電脳六義園通信所管理人 石原雅彦の日日抄

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三好春樹主催・生活とリハビリ研究所サイトの管理日誌です。

2001年 10月 15日 月曜日
【犬猫清話……3】

小学生時代を過ごした北区王子にはたくさんの野良犬や放し飼いの犬がいた。道路が舗装されているのは大通りばかりで路地に入るとまだ未舗装の土の道が残っていた時代だ。通学路には犬の糞がたくさん落ちていて、誰か黄色い足跡を付けているとみんな靴の裏を見て自分でないかヒヤヒヤしながら確かめていたものだ。
そういう時代を知らない人は、なんと不潔な町だったのだろうと思うかもしれないけれど、今の都会と比べたら今の方がよっぽど不潔だ。道路脇の植え込みや中央緑地帯に散乱する空き缶・空きビンやコンビニ弁当の空き容器などの、不道徳な遺棄物など当時は今ほど無かった。自動販売機やコンビニなどが無かったこともあるけれど、道端にたくさんゴミ箱があったからだ。
十年あまり前まで住んでいた地域は中・高校生の通学路になっていて空き缶やペットボトル、ビニール包材が散乱してゴミ溜めのようだったが、地域の人が協力して道路沿いに一斗缶のゴミ箱を大量に配置したらあっという間にゴミが路上に捨てられることはなくなった。中・高校生だって社会の被害者なのであって、公衆道徳心の欠如した青少年などと名指しする社会の方が間違っているのだ。ゴミ箱を併設しない自販機は取り締まりの対象にして貰いたいものだ。

小学校の下校時に会う雑種の中型犬で人気の犬がいた。「ウインナ」という名前の気立ての良いオス犬は「ウインナ、ウインナ!」と呼ぶと尻尾を振って寄って来て撫でて貰うのが大好きだった。しばらく撫でているうちに股間を見ると赤いものがニュッと出るので私たちは「わーっ、ウインナが出た!」と笑いながら逃げるのが常だった。若犬の間は、喜んだり刺激的なことがあると赤いものが露出してしまうことはよくあるようで、改札口できちんと座ってご主人の帰りを待っているラブラドール・レトリーバーなどが、ご主人の姿を見た途端、尻尾を振りながら赤いものを出している姿をよく見かける。
我が家にいたミニチュアダックスフントの「早太郎」も、私が帰宅すると抱いて貰いたくてソファーベッドに飛び乗り、手を差し出すと跳び付いてくるのだが、顔や額を嘗め回す最中に赤いものがペタペタと頬を叩くのにはちょっとまいった。

猫というのも、飼い主の前で赤いものを見せてしまうということがあるのだろうか。中学生の時、叔母の家でコタツにあたっていると、抱かれ癖の付いたオス猫が膝に乗って来た。仰向けに抱っこして股間の猫柳のような可愛らしい部分をいじっていたら赤いものがチョロッと出た。犬のは立派だけれど猫のは小さいなぁ、人間様には遠く及ばないなぁと優越感に浸りながらいじっていたら、突然痙攣し出したのでびっくりして放り出してしまった。猫のを見たのはその時一度だけだったのだが、今でも目に浮かんで来て、犬のが「ウインナ」だったら猫のは「アオヤギ」かなぁなどと思ったりする。

※写真は猫のと同じくらい可愛い伊豆大室山のサボテン。

2001年 10月 15日 月曜日
【犬猫清話こぼれ話】

犬猫清話……2に関して Morita Keiko さんからメールをいただいた。
外国には模造料理サンプルが、

「どうも存在しないようです。外国人は、あれがすごく珍しくて、相当高価なのにお土産として購入する人がいるそうです。そのために、わざわざミニサイズ版を作って、販売していると聞いたことがあります。特にスパゲッティで、絡まったフォークが浮いている物が人気とか?ほんとかしら?それから、パフェのサンプルも人気があるそうです。」
Morita Keiko さんへ:コーヒーカップの上にクリームが浮いているのが私は好きです。
また、はまボーズさんからは、
模造料理サンプルと書かれているが、
「これは普通「食品サンプル」といわれるもので,以前は蝋細工でしたが,今はほとんどがプラスチック製か塩化ビニール製です。これらは日本オリジナルの物で,どうも外国にはないようで,日本土産として珍重されています。ちなみに英語では「Plastic food」というらしい。」
さらに、
「食品サンプルの英語表記は日本では「food sample」が一般的なようです(和製英語か?なんたって外国にはないものねえ)。「plastic food」という外国人の表記もありますが,ちょっとわかりにくいので,「plastic food sample」がより正確な表記でしょうか。」
とのメールをいただき、
さらに、Morita Keiko さんが書かれた「ミニサイズ版」に関しては、
「食品サンプルの製造メーカーや販売店のhpでは,食品サンプルを使ったさまざまな装飾品やファッショングッズまで陳列展示されていて,仰天する。」
と、言及されていた。

余談だけれど、はまボーズ氏と飲んでいて「何でもインターネットで調べるのは良くないね」との苦言があり、私もそんな事を感じていたので深く首肯しておいた。氏は民族の魂の根源に触れるような事柄に言及したページに誤解や偏見による記述が多く、それらを鵜呑みにしたり引用したりすることで誤謬による偏った考えが蔓延しそうな気配を危惧されていたのだと思う。
私の方は、そのような深慮に基づくものではなくて、昔だったら書店や図書館に行ったり、古い辞典類を引っ張り出したり、博学の友人に電話したりと苦労してやっと手に入れた答えに、正しいにせよ間違っているにせよ数回ボタンをクリックするだけでが辿り着けてしまうということが、つまらないことだなぁと思い始めていたのだ。それにひきかえ、「知らないことを知らない」と書き、「知っている他人から教えて貰う」というコミュニケーションは楽しい。「わらしべ長者」のように、人と人とが繋がることによる知識の獲得の方が数段豊かで文化の香りがする。
情報をお教えいただいた御両人に感謝。

2001年 10月 12日 金曜日
はまボーズ氏と飲みに出て風邪を拾ってくる直前、ポケットのZAURUSで書いていた日日抄をアップします。

【犬猫清話……2】

飲食店のショーケースにある料理サンプルというのは奇妙なものだと思う。本物でもないのに思わず唾液が出てしまったりする。パブロフの犬はベルの音と同時に餌を与えられたという経験により、ベルの音を聞いただけで条件反射でヨダレを流したというが、超リアルなドッグフード料理サンプルを見て視覚的刺激でヨダレが出るなどということもあり得るのだろうか。人間の場合、「同様の外観の物質を食べたことがある」という経験に条件反射して唾液が分泌されたり、「明らかに作り物とわかる不出来な料理サンプルであっても見た直後に本物を食べられた」という経験に条件反射して唾液が分泌されたり、生姜焼き定食のサンプルを見て唾液を分泌し店内に入ってハンバーグ定食を注文するなどという気紛れな単に「食べものという記号を見た」という経験に条件反射して唾液が分泌されたりしてしまうこともあるようなので、唾液を分泌する条件反射の中身は複雑である。犬もそのような複雑な条件反射をするのだろうか。

料理サンプルというのは器用仕事の得意な日本人ならではの芸術品だと思うのだけれど、これを見た外国人観光客はどんな感慨を抱くのだろうか。いやそれより、そもそも外国に蝋細工の料理サンプルに類するものが存在するのだろうか。
渡航経験は人生二度だけで、最初に訪問した韓国では新宿ゴールデン街のような界隈で毎夜飲んだくれていたのだが模造料理サンプルなるものは見かけなかった。日本人観光客相手の店が並ぶあたりに行けば韓国料理の模造サンプルもあるのかもしれないが、日本人相手の店なら驚くにはあたらない。もう一つの外国体験はパリで、こちらも旧市内で毎夜飲んだくれていたのだが、模造料理サンプルは全く見かけなかった。模造料理サンプルを見て注文を考えるというのは日本固有の文化なのだろうか。

蝋細工の模造料理サンプルも奇妙だけれど、最近多い店頭での実物展示には奇妙を通り越して違和感を感じてしまう。生姜焼き定食とか、焼き魚定食とかの現物を道端に展示している例のやつだ。まさか埃塗れの展示サンプルを後で従業員が食べたり、再調理して客に食べさせたりするはずもないので、いかにも食物を粗末にしているようで不快なのである。

銀座の裏通りを歩いていたら、店頭に置いた椅子に日変わりランチをのせて陳列している店があったのだが、なんと何処からかさまよい出たらしい首輪をつけた大型犬がそいつを食べている場面に出くわした。通りかかった会社員たちが、
「あーあ、食べちゃってるよー」
と、立ち止まって笑っていて小さな人垣ができていたが、何とも言えない痛快さを感じているように見えた。道端に「食べもしない」食べ物を置いておく方がどうかしているのだ。

見ている野次馬は痛快なのだけれど、犬の方は後ろ足の間に尻尾を巻き込んで食べている姿が情け無い。犬が申し訳なく思いながら食べているからそんな情け無い姿になっているのではなくて、物を食べているという無防備な状態を周囲から見られることに緊張しているのだ。同様の緊張感は犬が大きいほうを排泄するときにも見られる。猫も見知らぬ他人がいる室内で餌を食べるときには緊張しているし、視線が合うのを極度に嫌がって目を瞬かせたりしている。「食事時の緊張感」と「食物の持つ有り難みという聖性」を忘れるというのは人間だけの病いかもしれない。

2001年 10月 11日 木曜日
【犬猫清話……1】

“犬と猫とどちらが賢いか”、そんな馬鹿な質問をされたことはないし、する奴もいない…と、思う。結論からいえば、犬は犬なりに賢いし、猫は猫なりに賢いと感心すること頻りなのだ。

もう随分以前からだけれど、東京、少なくとも山手環状線内で野良犬を見かけなくなった。飼い犬が迷い出たのを見かけることが稀に有るくらいで、玄関先に繋がれた犬、引き綱をつけられて散歩中の犬、抱かれて微睡んでいる犬、ショーウインドウの中で売れ残った犬を見るくらいで、自由気儘に歩き回る犬には、とんとお目にかかったことがない。

昭和三十年代は野良犬も多かったし、飼犬でも放されて自由に出歩いている犬がたくさんいた。出歩いている犬が多い分、交通事故にあって命を落とした犬もたくさん見たし、猫も路上で無数に落命していたものだ。犬や猫は飼い主でなくても太古の昔からヒトとは懇意だったので、哀れに思って空き地などに葬ってもらっていたようだが、大昔からヒトの宿敵だった鼠などは哀れなもので、次々と自動車に轢かれるうちにペチャンコになったあげく、ついには紙のようにペラペラになり、バリ島の影絵芝居ワヤンクリの革製人形のようになっていたものだ。

自由に外出する犬も猫も鼠も少なくなったせいか、都心で轢死体を拝む事は少なくなった。こんなに激しく自動車が行き交う現代に、かつてのように自由な犬や猫や鼠が繰り出したら都心は死体の山になるような気もするのだがどうだろう。

「ヒトイヌニアウ」に掲載している団子坂下の「クロ」は日中鎖を解かれて自由に散歩しており、かつて愛犬を交通事故で亡くした体験のある私はハラハラドキドキして出歩く姿を見ていたものだ。しかし、賢い犬で横断歩道以外で道路を横断する姿を見たことがなく、青信号で渡るヒトを観察しながら交通ルールを守って散歩を楽しんでいた。もし了見の狭い犬好きがいたら「ほーら、犬の方が賢い、犬は群れ社会を作って生活するから、人間社会にもちゃーんと順応するだけの知恵を持っているのだ」なんて言うかもしれない。だけど、ざーんねんでした。北区田端銀座あたりに出没する賢い猫は横断歩道脇に座って、信号機と信号待ちの歩行者を交互に眺めて待ち、人が渡り始めると立ち上がって横断歩道を渡るのだ。この信号待ちの間クネクネ動く長い尻尾を見ていると楽しい。

思うに、ここまで自動車がひっきりなしに行き交う都心では、犬猫の類いまで横断歩道を渡るしか交通戦争から身を守る術が無いという知恵が、自由な散歩を通じて自然に身についてしまうのではないだろうか。都心で急増しているというドブネズミだって必要に迫られれば子鼠を従えて横断歩道を渡るくらいの知恵は獲得するかもしれないわけで、犬も猫も鼠だって賢くなければ生きて行けないところまで文明社会は行き着いてしまったのかもしれない。

※写真は谷中の夕焼け段々あたりで昼寝中の猫で、轢死体ではありません。為念。

2001年 10月 10日 水曜日
【二つはつらいよ】

映画『男はつらいよ』の主題歌の中に、「顔で笑って心の中じゃ泣いているんだ兄さんは」という部分があるが実際こういう事が可能だろうか。“心の中で泣く”という行為がかなり抽象的なので可能と言えなくもない気がする。逆に“顔で泣いて心の中で大笑い”というのは可能だろうか。“心の中で大笑い”も抽象的なので、有り得ない行為ではない気もするが、出来る人は相当な曲者だろう。

俳優の竹中直人さんは“笑いながら激怒する”という演技が出来るそうで、一度見たいと思っているのだが機会がない。国会議員の土井たか子さんが質疑の中で自民党に対して「はーっはっは! 笑止千万な答弁ですなぁ!」と大声を上げていたが“はーっはっは!”の顔が怒っているように見えたので似ているのかもしれない。体育教師で“笑いながら生徒に焼きを入れる”のが得意な奴がいたし、チャンバラ映画では“笑いながら人を斬る”、西部劇では“笑いながら銃を打ちまくる”などという奴もいるけれど、こういう暴力教師、サムライ、ガンマンは“怒りが快感に昇華しつつある”か単に“蛮行がヨロコビ”である場合もあるので非常にアブナイ。街で暴力教師、サムライ、ガンマンにだけは会いたくないものだ。

俳優でも国会議員でも暴力教師でもサムライでもガンマンでもない普通の人にとって二つの相反する感情を同時に表現するのは難しい。電話の向こうの笑い声の主の顔が笑っていないなどという事はなかなか考えられない。電話で「ありがとうございました」と礼を言うときに会釈してしまうのも心情と動作による表現が不可分であるという誠実な人柄がうかがえて微笑ましい。

激しい雨の降る中、JR山手線新大久保駅から総武線大久保駅まで歩いた。幼い頃過ごした昭和三十年代初頭と変わりない風景を探すとしたらJRのガード下や高架の土台を見ると面白い。敗戦後瓦礫と化したビルの煉瓦を再利用したものもあるらしいし、ペンキで描かれた鉄道ならではの符牒のような文字が旧字体だったりして、ちょっとした文化遺産として記録しておきたい気になる。

四十数年前両親に手を引かれて歩いた商店街を行く。この街はアジア系外国人が多く暮らしていて、行き交う人々の外見は日本人とさして変わらないのだが、聞こえてくる言葉が日本語でないので面食らう。生まれて初めて訪れたソウルの町が日本の町に酷似しているのに看板類がすべてハングルなのでパソコンの“文字化け”を思い出したが、この街を歩くと聞こえて来る声が“文字化け”したみたいだ。

鼠色の雨と世界情勢も影響してか人々の顔に翳りがあるのを感じながら歩いて行くと、商店の軒下で雨宿りしながら虚空に向かって満面の笑顔で会釈を繰り返している女性がいた。“笑いながら会釈する”という至極平凡な行為を、携帯電話片手に路上で演じられると一瞬ギョッとする。壁に向かって演じていれば“ちょっとヘン”な人程度でさして気にならないのだが、虚空に向かってだと“かなりヘン”だ。電波の飛んで行く彼方に念を送っているつもりなのだろうか。

顔をチラと見たら、何と電脳六義園通信所「しりとり掲示板」ご常連の女性イラストレーターだった。
「“かなりヘン”だから、すぐわかったよ」
「あら、そおおぅ?」
「うん、“かなりヘン”、今朝しりとりした?」
「した、した、あれ私よ!」
こんな会話をしながら雨の中を歩く男女も“かなりヘン”ではある。

2001年 10月 9日 火曜日
【海行き山行き】

仕事中に参院予算委員会の中継放送を聞いていたら大橋巨泉議員が小泉総理に、先日訪米した際にスピーチで用いた“show the flag”の意味について質問していた。ま、英語の慣用句を連発しすぎていて帰国後突っ込まれそうだなと思っていたのだけれど。
英語は得意ではないけど「旗幟を鮮明にする」くらいの意味かなと思っていた。改めて辞書を繰ってみると面白い。私たちが日常よく使う言い回し、
「いやぁ、忙しいしさぁ、気乗りもしなくてねぇ、行ったら行ったで厄介なことになるのもイヤだし。ま、ちょっと顔だけ出すよ、んで、すぐに失礼するから」
こんな具合に、会合などに申し訳に顔を出すことも“show the flag”と言うのだ。総理の顔つきと語調と文脈と情勢を鑑みて、個々人の解釈の問題ということになるのかな。

“海の物とも山の物ともつかない”という言い回しがある。将来がどうなるか全く見当のつかないことを言う。将来の見通しが不鮮明というのは人生そのもののことでもある。強い意思と決断によって切り拓ける未来ばかりではない、思い通りにならないことが次々に待ち受けている未来もある。意思と決断で見知らぬ多くの人びとの生命を保全することができることもあれば、不慮の不幸に見舞われた身近な友に何も為す術が無いのも人生だ。

友の病いが重いとの知らせが深夜のメールボックスにひっそりと置かれていた。聞けば8歳も年下だという。人一倍苦労をされたのでゆったりと落ち着きのある素敵な女性で、いつまでも側にいて欲しい友の一人だ。人智を持って救うことのできる命、運を天に任せて祈りで支える命。海行き山行きの人生で人の手のひらの上の命も、神の手のひらの上の命も重さに変わりはない。冷たい雨の降る朝の日記は意味不明かな。悲しい。

2001年 10月 8日 月曜日
【ローズ】

物心付いたときには東京の新宿にいた。父は和菓子職人、母は和菓子職人たちの賄い婦だった。物心付く前には父の実家のある仙台、川崎、そして大森に住んでいたこともあるし、生まれは静岡県清水市だったというが以前のことはほとんど覚えていない。物心は昭和32年頃についたということになる。
その和菓子屋は新大久保から大久保通りを「抜け弁天」方面に進み、新宿伊勢丹方面から来る広い道が交わる交差点あたりにあった。場所柄、若い和菓子職人たちの週末の楽しみは歌舞伎町方面に繰り出し、安い大衆酒場で飲んだり、深夜興業の映画を見たりといったものだったようだ。両親に手を引かれ、ついて歩いた思い出がある。両親はチャンバラが好きだったようで「真吾十番勝負(表記不詳)」とかいうのを何度も見た。併映ものには宍戸錠が出ていたり、バックにフランク永井の曲が流れていたのも覚えているので邦画ファンだったのだろう。

夜更けに目覚めたので自宅でサイトの更新をしていたら臨時ニュースが入り、米軍によるアフガニスタンへの武力行使が始まったという。どっと疲れたので、明け方、恒例の二度寝をしたら不思議な夢を見た。眠りが浅いので映像が鮮明で素晴らしい。故黒沢明は夢で見た光景をスケッチしておいて創作の役に立てたと言うが私の画力では無理だ。夢というのは自分の気づかない心の深層を反映しているようで興味深い。

以下、夢の中へ。
大正から昭和初期に形成されたらしい町並みを、【ローズ】という名の店を探して歩くのだけれど、その町がオンボロで建物は水平垂直の線がないほどに老朽化している。だけどそのオンボロを利用した飲食店も八百屋も銭湯も、活気に溢れて繁盛し、人々は生き生きと楽しそうなのだ。煉瓦を積み上げて作ったけど古くなって波打ってしまった大型倉庫を真っ赤なペンキで塗り【マツモトキヨシ】と大書したドラッグストアなど素晴らしく、「ねぇねぇ、これ最強のマツモトキヨシだよねぇ」などと興奮し、周りにいる総出演の友人たちがニコニコ笑って頷いたり、カメラを構えたりしている。思えば友人というのは自然と趣味嗜好の合う仲間が集まっていくのだなぁと再認識。【ローズ】がどうしても見つからないので、巨大バラック建築の鮨屋に入って尋ねようとしたら、物知りの大旦那はあいにく外出中だという。それにしても安くて新鮮なネタで、うまそうな鮨屋だけど順番待ちの客の行列が尋常じゃないなぁと思って眺めていたら、その一部はトイレへの行列であることに気づき、そうだボクも並ぼうかな……と、いうところでトイレに行きたいことに気づいて目が覚めた。

新宿の町を大久保まで歩いて帰る道すがら、線路脇や路地路地には裸電球をともした屋台もどきの店がたくさん並んでいた。後に大手スーパーになった丸正や三徳なども、今にして思えば戦後の闇市マーケット風だった気がするし、銭湯などは湯船や洗い場が木製で天井に篭った湯気の中で裸電球が灯っているだけの粗末なものだった。人生というのは短い芝居のような気がするし、社会生活というのは一人ひとりが演者となって芸を売るのに似ている。木のリンゴ箱を拾ってきてポンと叩いたらたちまちそこが舞台になるような香具師的な生き方が懐かしく愛おしいし、そういう一所懸命の人々が「それなり」の条件の中で精一杯「それなり」の工夫をして暮らす町は優しい街で住みやすそうに思える。

佳境で尿意を催さなかったら、夢の町は戦後の新宿へと繋がり、やがて思いがけないところで【ローズ】を見つけたのかもしれない。

追記:
朝になって清水で一人暮らしの70歳になる母に電話をしたら滔々と話し出した。
「戦争は嫌だ、もうたくさん。十分に贅沢は味合わせてもらったから、もうあの国とはあまり付き合わないほうがいいよ」
とのこと。戦中派の母親の意見として面白い。

※写真は南新宿のビル。昔と何も変わっていない。

2001年 10月 8日 月曜日
【電脳六義園装丁工房を更新しました!】

2001年 10月 6日 土曜日
【「蒸す」と「ふかす」始末記】

「蒸す」と「ふかす」の使い分けについて何人かの方からメールをもらい、何人かの方からは直接お話を聞いた。

で、思うのは、学者さんの言うように、かつては「東のふかす」「西の蒸す」と言葉の分布が分かれていたとしても、大衆情報伝達手段が普及することによって両者は混合され、ほとんど地域的な傾向の例というのは採集不可能なのではないだろうかということだ。言葉は拡散し、人は流動し、文化は変貌した。芋に関して言えば、九州まで「ふかす」派が優勢であり、「断固蒸す」も同じ人の中に併存し、「蒸し器でふかす」などという両用すらその母語の中に存在している事が確かめられた。母に「蒸す」と「ふかす」の使い分けを尋ねるとほとんど私と同じだし、アドバイスをいただいた方たちが話される「蒸す」と「ふかす」の使い分けの説明には、幼い頃見た調理風景からの連想が色濃くうかがえるのだ。それは我が母のような昭和一桁世代や大正生まれ、戦前・戦中派のご両親、そして祖父母とともに過ごす中で育んだ「暮らしの母語」として、一人ひとりの「原風景として」の使い分けが存在するということなのだろう。

たまたま上京していた母を相手に「蒸す」と「ふかす」の使い分けについて質問すると、調理のときに蒸気がどのように使われていたか、対流していたのか、モウモウと噴出していたのか、火加減はどうだったかなどによって使い分けの根拠が変わる。「その道具は蒸し器だった?ふかし器だった?」と尋ねると「それは蒸籠(せいろ)だった」などという答えが返ってくるわけで、そうなると「ああ、そうだった、暮れの餅つきには、おばあちゃんが竃に薪をくべながらモウモウと湯気を立てて餅米を“ふかして”たっけ」などという思い出話に花が咲いてしまうのだ。

当初、「蒸す」と「ふかす」の使い分けは「暮らしの母語」を育んだ個々の家庭の暮らしぶりにその母胎があると予想していて、それは「静的」な言葉の運用法の調べ方としては正しいと思ったのだけれど、「調理されるもの」「調理する行為」「調理する道具」の組み合わせの主点を変えながら矢継ぎ早に質問すると、「それは蒸す、いや、ちょっと待って、ふかす、そう、それはふかす」などと答えに揺らぎが有り、質問の連続に慣れてくると一つの傾向を持って「蒸す」と「ふかす」を使い分けるようになる。「MUSU」と「FUKASU」の「U・U」の間に「A」を入れた方が前後に続く言葉との関連で、座りが良いか悪いかを判断しているようなのだ。「使い分け」には言葉の「動的」な運用方法も関与しているということなのだろう。

わが家の三人の親たちと話していると、子育ての一大事の一つが、冬の朝の「冷やご飯」をどうするかで、「魔法瓶」を大きくした「ジャー」なるものが登場したときは嬉しかったなどという思い出話に花が咲く。大切に使っているのに突然ボンッ! と中瓶が割れて炊きたてご飯がガラスまみれになってしまい、泣く泣く修理に出したものだ、などという話しも懐かしい。

仕事では、二十代の担当者との付き合いも増えてきたので「蒸す」と「ふかす」の使い分けについて尋ねると、「ふかし芋」なるものを食べた事の無い人が多い。「饅頭」「焼売」は「蒸す」ですか「ふかす」ですかと尋ねると、「チーン」だという。じゃあ、「チーン」は「蒸す」ですか「ふかす」ですかと尋ねると、「チーン」は「チーン」だという。

子どもの頃、「ジャー」という文明がやってくる前は、冬の朝、母親が炊事場で布巾に包んだ冷やご飯を蒸し器で蒸していた。その蒸したご飯の「微かな蒸気臭」が私は嫌いで、ちゃんと新しいご飯を炊けばいいのになぁなどという罰当たりな事を考えながらもそもそと食べていたものだった。「チーン」で済んでしまう時代を生きていると、親たちが体験した苦労が切なく、しみじみと有り難い。

2001年 10月 5日 金曜日
【しづか】

はまボーズ氏よりメールが届き、米・麹・酵母・水の4大原料すべて山形県オリジナル、
・米:出羽燦燦100%使用,精米歩合55%以下の純米吟醸
・酵母:山形酵母を使用
・麹:山形オリジナル麹菌「オリーゼ山形」使用
で醸成された「DEWA33」試飲会の感想が届いた。とはいっても氏は蔵元44社の力作に「感銘、感嘆、感謝」の念で翌日も迎え酒を忘れるほどに陶然とし、言葉を失われたそうなので感想らしい感想は記されていない。

自慢話ともつかない「報告」を読んでいたらぶらりと旅にでも出たくなったが、高齢の親が三人、目を光らせているのでそれもままならない。漂泊の思いを募らせていたら、清水の魚屋さんが週末長野県松本市に出掛けるのでお薦めの店は無いかとメールで問い合わせてきた。ああ、「しづか」にぶらっと飲みにでも行きたいなぁと思ったので紹介しておいた。
その、「しづか」にぶらっと飲みに出かけたのはもう10年も前になってしまった。一生に一度でいいから真っ赤なフルオープンのスポーツカーのオーナーになってみたいなどという話になり、届いたピカピカの新車で中央高速を試運転しているうちに松本まで走ってしまい、一泊して街を飲み歩いてしまった。若かったなぁと思う。

「しづか」は昭和二十年創業の居酒屋。居酒屋チェーン「つぼ八」は北海道で8坪の店舗から身を起こしたことで「つぼ八」という屋号になったそうだが、「しづか」のスタートは4坪から。山好きのご主人とともに松本に移り住んだ広島県出身のシヅさんが初代おかみ。信州大学関係者、学生、新聞記者、そして山仲間などに愛されて敷地面積200坪の現在の場所に移られたのが昭和37年のことだという。「しづか」の屋号は若山牧水の歌“酒はしづかに飲むべかりけり”と初代おかみの名シヅより。
信州大学出身の女性編集者(現在パリ在住)お薦めの店だったのだが、蔵や校舎を利用した店舗は文化財的な価値のあるもの。店の前に立つと一瞬気圧されるけれど、店内のテーブル席に座った瞬間すっかり店に溶け込んでしまった自分に気づく不思議な店。長年大切に使い込まれた松本民芸家具のテーブルや椅子が素晴らしく、大きな店になってしまっても仲居さんたちの素朴な応対が見知らぬ往時もかくあろうと思わせて心地よい。

郷土料理を肴に泥酔するまで飲んだのだが、今でも忘れられないのが葱の焼き物。下仁田葱のような太めのものを開き、串を打って味噌を塗り炭火で焼いてあるのだが、外観は鰻の蒲焼きにそっくり。一種の見立て料理なのかもしれない。味噌の焦げた香りがたまらなく、ぬる燗が飛び切り美味しく感じられる逸品だった。その葱焼きに関しては爆笑ものの余談があるのだけど、インターネットで誰の耳に入るやもしれないので自粛。

二代目おかみの浩子さんも広島県出身、三代目おかみ真貴子さんは地元穂高町出身。

「しづか」
長野県松本市大手4-10-8
TEL:(0263)32-0547
営業時間12時〜23時/昼食12時〜14時/日曜日・祭日定休


2001年 10月 4日 木曜日
【浅い夢】

眠りが浅い時に見る夢は悪夢が多い、それは真理だろうか。

仕事は大概午後6時頃に切り上げることにしている。6時以降にかかってくる電話にろくな用件がないからだ。9時過ぎには就寝し、急ぎの仕事が有るときは夜中に起きて机に向かう。高血圧体質なのか起きざまに即エンジン全開になるので、夜更けの仕事はすこぶる効率がよい。ただ困ったことに、朝日が昇るころになると睡魔が襲ってくる。そんなときはコーヒーでも入れて朝刊に目を通したりするのだが、本当は小一時間ほど睡眠を取るとその日一日体調がよい。

二度目の睡眠というのは、身体が本当に睡眠を欲していないのか眠りがとても浅く、見る夢と来たら夢ともうつつともつかない中途半端な現実味を帯びているので悪夢であることが多い。感覚器もかなり機能しているようで、鳥の声、木々のざわめき、町の喧噪などが夢と一体化して、不思議な現実味を付け加えているように思える。

困るのは、「あれっ? 昔こんな場所、こんな空気感、こんな音に包まれて生きていたことがあったなぁ」と思わせる夢。そう思った途端に急に猛烈な吸引力で過去に時間転移してしまいそうな浮遊感があり、しかも過去に戻ってしまったら決して現在に帰って来れないような予感がして、「このままじゃヤバい!」と思って目が覚めるのだ。もしタイムマシンなどというものがあったら、あんな感じなんじゃないかと思う。

小学校低学年の頃、「鍵っ子(今では死語かなぁ)」で、しかも帰宅後は外へ出てはいけないと言われていたので、窓際で腹這いになって本を読んで過ごした。ついつい、心地よくなって眠ってしまうと同様の夢を見た。で、その夢が恐ろしくて、よく寝ぼけて一人で泣き叫んでいた(らしい)。近所の人が鍵をこじ開け頬を叩いて我に返らせるまで、「終わらない、間に合わない」と泣き叫んでいたという。その時の夢の映像が、後にエッシャーという人の“魚のような胴体を持った飛行機のような物体が無限に連なっているリトグラフ”に酷似していて驚いた。

困り果てた母親が近所の精神科医に私を連れていった。医者は、かなり時間をかけて私に質問し、かなり時間をかけて私は答えた。最後にその聞き上手なオジサンは飲み薬をくれて「一週間この薬を飲み続けたらもう寝ぼけなくなるよ」と言った。単に甘いだけの薬だったけれど確かにそれ以降、寝ぼけて泣き叫ぶ事は無くなった。乳糖など生理作用のない物質でつくった薬、プラシーボ=偽薬だったのかもしれない。

疲れていない、眠くもないのに、うとうととするのは怖くて嫌だなぁと思うのだけれど、年老いて空調のきいた老人ホームのベッドで晩年を迎えることができたら、あの「猛烈な吸引力で過去に時間転移してしまいそうな浮遊感」に勇気を出して身を任せ、向こう側に行ってみるのもいいかなぁと思ったりする。

2001年 10月 3日 水曜日
【印鑑】

地下鉄車内の中吊広告を眺めていたら面白い話題を見つけた。中田さんという人が急に押捺の必要に迫られて、文具店に三文判を買いに行ったら「中田」のハンコが売り切れで、仕方なく「田中」の印を買って上下逆さまに押してごまかしたという、ウケ狙いのお笑い記事なのだけれど、挿入された写真を見る限りまんざら有り得ない話ではないと思えるのだ。

三文判ではなくハンコ屋に注文して誂えた印鑑なら「田中」を逆さまに押しても「中田」と読める前に、あからさまに「田中の逆さま」にしか読めないような意匠的工夫がなされているに違いない。だが、その「田中」のハンコを逆さまに押した「中田」の文字が好きな中田さんがいて、役所で自分の実印として「逆さ田中」を登録することは可能なのだろうか。印鑑の書体というのは印相鑑定に基づくものなのか、一見して判じがたい難解至極な意匠も目にするので、「逆さ田中」でも一向にかまわず登録可能なような気がする。

役所での印鑑登録はまだしも、銀行での口座開設はどうだろう。個人にとって銀行の存在意義というのも何だかよくわからない今日この頃だけれど、相変わらず横柄だったり、妙におせっかいだったり、杓子定規だったりするので、
「お、お客様、お客様のご登録用印鑑なんですけど“田中”様の印鑑とお間違えではないですか?」
「いえ、そう見えるだけで“中田”です」
「いえ、その、もしもの時に田中様のご通帳と取り違えたりということになりましたりして、その」
「だって、口座名義に“中田”って、書いてあるでしょう」

だいたいハンコの意匠にはどのような制約があるのだろう?例えば丸いハンコで全体がサッカーボールになっていてボールの縫い目をよく見ると「中田」と読め、小さく「セリエA」なんて書かれているやつで印鑑登録や口座開設が可能なのだろうか。もしくは、猫好きの中田さんが猫型のハンコを作ったとしたら、
「な、中田様、ご登録希望の印鑑ですがご苗字以外の文字、この場合“中田ニャ”の“ニャ”などが含まれているものはお受けできない決まりになっておりまして」
「それは印相鑑定でその方位の線が必要だといわれて入れて貰った“中田”の文字の意匠の一部です」
「と申されましても私には“ニャ”としか見えないのですが」

10月1日は「印章の日」だったそうで、なぜこの日がハンコの日なのか考えたけれどよくわからない。
ハンコに「世間の目」や「一般常識」や「社会通念」以外の制約があるのかもよくわからない。

2001年 10月 2日 火曜日
【「ヒトイヌニアウ」のコーナーを更新しました】

「平成3年、博多のお寺のお茶室を借りて始まった「宅老所よりあい」。〈託〉ではなくて、あえて〈宅〉を使ったのは、お年寄りを預かるのではなく、自宅のようにこの場を思ってほしいという願いが込められてのことでした。その後、この「宅老所」という言い方は、その在り方とともに急速に老人ケアの世界に広がり、普通名詞になりました。居場所と関係があれば、「ぼけても普通に暮らせる」ことを実践してきたのが「よりあい」です。」(紹介者兼撮影者、川上京さんのメールより)

「ちいさなことならできる」から始めて「ちいさいからこそできる!」ことがあることを具体的に示し、全国津々浦々の「宅老所」を運営する人びとを触発し、勇気づけ、心の支えとなり、「地域の中で老いを慈しむ暮らしの総体を支援すること」を実践して来た先駆者「宅老所よりあい」の愛娘「さん」をご紹介します。

「さん」の写真をクリックしてね

2001年 10月 2日 火曜日
【風猫堂】

2001年 10月 1日 月曜日
【空気を食べる】

朝日新聞日曜版家庭欄に毎週掲載されている、日本料理店「青柳」店主小山裕久さんの連載「日本料理で晩ごはん」が楽しく、毎週目を通すようにしているのだが、読み損ねた週も多く単行本化されたらぜひ購入しておきたいと思っている。

言葉に無駄がなくそれでいて情感も失われておらず、押し付けがましかったり知識をひけらかすようなところもなく、誠実そうな人柄の伝わってくる名文で、毎週読むたびに学ぶべきところが多い。

以前お書きになっていた巻き寿司の作り方を頭の片隅において今回の「太刀魚の棒ずし」(9月30日)を読むなどということをすると、寿司というのは「空気」を調味料として味わいを高めた食品という一つの見方もできる、などいうことがわかって面白い。機械で巻いたかのように過度に圧縮された巻き寿司にも、また、押し寿司とは名ばかりでちっとも圧のかかっていないスカスカの押し寿司にも、共に旨みは醸されないのだ。巻きずし、握り寿司、押し寿司、それぞれの製法と素材に応じた空気の混ぜ方に「空気を味わう」という味覚の秘密はあった。

「空気の混ぜ具合で味が雲泥の差ほどに変化する」ことを知って目から落ちる「鱗」というのは、小学生時代に「♪縞の模様で思い出す♪ 名糖アイスクリーム」のカップの裏に書かれていた蘊蓄を読んで落とし済みだったはずなのに、新聞の紙面を見たらもう1枚「鱗」が剥がれて落ちていた。良く見たらコンタクトレンズだったという冗談は既に呉智英さんが使われているのでやめておこう。それに二十歳代でコンタクトレンズはやめてまん丸メガネにしたので、人造の「鱗」はもうない。落ちたのは空気のように目に見えないほうの「鱗」だ。


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