電脳六義園通信所管理人 石原雅彦の日日抄

2009/03
2009/02
2009/01
2008/12
2008/11
2008/10
2008/09
2008/08
2008/07
2008/06
2008/05
2008/04
2008/03
2008/02
2008/01
2007/12
2007/11
2007/10
2007/09
2007/08
2007/07
2007/06
2007/05
2007/04
2007/03
2007/02
2007/01
2006/12
2006/11
2006/10
2006/09
2006/08
2006/07
2006/06
2006/05
2006/04
2006/03
2006/02
2006/01
2005/12
2005/11
2005/10
2005/09
2005/08
2005/07
2005/06
2005/05
2005/04
2005/03
2005/02
2005/01
2004/12
2004/11
2004/10
2004/09
2004/08
2004/07
2004/06
2004/05
2004/04
2004/03
2004/02
2004/01
2003/12
2003/11
2003/10
2003/09
2003/08
2003/07
2003/06
2003/05
2003/04
2003/03
2003/02
2003/01
2002/12
2002/11
2002/10
2002/09

2002/08
2002/07
2002/06
2002/05
2002/04
2002/03
2002/02
2002/01
2001/12
2001/11
2001/10
2001/09

2001/08
2001/07
2001/06
2001/05
2001/04
2001/03
2001/02
2001/01
2000/12
2000/11
2000/10
2000/09
2000/08
2000/07
2000/06
2000/05
2000/04
2000/03
2000/02
2000/01
1999/12
1999/11
1999/10
1999/10以前



三好春樹主催・生活とリハビリ研究所サイトの管理日誌です。

2001年 11月 15日 木曜日
【尻の取り合いについて】

しりとり掲示板ベテランの方は、使われている言葉を避けて通ることに熟達されているので「使われてるよ」のど壷にはまらない注意深さを獲得されつつあることと思いますが、混雑時に尻を取り損ねて延々待たされるイライラは避けようがありません。

そこでちょっとした Tips ですが、ブラウザのウインドウを二つしりとり掲示板用としてタイリングして開いておき、上のウインドウにしりとり新規投稿をを書き込み、下のウインドウで「更新」をクリックして尻の所在を確認し、上のウインドウをすかさずクリックして「いう」をクリックすると、他の方とのバッティングが避けられます。

それでも尻を取り損ねた場合は、尻取り合うも多少の縁と諦めましょう。しりとり掲示板に関するお知らせでした。

2001年 11月 15日 木曜日
【寝言】

しりとり掲示板の発言数が5000に近づいている。ほんの僅かな言葉の交換から得るものは、想像していたより遥かに多くて楽しい。

まず発言者の特定というのは誰でもしたくなるようで、書き手の文法の癖や語調、内容の傾向などから類推して、「あれ、もしかして○○さんの書き込みですか?」などと電話で聞かれることもある。特定ができると発言の積み重ねで、その人の実体が朧げに見えて来るのも楽しいし、短信の交換も可能になる。また、とんだ思い違いで複数人の発言を同一人物と思いこんだり、全くの人違いをしていることもあるようだ。

私は犬の寝言を聞くのが好きで、いったい何の夢を見てムニョムニョ言っているのかなぁと想像してほのぼのとした気分を味わうのだが、果たして猫も寝言を言うのかしらと気になって質問してみた。


------------------------------------------------------------------------
3860「ねこねこねこね」
11月14日09時16分
疑問:犬の寝言は聞いたことあるけど、猫も寝言を言うのかなぁ?
------------------------------------------------------------------------

すると、すかさず返信が。

------------------------------------------------------------------------
3862「ねこのねごと」
11月14日09時42分
??草: 犬の寝言も聞いたことないです。ウサギも!(^^) おはよう!!(^^)
------------------------------------------------------------------------

あらら、この人は犬を飼った経験があるのに寝言を聞いたことがないのかしらと過去ログ「大限界」を調べてみる。

------------------------------------------------------------------------
3667「しぇぱーど」
11月08日14時20分
考犬草: 母が飼っています、3頭も(^^;;。 DogFood以外に野菜も食べます(^^)。 
------------------------------------------------------------------------
3668「どーべるまんまみー」
11月08日14時26分
懐犬草: こどもの頃、“マミー”というドーベルマンもいたな〜(^^)。
------------------------------------------------------------------------

おっと、シェパードやドーベルマンなら、座敷犬にしている可能性は低いので、さもありなんと納得。

続いて猫派の友人から書き込みが。

------------------------------------------------------------------------
3866「りっぱなねごと」
11月14日11時01分
猫の寝言坊:小声の鼻声みたいなやつ,あれはきっと寝言です。猫語だからもちろん意味不明。
------------------------------------------------------------------------

3867「ときには」
11月14日11時05分
猫の寝言-2:時には爆睡中に突然,「ニャッ!」と叫んで,目を覚ましたりもします。
------------------------------------------------------------------------

やっぱり猫も寝言を言うのだ。「小声の鼻声みたいなやつ」というというのが非常に合点がいくので楽しい。犬というのはワンワンと吠えるのではなく口を閉じたままホッペタを膨らまして「Voff」みたいな音を発することもあるのだが、これは寝言で良く聞く。また口を閉じたままの遠吠えのような奴、そして鼻声みたいなのも耳にすることが多い。眼球がまぶたの裏でクルクル動き、時折足がピクッと動く寝姿を見ているとたまらなく可愛い。おそらくおしっこを失敗して私に折檻された小犬時代を思い出しているのかななどと想像したものだ。

「聞いたことないです。ウサギも!」という部分が気になり、こんな時こそ役に立つインターネット検索世論調査。「ウサギ 寝言」で検索すると、あるある!「ウサギの寝言」。さっそくクリックすると驚いたことにウサギというのはウサギ語ではなく、人間の言葉で寝言を言うらしい。こっちもクリックしてみようと次の情報にあたると、そちらでも人間語を話している。げげげっ。良く読むとプレイステーションのソフト「いつでもいっしょ」にウサギが登場し寝言を言うらしいのだ。やれやれ。

気を取り直して「うさぎ 寝言」で検索すると、某掲示板にお目当ての発言を発見。それによると、夜中に突然「ムキュッ!」と寝言を言うのでビックリするそうだ。動物の寝言の録音による採集はたやすそうなので癒し系CDにでもしたら売れないだろうか?ハムスターの寝言なども愛らしいに違いない。象や河馬の寝言も入っていてもいいけれど、人間、しかも女性のは勘弁してもらいたい。

2001年 11月 14日 水曜日
【火取虫の街】

夜、明かりを求めて街灯に集まる灯蛾、又の名を火取虫(ひとりむし)。火取虫の洒落ではないけれど、人間ひとりぼっちが辛いことも多く、インターネットという集蛾灯に群れたりする。そうすると思いがけない出会いが待っていることもあり、郷里清水市、出身中学の先輩に横浜で開かれている現代美術展のチケットを貰っちゃったりするわけだ。
で、黄昏の桜木町に繰り出すと、そこには又インターネットで思いがけず知り合った中学・高校で一学年後輩だった海上保安庁勤務の友人がいたりして、携帯電話で連絡を取り合いながら夜の巷を飲み歩いたりできてしまうわけだ。

夜、しかも週末の横浜中華街を歩くなどというのは初めてなので、その人出の多さに驚く。こちらもさながら集蛾灯に群れる火取虫のようだ。地元の利もあってか、網目のような中華街路地裏を人ごみを避けながら案内する友人は、さながらイエロー・キャブの擦れっ枯らし運転手のようで小気味良い。

うんざりするほどの行列ができている店があるかと思えば、隣の店には客がいなかったりする。インターネットが普及して「人気の店・噂の店」の捏造はさらに容易になったのだろう。どうしてここが、と昔の事情に通じている友人が苦笑するような店に、「情報の集蛾灯」が火取虫を行列させるのだ。

集蛾灯に行列していたら夜がもったいないので客がいなくて御茶を挽いている店に入る。退屈して一人遊びしていた店の幼児が早速友人に話しかける。この髭の海上保安官は子どもから老人まで人の扱いが巧く、野毛名物大道芸のジャグラーのようだ。女性の扱いは更に巧いのだそうだが、真偽のほどは未確認。ボーリングのピンと一緒にバド・ガールを三人ほど見つくろって空中でジャグルするくらい彼なら出来てしまいそうな気もするので想像すると可笑しい。

髭の食通風、職業不祥の大男、年齢不詳の妙な女の三人連れが馬鹿話をしながらガバガバ飲み食いしている姿というのは客集めの良い集蛾灯になる。一組、そしてまた一組と、行列待ちに愛想を尽かしてガラス越しに店内をのぞき込んだ客が、ほどほどの混み具合の店で妥協して舞い込んで来る。

「やいやい、おらっちは福の神だなぁ」

と、髭の海上保安官が笑う。インターネットの擦れっ枯らし三人組に実地の世界の火取虫集めなんてお手の物なのだ。

野毛の町を飲み歩いたところで解散。人間の火取虫は、街灯の下にボトリと落ちて息絶えるわけにもいかないので、深夜京浜急行車中の人となる。

2001年 11月 13日 火曜日
【現代美術の「今」】

雨の降る土曜日、メーリングリストで知り合いになった友人から招待券をいただいたので横浜トリエンナーレ2001を見に出掛けた。「現代」の「美術」を見に行くのは四半世紀ぶりだ。

学生時代は、東京都美術館の開館があったこともあり、大きな「現代美術」のイベントが多かった。当時から私は「現代」と名の付く「芸術」の「展覧会」を見に行くのが好きではない。ただ、今回は米国での事件による極めて二十世紀的なものの終焉を見た直後なので少し楽しみに出掛けて行った。来年発表される「作品」が楽しみなのだが、今年は私の「見る目の変容」を確認したい思いもあった。

雨降りにもかかわらず、最終日前日の土曜日ということもあってか会場は大混雑。平日の様子はわからないが、この好況ぶりだと関係者としては大成功、「一般人の現代美術への興味の高まりに手応えを感じた」、という結果になるのだろうか。

なるほどなるほど、と急ぎ足で会場を歩く。四半世紀前に比べると、仕掛けは大がかりになり、コンセプトは矮小化したな、というのが表向きの印象。なまじ贅沢な分、貧しさが際だつ。当時と通底して「心の底に言葉にし難いわだかまり」が残るのが面白い。

会場を出たら、妻が世界一?の大観覧車に載ってみたいというので煙雨空中の人となる。「心の底に言葉にし難いわだかまり」の正体が何なのか考え続けていたら、前日購入して一気に読み終えたブルーノ・タウト Bruno Taut 著『日本美の再発見』で、著者のお気に入りだったのか何度も何度も繰り返されるキーワードが思い浮かんだ。「いかもの」、漢字で書くと「如何物」、ドイツ語で「キッチュ Kitsch」。

熱心なクリスチャンが「ジーザスが教会にいるわけではない」、真摯な神道者が「神社に神が宿るわけではない」、道を極めた仏教者が「仏陀が寺に住んでいるわけではない」と考えるのと同じように、「芸術」は永遠に不滅で大切なものだが「芸術作品」自体の中に宿るものではなく、作品は世界を手掴みするための手がかりに過ぎない。そしてその「手がかり」は、自らを「アーティスト」などと名乗ったりする者達の手から、そして「展覧会」などという文化の囲い込みを企てる者たちの思惑を離れ、生活世界の巷に分散し路地裏の様な場所にさえ偏在するようになった。それこそ「現代」の「芸術」の「現在の姿」のように思えてならないのだ。それは四半世紀前から何ら変わらない思いだ。「芸術」は「ある」、だが「ここ」には「ない」、それでは「ここ」に「ある」「もの」は何か?、それは「いか・もの」だ。

四半世紀前の「現代美術」は、偶像崇拝禁止の戒律に殉じて仏教寺院遺跡の石仏を打ち壊すようなパワーの残り火だけは感じられたが、四半世紀後の「現代美術」は再び「偶像崇拝」の復興を企てているようにしか見えなかった。偶像というのは「いかもの」であることが多いのだ。

2001年 11月 12日 月曜日
土曜日の朝、突然メインマシンのHardDiskが故障したため土日の日日抄は追って掲載いたします。

【タウトの見た日本・「海豚」と「河豚」】

以下、世話人をつとめる「清水っ子のためのメーリングリスト・オダマメ通信」に、私が投稿したものを一部転載。

 

やいやい2号@いるかを干した少年(※注:魚初商店の中田さん)もいるかに関してずいぶん調べたと以前うかがいましたが、「いるか」を食べる・食べていたらしい地域というのはどの程度把握されているのでしょうか?
僕の場合(気紛れ標準弁)物心付いた頃から食卓に「いるかの味噌煮」があり、酒心が付いてからは「いるかのたれ」が欠かせなくなりました。で、静岡で「いるか」を食べるのは当然のこととして、あと「いるか」が食用として売られているのを見た経験は神奈川県鶴見区のスーパーで小学生の頃見た以外にはありません。

はて、「いるか」を食べる地域は他に無いのかなぁと思っていたら思いがけないところで「いるか」に関する記述を見つけました。

今は昔、ブルーノ・タウトという建築家が日本に亡命していました。
森さんや@神田町さん(※注:オダマメ通信参加者の一級建築士)の方が詳しいと思うので簡単に広辞苑から引用。

タウト【Bruno Taut】
ドイツの建築家。表現主義建築の先導者の一人。ベルリンの集合住宅を設計。1933年に来日、仙台・高崎で工芸を指導。トルコ政府の招聘でトルコへ赴き、その地で没。著「ニッポン」「日本文化私観」「日本美の再発見」など。(1880〜1938):広辞苑第五版より

ナチスによる思想弾圧を避けてシベリア経由で日本に亡命し、在日中桂離宮、伊勢神宮、飛騨白川村の合掌集落など、あまり評価されていなかった建築物に「最大の単純の中の芸術」を見いだし日本の美を再発見した人と評価されています。

雨の東大前を歩いていたら古本屋にこの人の『日本美の再発見』という本が売られていたので買って読んで見ました。半分くらいは在日中日本各地を旅した日記なのですがこれが面白い。1933年頃ですから空襲で99.5%が灰になる前の富山の町の様子も描かれています。
日本海側を旅して秋田に行くのですが、この途中、横手の市場の記述になんと「いるか」の名前が出て来ます。短いので転載します。

「この辺の魚類は、東京や京都のとはまるで違っていて、いずれも北国的である。塩漬けにした赤い大烏賊、大きな腹をした海豚(いるか)、小さな鮫(一尾の大きさが1メートル半もあって、値段はたった三十銭だという。つまりこの魚は、それほど蔑視されているのだ)、それから食用になる海草類など。」
(『日本美の再発見』ブルーノ・タウト著、篠田英雄訳 岩波新書R10)

たったこれだけの記述ですが、読めば読むほど謎が浮かんで来ます。
この人、大変なインテリでドイツでは大学教授でしたから日本の大学教授みたいに「いるか」と「はたはた」を間違えるような河馬ではないです。

まず最初の謎はタウトが「いるかが食用に売られている」ことに驚いていないこと。このひと、この前後の日記でも大変口うるさく、見慣れない日本の風物に接する度に文句が多く、おいおい文化理解を標榜する人がうるさすぎるよ、と感じることもあるわけで、「えーっ、日本人はいるかなんて食べるのか!」と書いてもおかしくないのに平然としています。さらに、僕は(またまた標準弁)「いるか」というと静岡や「わんぱくフリッパー」に出て来た暖かい海を想像するのですが、タウトはいるかを含めて「いずれも北国的である」と言っているのです。実はこの日記の中で日本海側を旅する時、その海が故郷ドイツのバルト海に面した街に酷似していると何度も喜んでいるのです。きっとバルト海に面したドイツでは「いるか」を食用にすることがあった、で、故国に似た地域で故国で見た「いるか」が売られていたので「北国的である」と書いたのではないかと思うのです。はて、ドイツ郷土料理に「いるか料理」があり、ブルーノ・タウトは「いるか」を食べたことがあったのか?

二番目の謎は、「大きな腹をした海豚(いるか)」という記述です。なぜ「大きな腹をした」と限定されているのでしょう。母は伊豆の土肥で生まれましたので安良里(あらり:いるか漁で名高い西伊豆の漁港)で「いるか」の追い込み漁を何度も見ており、子どもをお腹に抱えた「いるか」もずいぶん取れたそうです。
金子みすゞの本の仕事をしている家内はみすゞの故郷を尋ね、地元の人に捕鯨で獲れた鯨の胎児を祭った青海島の墓に案内されたそうです。胎児が出て来ると戒名を付けて墓に葬ったのだそうです。片や、「いるか」の方はすべて食べてしまったと母は言います。「大きな腹をした海豚(いるか)」というのはどう考えても子持ちの「いるか」としか思えず、そんな細部を知っているというのはやはりタウトに「いるか体験」があったとしか思えないのです。

※以上、オダマメ通信より

実は、この話には第三の謎、というか可能性がある。タウトはこの日記をドイツ語で書いていたと思われるのだが、原文で「海豚(いるか)」は何と書かれていたのだろうか? タウトが目にし、日記に綴ったのは、実は「河豚(ふぐ)」であった可能性も捨てがたい。すなわち、翻訳の篠田英雄氏が「河豚(ふぐ)」を「海豚(いるか)」と誤表記した、もしくは活版組をされた職人さんが「河豚」を「海豚」と誤植したというものだ。その場合、何故「いるか」とルビまで打たれているのかということになるのだが、初版が1939年6月28日とあるのだが、この時代に打たれたルビであるのかが疑わしい。後の増刷・増補・改訂時に「海豚」という誤植に「いるか」と編集者がルビを打ったのではないかと考えることもできるのだ。

現在、市販されている版を確認すること(私のは古書店で求めたので1984年2月の第40刷)、タウトの日記は全三巻で別途出版されたということなので入手可能ならそちらにあたる、それでも解明できない場合は岩波書店に問い合わせるという順番で確認してみたいと思う。

日本を後にトルコへ向かわれ、間お置かずに亡くなられたタウト氏の身に起こったことも気になるが、雪の秋田県横手市で、子どもたちの作るカマクラを見て感動した氏が、市場で目にしたものは「海豚」だったのか「河豚」だったのか、何としても知りたい。

2001年 11月 9日 金曜日
【虹・国語と算数】

学生時代浅草で家庭教師をしていたのだが、その小学四年坊主がべらぼうに算数ができる。数学が苦手の私には好都合だったのだが、私立中学受験用問題集などになると、私の方が舌をまくことも多かった。

小学生時代の私は、算数は嫌いだったけれど国語は大好き。教科書は貰ったその日にすべて読んでしまうという癖は高校を卒業するまで消えなかった。反面数学嫌いは益々強まり、高校になると数学の教科書は見るのも嫌で、授業中英語の教科書を読んでいるのを教師に見つかり、「お前は数学はいらないのか?」と聞くので「はい」と答えると、次の学期に教頭が教える落ちこぼれ防止用の基礎数学クラスに回された。おかげで私は数IIBもろくに勉強していない。大学は受験科目に数学の無い国立を探したので数学嫌いを通して社会人になってしまった。

浅草の小学四年坊主は私と正反対で、国語がからきしできない。算数嫌いで通した私でも、国語嫌いで通すのは無理だということがわかる。少し高度な問題になると、この坊主、設問自体の読解ができないのだ。こいつを何とかしなくてはダメだなぁと思い続けていたので、家庭教師の期間を終える時、好きな作家、読んで楽しかった作家はいないかと聞くと、星新一の名前が出て来た。その当時の国語教科書に載っていたのかもしれない。星新一の本はほとんど持っていたのですべて最後の日に持って行ってお別れの記念にプレゼントした。ともかく読むことの楽しさを知ることで国語力は自然について来るものだ。

日記や掲示板で光学への興味を書き散らしていたら、脱サラ前に勤めていた電機メーカーの先輩が『光学の知識』という本をプレゼントしてくれた。意気込んで読み始めるのだが数式が出て来るともういけない。読む気がしないし頭が痛くなる。数式の出て来ない光学に関する本に浮気してみるのだが、そちらの方は何とも濁った水の中を掻き回しているようで、読んでも読んでも私の知りたい知識の泉が沸きそうな気がしないのだ。やはり数式抜きで語り尽くせない論理というのもあるのだろう。だが「数式を読むことの楽しさを知ることで数学力は自然について来るものだよ」などと言ってくれる“やさしい”家庭教師のお兄さんはいないので、光学の勉強は遅々として進まない。

そんな『光学の知識』を拾い読みしていたら目を見張るような記述が有ったので抜粋してみる。
第五章第一節第一項
「夏の日晴天にわかに溟濛となり、驟雨沛然として到り、電光閃々として空中を※裂き、爆々として眼を眩ました後、暗雲一過空霽れ渡り天色蒼々たる頃しばしば丹虹の懸かるのを見る。杳然として雨後の天に懸かる七色の麗虹は古より詩に歌われ文題に上った。」(『光学の知識』山田幸五郎著、東京電機大学出版局)※は旧字「制+手」

すごい! 数式を並べて「爆々として眼を眩まし」た後に、こんな文章で次の章を語り出せるのだ。山田幸五郎氏は明治二十二年生まれだとあるが、この時代の学者さんというのは凄い。算数だけじゃなく国語だってできなくては一流の学者とは言えないのかもしれない。

蛇足:
1:浅草の小学四年坊主は、昔の浅草の話を私に聞かせるのが好きだった。家庭教師初日、初めて会った日だが、浅草寺境内でほおずき市が開かれているので送りがてら案内してくれるという。さっと手を繋いで案内してくれた小さな手が忘れられない。海ほおずきの鳴らし方を教えてくれたのもこの坊主。年からいって、清水・魚初商店の若旦那と同じくらいになっているはずなので、こんど魚初に手を引いて次郎長通りを案内して貰おう。
2:私を落ちこぼれクラスに送った数学教師は「五目並べ」で天下無敵と自慢していたので、修学旅行の宿でこてんぱんに負かしてやったら発熱して寝込み、級友にお前のせいだと、喜ばれた。見せしめに名前を晒して置こうと思ったのだが思い出せない。顔は覚えているのだけれど、つまらない顔だ。

※写真は偏光板と偏光フィルタを組み合わせて作ったCDケースの虹。

2001年 11月 8日 木曜日
【望遠で虹を見る】

昨日の日日抄に関して、静岡県清水市「T設計室一級建築士事務所」谷川薫さんからお便りをいただいた。

||日記楽しく読んでおります。
||魚眼といえば
||おもしろい話しが
||
||お茶の湯合いです。(湯加減ですね)
||料理は塩加減・お茶は湯加減です。
||
||湯の温度を表現するのに釜の音と
||湯が沸いてきてぶくぶくという
||あぶくの大きさで温度を表現します。
||おもしろいでしょう。
||最初は
||蚯音(キュウオン)ミミズの泣く音
||蟹眼(カイガン)蟹の目ほどのあぶく
||魚眼(ギョガン)魚の目ほどのあぶく
||松風(ショウフウ)釜の下に鉄の板が張ってあり
||シュウーと音がします。これを松の風切る音に見立て松風といいます。

T設計室一級建築士事務所のホームページ
http://www2.wbs.ne.jp/~tsekkei

谷川さんは一級建築士であると同時に茶道も嗜まれ、時折面白いお話を聞かせていただけるので有り難い。蚯音(キュウオン)、蟹眼(カイガン)、魚眼(ギョガン)、松風(ショウフウ)、どの言葉をとっても深い味わいが有って感心させられる。華道もいいけれど茶道には夙に心引かれるものがあったのでしみじみと興味深い。

茶道から突如下世話な連想に逸脱していく。私のいつものクセだ。

毎朝の食事は私が担当しているので、たいてい寝ぼけ眼で雪平にたっぷりのお湯を沸かすことから料理が始まる。キューッと微かな音がして蟹の目ほどのあぶくが、やがて魚の目ほどになり、CDプレイヤーのピックアップレンズほどになると、ブクブクと沸騰してくる。そう、あぶくのようにレンズが球面であるおかげで写真などという便利なものが発明され、さらに非球面レンズを安価に大量生産できるようになったため、CDプレイヤーのピックアップレンズなどという超精密なものから使い捨てカメラまで高性能なものが容易に手に入るようになった。

そもそもレンズというものには「五大収差」なるものがあり、シャープな画像を得るために、レンズを設計する人たちは、膨大な計算式の紙束に埋もれて格闘していたのだという。コンピューターなどというとてつもない計算機が発明される以前の話しだ。

前回の魚眼レンズに引き続き、姉妹品でコンパクトな望遠アダプターがあるので使ってみた。安価であるとはいえ、ガラスモールド(鋳型に溶かしたガラスを流し込む製法)による非球面レンズなどもある時代なので、昔ながらの望遠アダプターをしのぐ性能を期待してみた。焦点距離100mm(35mm判換算)を合成焦点距離200mmにするのだが写してみてびっくり。これはヒドイ。レンズ収差を勉強する良い教材と思うことにしたが、本音を言えば「バカヤロー、金返せ〜!」と、いったところだ。これほど凄まじい収差のあるレンズをよくぞ販売したものだと思う。鏡胴はアルミ製だし、レンズは2群2枚なので組立ミスの不良品だとは考えにくい。日本製品は安かろう悪かろうの時代に再び帰りつつあるのかもしれない。

最初の写真が全体像。その中の赤枠部分を拡大したのが次の画像だ。見事に街路樹や停車中の自動車が虹状のオーラを放っている。これは「倍率色収差」というものだと思う。

このようなことをブツブツと日日抄に綴っていると、有り難いもので、会社員時代の先輩や仕事でお世話になっているMacintoshの達人などから、光学に関する書籍をいただき、もっと勉強しろと発破をかけられているので、それらの書籍を見ながらおさらいのつもりで作図してみた。

光というものは色毎に結像する焦点距離が異なるため、この収差を補正しきれていないレンズはこのように虹の万華鏡を描いてしまうのだ。こんなに見事に「倍率色収差」を観察できるレンズも珍しく、ある意味では貴重品かもしれない……というのはウソ。本当にこれはヒドイ。輸出などして日本製品の名を汚して欲しくないものである。

2001年 11月 7日 水曜日
【魚の眼と遊ぶ】

写真用レンズに「魚眼レンズ」というのがある。

ぎょがん-レンズ【魚眼―】
写角が一八◯度以上で、半円周視界を写せるように設計された特殊レンズ。魚が水を通して外を見るとき、広い視界を見ることができるはずだということからこの名がある。全天レンズ。
(三省堂『大辞林』より)

上記解説に「全天レンズ」とあるように、写る画像はプラネタリウムの夜空のように円形になる。「等距離射影方式」と呼ばれ「激しく歪んでいる」ように見えるが、これはこれで極めて正直な世界の見え方なのであり、その性質を利用して天体の天頂角測定や、雲量の測定に用いる目的で観測用として開発されたレンズなのだ。で、この円形の画像を内接する四角形(35mmカメラなら24mm×36mm)で切り取ったレンズが、私たちに馴染み深い「対角線魚眼レンズ(対角線方向のみ写角が一八◯度以上)」なのである。

魚の眼でなくとも、「眼球」を持つ生物が水中で水面間近で仰向けになり水上の風景を眺めたら同様に見えるはずなのだが、私は泳ぎが得意でなく、ましてや水中で目を見開くなどという洒落たことはできないので試していない。鼻に水がはいったら苦しいし…。

実は、この魚眼レンズの「歪み(私は歪みと呼ぶのに抵抗が有る:後述)」を除去する裏技があるのだが、極めて高価で趣味性が高いレンズなうえ、裏技にはちょっと手間がかかるのでそちらも試せずにいた。
裏技というのは、魚眼レンズで撮影したフィルムを、魚眼レンズを装着した引き伸ばし機で印画紙に焼きつけるということ。画像に「歪み」を生じたレンズに、再度逆方向から画像を通してやれば「歪み」は除去されるという、考えてみれば「そりゃそうだわな」的な発想なのだ。これを高校生時代雑誌の片隅で読み、即実験してみたかったのだが、上記の理由で試せなかったのである。
デジカメ用のカメラ前面に取り付ける魚眼撮影用アダプターが数千円で売られているのを知り、早速実験してみた。30年振りの「デジタル暗室」である。

銀座で撮影した元画像。四隅が黒く潰れているのは「けられ」というやつ。デジカメの元レンズの焦点距離を少し望遠側に移動してやれば除去できるのだが、四隅の状況が今後つかみやすいのでそのままにしておいた。
私のような職業の者が仕事で用いる Photoshop というソフトには「球面フィルター」という機能があり便利なのだが、今回のような実験にはフリーソフトの Photonick が大変優れているので使用してみた。画像がゴムのように伸び縮みすると考え、球の外側に貼り付けた状態を「魚眼写真」とするなら、「魚眼写真」を球の内側に貼ってやれば元に戻るという考えだ。Photonick の「歪曲補正」を繰り返し施して行くと同様のことができる。ご覧になってわかるように、中心部より四隅方向が激しく引っぱられている。ちょっと設定をはしょったので直線であるべき部分に波形の歪みが残ってしまったけれど、球面の湾曲が補正されて行くのがわかる。もう少し設定に手間をかければ見栄えがいいし、実際に魚眼レンズで引き伸ばし作業をすれば完璧に仕上がるはずだ。
修正を終えた画像は糸巻き型で奇妙に思えるので、内接する四角形で切り取ってやると、私たちが普段見慣れた広角レンズで撮影した写真になる。で、このプロセスを見ていて「自分の写真写り」が気になる方は気づかれたかと思うのだが、グループで記念写真を撮ったりして、自分の顔が運悪く画面隅に位置していたりすると、そのレンズが広角気味だった場合、顔が中心部に引っぱられるように歪んでいた事が無いだろうか? 実は「歪みが無い」とされる写真レンズの正体がこのプロセスなのである。球面の世界を無理矢理平面に引き延ばしているのだ。

もう一度修正前の魚眼写真と見比べるとわかるのだが、魚眼写真の映し出す世界というのはどことなく懐かしい。漠然と世界を見る(思い切り視野を広くして世界を見る)と、私たちはこのように球形の世界を見ていることに気づくはずだ。人間の脳に「平行であるべきものを平行にみようとする」補正機能があるのかもしれないし、あるいは「歪みの無い写真」を正しいものだとして長年見続けてきた学習効果が球形の世界を「不自然」なものと感じさせているに過ぎないのかもしれないのだ。

近いものは大きく、遠いものは小さく写るのも「自然な」見え方の一つなのだ。子どもの絵を見ているとこんな球形の世界を描いているものがある。私は「歪みの無いとされる広角レンズ」の画像の方が不自然に球形の世界を平面に無理やり貼り付けた息苦しい画像に思えるのだがどうだろう? 物心ついた時から「歪みの無い横並び平面志向レンズ」の映し出す写真やメディア画像に慣れ親しむ現代の子どもたちは、いつか球形の世界を描かなくなるのかもしれない。

2001年 11月 6日 火曜日
【富山にて3…市街地消滅】

清水市と富山市を無理やり比較するという富山レポートもひとまずお終い。最後に富山市街を散歩しながら考えた由無しごとを書いておきたい。

富山も軍需産業の町だったそうで第二次世界大戦末期の空襲で市街地の大半を焼失したと聞く。わが郷里清水市も空襲により市街地の90%以上を焼失したらしいが、富山はどれくらいの被害を受けたのか調べてみた。米資料が示す市街地焼失率によると富山市は日本一で99.5%を焼失したという。焼夷弾総数は50万発、死者2700人以上、負傷者約8000人。富山市には「パンプキン」と呼ばれる巨大爆弾が投下され、それは米軍の模擬原爆だったという。模擬でなかったら私と富山を結びつけてくれた人々はこの世にいなかったかもしれない。

清水市に投下された爆弾はM47焼夷弾【100ポンド、小型の油脂(ナパーム)焼夷爆弾。6本ずつたばねて投下した。建物の屋根を突きぬけ、爆発して大きな火災をおこした】12,619発435.1米トン、M17集束焼夷弾【500ポンド、直径5cm、長さ約35cmの六角棒状のテルミット・マグネシウム焼夷弾が、110本たばねてあった。外筒も、中につめられたテルミット(酸化鉄粉とアルミニウム粉の混合)も2000〜3000度の高熱で燃える】2378×110発、594.5米トン。小さな港町に1000米トン以上の爆弾が降り注いだことになる。

99.5%が焦土と化した惨劇の町を歩く。総曲輪(そうがわ)通り、中央通りと続く商店街は、清水市の駅前銀座清水銀座に似ている。古美術商「結城泰山堂」さんの飾り窓。子ども時代、妻はこの飾り窓に活けられた花を見て、活け花とは何と美しいものかと感動し、立ち止まって飽かずに眺めていたという。少女の心をうち振るわせた花は今も美しい。いつまでも変わらずに道行く人の心を和ませていただきたいと願わずにはいられない。今も続く無差別大量殺人の悲惨さをこの花に黙して祈ることで強く噛み締める。口先の「反戦」ではなく「命を愛おしむ心」がここにあるから。

以下のページを資料とさせていただいた。
富山に落ちた巨大爆弾
20世紀にっぽん人の記憶 「無差別」の悪夢におびえ
清水市への空襲
私の戦争体験

2001年 11月 5日 月曜日
【富山にて2…鰹の国、昆布の国】

高校卒業と同時に郷里を離れ、東京などに定住してしまった者には、忘れてしまった故郷のこと、知り得なかった故郷のことの、何と多いことよと驚かざるを得ない。高々親の脛を齧って過ごした十数年などで、故郷のことをわかっているような口を叩くのは恥ずかしいことだなぁと思うことが多いのだ。

郷里静岡県清水市に関するメーリングリストの世話人などをしていると、新たな故郷の発見が有って楽しい。
古くから清水市内にある蕎麦屋のラーメンが、鰹だしの効いた逸品であると聞いて、早速出掛けてみるとその美味しいこと。ラーメンが鰹だしなのだから蕎麦は如何に、と若い頃寄りつきもしなかった旧市街の蕎麦屋を訪ねてみる。関東風、関西風と醤油ベースの料理の汁を大雑把に切り分ければ清水は関東風。だが、東京の蕎麦屋などの黒々とした汁とはちょっと違い、「かっ!つっ!おっ!」と怒鳴っているように鰹だしが効いているように感じる。

思い起こせば、富山県出身の妻が清水を訪れて、なんでもかんでも料理に鰹の削り節を使う我が母の料理に驚いていたものだ。おひたしにオカカ、塩揉みにオカカ、納豆にオカカ、煮物にオカカ、数の子にオカカ…。清水には更に強力な「だし粉」というものがあり、削り節の屑のようなやつに青海苔を混ぜたもので、町のおでん屋は必ずこれを用意していたし、我が家では里芋の煮つけなどにはこれをかけないと気がすまない。メーリングリストではお雑煮に「だし粉」をかけていたという方までいて楽しい。

それでは、「だし粉」をかけて食する料理には昆布や鰹のだしを使わないかというと、そうではなくて、しっかりとだしの効いた料理に追い打ちをかけるように「だし粉」や「オカカ」をかけたりするのだ。こういう食文化だと、ちょっとやそっとの鰹だしではだしが効いている気がしなくなるかもしれない。「あそこの蕎麦屋は鰹だしがとびきり効いてるね」と言っても「あら、そうかしら」などと帰省の際に言われることが多く、地元の人は清水の蕎麦屋は鰹だしが突出している、などとは思わないのかもしれない。

毎年好例の富山への墓参り、今年から両親の同伴もなく、地元の親類縁者も絶えたため、ちょっと寂しい帰省となったが、念願の富山市街食べ歩きが自由にできるようになったことだけが、ちょっと嬉しかったりする。

正午近くの到着となり、昼食をどうするかの問いに迷わず富山駅ホームの立ち食い蕎麦『立山蕎麦』を希望した。何と安上がりな男だろうなどと笑ってはいけない。以前、一度食べたことがあり仰天したのだが、出てきた蕎麦の汁が琥珀色に透き通っている。見た目には大阪黒門市場あたりで食べる鰹だしの効いたうどんや、讃岐系のうどんだしを思い浮かべるのだが、これが強烈な昆布だし。「こっ!んっ!ぶっ!」と絶叫しているような味なのだ。鰹だしも使用していると書かれているが昆布が鰹を圧倒していて、私には昆布だしの味しかしない。地元高校生が「入場券を買ってもここの蕎麦の方が美味いよなぁ」などと話しているのを聞いたことがあるが、地元の人にも人気があるようで客足が途絶えない。

墓参りを済ましホテルにチェックインして待望の市内飲み歩きに。昔から定評があり、富山駅近くで良い飲み屋が無いかと聞かれるたびに教えることにしていた『親爺』という店。実は初めて足を踏み入れる。まだ四時なので「何時からですか?」と聞くと「どうぞどうぞ」と言う。入るとポワ〜ンと昆布だしの匂い。名物のおでんのだしは透き通って関西風。見た目は本郷の名店『ぎおん』のそれに近い。刺身の質の良さに感嘆してばかりいても仕方ないと「松茸土瓶蒸し」を頼むと案の定昆布だし。「はちめ」の塩焼きもとびきり上等で、勘定の安さにも驚く。

飲み歩きなどといっても、最近は二軒はしごをすれば眠くなってしまうので、二軒めは厳選しようと歩く歩く。どうしても気に入った店が見つからず、結局駅前に戻り、古くから富山の飲んべえには定評のある店だという『かに平』へ。『かに平』さんには申し訳ないのだけれど、入った瞬間しくじったかなと思った。品書きの品数の少ないこと、「メニューは壁に貼って在るものしか有りませんから」という仲居さん(主人の奥方か?)の言葉もあって、ちょっと気落ちしながら「蟹味噌」と「もずく」でビールを飲み始める。これが美味しい!もう東京で「蟹味噌ともずくは食べたくない!みんなはまボーズ氏にあげちゃう!」と断言してしまうほど。ひょっとすると…と、思って蟹鍋を一人前注文してみた。つけ汁が二人前用意されて出てきたのだが、これも薄い琥珀色。仲居さん曰く、「鍋の汁もみんな召し上がってくださいね」。小振りのズワイの身を付けて食べるとその蟹の上質なこともさることながら、つけ汁の強烈な昆布の旨味に驚嘆。でも、こんな薄味ではつけ汁が足りないなぁと鍋の中の汁を飲んでみると見事な昆布だしで適度な塩味がある。こんな蟹鍋は始めて。大阪で学生生活をされたはまボーズ氏に聞いてみたいのだが、関西ではこのような蟹鍋というのは当たり前に存在するのだろうか。私は初めてなのでカルチャーショックだった。調子に乗ってせいろ飯を頼んでみたがこれも見事な昆布だし。付いてきた味噌汁までも強烈な昆布だしなのである。

富山に生まれ育った妻は「おにぎりといえばとろろ昆布をまぶしたのが好き」と言うのだが、変わった家庭に育ったんだなぁ、くらいに聞き流していた。富山市内を歩いたら立ち食い蕎麦屋に「とろろ昆布おにぎり」、コンビニエンスストアの棚にも「とろろ昆布おにぎり」。町中になんと昆布屋の多いことか。このように昆布三昧していると「こっ!んっ!ぶっ!」と絶叫しているような昆布だしでないと、富山っ子は「あら、そうかしら」というくらいに昆布味を感じないのかもしれない。

※注:写真の『立山蕎麦』、左右逆版ではありません。乗ってる蒲鉾が逆版なのです。

2001年 11月 4日 日曜日
【富山にて1…拝啓 魚初様】

すっかり冬の気配が濃くなった富山への墓参り、ようやく魚初さんとの約束を果たすことができました。

私たち夫婦も結婚して二十数年になりますので、私も年月の数くらいは富山を訪れ、一端の富山通になっていてもおかしくないのですが、正直な話し、今回が初めての夫婦水入らず、自由な富山「見て歩き」ができたに等しいのです。市内を歩いていてもお魚のことが頭を離れず(^^)、気になる事柄をデジカメでスケッチして来ましたのでご笑覧ください。※画像は全てクリックすると左右600ピクセルにて拡大可能です。

富山駅前「CIC(シック)」ビルです。二十数年前、私が初めて訪れた年(大変な豪雪で北陸線は不通になりました)には、この場所に「須田ビル」という老朽建築物が在り、一階には魚屋や八百屋、乾物屋、大衆食堂などがびっしりと入居していて、そう、賑やかなりし頃の清水「みなとマーケット」を数段薄暗く雑然とさせたような場所で私は大好きでした。その中の『蛯谷』さんという魚屋さんが、かろうじて「CIC(シック)」ビル地下に残り、当時のおばちゃんが今も元気で店番しているので、今回も覗いて見ました。


↓富山湾と駿河湾というのは実に共通点が多いのですが、その一つ、富山のばい貝です。煮てあるものですが清水のばいの食べ方に似ていますね。

↓ガラスケースの中には生のものも売られていて、左上にかろうじて売れ残りが見えますが、大きめの物は刺身で食べます。この辺が駿河湾で獲れた「ばい貝」とは違います。

↓この「CIC(シック)」ビル近くにある古い居酒屋『親爺』で刺身を頼んでみました。ぬるっとした舌触りと磯臭さは北海道で食べるツブ貝の刺身を思い出します。

↓「CIC(シック)」ビル地下に『七番』という美味しい鱈汁が食べられる小さな食堂があるのですが、そこのお品書きが楽しいです。「ばい貝」の下にカッコして「(丁貝)」とありますが、私は咄嗟に清水の「貝長」を思い出してしまいました。


↓同じく『親爺』で注文した「ふくらぎ」のお刺し身です。東京の友人は脂の乗ったブリの方がうまいと言いますが、わたしはこの若々しく身のしまったものが滋味があって好きです。あまりの美味しさに残り少なくなったものを慌てて撮影しました。

↓この写真に写っているのは「ボタンエビ」でしょうか。「地物」と書かれているのですが、富山でボタンエビがとれるというのは知りませんでした。

↓同じく『蛯谷』さんで撮影したものですが、富山でポピュラーな「にぎす・ねぎす(富山ではみぎす)」が1尾100円で売られています。富山の人はこの「みぎす」をよく食べます。

↓こちらが海産珍味の店『小島屋』です。店頭にはもう鮭が吊るされていて冬近しを感じさせます。

↓その『小島屋』さんで「にぎす」の効能に関する新聞記事の切り抜きが壁にとめて在りましたので複写して来ました。出典は『北日本新聞』です。

↓富山には鱒寿司を作っている店が37軒あると、居酒屋のご主人にうかがいました。松川沿いにある老舗、左が『高田や』、向かいが『せきの屋』です。

↓市内を歩いていると駅周辺の土産物売り場で見かけない、知らない鱒寿司のお店に出会って楽しいです。こちらは今井商店。

何かご商売の参考になればと日記にてご案内させていただきました。

富山は激しい雷雨だったりして、いよいよ鰤の季節。清水は南アルプスから吹き下ろす冷たい北風の季節になりますね。風邪など召して朝市出動の妨げとならぬよう、くれぐれもご自愛ください。


電脳六義園サイトへのリンクは下のバナーをご利用ください。