電脳六義園通信所管理人 石原雅彦の日日抄

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三好春樹主催・生活とリハビリ研究所サイトの管理日誌です。

2002年 2月16日 土曜日
【林檎の名前】3…PowerMacintosh 8100/80AV

「立て、立て、立ってくれ〜!」
 
1998 年 2 月、第 18 回冬季五輪長野大会、ジャンプラージヒル団体 2 本目で、原田雅彦がバッケンレコード(最長飛行記録)を越える大ジャンプをしたとき、アナウンサーが絶叫した名文句である。
 
同じ「雅彦」の名を持つ私も思わず椅子から立ち上がったが、直立二足歩行をする人間の私が「立て、立て、立ってくれ〜!」などと言われるのは、おそらく這い這いを卒業した時と、晩年、寝たきり老人になり、三好春樹さんのような優れた理学療法士にベッドから起こされる時くらいのものだろう。
 
水平に置かれているべきと思われるものが、直立することのインパクトは意外に大きい。
水平に寝ているはずのカセットテープを垂直駆動するテープ・デッキを初めて商品化したのは AKAI 電機ではなかったろうか。ゆらゆら揺れるダルマさんの POP が忘れられない。それまでのオーディオ用カセットテープ・デッキは平べったい上面操作タイプで、後に「座布団型」などと呼ばれていた。直立状態で駆動されるカセット・テープは、それだけでオープンリール・テープのように精悍に見えたものだ。
 
パソコン導入以前、友人の会社で見る DOS パソコンは皆、平べったいビデオ・デッキスタイルで、上面にモニターを載せて使うものが多かった。普通の机で使用すると、CRT 画面をやや見上げる姿勢になり、首が痛いのだ。モニタは、やや見下ろすくらいの姿勢が心地好く、見上げるのは仏壇の位牌と写真くらいにしたいものだと常々思っていた。
私の最初の Macintosh である IIvx はこのビデオ・デッキスタイルでカタログにも上面にモニタを載せた写真が使われていた。いわゆるデスク・トップタイプというやつだ。ところが、その前のモデル Macintosh IIci は90度回転して縦置きが可能であり、そうやって使用している友人を羨ましく思ったものだ。IIvx を縦置きで使用することは推奨されておらず、無理やり縦置きしていた友人のマシンが壊れたので、何か問題があったのかもしれない。
 
1994年、Apple から最初のPower PC 搭載マシンが発売され、4 月に Quadra 800 シリーズの後継機種として発表されたのが、PowerMacintosh 8100/80AV だ。縦長の箱型で、いわゆるタワー型というやつ。タワー型にはフルタワー(full tower)、ミドルタワー(middle tower)、ミニタワー(mini tower)などの名称があるのだが、特に高さ何センチ以上という決まりは無い。
 
一方、スキーのジャンプ競技には、ノーマルヒル、ラージヒル、フライングの 3 種類があり、それ以上飛ぶと危険な距離を、ドイツ語の Kritische Punkt からとって K 点と呼び、ノーマルヒルは 90m、ラージヒルは 120m、フライングヒルは 185mと決められている。長野五輪ラージヒルで、泣き虫の雅彦君がアナウンサーの絶叫に背中を押されて飛んだ 137m が、その時点で白馬ラージヒルジャンプ台のバッケンレコードとなった。
 
時代は 68K から PowerPC へ移行する兆しが見えていたので、私は AppleComputer 製の縦置きミドル・タワー、PowerMacintosh 8100/80AV が欲しくて欲しくてたまらず、「立て、立て、立ってくれ〜!」と叫びたかったが、呆気なく立ってしまった。妻が本気で Macintosh を仕事に使いはじめたからだ。
 
PowerPC といってもこの機種では劇的な高速化が感じられず、拡張スロットも NuBus から PCI スロットに移行することになるので、この機種の我が家での飛距離は短く、バッケンレコードを更新することは無かった。唯一、記憶に残っているのは、タワー型なのに機器の増設が非常に厄介だったことくらいである。

PowerMacintosh 8100/80AV:CPU=PowerPC 601/80MHz、最大メモリ搭載容量=264MB(増設単位:2、72pin SIMM)

2002年 2月17日 日曜日
【うちのママは世界一】

「うちのお母さんは世界一です!」
……パチ、パチ、パチ!
(母親:ハンカチで目頭を押さえる)
ありがちな日本のドラマのワン・シーンである。
 
テレビドラマ『うちのママは世界一』がフジテレビ系列で放映されたのは 1959年からだ。アメリカ本国での放映は 1958年から 1966年まで。原題は「The Donna Reed Show」で、お母さん役のドナ・リードは『地上より永遠に』でオスカーを受賞した女優さん、娘役のシェリー・フェブレーはオールディーズファンなら知っている『ジョニー・エンジェル』というヒット曲で 1962年にゴールデン・ディスクを獲得している。
 
小学生だった私は、『うちのママは世界一』を見る度に、電化製品の完備した家で皆で囲む豪華な食卓がひたすら羨ましかった。テーマ曲(三木鶏郎)に続いて流れる CM の「♪お椀、お椀、お椀のマーク〜」を聞く度に「お椀のマーク」が豊かさの象徴のように思え、今でも「味の素」が大好きだ。
もう少し年上の団塊世代は、「アメリカ的生活」にあこがれ、後に結婚して「ニューファミリー」を形成する土壌を培ったようだ。同時期のテレビドラマ『パパは何でも知っている』、『パパ大好き 』、『名犬ラッシー』などと共に米国の「核」に続く世界制覇の戦略兵器だったという厳しい見方もある。
 
「うちのお母さんは世界一です!」
どんなにダメ母・ダメ親父で、どんなに貧しい暮らしで、どんなに子どもの全人格を否定するようなひどいことを言う親であっても、やっぱり自分の親は日本一、いや世界一だと私は思う。思うけれども、そんな事を口に出して言ったことは無い。本当にテレビドラマのように、そんな結びで締めくくった作文を、授業参観の日に誇らしげに朗読して母親を泣かす子どもがいるのだろうか。そうされたいという脚本家やプロデューサーの願望だろうか。
 
私に子どもがいて父親参観会に出て、娘が、
「うちのお父さんは世界一です!」
などと、作文を朗読したら、ちょっと泣けない。ひどく恥ずかしいし、えらく馬鹿にされた気がする。
それより“自分で意見を言える、考える、書ける”を理想に掲げた無着正恭・やまびこ学級の綴り方のように、私がどんなにダメ親父で、どんなに貧乏をさせられて、どんなにひどいことを言う父親かを丹念に語り、それでも生みの親は憎めないと、心の葛藤を綴ってくれたら私は泣く。泣いて駆け寄ってわが子を抱きしめる。こちらの方が余程ドラマとしては出来がいい。
 
「うちのお母さんがつくるカレーは世界一です!」
これは可愛い。許せるし、わかる。肉のかけらも入っていなくて、小麦粉を大量に入れてガサ増ししたような色褪せたウドン粉カレーでも、「な、うちのお母さんの作るカレーは美味いだろ!」と得意げな友人が愛しかったし、家族というのは良いものだなぁと思ったものだ。
 
インターネットで地域商店街活性化のお手伝いなどという話になり、「じゃあ、各店舗、これが当店の日本一というものをまず作りましょう」などというと、「日本一なんて言われても…」と尻込みする商店主の多いことに驚く。「うちのお母さんは世界一です!」と言って抗議をする他人などはいない。「うちの“キッコーマン醤油”は日本一です!」とナショナルブランドの商品を自慢すれば、「面白い、その日本一の“キッコーマン醤油”を一本くれ」と笑顔で言いたくなるのが“イメージを消費する時代”の面白さなのだ。その心意気、そのパフォーマンスにお金を払うのだ。
 
地方を旅して「日本一」「世界一」の看板を掲げた店に出会うと、その心意気が嬉しい。有り難くいただき、ごちそうさま、確かに「日本一」「世界一」を頂戴しましたと、心の中で合掌したくなる。
「日本一・世界一の看板を見て入ったけど、その味に笑ってしまった」
などと、インターネットで書き散らしている輩は単なる馬鹿だ。「綴り方運動」を実践している学校は、まだあるようなので、いま一度入り直したほうがいいと思う。

※写真は宮城県石巻市のカレー屋さんと、長野県長野市のお蕎麦屋さん。

2002年 2月19日 火曜日
【永遠の夏】

たとえプラスチックやビニールなどという反自然物といえども、時の流れとともに朽ち果てて行く速さに驚く。
実家の抽斗にあった高校時代のビニール製写真用交換レンズケースがひび割れていて、持った途端パラパラと砕片となって足元に落ちた様は、人の世の無常を思い知らされるようでもあった。
 
物が朽ち果てるように、写真もあっという間に色褪せて行くので、パソコンに向かって仕事をしている最中の空き時間を利用して、昔撮影した写真をフイルム・スキャナで取り込んでデジタル化している。一枚一枚、いつ何処でどんなときに写したものか、今でもまざまざと思い浮かぶので、まだ物忘れの方は心配なさそうだ。
 
その中で、スキャンして画面いっぱいに表示された瞬間、胸がキュンとするような一枚があった。2000年の夏、群馬県の湯檜曽(ゆびそ)で、某出版社の社員旅行に同行した際、撮影したものだ。
谷川岳の登り口に近いこの温泉場には、小学生時代二度、真冬に母親の社員旅行で訪れている。四十年振りの再訪だった。


 
国道291号線を北上し、湯檜曽駅を過ぎ、谷川岳ケープウェイ方向に進むと湯檜曽川を跨ぐ見晴らしの良い橋がある。その橋の欄干から裸の中学生たちが真下の清流に次々に飛び込んでいるのに出くわした。夏休み中の水遊びなのだが、足のすくむような高さからのダイビングに唖然とするとともに、夏の日差しと、谷川のエメラルド・グリーンと、小麦色に輝く若さの煌めきのコントラストが、私を含めて中年男たちに、ひととき言葉を失わせるほど美しかった。
 
   ***
 
たった一度の人生で、人はたった一度だけ死ぬ。
私は夏が大好きなので、死んで永遠に溶けゆく世界を四季から選ぶなら夏にすると思う。灼熱の炎に焼かれるように、真夏の日差しの中に溶けて行きたいと思う。ロバート.A.ハインラインの名作の中で、主人公デイヴィスは猫のピートを伴って、愛するリッキイと「生きる」ために、12 の扉から永遠の夏へと続く扉を選ぶ(『夏への扉』The Door Into Summer)。生命を育んだ太陽の真っ只中に「死ぬ」ためにも、人は皆夏へと続く扉を選ぶのではないかと、私は長年考えていた。
 
妻は夏が嫌いである。秋が深まり、セーターを出す頃になると、ああ冬が近いと喜んでいる。彼女は、真冬の静寂の中に氷結していくために、冬へと続く扉を選ぶタイプのようだ。そういう人もいるのだなぁ、人を「犬科」と「猫科」に分類して遊ぶように、「夏派」と「冬派」という分類もあるのかもしれないなぁ、と思うようになったのは結婚を境にしてだ。妻は死を恐れず、私は生に固執する面も対照的であり、互いが永遠に溶け行きたい季節が異なるのも不思議だ。
 
スコット・フィッツジェラルド『マイ・ロスト・シティ』(村上春樹訳)収録の短編、「氷の宮殿」はまさにその物ずばりのテーマで驚いた。主人公サリー・キャロルと大学教授ロジャー・パットンの会話の中に「犬科」と「猫科」の話がさり気なく登場し、「生きる」場所と「死ぬ」場所、そして「夏派」と「冬派」が対置されて登場する。
 
南部育ちのサリー・キャロルは、南部を訪れた北部育ちの恋人ハリー・ベラミーを伴って、心安らぐお気に入りの場所「共同墓地」を訪れる。はるか昔、29歳で死んだマージェリー・リーという見知らぬ女性の墓標を見つけたサリー・キャロルは、「死によってこそ得られる永遠性」に心ときめき、生前の彼女の姿が手にとるように見えるという。
 
「本当に素敵な人だったのよ、ハリー。太い柱のあるポーチに立って、お客様を温かく迎えるような人。沢山の男たちが彼女のもとに還ることだけを考えて出生していったんじゃないかしら。でもおそらく誰ひとりとして還ってはこなかった」
彼は墓標にしゃがみ込んで、結婚についての記述はないかと調べてみた。
「ここには何も書いていないな」
「そりゃあそうよ。『マージェリー・リー』という名前と生年と没年、それより雄弁なことばが他にあって?」
(スコット・フィッツジェラルド『マイ・ロスト・シティ』村上春樹訳、中公文庫より)

 
サリー・キャロルは「犬科」であり「夏派」であり「死」に親密で有るがゆえに「生きる」ことに固執し、ハリー・ベラミーは「猫科」であり「冬派」であり「生」に親密で有るがゆえに「死ぬ」ことを生きる「氷の宮殿」の住人だったのである。
 
   ***
 
写真を撮影し、見物を終えて立ち去ろうとする私たちに、少年たちは流れの中から、
「ありがとうございました!」
と、挨拶をしてくれた。彼らは、見られていることを意識し、その一瞬は彼らにとって、たった一度の青春における短い夏の輝かしい晴れ舞台だったのだろう。
やがて深い雪に覆われる冬を迎える生活の中で、成人して行く彼らは、「犬科」「猫科」、「夏派」「冬派」、どちらに育ち、何処に向かって人生の終わりに溶け込んで行きたいと感じるようになるのだろうか。

2002年 2月20日 水曜日
【林檎の名前】4…PowerBook5300c/100

結婚の儀式を終え、教会から出てくる二人に祝福の声とともに浴びせかけられる米粒、これをライスシャワーという。
 
豊かで子宝に恵まれるようにとの願いが込められているそうだが、米国では最近、生米ではなく日本製 IH 直火炊き炊飯ジャーで炊いた、炊きたてのご飯を投げる……というのは嘘で、「粒状の鳥の餌」を浴びせるように変わって来ているそうだ。これは、落ちているものを啄ばむ小鳥の身体に生米が良くないことへの配慮だと聞く。真偽のほどは定かでないが、いずれにせよ、幸せな人間様のおこぼれは、鳥たちが啄ばむことで自然に還元されて行くわけだから、それはそれでお目出度い風習なのだけれど、日本人が真似をして「結婚式場内」で米を撒くなどいうのが、いかに愚行かがわかって面白い。
 
米国式だと、この後、新婚カップルは“結婚ほやほや”と書かれた看板付きの自動車に乗りこみ、紐で結ばれた空き缶をガラガラと引きずり、クラクションを鳴らす友人たちの自動車を従えて、結婚披露パーティ会場へと向かうわけだ。いかにもアメリカ。
 
   ***
 
大して速くもない PowerMacintosh に感動したりすると、これならノートパソコン・タイプを携帯して出先で仕事を片付けることだって可能かも知れない……などと幻想を抱くようになる。いわゆるモバイル・コンピューティングというやつだ。タイミングを見はからったように、1995年9月、100MHz PowerPC 603e マイクロプロセッサが搭載された“文字通りの”PowerBook が発売された。PowerBook5300c/100 がそれで、早速購入して印刷会社での出張校正室行きに持ち歩いてみた。
 
実践してみてわかったのは、PowerBook のみ持ち歩いても、私のような職業では仕事にならないこと。まずマウスが必要、そしてデータの受け渡しに MO ドライブ、簡便な確認のために携帯用プリンタ、画像取り込みに携帯用スキャナ、そして電源アダプタとコンセントを分け合うための AC タップ、さらにPC カード型モデムと LAN カード、各種ケーブル類。CD ドライブとフロッピー・ドライブも必携!
 
そんなものを大型バッグにつめこんで出掛けて行き、現場で一式接続してみた。
何とそれは、空き缶をガラガラと引きずって走る米国流結婚式の自動車そのものに見えた。
 
結局、自分の仕事場で FAX やメールでやりとりしながら仕事を進めた方が余程効率的なことがわかり、編集者は出張校正室、私は事務所で、という現在の方式に戻ってしまった。紙と鉛筆さえあれば事足りるような職を得ない限り、絵に描いたようなモバイル・ライフは実現しそうに無い。
 
かつて、四角い箱型で開けると蓋がキーボード、内部に液晶画面、各種ドライブ、モデム、プリンタなど全てが内蔵された OASYS 40AS という「極めて日本的」なワープロを使用している友人がいたが、ああいうオールイン・ワンの PortableMacintosh があったら欲しい気もする。

PowerBook5300c/100:CPU=PowerPC 603e/100MHz、最大メモリ搭載容量=64MB

2002年 2月21日 木曜日
【旅の終わり】

詩人に贈られる著名な賞で「H氏賞」というものがある。この「H氏」というのが、何者なのか、はたして実在の人物なのか、それが疑問で、物知りの編集者、もうひとりの「H氏」に何度か訊ねたのだが、「H氏」とそんな話になる時は、大概酩酊しているのでお答えを覚えて居らず、未だに謎のままなのである。
 
そして「H氏賞」でふと連想し、さらなるもうひとり、会社員時代の先輩で、おそらく私とは干支で一回り以上も歳の離れている友人、謎の「H氏」を思い出す時、必ず浮かぶ言葉が「旅の終わり」なのである。
 
幼い頃から都市部で育った私が、旅の終わりに帰り着く場所は必ず「都市」で、東海道本線ならば、列車が横浜駅を過ぎ、やがて多摩川を渡り、品川、新橋と灰色の都市が近づく時、私の心は塞ぎ、幼い頃はメソメソと泣いた。旅の終わりが「都市」であることが寂しく、感傷的になる性癖は、今も変わっていない。
 
三十歳の頃、かつて勤めていた電機メーカーの社員旅行で、その「H氏」と共に伊豆大島へ旅行したことがある。大島発竹芝桟橋行きのカーフェリーが夜の木更津沖を過ぎ、東京湾に入り、湾岸の高層ビル群が見えはじめた時も、私はやはり感傷的になり、デッキの手すりにつかまって都市の灯をぼんやり見ていた。
その時「H氏」が、
 
「ああ、街だ街だ、やっと人が大勢いる場所に帰って来た!」
 
と、叫んだのだ。
私は、太古の昔、森を捨てて平野に出て永住し、こうして都市を作った人間の遠い記憶として、自然への回帰を願望する心が潜んでおり、反自然に帰り行く時、人は寂しくなるのだろうと思い込んでいたので、「都市」へ帰り行くことを喜ぶ「H氏」が不思議な人に見えた。
 
だが世の中には旅の終わりが都市であることを喜ぶ「都市族」が大勢いて、我が母まで同様の志向を持っていることを知り、人間には「都市族」と「森林族」がいるのだなぁ、と思うようになった。

人生のうちの「一日」というものも、また旅のようなものだ。
私にとって、日の出が旅の始まりであり、黄昏時が近づくと旅も終わりに近く、やがて哀しみの横溢する夜の闇へと帰り着く。だから、私は黄昏時が寂しく、いつも感傷的になる。
だが、ここでも謎の「H氏」は黄昏時になると、
 
「ああ、夜だ夜だ、やっと人が大勢いる場所に繰り出せる!」
 
と、喜ぶのだ。私にとって一日の旅の終着駅は「哀しい日暮れ」であり、「H氏」にとってのそれは「哀しい夜明け」なのである。
 
人生という一度だけの旅の終わりを、哀しく絶望的に思い描く時、私にとっての終着駅は「闇夜に無数の群集がうごめく石造りの巷」であり、「H氏」のそれは「歩けど歩けど会う人のいない真昼の森」なのかもしれず、互いの天国と地獄が入れ替わっているのが、面白くも哀しい。

2002年 2月23日 土曜日
【初春の秋刀魚の味】

友人の編集者「H氏」から、秋刀魚の丸干しと棒寿司を頂戴する。
 
三重県熊野市から届く初春の秋刀魚の味は、私の好きな清々しい魚の食し方で、身体と心を季節の風が吹き渡るようだ。もし、人が冷たい北風にすら温もりを感じることができるとすれば、肌を刺す痛みもまた「一度だけの生を生きている」ことの証しであると、感じることができる時なのだろう。
 
黒潮とともに北上し産卵を終えた秋刀魚は、再び南下して熊野灘沖にさしかかる。その時期を待ちかねて、熊野の漁師たちは出漁し、脂が落ち、身の引き締まった紀州秋刀魚を水揚げする。地元の人々は一月から二月にかけて、明け方に漁獲された腹に餌のプランクトンのいない秋刀魚を厳選して、塩水に一晩漬け、頭を下にして寒風に二日ほど晒し、丸干しを作る。浜辺の町に秋刀魚の銀鱗が簾のように並ぶ様は、それは美しいものだと聞く。
 
そして秋刀魚の棒寿司。背開きにされた秋刀魚が棒状の寿司飯を抱き込むように、頭も尻尾も付けたまま食卓に登る様は、思わず手を合わせて拝みたくなる。鯖にせよ、秋刀魚にせよ、淡白な中に味わいのある棒寿司が私は好きだ。
頂戴物の作り手が暮らす町、三重県熊野市遊木町。どんな町なのだろうなぁとインターネットに接続し、google で“熊野”“遊木町”で検索すると35件ヒットし、そのうちまとまった文章のものを探したら、何と「H氏」本人が当サイトで公開しているエッセイそのものであった。
 
生まれ故郷の熊野市遊木町(ゆきちょう)は紀伊半島の最南部東側、熊野灘に面して突き出した岬の陰にある小さな漁港で、小生が小学校2年生(7歳の春)まで過ごした思い出深い地です。戦後50余年間ほとんどその姿が変わらない、今では「驚異の世界」とも言えるようなまさに忘却の辺境です(山が断崖状に海に切れ込んでいるリアス式海岸なので、平地がなく、地形的にも変わりようがないのでしょう)。ここでは時間は半世紀単位で刻まれているようです(む〜……!)。
 
遊木町は約200所帯500人(?)ほどの、町とは名ばかりの小さな、鉄道の駅もない村です。両隣りの町には鉄道JRの駅があり、そこへ通ずる国道311号が唯一の交通ルートです。国道といっても断崖状の海岸線にへばりつくように沿って、くねくねと曲がる狭い道路ですが、それさえも遊木町の少し先、須野町で行き止まりになっています。(『はまボーズの脳味噌煮込み饂飩店』「熊野古道体験」より)


 
人口約500人の港町で、お母さま手ずから作られたという、秋刀魚の丸干しの滋味溢れる味を噛み締めながら考える。日本人は、どうしてこうまで「脂」好きになってしまつたのだろう。
 
友人たちと酒席を共にする時、妻の郷里富山で“つばいそ”や“ふくらぎ”と呼ぶような“ぶり”になる手前の若々しい淡白でありながら身の引き締まった刺身が出ると「たとえ養殖でも脂の乗った“ぶり”が旨い」と言い、瀬戸内あたりで揚がる小振りの鰯を丹念におろし冷水で何度も洗って身をしめた鰯の刺身が出ると「銚子あたりの大振りな鰯の方が脂が乗ってて旨い」と言い、近海物の綺麗なまぐろ赤身が出ると「欧州で養殖されてるまぐろであってもやっぱり大トロの方が旨い」という人の何と多いことか。
そして、魚屋店頭で「これ脂ある?」と聞く客の多いことにも驚く。私が学生時代を過ごした二十数年前まで、女学生などは「脂」を食することを極端に嫌っていたものだった。脂身の多い豚肉料理は「安い豚を使っている」などと嫌われ、“とんとろ”などと呼ばれて脂身が珍重されている、今の“食”の変容振りに驚く。“脂”が乗ったものの旨味はそれなりに理解しても、これほど“脂”“脂”“脂”と連呼されるのを聞くと異様で妙に寒々しい。いきなり腹にむしゃぶりつく獣のようでもある。
 
“脂”のないカジキを“さす”と呼んで昆布〆にする富山、“脂”のないサワラを和がらしでヅケにして握る伊豆諸島の“島ずし”、“脂”のない秋刀魚を寒風に晒して作る熊野の“秋刀魚丸干し”、そのどれもが自然から頂戴した命を慈しみ、人の知恵と手仕事で美味しくいただく清々しい魚の食べ方だと思う。
 
「海と太陽が溶けあう永遠の風景…そんな故郷・熊野の海で死にたい…」

と、語られる自称海族(わだつみぞく)の末裔「H氏」に、辛口の焼酎お湯割りで乾杯!

2002年 2月24日 日曜日
【林檎の名前】5…Power Macintosh 8600/200/ZIP

パソコンは仏壇である。理由は別に無い。
 
毎朝、真正面に向きあい、スイッチを入れて起動するのを待つ時、ふと仏壇に向かってチーンと鐘をならし、仏様に手を合わせているような気がする事があるのだ。祀られている仏様は女性である。
 

パソコンを解体してまず目につく大きな基盤、CPU(中央演算装置)を載せたこの電子基盤をマザーボード(MotherBoard)と呼ぶ。さらに、マザーボード上に取り外し可能な小型基盤が取り付けられていることがあり、これをドーターボード(DaughterBoard)と呼ぶ。パソコンは女性であり、「彼」ではなく「彼女」と呼ぶのが相応しいと私は思う。
 
Macintosh ユーザーと Windows ユーザーの大きな違いの一つに、「パソコン自作」の有無がある。ヘビーな Macintosh ユーザーの中にはジャンク部品を集めて自作してしまうような強者もいるのだろうが、基本的に Macintosh ユーザーは宛い扶持の女性を妻とする。片や Windows ユーザーは自ら部品を買い集めて理想の女性を作り上げることが多い。自分の創造した女性が「動いた!」と喜色満面で自慢する友人もいる。
 
Macintosh で仕事する友人と話す時、「自作と言ったって、動くように作られた部品を組み合わせているだけで、そのパソコンを使って何を作り上げて行くかこそが真に創造的な事であり、自作を創造的なことであるとはき違えている Windows ユーザーの気持ちが分からん」と言うのを、よく耳にする。私も理解できる部分もあるので首肯しておくことにしている。
 
海上保安官であり、森林インストラクターでもあるOさんからメールが届いた。
 
子供達2人も、ノートパソコンに物足りなさを感じ始めたようなので、ノートパソコンを友人に売って、PC の中に人の手を入れられる ATX のパソコンを2台組み立てました。ケースは子供達の好みで新品を選ばせて、中身は昔使っていた部品を寄せ集めたり、足りないものをオークションで手に入れたりして愛着マシンが完成しました。
スペックもなかなかで、3Dグリグリゲームにもなんとか耐えうるマシンができました。
(【ATX】Intel 社が1995年に発表した汎用マザーボード仕様 :石原注)

 
Oさんには可愛らしい二人のお子さん(男女)がいて、Oさんが海保のシステム管理などでも活躍されているので、幼い頃からお父さんと一緒にパソコンに親しんでいるらしい。
「ノートパソコンに物足りなさを感じ始めた」なら、その先にある創造的なこと、絵が好きなら高度なグラフィックソフトに挑戦、音楽が好きなら高度な音楽ソフトに挑戦、などと「真に創造的な事」へのステップアップを思い付くこともあるかもしれないが、私はそうは思わない。絵が好きなら紙に向かって書いたほうがいいし、音楽が好きなら自分の全身で奏でたほうがいい。若い頃はリアルさを手掴みするべきなのだ。「真に創造的な事」が金に直結する私たちの発想を、子どもにあてはめてはいけない。
 
Oさんの「自作」は、
 
ただの機械だと知っていても、自分で何台も組み立てているとどうしても、どこかに昔から使っている部品を使わないといられない部分があって、外観もマザーも CPU も真新しいのに、増設 PCI ボードや SCSI ボードは昔のままのものを使って、リムーバブル HDD にも一部の ATA66 を未だに使っているんです。
 でも、こうやって使っていくことで、血を受け継いでいるようななにか愛着がわいてきて、ただの機械といえどもかわいい奴に思えてきます。

 
という人間味溢れるものである。仏壇だって故人への愛惜を込めて自作すれば、一つ一つの細部に祈りがこもるはずなのだ。ここが「脳」の CPU、ここがその容量を決めるメモリ、ここが目にあたるグラフィック・チップ、ここが栄養を送る電源ユニット、ここが耳にあたるサウンドポート、ここが消化器みたいなハードディスク、ここが指みたいな PCI ボード、こっちが足みたいな SCSI ボード、と命あるものを組み上げて行くような Oさんと子どもたちの素敵な触れ合いが目に浮かぶ。
パソコンは金が稼げればそれで良い「謎のブラックボックス」では無いのだ。パソコンに手を入れ「命を手掴みし愛を実感する」ということは情報社会を生きるための、ひとつの通過儀礼であってもいいかもしれない。自動車運転免許取得に整備の知識が欠かせないのと同じことだ。
 
パソコンに「手を入れる」ならタワー型が最適だ。
我が家の初代タワー型、Power Macintosh 8100/80AV はその点、最悪で、歴代 Macintosh の中でも最も扱いにくい女性だったと思う。着物を何枚も着こみ、がんじがらめに帯を巻き、さらにコートを着こんでベッドに入ってくる女性のようで、脱がせるのも大変なら、再び着せるのも大仕事で、不具合があるごとに「手を入れる」のが嫌になるような、手間のかかるやんちゃ娘だった。
 
1997年、MAC WORLD Expo/Tokyo で発表された Power Macintosh 8600/200/ZIP を後妻に迎えたのだが、これは素晴らしい出来栄えの彼女だった。
本体上面のエメラルド・グリーン、半透明ギョーザ型ボタンを押し、内部同素材のバーを二ヵ所引き上げると、「さあ、どうぞ」とばかり、ハラリと全てがあらわになる。ホック三つでの素早い脱衣には、ただただため息が出るばかりであった。今では当たり前のような気もするが、1997年の発表を考えると先進的で、さばけた女性だったような気もする。
性能的にも優れていて、後に娶る Power Macintosh G3 MT266/ZIP より、特定動作では、かえって軽快に作動するような気がしたこともある。引退後も我が家の永久保存銘機として今だにその若々しさを失わず、手の入れ甲斐のある佳人である。

Power Macintosh 8600/200/ZIP:CPU=PowerPC 604e/200MHz、最大メモリ搭載容量=512MB

2002年 2月25日 月曜日
【僕の細道】

「ウォークマン」を買った! そして歩いた!歩いた!
朝一番で中央線に乗り、あっという間に甲府に着いてしまい、甲府市内を闇雲に歩き回り、日暮れ時の高円寺まで、サザン・オールスターズを聞きながら帰り着いた! ちっとも疲れていなかった! 部屋に入ってもなお足踏みしていたくらいである! 1979(昭和54)年夏の事だ。
 
歩きながら音楽が聞けるというより、音楽を聞きながら「歩ける」のが嬉しかった。
ビジネス用テープレコーダーのような大きさの初代ウォークマンを腰につけ、頭にヘッドホンを載せ、音楽という麻薬を耳から注入しながら歩くと、疲労感を感じないのが不思議だった。大学出たてで、初任給手取り10万円くらいだったが、定価33,000円は安いと感じたものだ。

 
サイトを開設し、毎日日記を書くと決めたものの、書いている時間がない。仕事の中で1日1時間強の電車移動があるので、車内で吊り革につかまりながらでも文章が書きたいと始めたのがモバイルコンピューティングだ。片手でキーボードを操り、思い付いたことを書いて行くわけで、その体験談を綴って公開したウェブ・ページが『僕の細道』というタイトルだったのだ。
 
編集者H氏にロゴを添付してメールすると、
 
タイトルロゴ,見ました。以前,送られてきた絵手紙を見たときも,なかなか意図せざる(らしい)味わいがあるなぁ,と思ったけど,これもなかなかのもんです。
ただ,あえて一言。
「奥の細道」ならぬ「僕の細道」というタイトルとはちょっとミスマッチ気味じゃないかね?
字体をもっと細くするとか,俳諧らしい風雅・枯淡,かつ諧謔の雰囲気がほしいねえ・・・。
もっとも,「僕の細道」の内容を知らないし,「細道」という言葉からだけのイメージだから,これは的外れかもしれん。

 
との指摘があり、それならばと修正してメールすると、
 
はーれ,まぁ!ほんとにおでこメガネさんに似てること。
改訂版では,2個の同心円状のにじみがもう目玉,というより,昔の牛乳びんの底みたいな分厚いメガネそっくりで,実に表情豊か。思わず笑ってしまいましたわ,わたし・・・。ホホホのホ。
俳諧風の諧謔と言うより,狂言風の滑稽の味わいですが,でも前作よりいい出来です。ロゴにするなら,この「僕」の字だけでいいんだけどね。それでは意味がなさないのなら,「僕」を大きくして,「の細道」はうんと小さくレイアウトすれば,どうかね?
傑作のロゴにタイトル負けしないような連載を期待してます。
いやぁ,それにしても,この目玉,いい味わいだなぁ・・・

 
との励ましを受けスタートしたものの、書けども書けども面白くならず、ついに閉鎖。
 
 >> 『僕の細道』は、あっという間に行き止まりになってしまいました。
 >> 分け入っても分け入っても面白くないのでやめます(^^;

やいやい,まだ旅支度も整ってないうちに,旅をやめちゃうのかい?(笑)
行き止まりとか分け入りとか・・・やい!そもそもまだ旅に出てねえーじゃん!(爆)
いってぇどこさ行くつもりだったかね?
で,「僕の細道」は,無計画の計画倒れの典型として,貴重なる試行(恥行)の痕跡をこのままホームページ上に晒しておくことを望みます。う〜む,こんな企画もあったか・・・と,尻切れとんぼの後を継ぐ者も現われるかも。
そこですなわち詠みはべる。
 
旅に出ず夢はホームで野ざらしに    (はまボーズ)

 
恥行などと言われて口惜しいので、そのロゴだけを流用したのがこの日日抄タイトルなのだ。
すると追い打ちをかけるように、
 
一度中断・悶絶したはず(?)の「僕の細道」なるコラムが,「管理人日々抄」という由緒ありげな名で再生・復活して,トップページの日記となるあたり,う〜ん,復刻版づくりが得意な編集者も顔負けの仕事ぶりなり(笑)。
 
などという減らず口メールが届いたりもしたのである。
 
移動中の片手入力での日記書きは、その後も継続していたのだが、思いがけないことが起こって、それも止めてしまった。
なんと、頭の中に原稿用紙が現れて、道具も使わずに原稿書きができるようになってしまったのだ。しかも、忘れる事が無くて、書きかけのものを読み直し、途中から続けて書くこともできる。仕事場に戻ってパソコンに向かい、さらさらと清書するだけで済んでしまう。アップした後、再び外出した際は頭の中の原稿を広げて読み直し、推敲さえできるのだ。訓練しだいでこんなこともできるのだなぁと、自分でも呆れるほどだ。
 
ただし、その副作用らしきものも起こっている。頭の中の原稿を引きだす際、音楽などが聞こえてくると頭に重苦しい靄がかかったようで、原稿用紙が見えて来ないのだ。かつてなら、お気に入りの音楽やラジオを聞きながら書けた日記が、どうしても書けない。静寂の中で集中しないとダメなのだ。
今こうして明け方に起き出して清書しているのだが、だらりと目蓋が下がってくるくらいに眠い。眠くて眠くてたまらない。だが、指の方はスラスラとキーボードを叩いて清書が進んで行くのが不思議だ。

音楽を聞きながら歩くほど、文字との散歩は単純では無いようだ。

写真はSHARPザウルスの内蔵キーボード。

 

2002年 2月27日 水曜日
【林檎の名前】6…Power Macintosh G3 MT 266/ZIP

わからない!
日本語で「0」は「零」であり「れい」と読むのが正しいし、英語で「0」は「Zero」であり「ゼロ」と読むのが正しいと思う。それなのに、どうして東京の市外局番は「ゼロさん」で、日本テレコムは「ゼロゼロよんいち」「ゼロゼロはちはち」なのだろうか。紙のサイズは何故「エーさん」や「エーよん」や「ビーご」なのだろうか。
 
さらにわからない!
長身の女性は小柄な女性に憧れ、小柄な女性は長身の女性に憧れ、背の低い男性は背の高い男性に憧れるのに、どうして背の高い男性は背の低い男性に憧れないのだろうか。
 
もっとわからない!
自分より背の高い男性と向かい合っても決して気圧されたりしないのに、自分と背の高さが拮抗している女性と向きあうと、どうして!押されるような「気」の力を感じ思わず直立のまま後ろに倒れそうになるのだろうか……私の場合。
 

Apple Computer の CEO(最高経営責任者)であり創設者でもあるスティーブ・ジョブスは 1954年生まれで、私と同い年である。
 
スティーブ・ジョブスは小柄な女性を好む。
 
なぜわかるかというと、私の好みがそうであるからだ。小柄な女性が好きな男というのは、長方形より正方形、直方体より立方体が好きである。そういう男が物作りに口を差し挟むと、長い物は短くしたいし、角張ったものは丸めたがる。女性の姿態から工業製品の形状まで、手のひらに載せてころころと転がして、弄ぶのに“心地よいカタチ”が好きなのである。本人はそれが愛らしいと思っているのだ。
Apple Computer を追い出されて設立した NeXT 社でも、復帰した Apple Computer 社でも直方体はキューブ状にし、キューブ状のものは丸めたがり、ジョブスの作るものはすなわち、どれも私好みの物なのである。
 
IBM 社とモトローラ社が共同開発した第3世代 PowerPC プロセッサ G3(Generation 3)を搭載したミドル・タワー型マシン、Power Macintosh G3 MT 266/ZIP が発売されたのは、1997年のことだ。Power Macintosh 8600/200/ZIP に別段不満は持っていなかったのだが、周りの連中がうるさく「ジーさんを買った!」と頻りに自慢するのが気になっていた。
 
「爺さんを買ってどうする!」
 
と、冷ややかに聞き流していたのだが、Power Macintosh G3 MT 266/ZIP を見て一目惚れしてしまった。Power Macintosh 8600/200/ZIP と瓜二つの美形なのに、一段背が低かったのである。
しかも、小さいくせに性能の良い女性で、懐かしの言葉で言えば“トランジスタ・グラマー”なのだ。ジョブスは大阪弁で言った「背ーーが低いは百難隠しまっせ」。私は標準語で言う「小さなじゃじゃ馬慣らしは楽しい」。
 
今は昔、Apple 家には MT 266 という姉と 8600 という妹の姉妹がいました。8600 はすらりとしたしとやかな娘で求婚者があとを絶ちません。一方、“トランジスタ・グラマー”の姉 MT 266 は、とんでもないおてんばで、将来を案じた父は姉の嫁ぎ先が決まらなければ妹の結婚も許さないというのです。そこへやってきたペトルーキオ、性能さえ良ければ苦労も辞さぬと早速のじゃじゃうま慣らしを始めます。金に糸目をつけず SDRAM DIMM を差しまくり、PCI バスに高速 SCSI カードを差し、OS 8.6 の登場を待って USB 増設カード、IEEE1394(愛トリプルいい1394)増設カードを差し、メディアを吸い込んだまま抜けなくなっちゃうヤクザな Zip ドライブを除去してあげ、高速大容量ハードディスクをぶち込み、フロントベゼルで化粧直しし、と誠心誠意渾身の愛を注ぎ、MT 266 は乗りやすいメス馬、じゃなかった、理想の女性となって我が家の永久保存 Macintosh になりました、とさ。めでたしめでたし。(William Shakespeare原作『じゃじゃ馬ならし』The Taming of the Shrewより)

写真は私好みのサボテン。※G3 MT 266/ZIP 発売当時ジョブスは AppleComputer に復帰していない。
Power Macintosh G3 MT 266/ZIP:CPU=PowerPC G3/266MHz、最大メモリ搭載容量=SDRAM DIMM 168 ピンで最大384MB まで拡張可能

2002年 2月28日 木曜日
【ものよみのものがたり】1…指のヨロコビ

「モノ」もまた書物なり。
 
海外の「著名工業デザイナー」にデザインを依頼することは、企業が虫下しを飲むようなものである。
 
企業の寿命が終末に近づき、価格競争に勝つことこそが生き残りの術だと考えるような情け無い風潮が社内に蔓延してくると、「ものづくり」の「も」の字も理解できないような輩が、企業内の主導権を握るようになる。そうやって自分の足を食べることでサラリーマン稼業にしがみつき、食いつなぎ、社内に芽生えた改革の芽を摘み取りながら、他人の足を引っ張って自身の延命を計る、蛸のような手合いがはびこり出す。「ものづくり」の現場で、足を引っ張る蛸どもを黙らせるのに効果がある事の一つが、「海外著名工業デザイナー」へのデザイン外注だ。蛸は外人に弱い。
 
海外の「著名工業デザイナー」が○○社の製品デザインを手がけたと聞くと、手に取ってみるのが楽しみだ。
社内のハウス・デザイナーたちが、蛸に足を引っ張られて実現できないような造形が盛り込まれ、企業イメージを刷新するような斬新な試みが具現化されていると嬉しい。
ヒトの知能を育んだ器用な指は、心地よいものの手ざわりを喜ぶ。ノック式のボールペンで出来の良いデザインに出逢うとカチコチと用も無いのにノックしたくなる。電子機器のスライド・カバーも見事な出来栄えだと親指で用も無いのに開け閉めしたくなる。造りの良い扇子をパチッパチッと音を立てていじる対局中の棋士に、それは似ている。


 
写真はオーストリアに本拠を置くポルシェ・デザイン社が受注し、クリスチャン・シュヴァムクルーク氏が担当した、富士写真フイルム株式会社のデジタルカメラ、FinePix6800Z の背面にある撮影モード切り替えノブ。ヤスリのような表面の滑り止めが心地よく、用も無いのにクルクルと回したくなる。
クリスチャン・シュヴァムクルーク氏は別段新しくもなく、何処か懐かしくさえ感じるこのテクスチャーがお気に入りらしく、パワースイッチやスマート・メディア収納室ドア開閉スイッチにまで同様の仕上げを施している。アルミ・マグネシウム合金製ボディの冷たいけれど鋭い角のないヌルッとした手ざわりとの、感触のコントラストが心地よい。デジタル機器特有の二次元的で平板な造形に垂直に釘を打ちこむような動きを取り入れた着想も素晴らしいと私は思う。カメラの小型化を求める市場の要求に、手でつかむ部分に長辺を持って来て縦形にすることで、持ちにくさを回避した FinePix が、私は大好きなのだが、その最も完成された形がここにあると思う。
 
触りたい、いじりたいと思わせる「記号」を発散するモノは欲しくなる。モノの「魔」である。手間やコスト削減しか念頭に無い発想からは、こうした「魔が差す」ような物神性は生まれ得ない。要らないはずのモノが欲しくなる魔術こそが「消費」の本質であり、「消費」は芸術であり、狂気であり、人類の悪夢なのかもしれない。
 
外部から取り入れた「魔性の力」を活力とし、その上でコスト削減による採算性も加味した、新たな造形活動の気風が社内にもたらされることこそが、たとえ商売上の成功に直接結びつかなくても、高い外注料、ライセンス料を支払った見返りとなることがあるように思える。

同社が翌春に発売した後継機、FinePix F601 から再び平板で珍奇な造形に逆戻りし、「ポルシェ・デザイン」の誇らしげな名前も消えてしまったことが、企業内部の葛藤を想像させて興味深い。

 


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