電脳六義園通信所管理人 石原雅彦の日日抄

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三好春樹主催・生活とリハビリ研究所サイトの管理日誌です。

2001年 10月 31日 火曜日
【恥くらべ】

本を読んでいると「えっ! そ、そうかぁ、そう言われて見ればそうだよなぁ。馬鹿だったなぁ」などと己の無知を恥じ入るような新たな知識を授かることがある。もしかすると、こんなことも知らずにいたのは自分だけかもしれないなぁと思うと恥ずかしい。だが、本を読んで恥ずかしい思いをするというのは有り難いことで、公衆の面前で大恥をかく前に、内省的なプロセスで馬鹿の薄皮をまた一枚剥がせるわけで、言わば目出度いことでもあるのだ。

目出度い事なので、親しい友人に話したくなるのが人情と言うものだ。「ねぇねぇ、こういうの知ってるか?」なとどと切り出すのは付け焼き刃の知識をひけらかす、もしくは刃物を持ったらすぐ人を切ってみたくなるという、あまり感心しない態度というかアブナイ人間のあり方なので、ここは素直に「実は恥ずかしい話、知らなかったことなんだけど…」と素直に話すことにしている。その時友人が、
「なぁんだ、そんなことも知らなかったのーおぅ?」
と来たら、
1 こちらのことを頭のいい奴だと本心思っていたので意外だった。
これはほとんど無いと考えたほうがよいので、以下
2 自分は知っていたのでオレの方が頭いいぜーと図に乗らせた。
3 自分も知らなかったが知ってた振りして優位に立とうとされた。
なんてふうに類推して、
「本当に知ってたのーおぅ?」
などとやりあうことになり実に空しい。馬鹿の馬鹿比べだ。

で、「実は恥ずかしい話、知らなかったことなんだけど…」と相手の話を聞いたら「いや、そんなの恥ずかしくないですよ、実は私なんてもっと恥ずかしい…」と切り返す。これも実は知識のひけらかしに相通じるところが有るのだけれど、妙に謙譲の姿勢があるぶん、微笑ましく、くすぐったくて楽しい。当サイト『はまボーズの脳味噌煮込み饂飩店』にあるのがそれだ(「恥くらべ」参照)。

前置きが長くなったが、五十円で買って来た岩波新書を読んでいたら、久々に「恥くらべ」に出品したいような有り難い恥をかいたので、はまボーズ氏にメールしようと思ったのだが、氏は週末は山中に籠り滝のような雨に打たれて積ん読している書物を音読したり、山に入って崖から上半身を乗り出し日ごろの行いを正す地獄ノゾキの行に勤しまれていると聞くので、こちらに書いておくことにした。

A rolling stone gathers no moss.

訳すと「ローリング・ストーンズはモスバーガー食べない」ではなくて「転石苔を生ぜず」。著者によるとこのことわざ、英国の解釈が正しいとすると、米国では間違った解釈をされることが多いのだそうだ。著者の聞き取りによれば、

If you keep on moving, you will not get rusty.
「いつでも動き、活動していれば、決して錆つくことがない」※1

と解釈する人が多いと言う。わたしも咄嗟に問われて答えればこの解釈に近しいものを想起してしまう。郷里の方言「まめったくしてぇるものには、ええことがある」を思い起こしてしまうのだ。

Concise Oxford Dictionary によれば「正しい解釈」は、
one who constantry changes his place or employment will not grow rich
「ひとつ処に腰を落ち着けず職を転々とするのを常とする者は金持ちになれない」

言われてみれば、まさにその通りと思えるのだが、私は「そうか、そう言われればそうですね」と、米国流解釈から英国流に容易に解釈を修正し得る最後の世代なのではないだろうか。古くなったら買い替えるか表面を繕い、自分に見合った職を求めての転職を良しとする米国流の処世術を取り入れた若者が、石が苔むすことを「好もしいこと」といつまで思えるかは、いささか心もとない。※2

さらに恥を上塗りすれば、小学校入学と同時に、事あるごとに歌わされた君が代。全然意味不明だった。
「きみがよ〜〜〜」なんと馴れ馴れしい言い方だろう。
「ちよに〜やちよに」ばあさんの名前かなぁ。
「さざれいしの〜」砂糖菓子の名前かなぁ。
「いわおと〜」こっちが、じいさんだな。
「こけの〜」あーあ、とうとう苔が生えちゃったよ(苔が生えることを良いとは思っていない)。
小学校低学年ではこの程度にしか聞こえなかった。

石に苔が生じることを良しと解釈する文化が英国に有ることはなかなか楽しい。

※1『ことばと文化』鈴木孝夫著、岩波新書858、1974年4月5日 第4刷 より引用。
※2管理人注
三省堂類語実用辞典にはすでに米国流、英国流の解釈が併記されている。
  ○転石苔を生ぜず(英語のことわざから)
  1 何事も腰を落ち着けてあたらないと、身に付くものがなく大成できない。
  2 常に活動している人は、時代に遅れることがない。

2001年 10月 30日 火曜日
【駿河台】

健康診断の結果、血圧がかなり高いので再検査ということになった。そもそも、今まで病気らしい病気に罹らなかったので、医者というのがあまり得意でなく、目の前にいるのが医者だと思っただけでどどっと頭に血が上ってしまうような傾向があり、再検査が思いやられる。

郷里の先輩から、これを機会に成人病予防を兼ねて毎朝1時間ほどの早足ウォーキングを薦められ、その効果のほどの説明を読んでいるうちにその気になって来たので、実行して見ようと思っている。その初日を早くも諸諸の理由で日延べしてしまったので、東京法務局に会社の登記簿謄本を取りに行かなくてはいけない用事があったのをこれ幸いと、御茶ノ水から歩くことにした。

駿河台を神田古本屋街に向かって歩く。古本物色は本郷と決めているので、この辺を歩くのは何年かぶりだ。右手に、航空会社が地方都市で経営しているシティホテルのような建物ができており、携帯電話片手の若者たちが待ち合わせのためか大勢いる。今にも結婚披露宴を終えて引き出物片手の来賓がぞろぞろ出て来る光景を思い浮かべる。何の建物だろうと近づいてみるとなんと「明治大学」。そうかそうか、そうだった。今から四十年近く前、郷里清水から従兄が明治大学受験のために上京し、北区王子のわが家に宿泊した。試験当日、明治大学まで神田駅から母の書いた地図を片手に小学生の私が道案内してこの場所に来たのだった。当時の高校生はウブで、清水東高の詰め襟と学生帽、小学生にもカチンカチンにかたくなっているのが伝わって来たものだ。母親が、「明治大学はどうだった?」と、聞くので「暗くて、頭がいい人しか入れそうも無かった」と、答えた。「あんたは片親なんだから、頑張って勉強してああいうところに入らないと世間に笑われるよ」と母は付け加えた。当時はそういう時代だったのであり、今はこういう時代だからこういう建物が大学であっても驚くにはあたらないわけである。

靖国通り、通称神田古本屋街にさしかかると人造紅葉を飾りつけた地域イベントの真っ最中。「神田古本祭り」である。あまりの人ごみでウォーキングもままならないので、裏通り(スズラン通り)へ。こちらも三省堂裏手に人ごみができている。やれやれ。聞くとはなしに、つまようじを咥えたオヤジ会社員の声が耳に入った。「チャンちゃんが来るんだってさ、うはは」寒いオヤジギャグは実在するのだ。どうもアグネス・チャンがイベントでやって来るらしく、若い女性司会者が喋りまくっている。

「国民的アイドルとして活躍し、現在は文化人としてご活躍中のアグネス・チャンさんが……」

“文化人”、嫌な言葉だなぁ。本当にそういう“人種”がいるみたいだ。私は“文化人”という“人種”ですと言ってはばからない“自称文化人”が実在するなら南の島にでも集結して独立宣言し、“文化人”以外入国禁止の“文化人国家”でも作って勝手に“文化人ごっこ”でもして暮らしてもらいたいものだ。おお、気味が悪い。

通り過ぎようとすると、先程の“つまようじオヤジ”が、「おおっ、やっぱ奇麗だなぁ、うはは」などと騒ぎ出した。そうしたらどういうわけか、私の足が勝手に爪先立ちし、手が勝手にデジカメに。心の中で勝手に独り言が(おっさん、おっさん、チャンちゃんやないでぇ、アグネス・チャン、中国名で陳美齢、チューゴク語でツェン・メイリンやで)などと呟きながら、早くもシャッターを連射しているのである。大学生時代、私はアグネスの大ファンで、その頃のLPレコードはすべて香港版まで含めて物置に隠し持っているのである。当時の私も、既にたいした大学生では無かったのだろう。

すずらん通りを避けて更に裏道の本屋での収穫。
『日本語の表情』板坂元著、講談社現代新書120
『漢字の過去と未来』藤堂明保著、岩波新書205
『文化人類学への招待』山口昌男著、岩波新書204
山口昌男の本でこの入門書は読んでいないのでパラパラとめくっていたら「はい、山口さん、私はこのように聞きました。」と題して大江健三郎が最終章を書いているので、へぇーと思って購入。奥に持っていったらPowerBookG3のブロンズキーボードを叩いていた若い店主が「4冊でも同じ値段ですよ」というので、あわてて店頭に戻り一冊追加。
『世界の村おこし・町づくり』渡辺明次著、講談社現代新書P600
なんと、一冊50円しめて200円だって。うーん。

2001年 10月 29日 月曜日
【「穴」巡礼…2】

埼玉の「れんこん山」から振り出した人生ゆえか、道を歩いていても穴の中身が気になる。

本郷通り(岩槻街道)を東大方面から駒込駅方向に進み、JR山手線を渡る手前、六義園染井門前から左斜めに入っていく道があるが、その突き当たりが有名な染井墓地。その染井墓地入り口ちょっと手前左側で大きな建物の建築計画があるらしく地面を掘り返していた。藍染川(現在は暗渠)にほど近い日当たりの良い高台なので「出るな」と思ってフェンスの中を覗いたら、案の定遺跡を掘り返していた。

考古学の本を小中学生時代ほんのちょっと読んでみただけなので何も知らないに等しいのだが、発掘の現場を見ているとだいたいどれくらいの年代の物が出土しているのかわかるような「気がする」。かなり浅くて、ぴしっと設計したように溝らしき物があり、丸い穴は太い柱が立てられていた跡のように思えるので、「江戸時代の寺の伽藍」と踏んだが、当たっているかは定かでない。

遺跡は大概、地中から掘り出される物なので、現代の人間はその穴の中を眺めて、過去の出来事を類推することになる。大昔から暮らしやすい場所は決まっているので、郷里静岡県清水市にある天王山遺跡などは、さまざまな時代の人びとの住居跡が折り重なって出土したらしい。縄文時代人の住居跡の上に土砂が堆積し、弥生時代人の住居跡の上に土砂が堆積し、古墳時代人の…というように住居跡・土砂・住居跡・土砂…という具合にサンドイッチ状になっているわけだ。

過去の遺構がどうして地中に埋まったかというと、火山噴火に寄る火山灰の堆積、河川の氾濫等により運ばれて来た土砂の堆積、落ち葉や枯れ木など植物の残骸などの堆積があげられているようなのだが、そうだとすると各時代時代の間に土砂の堆積する長い年月が挟まっていたことになるのだろうか。なんか腑に落ちない。この江戸時代あたりの遺構(私の類推)にしたってどうして地中に埋まったのだろう。地中に埋まるまで人々は次の使用をひかえたのだろうか?

田んぼを潰して宅地化する現場を眺めていると、余所から運んできた土を盛り上げて建築のできる地盤を作っているのだが、自然の作用に寄る土砂の堆積を待てないからだ。だとすると、縄文時代人の住居跡に弥生時代人が盛り土し、弥生時代人の住居跡に古墳時代人が盛り土し、この江戸時代の寺が火事か何かで焼失し忌まわしいので誰かが盛り土したといった具合にサンドイッチが出来て行くのではなかろうか。そんなことを素人考えで勝手にシツコク、シツコク繰り返し考えながら、立入禁止の発掘現場に教育委員会から視察に来たふうを装って入り込み、ただの穴好きはデジカメで撮影してホームページに載せたりしているわけだ。

土地というのは一時的に個人に所有権があるだけで、いずれは国という目に見えない共有物に帰するわけで、遺跡があるとわかっている場所、偶然発見された場所でも、文化財保護のための発掘調査が義務づけられているのは良いことだと思う(建設者が個人でどうしても発掘調査費用が捻出できない場合は国庫の補助が付くらしい)。フェンスをよく見ると「文化財保護のための発掘調査中」と書かれているが、どの時代の何を発掘しているのかの情報ぐらい書いて置いてくれても良さそうに思う。発掘現場にはパワーショベルやベルトコンベアなどが持ち込まれていて危険が伴うので一般人の見学は認められておらず、調査終了後、現地で地域住民への説明会が催されることがあるらしいのだが、その情報も表示されていない。豊島区のサイトに行ってみたが、役に立つ情報は何も無いに等しい。

偶然、穴をのぞき込んだ小学生が人生の方向づけをされるような衝撃を受けたりする可能性だってあるわけで、わかりやすい報告ページくらい行政側で用意して貰いたいものだ。

2001年 10月 28日 日曜日
【「穴」巡礼…1】

のどかな田園地帯に突然二百以上も横穴の空いた岩山が現れたら誰でも驚くのではないだろうか。左右に田んぼが広がる田舎道を走り、川を渡り、目の前に突然この山が見えて来た時、小学生の私は「れ、れんこん!」と、思った。人生の中でも数少ない異様な景観の一つである。埼玉に釣りに出掛け、何度も訪れたこの場所が、いったい地図上のどの場所に有ったのか、気になって調べてみた。

埼玉県比企郡吉見町の吉見百穴(よしみひゃくあな)、出掛けるとすれば関越自動車道もしくは東武東上線の「東松山」が近いようだ。凝灰岩の岩肌にたくさんの穴があいていて、観覧通路には鎖の手摺りが設置されており、岩肌をよじ登り実際に一つひとつの穴に入ってみることができた。小学生だったのでスケール感がおかしいかもしれないが、穴の中はちょっとした小部屋になっており畳一畳ほどの仕切られた場所が有った。釣り好きのおじさんが「何だったと思う?」と聞くので、「原始人が住んでいて、この仕切られたところにお布団を敷いて寝てた」と私は答えた。確かに明治二十年、坪井正五郎博士により調査された当時(写真)はコロボックルの住まいの跡だということになっていたらしい。たとえコロボックルだったとしても「お布団」は敷いて寝ないなぁ。

コロボックル
〔アイヌ語。「コロポックル」とも。蕗(フキ)の下の人の意〕アイヌの伝説で、アイヌよりも以前から北海道に住んでいたとする小人。〔人類学者坪井正五郎がこの伝説を根拠にコロボックルを日本の石器時代人とみる説を唱え、アイヌが日本の石器時代人とする説とコロボックル論争が展開された〕広辞苑第五版より

結局その後の研究で、古墳時代後期横穴式の墓と言うことで落着し、国の史跡として認定されたと聞く。「これは昔の人のお墓なんだよ」と聞かされ、「どうして一人分がこんなに広いの?」「もっとたくさん山が無いとみんなの分のお墓が無いんじゃないの?」と執拗に食い下がったものだ。私は子どもの頃からシツコイ。「そういうことを知るのが好きか?」と聞くので好きだと答えたら一冊の本を買ってくれた。『岩宿の発見』、1949(昭和24)年、群馬県新田郡笠懸村大字阿左美字岩宿で相沢忠洋青年が旧石器時代の遺跡を発見する話しで、実に感動的だった。コウコガクシャになりたいなどと生意気なことを言ったら、登呂遺跡発掘の本や、『考古学の窓』などという小難しい本まで買ってくれたりした。郷里清水市に戻りそのおじさんとは会えなくなったが、私は中学三年間、社会化クラブに在籍して郷土誌年表を書いたり、遺跡の表面採集をしたりして過ごしたりした。

遺跡を回ったりすると映像の記録も必要で、親のカメラを借りて写したりしているうちに写真に夢中になり高校三年間は写真部員、写真の勉強ができる安い学校が見当たらないのでデザインの勉強でもしておくか、ということで教育学部芸術学科に進み、本好きなこともあって装丁専門のデザイナーになったという人生双六。なんだかあの「れんこん山」からサイコロを振り出したような気もする。もう一度「振り出しに戻る」というのは御免蒙りたいが、次が「上がり」というのも、ちょっとシンプル過ぎてつまらないなぁ。

2001年 10月 27日 土曜日
【日本の「本」】

仕事中、聞くともなく国会中継のラジオ放送を付けっぱなしにしていたら小泉総理が「Book」という英語の意味を問われて「本」だと答え、「英語のBookの意味するものは本だけではない」とやりこめられていた。

装丁を仕事にしていると完成した本は必ず一冊寄贈を受けるので、面白そうな本は改めて通読するようにしている。著者と仕事以外の付き合いが多少なりともある場合はなおさらで、お会いしたりすれば新しい本を上梓された事のお祝いぐらい言わなければならないのだが、出来上がった本を読んで「本ができた」という感慨の湧かない「本」があるのが不思議だ。そういう本は大概、様々な雑誌や新聞等に書かれた原稿を寄せ集めて単行本化したもので、本のあちらこちらに隙間風が吹き、国産大豆を使って“こちっ”と仕上げた豆腐みたいな持ち重りのする物質感がなく、要するに「本の力」が感じられない、「本の体裁は取っていても本とは思えない紙束」にしか思えない代物になっていることが多い。こういう紙束も英語では「Book」と呼ぶのだろうか。

「本」を読んでいたら面白い記述を見つけた。

「ところが、イギリスなどでは、こういう寄せ集めの本は本(ブック)とは言わない。T.S.エリオットと言えば、二十世紀イギリス文壇の大立者で、われわれから見れば著書もたくさんある。ところが、イギリス人からは「エリオットは一冊も本を書かなかった」と言われた。エリオットは珍しく日本流の書きためたものを集めて本にすることを一生続けていたのである。」(『日本語の個性』外山滋比古著、中公新書433)

なるほど。だけど、こういう「書き下ろし至上主義」的な見方をされると日本人はつらい。著者は「日本語の特性」から日本人にとっての「書き下ろし至上主義」の困難さを説かれているが、私は物書きの友人を見ていて、余程のベストセラー作家でない限り、書き下ろしのみで食べて行くのは、日本じゃあ無理だよなぁと思う。あちらの雑誌、こちらの新聞に小文を発表し、講演もテープ起こしし、それなりの稿料や講演料をいただきながら名を売り、ファンをつかみ、単行本にまとめてもう一度金を稼ぐくらいのことをしないと「日本語で文章を書いて」ペン一本で身を立てることなど不可能に思えるのだ。

反面、一冊読み終えて感慨深くあとがきから奥付、巻末広告まで読み進めると、初出一覧で様々な雑誌や新聞に掲載された原稿の寄せ集めであることを知って感心させられるような出来栄えの本もある。主張が首尾一貫していて、文体にもしっかりした骨格があるという、著者の力量によるところも大きいのだろうが、私は編集者の力によるところがかなりあるのではないかと思う。

親しくさせていただいている編集者に赤字を入れた原稿の山を見せていただいたが、余程の自信とそれを支える集中力が無ければできることではない。この編集者の手にかかるとどんな文章も●●さん流に料理され、たとえ寄せ集めであっても首尾一貫した体裁をもって文章が立ち現れて来るので面白いし、それもまた一つの才能だと思う。この編集者に揉まれた書き手が「あれはもう●●さんの文章ですよ」などと泣き言を言うのを聞かされたことがあるが、「私は本を書く力がありません」と白状しているに過ぎないので哀れだ。おそらく寄せ集めた原稿に「本の力」を再注入し「本」として再構築する日本の優れた編集者というのは、少なくともイギリスのそれの比ではない優れた資質が求められる職業なのではないだろうか。まさに著者との協同作業なのだが、給与の面でそれに見合った報酬を受けていない事も容易に想像できるので、著者共々お気の毒なことである。

※今夜は家内が留守なので、缶ビールなど片手に書いて見た。写真はお気に入りの恵比寿様。

2001年 10月 26日 金曜日
【進歩と停滞】

わが家に十数年ぶりにやって来た「音響機器」だが、一昔前の製品とは隔世の感があって興味深い。

「こういうのもラジカセっていうの?」
「カセットが付いてないからラジカセとは言わないんじゃないの?」

本体を見ると“MD PORTABLE STEREO SYSTEM”と書かれている。“CD”が製品名から消えているのが面白い。“CD”の消えていく先には“インターネット”があるのかもしれない。CDドライブの防塵ドアに“CD-R/RW PLAYBACK”と書かれているのもパソコン所有が当たり前になった時代を実感させる。

梱包を解いておやっと思ったのだが、直径140mmの白い樹脂製円盤が入っていた。PowerBookやiBookには円盤形のAC電源アダプターが附属しているので“角型機器に不似合いな円盤”には驚きはしないのだが、一瞬何だろうと首をかしげる。円盤の外周にコードが巻き付けてあり、その先が1メートル弱外部に出て先端に小さなコネクターが取り付けられている。なんとAM放送用の外部アンテナなのだ。子どもの頃、ラジオを分解すると黒い棒にニクロム線を巻き付けたものが入っていてどうやらAMアンテナらしい事が分かった。フェライトバーアンテナと言ったかな。AMアンテナというと、そいつを内蔵しているという先入観があったのだ。

だが、考えてみると「ははぁ」と、合点がいった。現在の六義園に面したマンションに自宅と仕事場を移してから、わが家の音響機器ではAM/FM放送が受信不能なのだ。強度の難視聴地域なのでテレビはケーブル視聴になっている。そうか、RC建築の箱に居住する人間が増えたので、従来の内蔵型小型アンテナではAM放送が受信できないケースが多くなっているのかもしれない。早速取り付けて効果のほどを確認。なんと便利な時代になったものかと感心したのだが、“カントウコウシンエツ”を選んでボタンを押すと受信可能な放送局が自動的にプリセット出来てしまう。ほとんどの局が受信可能、受信状態の悪いニッポン放送とラジオ関東も手動で受信可能である事が分かった。たかがこれしきの仕掛けで見事に電波難聴が治癒してしまうのに感心。“AM LOOPアンテナ”というものらしい。台座にスリットが設けられていて、CDケースのスタンドにも使えるというのがおちゃめで笑える。

高機能である分、操作は複雑で取り扱い説明書が無いとどうにもならない。“SHIFT”や“PRGM”なんてキーは私の親たちでは手に負えないに違いない。一番閉口したのは「●●ボタンを押して選択した後“4秒以内にSETボタンを押してください”」という操作。何度も失敗していると心の内壁にギザギザの傷が付いて行くようで健康によくない。老人でもパソコンにチャレンジしてインターネットブラウズできる時代なのだから、どんな電気製品も通信用ルーターのようにコード一本でパソコンに接続し、インターネットブラウザを使ってパソコンから基本設定くらいできるようにならないものかと思う。パソコンに接続して使うファックス兼用プリンタの住所録設定を本体のプチプチ・ボタンでやらされるなんていうこともままあるので、実現への道は険しそうだけれど。

2001年 10月 25日 木曜日
【電気製品の憂鬱】

自宅で音楽CDを聞きたいということになり、シンプルなCDプレイヤーでも買おうかという話になった途端、仕事場のCDラジカセが壊れた。新しいパソコンに買い替えようと話した途端に今使っているパソコンが壊れるという話しをよく聞くが、機械に耳と心があるのかと思うくらいこういうことは起こるものだ。

SONYという会社は、かつてはたとえ高価でもシンプルで洗練された、いわば「大人のデザイン」的な商品をハイエンドに用意しており、これしかないと大枚はたいて買ったラジカセだったのでちょっと悲しい。音楽CDをホールドする小さな円形部品があるのだが、それが見事四等分に割れた。プラスチックの経年疲労だろうか。いくらでもなさそうな修理である分、気が重い。近所で同社の看板を掲げている電気屋の態度が悪く、買い替えを薦めて、それでも修理してくれと言うと露骨に嫌な顔をするのである。電気屋にしてみれば面倒なだけで大した収入にはならないのだろうから、日本中何処でもそんな傾向なのかもしれない。

仕事帰りに電器店に寄ってびっくり。CDラジカセなんていうものは今では1万円もしないのだ。使い捨てを薦められるわけである。しかも、友人の編集者が家庭用ファックスを買う際、宇宙船みたいなギンギラギンのデザインばかりで購入意欲が失せたといっていた通り、CDラジカセもC級SF映画に出てくるこけおどしの宇宙船のようなものばかり。どうやらCDラジカセ自体既に時代遅れで子どものオモチャ化しているらしい。考えてみたら我が家にはもうカセットテープなど無いので確かにそうかもしれない。

もうちょっと大人のデザインのやつがないかと探すと、CD/MDプレイヤーということになるのだが、MDなんて使いそうもないし、「たとえ高価でもシンプルで洗練された」CDだけの小型プレイヤーは無いかと探してみたが見当たらない。仕方がないので比較的シンプルなMD付きのやつを買ってみた。しかし、こんな値段で、こんな高機能で、小さな市場の取り合いをしていて、電機メーカーに利益は出るのかと心配になる。高くても壊れた時、嫌な顔をされずに修理に出せるような保証のついた商品を作って貰えないものだろうか。高齢になった親たちに電気製品を買ってやるたびに、故障したらまた厄介ごとが増えるなぁと気が重くなるのだ。「●●電機シルバー・サポート商品」みたいな「ケア付き」商品群を出してくれたら高くても買う(精神的負担を考えたら安いものに思えるくらい今の世の中はひどい)のになぁと思う。シルバー・サービスが金になるのは福祉分野だけではない。今の時代を生きている高齢者はとてもお金持ちで、しかも安かろう悪かろうの使い捨てに財布の紐を緩めるほど馬鹿では無い。

2001年 10月 24日 水曜日
【Bricolage#102・表紙の言葉】

心許せるのんびりした「ふれあい」での暮らしぶりに寄せて。

インターネットから得られる情報というのは、有料コンテンツを避け、ダイヤルQ2に近づかず、国際電話回線に拉致されなければ、基本的にタダなわけで、タダな分その情報の質というのは、真偽顛倒し玉石混淆す、といったものである事を覚悟しなければならない。本物と偽者が逆転し玉と石とが入り混じっていてもタダなのだからと我慢出来るうちは良いが、それなりの注意深さが見返りに求められるわけで、心許せるのんびりした知識とのつきあい方が恋しくなる。

本郷通り沿いにある出版社の仕事が増えて来て嬉しいのは、帰りがけに古本屋街が歩ける事だ。文庫や新書が好きな者にとって、店頭で二束三文でたたき売られている大量の書物は、知識の宝探し、実地のインターネット探索のようだ。東京大学関係者御用達の古書店が多いせいか、文庫・新書の類いまで内容が若干お堅いのもちょっと嬉しい。

先日の古本ネットブラウズで持ち帰った本。
『日本民謡集―ふるさとの詩と心―』服部龍太郎著・現代教養文庫262・社会思想社
【著者自ら採譜に携わられた方なので解説が生き生きしていて楽しい。昭和34年初版なので、活版による楽譜が美しい】
『日本童謡集』与田準一編・岩波文庫緑93-1・岩波書店
【童謡辞典代わりに購入。金子みすゞの直筆手帳を探し出した人がこの本で初めてみすゞを知ったという曰く付きの本】
『象形文字入門』加藤一周著・中公新書5・中央公論社
【若者の間に象形文字がちょっとしたブームの兆しとも聞くので読んでおきたかった】
『食事の文明論』石毛直道著・中公新書640・中央公論社
【この著者の本は以前読んでいるのだが書名が思い出せず気になったので購入】
『日本語の個性』外山滋比古著・中公新書433・中央公論社
『ことばと文化』鈴木孝夫著・岩波新書858・岩波書店
【「ことば」「日本語」と付く書籍は迷うことなく購入】
『アユの話』宮地伝三郎著・岩波新書G97・岩波書店
【自称鮎釣師範の先輩定年後、いつの日か釣行にご一緒することもあろうかと、こちらも定年後の下準備】

こんな買い物をしても新書は皆一冊100円。すべて合わせてもインターネット接続料より遥かに安いのだ。

2001年 10月 23日 火曜日
【さとがえる】

「へび花火」というヘンな花火がある。墨の粉を固めたというか、黒チョークというか、要するに小さな黒い円柱なのだが、地面に置いて火をつけるとニョロニョロと数十倍の長さの蛇状の燃えカスを噴出する。ただそれだけ。闇の中では見えないわけでニョロニョロを楽しむなら白昼に限るという妙な花火だったのだ。小学校低学年の頃、私たちはよく駄菓子屋で「へび花火」を買った。一袋五円で三つくらい入っていたような気がする。

路地裏の空き地で土を盛り上げドームを作る。考古学的に言えば円墳状のもの、それを二つ作り、しかもその二つの円墳が互いに一部貫入しているので考古学的に言えば前円後円墳、考古学を取っ払って平べったく言えば「お尻」を作るのである。準備が整うとあたりにいる人の呼び込みをする。
「さあさあ、黒いうんこが出るよ。黒いうんこだよ」
あまりの馬鹿馬鹿しさで、私たち自身すでにお腹が痛くなるくらい笑っているのだけれど、
「馬鹿だねぇ」
とか言いながら、こめかみに膏薬を貼って孫をおんぶしたおばあちゃんなどが可笑しそうに寄って来たりしたものだ。余談だが、昔は「おばあちゃんと孫」という取り合わせをよく見かけたものだが、最近の「おばあちゃん」は皆若くて、「少し老けたお母さんと乳児」くらいで「孫」という感じがしないので不思議だ。
で、前円後円墳の谷間、要するに肛門に当たる部分に「へび花火」を置き火をつけると黒いニョロニョロがとぐろを巻きながら出てきて、私たちは
「すっげー、黒いうんこだ黒いうんこだ」
と、大笑いしたものである。

年齢一桁代の子ども時代というのは「うんこ」や「おしっこ」が妙に可笑しくて、他愛もない事でよく笑っていた。女性編集者Mさん夫婦などは、新婚当時互いを「うんこ!」「おしっこ!」などと言ってじゃれ合っているのを見かけたが、つがいになった当初の男女というのは、一時的に幼児がえりする傾向があるのかもしれない。

月一回、文京区水道の凸版印刷本社で出張校正があるのだが、道すがら文京区の掲示板に矢野顕子のコンサートの告知があるのが目についた。矢野顕子ファンというわけでもないのだが、先週パラパラと『週刊アスキー』をめくっていたら進藤晶子と矢野顕子が対談しており、生まれが昭和28年となっていて長いこと自分と同い年だと思っていたのが年上である事が判明し、ホントかなぁと妙に気になっていたのだ。

文京区役所内にシビックホールというのがあり、そこでコンサートをするらしいのだが、題名が「さとがえるコンサート」となっている。おやっ、矢野顕子って文京区出身だったのか、と一瞬思った。「さとがえりコンサート」じゃ素人臭くて、ちょっとひねりが足りないし照れ臭いので「里帰り」を「里帰る」と言い換えたのかなと思ったのだ。だが待てよ、山中のカエルが、孤高を気どって一人ケロケロと唄っていてもつまらないと気づき、里におりて人間様に聞こえる場所で唄うことにした。名付けて「里蛙」。しかも市区町村のホールで「さとがえるコンサート」などという紛らわしいタイトルを掲げれば、地域の住民は矢野顕子が地元出身で「里帰り」してコンサートを開くと勘違いするかもしれない。ひょっとすると、そんなしたたかな計算もあって「さとがえる」などという言葉を編み出したのかもしれないぞ。矢野顕子侮り難し。なにせ「花のニッパチ」だからなぁ。そんな事をニョロニョロと考えながら歩いた。

どうもこういう些細な事をニョロニョロと考えるのが好きで、楽しむ傾向が私にはある。で、それをつまらなくするのがインターネット検索という奴で、「矢野顕子 年齢 出身」などと複合検索をすればすぐ答えは出てしまうし、「矢野顕子 さとがえる」などと検索すればもっとつまらない結末が用意されているかもしれない。「不思議に思ったら即インターネット検索」はやめて、五円で買った花火を創意工夫で数十倍楽しむような「へび花火的ニョロニョロ思考」の方が楽しいとなと最近益々強く感じる。自分の拙い知識の中で弄んでいた方が楽しい不思議も世の中にはあるわけで、言わば「弄考(ろうこう)」かもしれない。

2001年 10月 22日 月曜日
【車窓寸景】

たかだか東京・清水間の短い旅でも、東海道在来線を利用していた当時は時刻表が欠かせなかった。

現在では東京駅新幹線切符売場に行き、自動券売機で「東海道新幹線」「静岡経由草薙」「特急券と乗車券」「座席指定」「喫煙席」「窓際」と連続してボタンを押せば、ひっきりなしに出発する下り列車のいずれかを選択してキップが入手できる。時間帯によっては静岡駅に停車する「ひかり」もあるのだが、今回の帰省ではのんびりと行く「こだま」を選んでみた。

東海道新幹線は「こだま」「ひかり」「のぞみ」と、後者になるほど高速になり停車駅が少なくなる。「こだま」というのは在来線に準えれば鈍行の各駅停車なのである。東海道新幹線は複々線になっていないので各駅ごとに後続車両待ちというのが有り、「ひかり」や「のぞみ」が構内の一部複々線区間を使って「こだま」を追い越して行く。停車時間は五〜六分程度は確実にあるようだ。轟音と凄まじい風圧で「こだま」を揺らして後続車両が通過して行くのを待つ間、停車場の風景をぼんやり眺めているのも楽しい。

東京駅から乗車した二十歳代十名ほどの若者のグループが小田原駅で下車したのだが、ホームを歩く際男同士肩を組んで談笑している。酒を飲んでいた風も無いので「しらふ」で肩を組んでいるようだ。ああ、男同士肩組んで歩くなんて中学生時代以降やったことがない。酔って高歌放吟しながら男同士肩組んでというのはままあるが、「しらふ」で男同士肩組んで歩くなど、女友達の肩や腰に手を回して歩くより照れ臭く難しい気がする(しませんけどね)。なんか眩しく甘酸っぱい光景ではあった。

ホーム売店のおばさんは暇そうで気の毒だ。見ると「大船軒」のものでは無いけれど、「鯵の押し寿司」も売られているようだ。いっそ「こだまワゴン」でも作って押して歩き、通過待ち車両の客に売り歩いたら売れそうな気もするのだが、残念ながら新幹線の窓は開かない。五〜六分も停車時間があればホームに降りての買物も出来そうな気もするのだが新幹線ダイヤは厳しく守られているし、閉まりかかったドアに挟まれたりすると死亡事故に繋がったりするので、ちょっとした危険でも犯したくない気もする。密閉容器に入れられての新幹線の旅は一種の「人間押し寿司パック旅行」のようなものかもしれない。

2001年 10月 21日 日曜日
【一座建立】

酒の席での人との会話で気をつけなくてはいけないことの一つは、自分が話したことを忘れないようにしなくてはいけない事だと思っているのだけれど、それ以上に相手の話を忘れてはいけないと強く自分を戒めている。

最近は酒席でも気になった事柄をメモするようにしているのだが、その習慣はメモしたことすら忘れる年頃になってようやく身について来たものだ。先週末、清水蔵談義に出席した際、「一座建立(いちざこんりゅう)」という言葉を教えていただき、忘れないようにメモした「らしい」のだが、メモ帳を開いてみると「一座建立」の四文字が書かれているだけで肝心の中身が何も書いてない。キーワードさえ書いておけば思い出すだろうという安直な考えで走り書きしたらしく、我ながら情け無い。メーリングリストで、次郎長さんの仁義が得意な県議会議員から教えていただいた言葉として報告したら、どうやら発言者まで間違って記憶していたらしく、同席した魚屋さんから、それは建築家のTさんの発言ではないかとの指摘をいただいた。

広辞苑第五版で調べると、
いちざ‐こんりゅう【一座建立】(‥リフ)
猿楽などで、一座を経営して立ち行かせること。

とあるが、この意では蔵談義の席の文脈に一致しない。
調べてみるとこの言葉、能などの世界で用いられる以外に、茶道の分野でも使われるらしいことが分かり、ようやく合点が行った。Tさんは茶道を嗜まれるのだ。そうかそうか、そこまでわかれば解明まであと一息。茶道の世界で「一座建立」がどのような意味合いで用いられるのかを調べればよいわけだ。
風聞によれば、茶の席に招いた側(亭主)と招かれた側、要するにその場の一座が心を一つにして、その一瞬を共有することを「一座建立」と言うらしい。どうも「一期一会(いちごいちえ)」に似ている。今回の蔵談義はこじんまりしていたせいか皆が車座になって一つの話題に集中する場面もあり、なかなか良い蔵談義だったと私自身は思うので、その点に言及されたのかもしれないなぁと思う。

で、脱線するのが私の悪いクセなのだが、「一座建立」は古舘曹人『句会入門』角川選書などにも登場し、句会の場で参加者が“創作者であると同時に鑑賞者でもある”“良い作者が良い選者を兼ねる”理想的な人と人との有機的繋がりによる“寄合”を表現するのにも用いられるようだ。この意味なら、インターネットという“寄合”での「一座建立」は難しい。その辺までの含蓄を込めたニュアンスでTさんが話されたのかも、と思うと頭が痛い。酒も過ぎると「一座建立」の妨げとなることもあるわけで、良き話し手たる以前に“良き聞き手たるべし”の思いを強くする。「一座建立」「一座建立」「一座建立」、意味もなく三度唱えてみた。

※写真は蔵談義翌朝の清水市立商業高校前。電線の鳥たちはいつも「一座建立」。

2001年 10月 20日 土曜日
【インターネット雑感】

日日抄で何度か取り上げている無料メールマガジン『さすらい通信』発行人の老いぼれ猫さんから、2001年 10月 15日 月曜日【犬猫清話こぼれ話】の一部転載に関する丁寧なメールをいただいた。この事からもわかるように、発行人と読者のメールのやり取りや、読者サイトから発信される情報を、動的に取り込んだ面白いメールマガジンで、発行人の手腕にただただ感心(元手ゼロからプロ編集者への道?)しながら楽しく購読させていただいている。とは言うものの、『さすらい通信』に取り上げていただくばかりでは芸がないので、老いぼれ猫さんとのメールのやり取りをほんの一部だけ事後承諾(^^)で転載させていただくことにする。

◆電脳六義園管理人 インターネットって静的 static に使うか動的 dynamic に使うかで「革命」か否かが別れるわけで、「インターネット村落共同体づくり」みたいなほうがdynamic で「革命」的な気が、サイトやメーリングリストを運営しているとしてくるのが不思議です。グローバルな技術をローカルに活用するみたいな(^^;
 
◆老いぼれ猫 はあ〜〜、まあ考えてみれば、いや考えなくても、こうして各地の、色々な職業・境遇の人と通信しているのはインターネットがなければちょっとあり得なかったことですねえ。
「インターネット村落共同体づくり」言い得て妙ですね(笑)
 

で、このお返事をメールしようと思ったのだが、ちょっと日日抄に書かせていただくことにした。

◆電脳六義園管理人

「匿名で通用する手段を使って」無言で情報を引いて来るのは「静的」、「名乗り合って」情報を交換するのは「動的」だと思うのです。

例えばですね、私が
「【3】が【三つ】あったらいくつになるのかな?」
と書くと、親切な読者がメールをくださるとします。
「【3×3=9】ですから【9】になります」と教えてくれる方、
「【3+3+3=9】ですから【9】です!」という方、またある方は
「【(1+1+1)+(1+1+1)+(1+1+1)=9】ですよ」と、私の知能程度に合わせて「1」の集合で教えてくれたりするわけです。これは極端な例で実際にはそんな質問はしませんが(^^)、
「芋はふかすのかな?蒸すのかな?」
と書くと、
「私は断然ふかす派です(^^)」
というお答えと一緒に、生まれ育った地域のこと、家族のこと、調理道具のこと、身近な友人のことなど、さまざまな例をひきながら「だからふかす派です」と説明してくださるのです。
実は、そのメールを次々に読んで行くと、現代の日本列島では北から南まで蒸し器を保有する人しない人、蒸篭にこだわる人、何でも「チーン(デンシレンジ)」で事足りる人、何でも持ってて使い分ける人、道具と素材と暮らしぶりにより「ふかす」も「蒸す」も混在して活用されていることが見えてきます。「芋は蒸し器でふかし、焼売はレンジでチーン、饅頭は蒸篭を引っ張り出して蒸した」みたいに。
で、インターネットで検索して日本方言地図みたいなサイトを探し、昔の学者さんの研究成果を拝借して「ふかすと蒸すは東西で使い分けられているらしい」なんて書いてるサイトを見つけて「ふかすと蒸すは東日本と西日本で分布が分かれるらしいですよ」なんていう情報をもらうより、「生き物としての言葉がどういう動機づけで地域や個人の中で使い分けられて併存しているか」という個人的な理由を教えていただくほうが楽しいし、別な観点からの正解が見えてくるように思えてきたのです。
で、こういう「冗長な雑味のある」コミュニケーションって都市的文化が排除して来たことの一つのように思えるのです。何年か前、気仙沼の居酒屋で友人と飲んでいたら、店内にいる青年団の若者が、
「東京から来たんだベ」
と言うので、
「どうしてわかったの?」
と聞くと、
「だってポキポキ喋ってるから(^^)」
と答えるのです。意気投合して前後不覚になるまで一緒に飲みましたが、彼等の方言丸出しの会話ってもどかしいようでいて、伝わってくる情報の質が豊潤なのです。単刀直入に要件を伝達するだけなら我々「標準弁族」の方が勝てる気がするのですが。つくづく「標準弁」というのは、効率を重視して作られただけの言葉なんだなと思いました。「冗長な雑味」が無いんです。松岡正剛さんが『情報と文化』という本で、冗長性(リダンダンシー)があるほうが伝わる情報の量・質とも豊であるといった事を書かれていたような気がします。著者の言わんとすることの曲解かもしれませんが「言葉」に関して私はそう思います。
で、ボタン数クリックで見つけたお手軽知識(嘘である場合もある!)をひけらかすより、もどかしいけど豊潤な情報をやり取りするコミュニケーションが都市の中でも簡単に作り出せる事にこそ、私にとってのインターネットの価値はある、「インターネット村落共同体づくり」だなぁと思うわけです。ゆったり、訥々と話す便りの交換は楽しいです。老いぼれ猫さんのメールマガジンのように、私も日日抄を楽しみに育てて行きたいと思っています。我が身を省みて今までのインターネットとの付き合い方に忸怩たるものがあるのもまた事実ですけどね。

なんて、メールを老いぼれ猫さんに流すつもりで書いたら、豊潤かどうかは別にして、もどかしくも冗長な文章になってしまった。私は一人、牧場の片隅で草を反芻しながらぼんやりヨダレを垂らしている牛のような人間なので、やっぱり淡々と日日抄を綴る姿こそ似合っているなぁとつくづく思う。

●引用内容に関する老いぼれ猫さんのコメント:
転載ご許可ありがとうございます。まったく同感です。
図書館に並べられる本になるまでには、出版社による著者の選定・編集者のチェック・新聞雑誌の書評等、色々な段階を経るわけだが、インターネット上の情報・知識となると“ハチャメチャ出鱈目そのままぶちまけ”である。誰が検査するわけでもない。権威ある書物からの引用と称して、実は内容をこっそり改竄(かいざん)していることだってありえる。
批評眼が養われていない子供(や大人)がネット検索で得た知識を真に受けると、とんでもないことにもなりかねないですねえ。(「生徒に課題を出しても、インターネットで検索してそれを引き写してくることが増えたと、アメリカの学校の教師が嘆いている」という例を引かれて※石原注)

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2001年 10月 19日 金曜日
【夢見る佳人】

小中学校音楽室には名作曲家の肖像画が必ずかかっていた。

私の通った静岡県清水市の中学校男子の間では「ベントーベンガ シューマンクッテ バッハバッハ ヘンデルヨ」などという馬鹿な覚え方が流行ったりしていた。女子は、数人で「ねぇ、どの人が好き?」などと容貌の品定めをしていて、バッハやハイドンが好きなどという者はおらず、大抵ベートーベン好きかフォスター好きに分かれていたものだ。

小学生時代…と言いたいところだが、恥を忍んで言えば中学生時代かもしれないのだが、私はフォスター作『夢見る佳人』(Beautiful dreamer)を誤読していて「ゆめみるけいじん」と読んでいた。みんなは「ゆめみるかじん」と正しく読めていたのだろうか?
広辞苑第五版で調べると、
か‐じん【佳人】
美人。
と、実に素っ気なく書かれているだけだ。

講談社現代新書954 『漢字の常識・非常識』加納善光著 を読んでいたら冒頭に面白い記述があった。
「佳」を「けい」と読むのは、「桂」を「けい」と読むことに引かれた「百姓読み」なのだという。「佳」には「けい」という読みなど無いのであり、私の読み方は百姓読みだったわけだ。この誤用は人名に多く見られるらしく、例としてサザン・オールスターズの桑田佳祐(くわた・けいすけ)、シンガー・ソングライター小椋佳(おぐら・けい)が挙げられていた。桑田佳祐や小椋佳の歌に慣れ親しんだ世代は「ゆめみるけいじん」と読む百姓仲間になってくれるかも、とちょっと楽しみだったりするのだが、どうかなぁ。

Beautiful dreamer

Beautiful dreamer, wake unto me,
Starlight and dewdrops are waiting for thee;
Sounds of the rude world heard in the day,
Lull'd by the moonlight have all pass'd a way!
Beautiful dreamer, queen of my song,
List while I woo thee with soft melody;
Gone are the cares of life's busy throng,
Beautiful dreamer, awake unto me!
Beautiful dreamer awake unto me!

Beautiful dreamer, out on the sea
Mermaids are chaunting the wild lorelie;
Over the streamlet vapors are borne,
Waiting to fade at the bright coming morn.
Beautiful dreamer, beam on my heart,
E'en as the morn on the streamlet and sea;
Then will all clouds of sorrow depart,
Beautiful dreamer, awake unto me!
Beautiful dreamer, awake unto me!

(By Stephen Collins Foster)

2001年 10月 18日 木曜日
【たまにはマンガでも描いてみた】

2001年 10月 17日 水曜日
【大船軒謹製鯵の押し寿司】

駅弁というと何故か大船駅で売られていた「鯵の押し寿司」を思い出す。郷里清水と東京の往復はいまだに続いているのだが新幹線だと1時間、在来線乗り継ぎを含めても1時間半程度で着いてしまうので駅弁どころではない。だが東海道線の鈍行や準急を利用していた昭和30年代は駅弁を食べながら旅の気分を味わう余裕があるくらい、のんびりした時代だった。パブロフの犬ではないけれど、列車が大船駅に近付き「大船の観音様(大船駅近くの小高い岡にある上半身だけの巨大観音像)」が見え出すと「鯵の押し寿司」の事で頭が一杯になったものだ。余談だが、子ども時代、大船の観音様の下半身は地中に埋まっていて上半身だけが地上に露出しているのだと本気で思っていた。

静岡県清水市では海の小魚「ひいらぎ」の事を「ぎんだべら」と言う。語源を調べたらどうも「じんだべら」が変形したものらしい。相模湾で獲れる小鯵は「じんだ鯵」と呼ばれるそうで、「じんだ」は「じんだ餅(東北ではずんだ餅)」の「じんだ」であり、東京での小鯵の一般的呼称「豆鯵」とも「豆」がらみで相通じるものがあるようだ。そうか、「じんだ鯵」の有効利用という事で発案されたのかもしれないなぁと思って、創業1898(明治31)年、製造元「大船軒」さんのサイトに行ってみると、かつて「江ノ島近海で湧く(わく)ように獲れた」(大船軒の歴史より)小鯵を三枚におろし、酢で仕込み、片身で一握りの押し寿司にしたものを創業者富岡周蔵が発案し大正二年四月に発売したものだという。

現在は、「鯵の押し寿し」 850円とともに当時と変わらない姿で「特上鯵の押し寿し」 1000円(2001年8月現在)が売られており、私が食べていたのは後者に近かったような気がする。東京・清水間を往復したのは昭和30年から40年の10年間が多く、それ以降は新幹線の旅になってしまったからだ。「大船軒」さんのサイトにあった昭和30年の「鯵の押し寿司」の写真を転載させていただく。

鯵というのは、蛋白質18.7%、脂質6.9%、ビタミンB1・B2含有という栄養面では優等生的な魚だそうで、「特上鯵の押し寿し」は0.604キロカロリーの熱量しかない。ヘルシーだし、思い出深いし、たまには食べたいなぁと思うのだけれど機会がない。2000年10月現在の資料によると、JR大船駅、JR戸塚駅、JR東戸塚駅、JR藤沢駅、JR茅ヶ崎駅、JR鎌倉駅、鎌倉駅(江ノ電)、JR逗子駅、JR川崎駅などで購入可能なのだそうだ。たまにはローカル線で「鯵の押し寿司」でも食べながらの帰省もいいなぁと思うのだけれど、最近の在来線は通勤通学用に扉が多く、中にはボックス席の無い対面座席型の車両もあったりするのでなかなか勇気が湧かない。近ごろの若者は街中でヤンキー座りでコンビニ弁当を食べていたりして驚くが、私の世代は通勤通学客で混み合う車内で一人駅弁を食べるなどというのはちょっと恥ずかしいのだ。東京駅地下や熱海駅などで他社の「鯵の押し寿し」を買って新幹線車内でいただくという手もあるのだが、どうしても「大船の観音様」のお膝元(下半身は無いらしいが)で作られた元祖「鯵の押し寿し」でなくちゃ嫌だと子ども時代の私が心の片隅で駄々を捏ねるのでなかなか実現しない。

2001年 10月 16日 火曜日
お便り紹介【安心院】

大分県出身、福岡在住の高山裕明さんからメールをいただきました。
実は静岡県松崎町が生んだ鏝絵(こてえ)職人、入江長八の話題がメーリング・リストで出た際、大分県にも鏝絵で名高い町があるという話になり、その安心院町(あじむまち)に行かれたとのことで、各種パンフレットとともに撮影した写真をお送りいただいたのでご紹介します。

> > 鏝絵のパンフレット素晴らしいです。個々に芸術品として取り出すより生活空間
> >  の一部として見て初めて価値の生まれそうな逸品群ですが、それらしい紹介もあっ
> >  て好もしいですね。現地に行って見たくなりました(石原)。

(以下高山さんのメールより引用)

これは、今夏、帰省のついでにちょっくら安心院に寄りまして、町役場にて入手したものです。
タダでくれるにしては、チカラが入ったパンフですよね。安心院では観光資源として力を入れているようで、多くの協力家屋にはちゃんとしたサインも設置されていました。
さて、添付の写真ですが、その協力家屋からモレていた某家の外に放置されていた、けったいな逸品です。
サインによる説明がないため、まっこと不思議な図柄なんですが、とりあえずカミナリ様が雲の上から釣をしているようです。(kaminari1
で、ちょいとジャマな壷をどけさせて拝見すると、釣針というより、錨のようなもんで釣ろうとしてるのは、亀か?赤子か?老人か?まったくもってワケ解らぬモンでした。(kaminari2kaminari3
その右上に書かれた「フジタサク」という文字は「藤田・作」という作者のサインでしょうか?あまりにも大胆。(kaminari4.
ちょっと寄り道しただけでもこのありさま。いやー、安心院は侮れません。
もし本格的に丸一日かけて探索した日にゃあ、頭の中は?マークだらけになることウケアイです。
ぜひ一度、「安心院鏝絵探索ツアー」をご計画ください。
ツアコンやりますよ。

(引用終わり)


確かに、錨のようなもので釣り上げられそうになっているものが謎で、顔はお地蔵さんのようでもあるのだけれど、カラダが「クリオネ」みたいにも見える。お地蔵さん風の顔の額に貼られているお札のようなものも不思議だ。有名な故事に因んだものが多いようなのだが、何をもとにしたものなのか謎解きに成功された方はお頼りいただけると嬉しい(^^)


安心院町のホームページはこちら。たくさんの鏝絵が見られます。

私の大好きな鏝絵はこれ。大黒様に散髪して貰う福禄寿。

 


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