電脳六義園通信所管理人 石原雅彦の日日抄

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三好春樹主催・生活とリハビリ研究所サイトの管理日誌です。

2001年 9月30日 日曜日
【合唱】

日曜日の午後NHK教育テレビで、平成13年度NHK全国学校音楽コンクール・関東甲信越ブロックコンクールの模様が放送されていたので小中高生の合唱を鑑賞。

数十年ぶりに児童生徒の合唱を聴いてみて驚いたのだけど、そのレベルの高いことと来たら私の子供時代の比では無いようだ。なんて高度な曲を歌わせるのだろうという感想を抱いたけれど、そこにはけして他教科のように行き過ぎた教育に対する批判的な感情は無い。というか、こんなレベルの曲が歌えるようになると合唱も楽しいのだろうなと思う。一人一人が立派な管楽器になったようで、共鳴する音の美しさには鳥肌が立ち、その音の和の真っ只中にいる子どもたちの感動を思うと涙腺が緩んでしまうほどだった。そうか、コダーイの曲というのは奇妙だけれど不思議な魅力を持っているものなのだな、なんと村山隗多の詩の面白いことよ、課題曲のドリアン助川の詩も曲が付くとこんなふうに聞けるのか、ずいずいずっころばしも、こう歌うと奇妙に異化して聞こえるのだな……などと新たな発見もあって楽しい。

中学生時代、合唱部に入りたいと思ったことは無かったし、人生をもう一度やり直してみたいなどとも思わないのだけれど、遠いあの日の放課後、単調なピアノ伴奏に合わせて合唱部員が発声練習を繰り返していた音楽室が懐かしく、叶うことの無い時間旅行への憧れとともに切なく甘酸っぱく思い出されたりするのだ。

※写真は9月30日、六義園運動場での昭和小学校運動会。鼓笛隊の行進。

2001年 9月29日 土曜日
【長いお別れ】

長嶋茂雄監督辞任。現役引退、一度目の監督辞任、そして今回のと、毎度新聞紙面は“一つの時代の終わり”とのことで、シンミリしたムードを漂わせるのだが、正直言って昭和49年のあの日ほどの寂寥感は感じない。とはいえ、子ども時代のヒーローだった人なので寂しくないといえばそれもまたウソになる。

何とも不思議なのは、長嶋茂雄と言う人は表舞台でスポットライトを浴びているときは、話しの内容が意味不明だとか、言語感覚がどうにかなってんじゃないかだとか、動物的勘ばかりに頼って知的采配ができないとか、日常生活に不可欠な常識を欠いているとか、お笑いタレントになったほうがいいとか、まぁありとあらゆる悪口雑言好きのマスコミの格好のオモチャにされていて、庶民もまたそれを面白がっていたりするわけだが、今回のような人生節目節目のセレモニーになると国民こぞってシュンとしたムードになっちゃうのが不思議なのだ。

なんか、思うに働き盛りの“オヤジ”が、脂ぎってて不潔だとか、平気で家族の前でオナラをするのが嫌だとか、パンツや靴下を家族のものとわけて洗濯して欲しいとか、トイレで新聞読んで長居するのはやめて欲しいとか、風呂は最後に入って欲しいとか、恥ずかしいから参観日に来ないで欲しいとか、娘や妻のタオルやヘアブラシを使わないで欲しいとか、面白くないんだからつまらん駄洒落を言わないで欲しいとか、とかとかとかとか家族のありとあらゆるイチャモンに耐え、家族のためにせっせと給料袋を運んでいて、急に大病を患って死に損なったら「おとうさんゴメンね、長生きしてね」なんて急にウルウル来られちゃって面食らっちゃうのに似てるんじゃなかろうか。長嶋茂雄って“ミスター”なんて変な愛称で呼ばれてヘラヘラ笑ったりしてるけど、ホントは国民みんなのオトーサンなんじゃないだろうか。もっともっとカッコ良ければいいのに表面上どうしても好きになれない部分があって、もっともっと“理想的”だったらもっともっと愛して愛情溢れるテレビドラマのような完璧なシアワセファミリーになれたのに、愛したいのに愛せない愛の二重亀甲縛りみたいな、愛そうとすればするほど辛く当たられちゃう可哀想なオトーサンのような。うーん、そんな気がする。

ヒーローというのはなった瞬間から死に様をかっこよく演ずるための空しく辛い旅が始まる。長嶋茂雄自身「ミスターヒーローでいるのも大変なんだ」と周囲の人に語っていたそうだ。

長嶋茂雄こそ永遠のオトーサンだと熱い思いを寄せていた少年時代には、アメリカこそ世界を独裁者や共産主義者から守ってくれ、腹ぺこという貧乏から開放してくれ、未開社会を文明社会に変え、暗い部屋に電灯を灯し、退屈な毎日をエンターテイメントで埋め尽くし、自由と平等を守ってくれる世界のオトーサンのように感じ、そう教えこまれて育っていた。ヒーローも年老い、少年は中年になり、世界にとっての自由と平等の理想と現実が今までのやり方では立ち行かなくなりつつあるのが明らかになって来て、ちょっと限界を感じ初めて焦っていた世界のオトーサン。そのオトーサンが突如襲いかかった暴漢に向かって拳を振り上げたままワナワナ震え、世界が拳の下ろし方を固唾を呑んで見守っている。

オトーサンの黄昏を感じる度に、なぜかレイモンド・チャンドラーの The Long Goodbye (邦題『長いお別れ』)を思い出す。

『ぼくはことしで四十二になるまで、自分だけを頼りに生きてきた。そのために、まともな生き方ができなくなっている』

『我々は世界で一番きれいな台所と一番光り輝いている浴室を持っている。しかし、アメリカの一般の主婦はきれいな台所で満足な食事を作ることが出来ないし、光り輝いている浴室は大抵の場合、防臭剤、下剤、睡眠薬、それに化粧品産業と呼ばれている信用だけに頼る商品の陳列所になっている。我々は世界で一番立派な包装箱を作っているんだよ、マーロウ君。しかし、中に入っているものはほとんどすべてがらくただ』

清水俊二訳(ハヤカワ・ミステリ文庫)より

2001年 9月28日 金曜日
【符牒】

とおりふちょう【通り符牒】
ある商売またはある職業関係者の間だけに通用する符牒。
広辞苑第五版より

岩波新書373 柴田武著 『日本語はおもしろい』に紹介されていた市場の符牒が面白い。
関東で多く使われている符牒
1 オの字
2 クの字
3 スの字
4 テの字
5 ウの字
6 シの字
7 ヤの字
8 ミの字
9 セの字
「の字」は語呂を良くするため。約三百年前の青果商人、小楠丁字屋(オクステウジヤ)に店(ミセ)をつけて1〜9を現しているのだそうだ。これは面白いとインターネットで検索してみると、
さかな屋7つ道具」というサイトで
魚屋さんが公開しているのだが、ここのは
1 サ
2 リ
3 ト
4 ワ
5 オ
6 モ
7 シ
8 ロ
9 イ
「然りとは面白い」という言葉遊びになっているのだ。もっともっとあるのではないかと検索したら、築地場外市場店独自の符牒にはこんなのがあるのだそうだ。
 商いの幸せ(あきないのしやわせ)
 朝起き福の神(あさおきふくのかみ)
 朝市はにぎやか(あさいちはにぎやか)
         1 2 3 4 5 6 7 8 9
 商いの幸せ   あ き な い の し や わ せ
 朝起き福の神  あ さ お き ふ く の か み
 朝市はにぎやか あ さ い ち は に ぎ や か

清水のメーリングリストでそんな話をしていたら「魚初」の若だんなにこんなクイズを出された。

||ブンキュウ
||ケーマ
||サンツー
||サンボン
||チョイ
||
||解答はしませんが、採点はいたします。
||3桁数字でこたえてみて下さい。

よーし、と意気込んで取り組んで見たもののなかなか難しい。難しくなかったら符牒にする意味はないのだけれど。

※写真は清水魚市場の競り風景。

2001年 9月26日 水曜日
【「むす」と「ふかす」】

★仕事が集中していてサイト更新もままならないのでメーリングリストに投稿したメールを転載しておきます。

||大分には「ふかす」「むす」にあたる方言はないです、多分。
||ただ、田舎の親戚がいつも作ってくれた大分のふかしまんじゅうがありまし
||て、これを「ばっぽ」と呼ぶそうです。(私は「ふかしまんじゅう」と記憶
||)
||
||「ばっぽ」の語源は不明。御姿を見たい方はこちら。
||http://www.nhk.or.jp/kotoba/18ooita/18episode07.html

どうもありがとう。
どうしてこんな「どうでもいいこと」に引っ掛かってるかっていうと、国語もやっぱり多数決で決まるんですよね。日本中の人が「まんじゅうはふかすものである」って言うようになると辞書に収録されて
【ふかす】主にまんじゅうに用いる。――をふかす。
なんてことになり、有名お幼稚園の試験で、

つぎのたべものは「ふかす」ですか、「むす」ですか?
まんじゅう
□ふかす □むす
しゅうまい
□ふかす □むす
さつまいも
□ふかす □むす
げんまいぱん
□ふかす □むす
なんてのが、堂々と出てくるかもしれませんよね。

で、まあ多数決でもいいんですけど、どうしても「ふかす」だと主張する人の話者語源を聞くと「まんじゅうをふかすときは湯気が勢いよくでるから」とかの理由が多く「吹かす」に引っ張られたり、エンジンをふかしてる様を思い浮かべたりしてるわけです。多数決の根拠が勘違いだったりする場合もあるんですよね。
嫌なニュースを聞きながらの読書なのでちょっと気になってます。

手帳片手に出先でアンケート取ってますけど、
「蒸しパンはふかすもんです、あれ、蒸すとふかすが混じってる」
なんて、面白がる人が多いです。かなり揺らぎのある面白い言葉です。
隠岐の島では「おむす」、蒸し器のことも「おむす」だ、なんていうメールも届いていますので後日まとめてみようと思っています。

2001年 9月24日 月曜日
【練り餌】

芋は「ふかす」か「むす」かに関してK・Mさんからお便りをいただいた。

||私は埼玉生まれの埼玉育ち。
||父はへら鮒釣りが趣味だったから、よくサツマイモを蒸かしましたよ。
||蒸し器に入れて・・・。
||母は、お魚さんが一番良い所、子供はシッポとか嘆いていました。
||
||私は断然“ふかす”派です。


K・Mさんが埼玉在住なのは存じ上げていたけれど、生まれも育ちも…とは意外だったので、私も埼玉はサツマイモの練り餌で思い出深いとお返事したら、

||練り餌。懐かしい!
||さなぎ油というのを入れていたでしょう?
||あの“さなぎ”が気になっていた子供の頃の私。
||あれって、なんの油だったのでしょうか?


とのこと。東京都北区王子で過ごした小学生時代、近所のおじさんに連れられて毎日曜日、埼玉県の川に釣りに出掛けていた。入間川とか高麗川とか、名前は忘れたけれどいろいろな支流を釣り歩いた。もう40年近く前の事なので、当時の風景はほとんど残っていないかもしれない。日暮れが近づくと毛鉤に付け替えてヤマベを狙う。夢中になっていると、辺りはすっかり闇になり、裸足で川の中に立っている足元が心細く恐かった。車のライトを付けて仕掛けを仕舞い、農道を帰途につくのだが、人家もまばらで食事をする店すら無かった。いまでは住宅が立ち並びその辺りから都心に通う友人も多い。

日曜日の早朝、 母はよくさつま芋を蒸して練り餌を作っていた。

ねり‐えさ【煉餌】
(2)米・麦の粉やサツマイモなどを煮てねり固め、釣餌としたもの。蛹(さなぎ)粉・干海老・魚粉や粕・魚油などを加え用いる。ねりえ。
広辞苑第五版より

この蛹粉というやつ、そしてK・Mさんが懐かしむさなぎ油というのは、多分元は蚕の蛹だったのではないかとおもう。蚕の蛹を油漬けしたようなものを、静岡に戻ってからは岸壁からの海釣りにも使っていた。母はさなぎ油を知ってか知らでか、釣り用の練り餌づくりにはバターを入れていたように記憶している。朝、共同炊事場からいい匂いがするのでパジャマ姿で起きて行き、少し食べたいというと「鮒になっちゃうよ」と言われ、顔の両側面に眼球が移動した自分を想像して可笑しかった。

川の瀞場といえばよいのだろうか、深くて流れの緩やかな場所を見つけるとこの練り餌団子を付けて鮒を狙うのだが、竿を上げて餌が無くなっている度に母の手づくりおやつを奪われているようで口惜しかった。このバター入りの珍なる練り餌でもそこそこの釣果はあったようで、小学校を卒業するまでわが家の小さな水槽には持ち帰った鮒が何匹かいたが、当時のバターは贅沢品だったのでずいぶん高価な鮒だったわけだ。

2001年 9月23日 日曜日
【安息角】

『砂の女』という映画がある。安部公房原作・脚本、勅使河原宏監督で、岡田英次、岸田今日子が主演している。多分テレビで見たのだが凄い映画を作る人がいるものだなぁと感心した覚えがある。海外で評価の高い日本の映画を思い浮かべても、この映画ほどの出来の作品は考えられない。昆虫採集のため砂丘を訪れた岡田英次が、すり鉢状の穴の底で宿を営む岸田今日子に搦め取られていくといった筋立てだったと思う。人間蟻地獄だ。音楽は武満徹が担当している。

日日抄を読んでくださっている方から「薄羽蜉蝣と蟻地獄」に関するメールをいただき、昔のことを思い出した。子ども時代、神社の縁の下でよく蟻地獄を見た。蟻を投ずると捕らえて砂中へ引きずり込んでしまうのだが、昆虫以外の異物を放り込むとピーンとすり鉢外へ跳ね飛ばす習性が面白く学校帰りに寄り道して遊んだものだ。図鑑を調べて蟻地獄が薄羽蜉蝣の幼虫である事を知り、その習性を知ると自分で蟻地獄を作りたくなった。砂場で木切れを使ってすり鉢状(逆円錐状)の穴を作り、蟻を入れてみるのだけれど大概逃げられてしまう。やはり神様の住まいの縁の下の砂は特殊なのかなぁと思ったりしたものだ。

だが、雨のあたらない縁の下だけでなく、山や砂丘などにも蟻地獄はいるらしい。本で調べてみると蟻地獄は頭にある鋏を使って斜面の角度を微妙に調整しているという。細かい物質を円錐状に積み上げたとき、その斜面が崩れずに安定を保てる最大角を「安息角」と呼ぶらしい。物質の大きさや形状にもよるし、湿度も影響するだろう。蟻地獄の斜面が常に安息角に保たれている工夫がなされているので蟻は這い出すことができないのだ。なるほど、子どもではちょっと無理だったかなぁと思う。

砂を円錐状に積み上げた真ん中に一本の棒を立て、何人かで順番に砂を掻き取って行く遊びを砂場や海岸でよくやった。常に安息角を維持しながら作業しないと棒が倒れて負けになるのだ。この方法だと凸の安息角は作り出せるのだが、凹の安息角を作るのは難しい。地面の裏側から地中へ砂を掻き取って行けばいいのだけれどそれでは私が岸田今日子、いや蟻地獄にならなければいけないわけで、遊びどころでは無い。穴恐ろしや。

蟻地獄の英名はアントライオン(ant-lion)、蟻喰いライオンといったところだろうか。和名ではすりばちむし、あとびさり、あとじさりと呼ばれることもあるという。メールを送って下さった方によると、薄羽蜉蝣が蟻地獄として過ごす期間は2〜3年と長期にわたる。で、蟻地獄は肛門が無いので羽化した後、2〜3年分の糞をまとめて始末するらしい。命の儚さの象徴とされる薄羽蜉蝣が三年分の宿便を一気に排泄する様は想像するだけでも楽しい。やっぱりピーンと跳ね飛ばすのだろうか。

2001年 9月22日 土曜日
【うわさの男】

暗いニュースばかりの今日この頃なので、肌寒いほどの涼しさも心地よい。土曜日の仕事も苦にならない清々しさで銀座まで外出。ところが有楽町駅前で絶句。
「は、は、半袖姿の人が居ない!」
そうなのだ、肌寒いなとは思ったものの長袖ほどの陽気ではないと高を括っていたのだが、皆衣更えを終えてブルゾン姿の人まで居るのだ。何だか恥ずかしくて足早になる。真夜中のカウボーイのダスティン・ホフマンみたいで、「うわさの男」のメロディに乗ってマイアミ行きのバスに飛び乗り、半袖の似合う場所に逃げ出したいような気分だった。

思うに、衣更えというのは人に先んじるとカッコ良くて、後れを取るとどうしてカッコ悪いのだろう。制服着用を義務づけられていた中学高校以来そんな気がしてならない。特に半袖姿で人に後れを取るというのが非常〜にカッコ悪いと思うのだ。それが、半ズボンだとちっともかっこ悪くない気がするのは、小学校6年間を過ごした東京の小学校では男子生徒全員、卒業まで一貫して半ズボン、真冬の雪の降る日だって半ズボンだったからだ。股引などもってのほかで、長ズボンもダサイとされていて、毛糸のパンツなんてはいているとクラス中の笑いものだった。今でも、半ズボンは好きで世間様が許してくれるなら通年半ズボンで過ごしたいほどだ。最近では子供用ジーンズなどもあるから、東京の小学生は長ズボンもはくのだろうか?近所の小学生を観察すればわかりそうなものだが、中年のオヤジが小学生をじろじろ見ているだけで怪しいのに、男子児童の下半身ばかり見ているのは相当にアブナイので確かめていない。

小学生時代、郷里の清水市に帰省する時はピッチピチの半ズボン(ダブダブの半ズボンは田舎っぺということになっていて今とは逆だった)に、ハイソックス、とっておきの革靴を履き、ポマードで横分けして都会っ子ぶりっ子して颯爽と出掛けたものだ。今年の夏「清水みなと祭り」に一人で帰省することになったので、思い切り派手なアロハシャツ、写真家川上哲也に貰った半ズボン、白いソックスに皮のサンダルという出で立ちで新幹線に乗ってみた。何という心地よさと、本人はかなりご機嫌だったのだが、母親は相当に恥ずかしく、近所では「馬鹿息子帰る」の報が飛び交ったらしい。

2001年 9月21日 金曜日
【芋】

古書店店頭で立ち読みして購入した、
岩波新書373 柴田武著 『日本語はおもしろい』
を、読み始めたら書名に偽り無しと実感できるおもしろさ。人間誰でも生まれ育った土地の「ことば」を母語として持っていて、高名な学者であっても調査・研究の中でそれから自由になるのは難しいらしい。

「どちらの語を採用すべきかという判断の場でも自分の母語から自由になれないこと、だから、情報を得る相手についても、その主観的判断を「話者語源」として重く扱おうではないかということ。大口をたたけば、日本語の研究に人間を復活させようということをめざした」(「はしがき」より)

実は柴田先生は名古屋で生まれ育ったのだが、第一章「人間」第一節「自分のことばに帰る」を読み始めたら、静岡県中部清水市で生まれ育った私が、
「せ、せ、先生、そうなんです、その通りなんです!」
と、教壇に駆け寄り、手を取ってオクラホマミキサーでも踊り出したいような話が書かれていて嬉しかった。

柴田先生は、一時日本中の話題となった「ら抜きことば」に比較的寛容な異見を発表されているのだが、その理由の裏話として名古屋方言では「見れる」「着れる」が抵抗なく受け入れ可能であることをお書きになっていた。実は清水弁も「ら抜きことば」が一般的で「見られる」「着られる」は、「見れぇる」「着れぇる」と話されるのだ。この「ぇ」の挿入が不思議ではあるのだが。

また、「子どもにお金をあげる」「猫にえさをあげる」「花に水をあげる」の「あげる」にもひどく抵抗があり、母語では何としても「やる」であると固執しておられる。清水弁でも「あげる」は用いず「やる」にニュアンスの近い、「子どもにお金をくれる」「猫にえさをくれる」「花に水をくれる」と「くれる」を話すのである。愛猫家の友人宅を訪ねたりした際に
「えさは何をあげていますか?」
と、聞くのに抵抗があり、
「えさは何をやってますか?」
と、言ったほうが私にはしっくり来るし、清水弁で、
「やい、えさぁ何ょおくれてるだぁ?」
と、言ったほうがより自然で私らしかったりするのだ。

さて、第一章第一節では、芋はムスかフカスか?に多くのページを割いて話されているのだが、名古屋弁では芋は断然ムスであって「蒸しイモ」なのだそうだ。私はフカスで「フカシ芋」がしっくり来るのだが、思い起こせばフカス=フカシ芋は東京に移り住んでから身についた言葉なのかもしれない。小学生時代の夏休み帰省中、清水市折戸の海水浴場で泳いでいたら近所に住む伯母がふかしたての玄米パンを差し入れしてくれたのだが、「ムシパン」という言い方が「虫パン」を連想して嫌だなぁ、フカシパンなのになぁと思った記憶があるのだ。もしかすると清水も西の「ムス」言語圏なのかもしれない。

以上、お読みになった方で芋はムスかフカスか?の答えとご自分の母語のある土地を教えていただけると嬉しい。

※写真は芋を食べる小猿で子ども時代の私ではありません。為念。

2001年 9月20日 木曜日
【ふたつ返事】

「ふたつ返事」という言葉があって、最近は「ひとつ返事」と誤用する人が多いという話を読んだ。

そういえば「ひとつ返事で引き受けた」などという言い回しを耳にするような気がする。私は「ふたつ返事」も「ひとつ返事」も、あまり使わないのだが、お恥ずかしい話「ふたつ返事」の意味を正しく理解していなかったというのが本当のところなのだ。

子どもの頃、母親から用事を頼まれると「はい、はい」などと返事をし、「はいは一回でいいの!」などとしばしば叱られていたので、「はい、はい」と「ふたつ返事」で引き受けるというのは、一旦躊躇したが断る術も無いのに気づき結局快諾する結果になった、といった消極的で回りくどい意味合いに感じられたのだ。母親からすると、叱る原因になったであろう私の「はい、はい」は緩慢な言い方で、明らかに嫌々ながらの意思表示だった。で、快諾の方のふたつ返事「はい、はい」はテレビの時代劇ぐらいでしか聞いたことがないのだ。

「大黒屋、済まぬが金子五十両を用立てて貰えぬか」
「はい、はい、もちろんようございますとも。そのかわりと言っては何ですが、御老中様、あちらの方は是非!よしなにっ…」
「だぁいこくやぁ、そちも悪よのぉ。ムヒッ、ムヒ、ムヒヒヒヒヒ」

こんな感じなのだが、「三省堂国語辞典」には「はい、はい」を「目上の人に言ってはいけないとされる」と注記されているそうなので、上記の例もやはり誤用なのかもしれない。いや、大黒屋が老中を何でも金で動く奴とすでに見下しているとしたら、必ずしも誤用では無いのかな。ともかく「はい、はい」という返事は使わないに限るような気がしているのだ。

2001年 9月19日 水曜日
【冗談】

冗談の通じない人というのが居て、突然怒り出されてしまったりする。老化とともにその傾向が強まるのか、母親も七十過ぎて昼間笑っていた冗談を夜中に反芻しているうちにメソメソしていたりするので困る。若くても冗談が通じない人もいるので、あまり気心の知れていない人に軽口を叩くのも勇気を要する。突然怒り出した友人に、
「おい、おい、冗談だよ」
などと言うと
「こっちも冗談だよ、本気だと思ったか」
などと笑い出す上段者も居るので始末に悪い。
日本語の誤用に関する本を読んでいたらテレビの放送中に
「七ころび八ころび」
と、発言した方の話が出ていて可笑しかったが、著者も更に上を行く冗談であった可能性も認めておられたので、その辺への留意もされているのだろう。

私が人生のうちで最も笑った誤用は決して冗談では無かったと思うのだがどうだろう。会社員時代、営業の課長が電話をかけて来て私に文句を言うのだが、その中で、
「君ねぇ、我々営業の現場ではそんなこと日常茶番劇なんだよ!」
と、思わず耳を疑うような事を言うのだ。明らかにこの人は「茶飯事」を「茶番劇」と間違えている。あまり賢い上司ではないのかな。いや、ひょっとして小言の中に冗談を潜ませて私が冗談の通じる人間かそうでないかを推し量ろうとしているのだろうか。ここで、
「ははは」
と、笑ってやったら、急に、
「ね、ね、可笑しいだろ。我々も堅物じゃないから色々苦労してるわけよ。今度道玄坂あたりで若いもんと一緒に飲まない?」
などと、懐柔にかかられる可能性もあるのだろうか。いや、
「ははは」
と、笑ったら怒り出してその勢いで私をこてんぱんにやり込めるつもりじゃないだろうか。そんな事を考えながら電話を切り、同僚に話したら、
「うちの営業課長らしいなぁ」
と、全員爆笑だったので、あの課長、真面目に「日常茶番劇」を演じていた人だったのだろう。悪い人間じゃなかったけど。

2001年 9月18日 火曜日
【秋祭り】

バスで地上を移動するとあちらこちらで秋祭りに出くわす季節になった。14・15・16は駒込・天祖神社のお祭り日。年々、露天の数が減って行くようで寂しい。減って行く中で、食べ物を商う露天の比率が高まっているようで、昔は関西方面のお祭りでしか見たことのなかった「たこ焼き」や「お好み焼き」「ヤキソバ」、変わったところではでは「チヂミ」「肉串」「ジャガバター」などの露天もある。なんか神さんの前で「肉串」というのは、どうもしっくりこなくて足早になってしまうのだが、懐かしい「ハッカ・パイプ」の露天があったりすると心和んで足が止まる。

子どもの頃は、この“チビチビ甘い”という食べ物が多くて、ビニールに入ったハッカ水に細いビニール管を突っ込んだやつをチューチュー飲んだり、ニッキの味を染み込ませた紙をペロペロ舐めたり、長いストローに入った色とりどりのゼリーをチュルチュル吸ったりしたものだ。この“安い・遅い(=楽しめる時間が長い)・甘い”食べ物のひとつが「ハッカ・パイプ」だった。中のハッカ糖が無くなってしまうと単なるセルロイドの匂いがするだけで寂しいので、台所から砂糖を持ち出して詰めてみるのだけれど、粒が大きすぎて吸っても穴から出て来ないし、時々出てもセルロイド臭い砂糖に過ぎないのだ。甘いハッカ味で「明治カルミン」を思い出し、あれを粉砕して詰めたらいいのではと思ったのだが、子どもの力で粉にするのは容易なことではなく、結局放り出したままになり、母親がいつの間にか始末していたようだ。
最近はメロン味、レモン味、ストロベリー味などもあり、詰替用の砂糖まで売られている。「ハッカ・パイプ」も40年かかって少しずつリッチに進化しているようで微笑ましい。

※2000年2月17日 木曜日【マッチ・ポンプ】の表示フォントがおかしいとメールをいただき、昨夜も僧侶が門口に立って「百萬遍でも唱えて」進ぜようと仰しゃるので慌てて修正しました。

2001年 9月17日 月曜日
【声が出ない】

電車の座席でうとうとするのは気持ちがいい。あまり気持ちがいいので家庭用電動座席が欲しいくらいだ。私の場合、駅に停車するたびに目が覚めるタイプなので乗り越しなどは滅多に無いのだが、眠りの深いタイプの人はしばしば目的駅を通り過ぎてしまうことが多いらしい。乗り越しどころか、終着駅に着いて車掌さんに起こされないと目が覚めない人もいる。終着駅と言っても地下鉄丸の内線の「荻窪」や「池袋」ならさして問題無いのだが、中央線なんかだと高尾行きや甲府行きとか信濃森上行きなんていう列車もあるわけで笑い事では済まされなくなってしまうのだ。

ある年の暮れ、中央線沿線に住む友人が忘年会で酒を飲み、スチームの効いた座席でうとうとしているうちに甲府近くになって目が覚めたらしい。居眠り人間には、目が覚めてもしばらく朦朧としているタイプもいれば、カッ!と覚醒して脱兎のごとくホームに飛び出すタイプの人もいるのだが、友人は後者の瞬発力型。「しまった!」と思った瞬間ホームに飛び降りたのだが、その列車は最終列車で、しかもその駅はひと気の無い小さな駅だったという。凍えるような夜気の中で足踏みしながら始発が来るまで夜を明かしたというトレンチコートにアタッシュケース姿の友人を想像すると申し訳ないが可笑しい。

私はどちらかというと、「しまった!」と思っても瞬間的に体が動かず、「もしかしたらダッシュすれば降りられたかもしれないなぁ…」などと、ぼんやりじわじわと悔恨の念が沸き上がってくるタイプなのだ。鈍いというか、瞬発的な運動神経が未発達のまま人生を終わってしまいそうというのか…。

いつだったか銀座を歩いていたら頭上で金属音がしたので見上げると、ビルの窓を清掃するゴンドラがアルミの窓枠にぶつかって金属部材が落下する瞬間だった。見ると落下予想地点の通行人に明らかにぶつかりそうなので声を出そうと思ったのだが「うっ」という音しか出ない。部材が回転しながら落下して通行人にぶつかるまでの映像をスローモーションのように記憶しているので不思議だ。幸い回転のタイミングが良く右肩をトンと叩くようにぶつかっただけで済んだ。だが、考えてみるとその時「危ない!」とか「止まれ!」とか咄嗟に叫べる人間だったら、かえって危険な角度で激突させてしまった可能性も高いわけで想像すると恐ろしい。
また、栃木県佐野駅前では、幼児がサイドブレーキを外した駐車中のワンボックスカーが、スロープをゆっくりと走り出し、前を横切った自転車の女性を軽くひっかけ、電柱にぶつかって止まるという現場の一部始終を目撃したことがある。その時も私は「うっ」と喉を鳴らしただけで呆然と立ちすくみ、「危ない!」「止まれ!」と叫べない木偶の坊を演ずることで、大事故になるのを未然に防いでいる……ような気がする。胸を張って言えることではないが事故の規模を無意味に拡大しないという点で、多少なりとも社会に貢献した可能性もあるのだぞと無力な自分を慰め、役たたずの存在意義を正当化したりしているわけだ。沈黙も世のためである場合もあるぞ、きっと。

2001年 9月16日 日曜日
【ばってんおんぶひも】

深夜起き出して仕事場に来て、もそもそとパソコンを起動してインターネット接続なんていうと、どっかの変態オヤジと思われそうだが、実は仕事が忙しいのだ。とはいえ、まずメールをチェックして電脳六義園通信所の「しりとり掲示板」を閲覧するこの余裕。「ぶきよさらば」ヘミングウェイ:どうか戦争になりませんように・・・09月16日22時05分、「ぶきよさらば」につづく「ば」のつく言葉を書いてねとある。書き出すとのめり込んでしまうのでパスしようと思ったが「ば」のつく言葉で終わっているのが気になって仕方なく、思い付いた言葉を書き込んで見たのだが、何と直前にどっかの寺の坊さんが「ばかばなし」と自分の説教の宣伝を書き込んでいて「「し」ではじまってないじゃん」などとはねつけられてしまった。

「戦争になりませんように・・・」と言っても、某国は「すでに戦争だ」と言っているわけで…、何ともイヤな雲行きだ。戦争好きで、やりたくてやりたくて仕方ない奴らの顔を思い出すと気色悪いので、ちょっと戦争から離れて「ば」のつく言葉を考えていたら思い付いたのが「ばってんおんぶひも」。昔、お母さんが赤ちゃんを背負っていたアレだ。はて、「ばってんおんぶひも」というのは一般的に通用する言い方なのだろうかとインターネットで検索したらいくつかヒットした。ホームページを公開しているような若いお母さんの間では「いくら身だしなみにかまっていられないと言っても、いまどき乳突き出しのばってんおんぶひもをしているなんて信じられな〜い」という話もあったりして、どうやらあの紐は過去の遺物になりつつあるようだ。

今の若い女性は、男性とともに職場で働きながら子育てをしなくてはならないので大変だ、という話をよく聞く。昔の女性は大変じゃなかったわけでもなく、「昔」などと言ったら笑われる私の子ども時代=オンリー・イエスタデイには冷蔵庫も洗濯機も、掃除機だってなかったわけで、共同洗濯場で家族の衣類やおしめを洗濯板と固形石鹸でゴシゴシ洗い、パンパンッとたたいて屋外の物干し柱にY字型の竿を使って干し、汲み取り便所から屎尿を吸い出して去ったバキュームカーが滴らせた液体をバケツの水で洗い流し、「エリーゼのために」のオルゴールが聞こえると生ゴミを抱えてゴミ収集車まで走り、ボーフラのわいたドブに白い液体消毒液を撒き、買い物籠を抱えて向こうの八百屋こちらの乾物屋と走り回り、アパートの共同炊事場で遠慮しながらご飯を作り、時間が空くと封筒貼りの内職をし、古びたセーターをほどいて湯気で毛糸を伸ばし、穴の空いた靴下を繕い、混んでカランにすら辿り着けない銭湯で子どもたちを次々に入浴させ、ひっつめの髪を振り乱し、「ばってんおんぶひも」で乳を突き出して動き回り、なりふりかまわず家庭を支えたお母さんたちが、つい昨日まで日本中に無数にいたのだ。

「戦争騒ぎ」も情け無いが「いまどきばってんおんぶひも」を笑うご時世もしみじみと情け無い。

 


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