずにいる」状態を言う言葉だそうだが、「あくせくと生活に追われて、趣味や娯楽などに振り向ける時間のゆとりがない様子」というような現代一般的な用法だとちょっと変だ。不況で仕事が無いという友人が、ごろ寝をしたり、パチンコをしたり、明るいうちから一杯やっているというのは、仕事が無いおかげで羨ましくもある生活を楽しむ暇があるわけで、ある種貧しくはないような気もする。仕事が無いからといって営業努力も刀の手入れもしていなければ自ずと「貧乏暮しから抜け出せずにいる」状態になるのは目に見えているわけで、それはすすんで貧乏暮らしに邁進しているのであって、そんな酔狂な生き方が出来ると言うのもある種の豊かさに裏打ちされているのではないか、という気もして現代の言葉づかいというのは厄介だなぁと思ってしまう。現代の「暇」は作るからあるのかも。

2001年4月21日 土曜日

車窓にて

鉄道にまつわる思い出を友と語るとき、暮らした地域地域によって感慨は様々で、お世話になっている編集者などからは、地元念願の鉄道開通当時、勇敢にも体当たり攻撃で激突死した猪を屋根にくくりつけた列車が故郷の駅に入ってきたなどという、嘘のような実話が聞けて楽しい。驚くほど開通の遅かった紀勢本線での話だ。
そして片や辺境の地で生まれ育った別の友人は、廃線とともに消えた懐かしいふるさとの停車場風景を語って、眼を潤ませたりするので切ない。
思えば鉄道というものは、「二本の鋼鉄の道が繋がっている」ということで此処と余所を結び、その行く手には成功もあれば挫折もある「可能性としての自由」を保証するという、近代社会の象徴でもあったのだろう。
故郷清水に帰省するために東海道新幹線ひかり号の窓際の席でこの日記を書いているわけだが、たった一時間で静岡駅に着いてしまう。東京暮らしをしていた子供時代は、午前中に家を出ても、私の手を引きながら親戚への手土産を調達し、急行には乗れず準急や鈍行列車での旅だったので、国鉄清水駅に着く頃には黄昏迫る時間帯になっていたものだった。両親にとって「夢破れる町」であった東京からの、親子三人肩を落としての帰省は、やがて父親が消え、母親と私、二人きりの心細いものとなった。
灰色の町並みが消え、のどかな風景が車窓に広がるにつれ、しばしの田舎暮らしの楽しみを思うと子供心は浮き立ったが、その反面で列車の車窓に映る母親の陰りのある横顔は私の心を鬱がせた。
心浮き立つ旅の楽しみも、心塞ぐ旅の沈鬱も、新幹線で一時間の郷里への旅にはもう無い。

2001年4月20日 金曜日

「コンビニ払い」

銀行の振込手数料ってどうしてこんなに高いのだろう。高々1,000円振り込むのに480円も取るのだ。しかも自動振込機のわかりにくいインターフェイスをこちらが操作してやっての話なのだから納得がいかない。それに引き替え、インターネットのオンラインで自作のソフトを公開している方々の、努力の末の作品に付く価格が、どうしてこんなに安いんだろう。ふざけた話で、作者にお礼として1,000円支払うのに何故銀行に480円も支払わなければならないんだろうか。作者に直接会えるならソフト代として1,500円払ったっていいくらいだ(20円は心ばかりのおまけ)。
だいたい銀行は少額決済なんてやりたくないんじゃないだろうか。だったらとっととやめてもらいたいものだ。最近、振り込み方法を銀行、郵便局、コンビニと選べる場合は迷わず「コンビニ払い」にしている。早いし、近いし、愛想はいいし、手数料だって安いようなのだ。できれば銀行なんかに来たくないなぁ。
東京三菱銀行駒込支店のソファに座って親指入力。さっきからガードマンがこっちを見てる。フンっだ!

2001年4月19日 木曜日

電源のバカッ!

昼食中にふと雑誌を開くと、著名なライターがパソコンにまつわる失敗談を開陳されておられた。
出張にノートパソコンを持参したのだが、ACアダプターを忘れてしまい、慌てて現地の電器店に走ったのだが手に入らなかったという、パソコン携帯外出者にはよくある情けない失敗の一つだ。
パソコンメーカーはカタログ上のバッテリー駆動時間を伸ばすのに躍起なようだが、作業内容や購入後のバッテリーの状態で駆動時間は左右されるわけで、あらかた1〜2時間駆動すればいい方だと思う。嘘だと思ったら自分のノートパソコンで試してみるといい。それでも“1〜2時間駆動すれば簡単な作業はできるわけで、ホテルや出張先で再充電すればそこそこ実用になるのではないか”と思うのが素人の浅はか見附。この筆者の事例を見てもわかるように“作業中に電池切れを起こしたらどうしよう”という強迫観念に襲われて、ホテルのスリッパを掃いたまま電器店に走ったのである(※この部分石原創作)。
で、疑問なのはどうせWindowsやMacintoshのOSを搭載したノートパソコンのバッテリーはタコなのだから(好きじゃないけどハヤリコトパなんかを使ってみた)、バッテリーの代わりにノートパソコンに内蔵できるACアダプターを、何故メーカーが作ってくれないのかということなのだ。私ならPowerBookのエクスパンションベイ(CDドライブなどを装着する穴)に装着できるACアダプタがあったら絶対買うけどなぁ...。ほんとに。
と、単三電池2本で25時間駆動する(公称)WindowsCEマシンで親指入力。はは、快適快適。

2001年4月18日 水曜日

ワンマンの時代

月に一度文京区水道の凸版印刷本社に出張校正がある。最短時間で急行するなら地下鉄南北線経由になるのだが、時間に余裕があるときは乗り合いバスで出掛けるのが好きだ。
小学生時代を過ごした北区王子という土地は様々な交通機関が集中していた場所で、目的地によって省線(当時は京浜東北線をこう呼んだ)、都営バス、国際興業バス、都電、トロリーバスなどを使い分けることができた。
トロリーバスというのは電気動力の乗り合いバスで、都電(ちんちん電車)のように空中に張られた電線から電気を取り入れてモーターを回して走るのだ。電線から外れてしまうと動けなくなるのでサスペンションが固め(タイヤも固かったのかもしれない)で、ひどく乗り心地が悪かった。それでも、時々電線から外れてしまい、車掌さんが竹竿で電力取り入れ触手の位置を修正するという作業を見ることができ、実はそれをワクワクしながら眺めるのが好きだったのである。
思えば、走行中電力を充電池に溜め込んで走行用動力にするなどの仕組みが有ればもっと実用的だったような気もするが、当時はそんな効率の良い充電池もモーターも無かったのかもしれない。今なら電気自動車の技術も進歩しているので低公害型トロリーバスも夢ではないし、完全電動乗り合いバスなどもできてしまうのだろうけれど、あの車掌さんが竹竿を操るのんびりした時代も懐かしい。というか一台に一人車掌さんが居て、首から特大のがま口のような鞄をさげ、両足を踏ん張って切符切りをしていた、そんな時代が懐かしいのかもしれない…と、ワンマン運転地下鉄南北線の車中にて親指入力。

2001年4月17日 火曜日

親指の冒険、もしくは空中の思考……3

あ〜りが〜たや、ありがたや〜
という歌を親たちの世代がよく唄っていたのを子ども時代に聞いたがあれは誰が唄った何という曲だったのだろうか。まあ、そんなことどうでもいいのだけれど、どうでもいい私の日記を読んでお便りを下さる方がいる。こちらはありがたいことで、どうでもいいなどということはない。
| |「電脳六義園通信所」の日記のタイトル:
| |「親指の冒険、もしくは空中の思考……」の
| |意味がわかんないよ〜。
| |日記の文章のどこが「親指の冒険」,
| |もしくは「空中の思考」なんじゃ?
| |
| |なんか「わけあり」そうで気になる。おせーて!
プロの編集者にお聞きしたいのだけれど、プロの物書きが連載ものなどを執筆中、
「ああ、われながらつまんないもんを書き始めちゃった。や〜めたっと!」とか、
「なんか最初の論旨と矛盾が出てきちゃったなぁ、もう書けなくなっちゃったよ〜」とか、
「ああ、これは駄作だ、恥辱だ、汚玉だ、赤っ恥だ、やめさせて〜っ!」とか、
そういう事態に陥ることって無いのだろうか?
私の場合、ずぶのド素人の文字書き好き、しかも睾丸むっちりなので、そういった高尚な事態に陥ることはなくて『親指の冒険、もしくは空中の思考……xx』などと題して雑文を書きだしたら、とりとめもなく長くなりそうになってしまったという、それだけのことなのだ。で、多動な男子はこんな場合どうするかというと、別の場所に移してサイトを作ってしまったりするわけである。ただいま工事中、推敲に推敲を重ねている最中の現場をここだけにリンクして置きます。
http://odamame.com/hosomichi/index.html
最終的に1冊の本になるくらいの構想があるのだけれど、やっと導入部2頁をアップしただけの工事現場です。よろしければご覧ください。※結局希有壮大な構想のまま没。とほほ。

2001年4月16日 月曜日

時代おくれ

河島英五さんが亡くなられましたね。享年48歳だったそうですから昭和28〜29年生まれでしょうか。
なんとも残念です。学生時代、深夜のラジオを聴いていると河島英五とホモサピエンスというグループ名で登場し「天秤秤」という歌を唱っているのを聞いたのが最初の出会いでした。
「実は私が書いた詩なのですが…」と阿久悠さんが朝日新聞の連載エッセイで書かれていた「時代おくれ」という歌が好きで、カラオケに嫌々誘われたときは、やけっぱちで熱唱していました。バブル経済真っ只中に発表され、細々と歌い継がれ、皆が口ずさむほど有名になった頃にはバブルがはじけていた、というエピソードをしみじみ思い出します。
♪ 目立た〜ぬよぉおにぃ はしゃが〜ぬよぉおにぃ
黙祷
メーリングリストオダマメ通信投稿より

2001年4月15日 日曜日

【三すくみジャンケンあそびのその後

三すくみじゃんけん遊び、「ちょき」に意外なバリエーションがあって驚いたのだが、愛知県出身の女性編集者 H さんの郷里では「ハリス」と言っていたというのは以前の日記にも書いた。本人に確認するとチューインガムメーカーのハリスではなくて、下田条約・日米修好通商条約で名高い Townsend Harris(1709−1780)のハリスなのだそうだ。調べてみると、三すくみじゃんけん遊びというのは古く江戸時代にあったことが確認されているようなので、「軍艦・沈没・ハリス」というのは、かなりこの遊びの原点に近いのかもしれない。敵愾心を鼓舞するような仕組みがこの勝負遊びにはあって、ハリス、朝鮮、ハワイなどに時代色が色濃く反映されていたのかもしれない。
保育関係の女性編集者 M さんによれば、やはり最近、幼児・児童の間で「軍艦・朝鮮・ハワイ」が流行しているそうだ。何故なんだろう。「軍艦・朝鮮・破裂」「軍艦・沈没・ハワイ」の奇妙な合体として復活しているのが気味が悪い。

2001年4月14日 土曜日

親指の冒険、もしくは空中の思考……2

私は「ながら」の達人ではないけれど、母親は私を「ながら」の天才だと思っていたようで、親というのは有り難いものである。
私の世代は幼い頃、皇太子御成婚(平成天皇)があり、力道山が空手チョップを引っさげて登場し、一丁前の思索が出来る頃にはテレビジョンがあったので、「テレビっ子」の走りだったのかもしれない。テレビジョン普及前、孫の守り役は爺ちゃん・婆ちゃんの役割だったから「爺ちゃんっ子・婆ちゃんっ子」がいっぱいいたのだが、核家族化、夫婦共稼ぎ化の進展と歩調を合わせて「テレビっ子」が急増したようだ。
母親を最も怒らせたのは、私がテレビを付けっぱなしにし「ながら」読書をすることだった。これは今でも得意で、屁理屈をこねられる年になってからは「背景に若干のノイズがあった方が情報というのは伝達力が増大するのだ」などと言ってみるが、あまり好もしい習慣ではないとも思う。この「背景に若干のノイズ」というのが微妙で、ある音量のレベル以上であってはいけないし、テレビが音声だけに伝達の役割を依存していないのに対して、音声がすべてのラジオだと刺激が強すぎて読書の BGM には不向きなのだ。大相撲中継、野球中継、マラソン・駅伝中継、連続娯楽時代劇などを背景に読書するのは、まんざらでもない。片やニュースやワイドショーなどは言葉の端はしが思考に引っかかったり嬌声が喧しすぎてだめだ。テレビというのは「どうでもいいやと聞いて聞かない振りの出来る」情報を垂れ流すのに向いている一面もあると思う。とはいうものの年相応なのか、最近は静かな場所での読書が好きだけれど。(つづく)

2001年4月13日 金曜日

親指の冒険、もしくは空中の思考……1

子どもの頃「ながら族」という言葉が流行ったけれど、あれは多分テレビを見「ながら」何々をする、という人々が急増したのを揶揄した創作語だったのだろう。明治生まれの祖父は食事をしながらテレビに夢中になる孫たちを苦々しく思っていたようで、あまりに熱中して箸の動きが止まっていると「やい、テレビを消やせ!」と怒鳴ったものだ。自分だって食事に先立って大相撲中継を見ながら晩酌していたのだが、こと「御飯」となると躾の厳しさは苛烈さを増すのだった。おそらく御飯を食べているときは「御飯の事だけを考えろ=有難味をを味わえ」という事だったのだろう・
何々をし「ながら」何々をするというのは、考えてみると奥が深い。例えば、この「考えてみる」ということをし「ながら」できる事って限られるのだ。「考えてみる」ということを言語を用いた論理的な思考に限定すると、私の場合鼻歌を歌い「ながら」考えるということが出来ない。もし、鼻歌の達人がいたら可能だろうか? テレビ・スタジオに視聴者を集め鼻先にマイクをつけて鼻歌を歌ってもらう。鼻歌が途切れたとセンサーが関知した時点で赤ランプがついてその人は失格になる、という仕掛けを作る。各人にマークシートを持たせて、司会者が次々に読み上げるクイズに YES/NO でチェック(回答)してもらう。最後まで鼻歌が途切れず、正解が最も多かった者が「ながら」の王者、さらにアーティスティック・ポイント審査で、録音された鼻歌の音楽性が高い人(単なるうなり声になってない人)に「ながら」の天才という称号が与えられるわけ。はたして「ながら」の天才っているのだろうか?(つづく)

2001年4月12日 木曜日

三すくみジャンケンあそび調査結果

三すくみジャンケンあそび(4/10日記参照)調査結果
軍艦・沈没・ハワイと慣れ親しんだ三すくみジャンケンあそび、あなたの「チョキ」は何ですか? と東村山市で絵本の店を開いている友人が4/11、聞き取り調査をしてくれました。以下、その集計です。
朝鮮  ■■■■■
沈没  ■■
チンボ ■←20歳代のお客さん
また、N舎の女性編集者(愛知県出身)の地域では「ぱー」を「破裂」や「ハワイ」ではなく「ハリス」といっていたそうです。下田条約・日米修好通商条約で名高い Townsend Harris(1709−1780)なのか、はたまたチュウインガムメーカーのハリスだったのか興味深い謎です。

2001年4月11日 水曜日

あの歌を思い出す

中学生の頃だったか高校生の頃だったか失念したが、ラジオから流れてくるヒット曲にひどく腹を立てたことがある。
今ならインターネットの日記に怒りをぶつけて溜飲を下げるなどという姑息な欲求不満解消もできるが、当時はそんな物無いし、謄写版印刷機でさえ遠い憧れの存在だったのだ。で、どうしたかというと手元にあった学研という出版社が出していた受験雑誌の読者欄に投稿したのだ。文章の内容は覚えていない(覚えていたら恥ずかしい)が、腹を立てた曲は『戦争を知らない子どもたち』という題名だった。おそらく、この曲がはやった当時テレビのニュースをつけると流れてくるのは米軍による北ベトナム爆撃の映像ばかりだったから、何かやりきれない思いを抱いたとしても不思議ではない。
数週間後、出版社から封書が届き、都合により今回は掲載を見送ったが、何か別なテーマで書いて見ろという手紙と高額な切手が同封されていた。他に書きたいことがあったわけではないので、切手はありがたく文通用に使わせていただいた。
どうしてそんな恥ずかしいことを思い出したのかというと、最近のビジネスマンには「一人一台パソコンを」が浸透したせいか、仕事の資料がメールで送られてきて有り難いのだが、それがほとんど拡張子「.doc」のワードファイルなのだ。たかだか数十行の原稿ならメール本文に含めるか、拡張子「.txt」のプレーン・テキストで送るのが「常識」だと「私は」思っている。拡張子「.doc」のワードファイルを開くにはワードを起動しなければならないのだが、デミタスカップにグラニュー糖をひとつまみ入れるのにスコップを使うのにそれは似ている。
こだわりのある編集者だと、ワードで書式設定したファイルで原稿を渡さなければ希望する組体裁のニュアンスが伝わらないと言う方もおり、そこまでの動機をお持ちの方は「.doc」ファイルと「.txt」ファイルを併せてお送りいただけるので問題ないのだが、ワードで作成したファイルを「.txt」で保存するということの意味が分からない「編集者」が増えているようなのだ。かつて、ワープロ全盛期「MS-DOSのテキストファイルで原稿を保存する」ということを理解できない方々が多かったのに似ている。
「.txt」ファイルならどんな人のどんなパソコンでも開けます。いわば「.txt」ファイルはバリアフリー、エコロジカル、ユニバーサルデザインなんですよ、と言ってみたりするのだが…。
さらにどうしてワードでなければいけないのかと尋ねると、ワードは高機能だから…というのだが、仕事ぶりを拝見すると、エディタを使って必要に応じてPerlとは言わないけれどSedあたりを併用すれば、この人がワードを使って半日がかりの仕事が数分で終わってしまうのになぁ…と思えてならない。
「エディタを使いましょうよ」と言うと「エディタって何ですか?」と言うので、
私   「いわばWindowsの“メモ帳”をワードよりもっと軽快で高機能にしたようなソフトです」
某編集者「メモ帳で原稿を渡すのは失礼じゃないですか?」
♪ 僕らの名前を覚えて欲しい エディタを知らないエディター達さ〜

2001年4月10日 火曜日

三すくみジャンケンあそび

軍艦・沈没・ハワイという三すくみのジャンケンあそびを小学生時代良くやった。
そんな遊び、最近の子どもたちはやらないだろうなぁと思っていたら、御茶ノ水発駒込行きの都営バス車内で小学生の女の子が大声で熱中しているのに遭遇した。
「おや?」
と、思ったのは「チョーセン」という言葉が連呼されるのだ。私が小学生時代住んでいた地域、東京都北区王子では昭和三十年代「グー」「チョキ」「パー」をそれぞれ「ぐんかん」「ちんぼつ」「はわい」と言い換えていたのだが、この子たちのは「ぐんかん」「ちょうせん」「はわい」と言うらしい。
大声で「ちょうせん」と連呼するのに抵抗感のある私なので聞き耳を立てていたら、私が子どもの頃とルールが違うらしく「ぐんかん・ぐんかん・はわい」で相手が「パー(ハワイ)」を出して勝負がつくと、すかさず勝った方が「一本取ってちょうせん」と言って再度ゲームが始まりエンドレスに続くようなのだ。
「なぁんだ、ちょうせんって挑戦のことなのか」
と思ったのだけれど、インターネットで「軍艦 沈没 ハワイ」で検索すると、出てくる出てくる。「軍艦・沈没・破裂」「軍艦・朝鮮・破裂」などさまざまなバリエーション。「ちょうせん」は「朝鮮」のことだという記述ばかり。軍国主義に傾いていた国の情勢と国民感情を色濃く反映したものらしいのだけれど、「軍艦・朝鮮・ハワイ」というのは凄まじい取り合わせに感じてしまう。
西暦2001年になって、私と同じように子どもたちが「軍艦・朝鮮・ハワイ」の遊びをやっていてびっくりしたと日記に書かれている人がいたので、ちょっと奇妙な気持がしている。
ちなみに東京都北区立王子小学校では「グリーン・チリーン・パリーン」とか「グットさん・チットさん・パットさん」などという三すくみジャンケンあそびのバリエーションもあった。「グリーン、グリーン、チリン、パリン、グリン」「グットさんが、グット来て、チット、パット、グット」などと五回連呼するあそび方だった。

2001年4月9日 月曜日

日記再開

「唯我独尊的な天地開闢」以来の忙しさでサイト更新も日記書きもすっかり滞りがちになってしまった。
去年の花祭りはどうしていたかなぁと日記を読み返すと、やはり年度末仕事からの解放感を謳歌していたようで、六義園界隈の桜鑑賞ページを作ったりしていたようだ。とするとやはり今年の桜の開花は早かったという報道は正しいわけで、とうとう花見らしい花見をしないうちに、今年の春は終わってしまった。
再度日記再開。
    行春や鳥啼魚の目は泪
           
                芭蕉


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