電脳六義園通信所管理人 石原雅彦の日日抄

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三好春樹主催・生活とリハビリ研究所サイトの管理日誌です。

2002年 3月 16日 土曜日
【桜便り】

六義園の枝垂れ桜が五分咲きになりました。
23日からライトアップ夜間公開の予定が、例年に無い早い開花で、前倒しで実施されると言う情報もあります。

  願はくは花の下にて春死なむそのきさらぎの望月のころ
 
西行は文治6年(1190)2月16日に没したが、「願はくは花の下にて春死なむそのきさらぎの望月のころ」の歌にちなんで、一般には前日の涅槃(ねはん)の日(陰暦2月15日)を忌日とする。円位忌(えんいき)ともいう。【広辞苑第五版より】
 
桜を見ながら西行の作品をいくつか。
 
  象潟の桜は波に埋れて花の上漕ぐ海士の釣り舟
 
  ゆくへなく月に心のすみすみて果はいかにかならんとすらん
 
  なげけとて月やは物を思はするかこち顔なるわが涙かな

 

※2002年3月16日 午前9時30分 撮影。

2002年 3月 17日 日曜日
【ものよみのものがたり】5…まけるなどろんこさん

「モノ」もまた書物なり。
 
印刷は版画である。
乱暴に分類すれば、印刷は凸版印刷、平版印刷、凹版印刷、孔版印刷に別れ、それぞれが木版画、リトグラフ、エッチング、シルクスクリーンなどの版画技法に対応する。
 
コンピュータを使用してのグラフィック・デザインが当たり前になると、納品時に、急遽従来製版で印刷に回すので、色指定して欲しいなどという話になり、どうして良いか分からず、色指定自体、その方法を知らないなどという、若いデザイナーも現れ始めているらしい。学生時代の美術教育で版画というものに触れていれば、所詮大量生産される商業印刷物も、人の手仕事による版画の延長に過ぎないということが自然にわかるものなのだが、すべての手仕事に通底する原理への理解などというものも、やがては滅び行く時代なのかもしれない。
 
DTP(コンピュータを使用したグラフィック・デザイン)全盛の今、ほんのちょっと遡れば写真植字を利用しての版下づくりが主流であり、もう少し遡れば活字を利用した指定版下が主流の時代があった。私はかろうじて、その全てを体験している。だがいずれも天然色の印刷物を作ろうとすれば、写真分解といって、原画をシアン、マゼンタ、イエロー、ブラックという印刷インク四原色の「版を作ってもらう」ことになる時代であった。それぞれの版を手作業で作成する版画家の手仕事に比べれば、すでに機械というブラック・ボックス頼みの世界に突入していたのである。
 
池田満寿夫という版画家がいた。
1934(昭和9)年、旧満州奉天市生まれ。1945(昭和20)年終戦と同時に母と郷里長野市に引き揚げ、高校卒業後、1952(昭和27)年に上京し、後に版画家としてデビューを果たす。1960年、1962年、1964年と東京国際版画ビエンナーレ展で連続受賞し、1966年ヴェネツィア・ビエンナーレ展において版画部門の国際大賞を受賞することで、世界的な版画作家と認められるようになる。
 
近所の小さな出版社の編集者が、面白いものを見つけたから、見に来いという。
なんと昭和三十年代、まだ二十歳代で窮乏生活の時代だった池田満寿夫が手がけた装丁の書籍がたくさん出て来たという。当時の事情を知る担当者は既に現役を退いてしまっているので、事の詳細は定かではないが、1965(昭和40)年、ニューヨーク近代美術館での日本人初の個展を機に渡米するまで、彼の生きる糧となっていたことが容易に推察される。生活の糧を得るために池田豆本という全9冊の稀少本を制作していた貧困期なのである。
 
私がグラフィック・デザインの世界に入る以前、写真製版が全盛になる前の印刷の現場は、職人芸に頼る部分が多く、版下画工などと呼ばれる職種の人々がいて、手作業で原画を見事に四つの版に描き分け、その技法を「四版描き分け」などと言っていたと聞く。その技巧による古い印刷物を展覧会などで見ることもあるが、実に見事なものである。
 
原理を理解していれば、私とて、そのような仕事の形態に戻れる自信はある。無いものがあるとすれば、体力と根気、そして表現しようとする燃えるような若い熱意かもしれない。
版画家にとって、四版描き分けなどというのは、それ自体が自身の表現技法であり、当時の若き池田満寿夫にとって、これらの作品づくりが、貧しくとも楽しい、趣味と実益を兼ね備えた手仕事であったことを祈りたい。
「まけるなどろんこさん ―精薄児の職業教育―」大石三郎著、全日本特殊教育研究連盟編、特殊教育双書、日本文化科学社 1963(昭和38)年6月20日発行、装丁:池田満寿夫。おそらく、池田満寿夫自らのものと思われる手書きタイトルと、特色四色描き分け製版による、国際的版画家として後に開花する若き才能の煌めきが美しい。
 
池田満寿夫美術館
http://www.ikedamasuo-museum.jp/index.htm
池田満寿夫の世界展――黒田コレクションから
2002年1月26日(土)〜3月24日(日)|東京都美術館|東京・上野公園

http://www.nikkei.co.jp/events/masuo/index.html

2002年 3月 19日 火曜日
ガンと戦争

歩いて行ける範囲でとれる食物を食べて生きて行くことこそ健康の秘訣なのだそうだ。
 
狩猟、漁労、採集、耕作、都会暮らしでは夢のような生活も、都市を離れれば今でも夢では無い。
我が郷土静岡県清水市でも、ぶらっと港の岸壁に行けば、都会で高いお金を出して購入する魚の類いを、子どもでも容易に釣りあげることができる。しかも、飛び切り鮮度が良く、生活の糧を手掴みするような達成感もある。そんな港の釣りを私に教えてくれたのは、仲の良い1歳年上の従兄を子に持つ母方の伯父だった。
 
趣味と実益を兼ねた釣りであっても、毎日仕事もせずに岸壁通いするわけにはいかず、伯父は酒・タバコ・ギャンブルに手をつけないことと引き換えに、毎夜、早々に就寝し、早朝起き出して単車にまたがり岸壁に出掛け、沢山の釣果とともに、朝食までに帰宅するのを日課にしていた。その釣りに連れて行って貰うのが、夏休み中、私と従兄の楽しみだったのである。
 
真面目一徹、真実一路、仕事でも出世を望まず、在職中は一日も仕事を休むことがなく、礼儀を重んじ、父親のいない私を実の子のように可愛がり、地味で目立たず、誠実さのみを黙々と実践しているような伯父だった。
 
定年退職後は娘夫婦の住む内陸部に転居し、大好きな岸壁の釣りも叶わなくなった伯父が、私は少し気がかりだった。
全国社会福祉協議会の依頼でボランティアグループの広報紙づくりに関する講演を依頼された際、参加した静岡県のボランティアグループの女性が、講演終了後、私に近づいてきて「あの人」の甥御さんでは無いかと言う。なんと、伯父は岸壁の釣りのかわりに、手話通訳ボランティアとしての楽しみを選び、真面目な参加者として評判になっていたのだった。伯父らしいな、さぞ有能なボランティアになったのだろうな、ボランティア広報誌で少しは名の通った私を自慢にしてくれていたのだろうな、と思うと、実の息子のように伯父が誇らしく、また嬉しくもあった。

その伯父が、先日、末期ガンと診断され、伯母とともに医師からの告知を受けた。
とても私の口からは言えない、伯父がどれほど衝撃を受ける事か、そう気づかう伯母を横に、伯父は落ちついて、
「自分とともに戦地への招集を受けた郷里の友人は皆戦死し、自分だけ生きて故国に戻ってきた。だから、その後の人生は自分に与えられたオマケだと思って生きてきた。だから宣告も心安らかに受け入れることができる」
と、妻と医師ににこやかに語ったという。
 
私には衝撃だった。
伯父がこれほどの深い思いで、戦後の人生を歩んでいたことを、従兄は聞かされていたのだろうかと戸惑うとともに、実の子でなければ、知り得ない父親像というものがあるのだなぁと感慨深かった。
 
現代人の4人に1人はガンに罹るというし、4人に1人どころではなく、たとえ健康体であっても全員が、必ずいつかは死ぬのである。だが、私たちはガンによる死の宣告に惑乱し、ガンとの戦争に立ち向かうこともある。それは残される者たちのために、銃を手に立ち上がる兵士に似ている。
たが伯父の「生きるための戦争」は、天皇の詔勅とともに終わっていたのだ。凡庸なようでいて決してそうではない「オマケ」の人生は、死に至る病いは戦いの対象ではないという、安らかに最後の日を迎えることのできるような思いに至る、生かされてあることへの祈りに満ちたものだったのだろう。
 
いま万感の念とともに思い浮かべる、黙々と糸を上下する若き日の伯父の釣り姿、そして穏やかでありながら毅然として死を受容した伯父の笑顔は、実の子のように私に残してくれる、最後の大切な贈り物なのかもしれない。

※写真は高橋是清翁。暗殺されて銅像となったが、今も旧居跡でこの国の中心を見据えている。

2002年 3月 21日 木曜日
【言葉の膝が笑う時】

「膝が笑う」という慣用句を創案した人の言語感覚は素晴らしい。
 
山歩きなどして極度に疲れ、膝に力が入らず、わなわなと震えたりする時、確かに膝が笑っているように感じるからだ。
一方、思わず膝が笑うような衝撃を、聞く人に与える“言語感覚”を持つ人もいる。
 
お世話になっている出版社社長の T さんもその一人だ。
「えーと、テレサ・テンじゃなくて、マザー・グースじゃなくて…」
と来たら、彼は“マザー・テレサ”の話をしようとしているのである。
一般的に、人間というのは“マザー・テレサ”の話をしようとすれば、“マザー・テレサ”の姿を思い浮かべ、その名前を思い出してから話し出すものだが、いきなり連想された言葉がほとばしってしまうのである。木炭デッサンをしようとしてイーゼルに向かう時、モデルを見ないうちから手が勝手に動いて、くねくねと女性の裸体を描き始めているようなものだ。
 
そういうタイプの人は思い込みによる勘違いも多く、間違った言葉を平然と使用していたりするのだが、それがまさに膝が笑うように可笑しいのだ。
「みんなで俺のことをスケート・ボードにしやがって…」
と怒って言う時、彼は“スケープ・ゴート”と言っているつもりなのだが、生贄の山羊にされるより、みんなにスケボーにされている T さんを思い浮かべると、膝が笑うように可笑しい。
 
私の母もそういう人で、
「最近はスッポンパンテーが気に入っている」
と言う時、母は下着の“スパンティ”の事を話しているつもりであり、
「出刃地下に行けば売ってるかねぇ」
と言う時、食品売り場と出刃包丁の連想にひかれて、“デパ地下”と間違えているのである。
「デパートの地下食品売り場だからデパ地下なんだよ」
と教えても、一度思い込んでしまうと、一向に改まらない。

桜満開の静岡県清水市、旧東海道沿いで長年手芸用品店を営んでいた一人暮らしのお年寄りが店を畳むという。また郷里に“しもうた屋”が一軒増えるのである。年寄りの助けになればと、片付けの手伝いに通う母なのだが、店にある物は全て持って行って良いと、お年寄りがおっしゃるのだそうだ。二束三文で売り払うより、愛着を持って使ってくれる人に只で持って行って貰うというのも、桜の季節に相応しい人生の散り方のような気もする。
 
母もまた年寄りといえば年寄りに近い年齢なので、いただいた物を持ち帰るのも一苦労で、ご近所から“大八車”を借りて運んでいると言う。昔の人だから、“リヤカー”などというカタカナ言葉も知らず、“大八車”などという時代がかった言葉が出て来るのかなと、それはそれで面白く聞いていた。
昨日も、朝の定期便で電話をかけたら、今日も“大八車”を借りて片付けの手伝いに出掛けると言う。
「今時、リヤカーなんか持ってる人が、よく近所にいたね」
と言うと、
「リヤカーじゃない、大八車だよ」
と強弁するので、
「本当に、近所に、今時、大八車を持ってる人がいるの?」
と聞くと母が怒り出した。
「あんたが、粗大ゴミや古新聞を出す時に便利だから、帰省した時に買ってやると言ってた、あの大八車だよ!」
 
母は私が言った“台車”を、“台”と“車”に分解し、いつの間にか“八”を挿入して“台八車”と思い込んでいたのである。
 
こういう奇想天外な勘違いと思い込みを伴う言語感覚を、私は一つの才能かもしれないと思うことがある。
T さんにしろ、我が母にしろ、その脳内から噴出する珍語・奇語に、飛翔力のある詩人の言葉に通じるものを感じるからだ。
満開の桜の下、毎日、旧東海道を、大八車を押して往復する元気な母を想像すると、膝が笑うようにほのぼのとした笑いが込み上げて来て、小さな幸せを感じずにはいられない。

2002年 3月 23日 土曜日

【装丁拾遺抄】
1……手早さの効用

手早く的確に仕事をこなす人がいる。
 
手早いのに的確であることに、私のような愚鈍な人間は驚く。
手早い人の描く線には伝達力としてのスピードがある。スピードのある線は、見るものに受け入れられるのも速ければ、拒絶されるのも速い。漫画雑誌をぱらぱらとめくり、タッチを瞬時に判別して好きな作家を決めるように、見る人に瞬時に好き嫌いの判断を迫るところが、手早く描かれた勢いのある線にはある。手早く勢いのある線で作品を提示するには勇気が必要であり、確実に人の好みにかなう説得力が無いと、お金をいただいて生業として行くのは難しい。スピードと的確なハンドリングを要求される F-1 ドライバーに似ている。
 
仕事のパートナーとしてスピード感のある人と出逢うことは楽しい。
こちらも、そのスピードに合わせてハンドルを操らなければならないわけで、難コースでのマッチレースに似ている。

小林裕美子さんは漫画家志望のイラストレーターである。
編集者の出身大学の後輩ということで紹介されたのだが、少女と呼んだ方が良い若さにまず驚いた。
打ち合わせの段階で、編集者と装丁者は好き勝手なことを言うのが仕事であり、イラストレーターは自身の能力と感性に照らし合わせて、出来ないことは出来ないと言い、やりたいことはやりたいとしっかり意思表明しなくてはならない。そうしないと、仕事場に戻って真っさらな紙に対峙した時、とんでもない苦しみに煩悶しなくてはならないからだ。
 
私と編集者は同い年であり、編集者は奇想天外な注文をつける人であるため、私の方は自分の娘であってもおかしくない彼女の事が気がかりで仕方なく、父親のようにはらはらする役回りになってしまう。どんな注文をつけても、はにかんだ笑顔を見せつつも「できます」「描けます」としか、言わないからだ。「おいおい、本当に描けるの?」と、心配で仕方ないのだ。しかも、上・下二巻の膨大な本文イラストも依頼され、しかも二冊のタッチを描き分けよという、厳しい注文までついているのだ。
 
小林さんは東京造形大学の出身で、お父上がデザイン会社を経営されているせいか、イラストレーションに関してはかなり早熟で、手慣れた腕前を持っていた。打ち合わせ後、早々に電子メールで送られて来るラフ・スケッチを見て、ひと目で「任せられる」と確信した。ただし、ラフの段階のスピード感が、本番になると「お清書」になって失速してしまう描き手も多いので、それだけが気がかりではあった。
 
良い娘を持った父親というのは、心配させるのも孝行のうち、などという娘の温情で生かされているような面があるのかもしれず、娘の方は手早く的確に仕事を済ませると、あっという間に猛スピードで遥か彼方に走り去ってしまった。

今、私の手許には、三冊の完成した本と、素っ気ない数通の電子メールが残されているだけである。
 
体脂肪を落としてきれいに引き締めたい!女性 のためのパーフェクトダイエットメニュー
『いますぐ5キロやせる』大野 誠・牧野直子著|株式会社法研|装丁:石原雅彦|イラスト:小林裕美子
肥満が気になってきた!男性 のためのパーフェクトダイエットメニュー
『かならず10キロやせる』|大野 誠・牧野直子著|株式会社法研|装丁:石原雅彦|イラスト:小林裕美子
『避けられない苦手な人とつきあう方法』|渡辺康麿著|株式会社法研|装丁:石原雅彦|イラスト:小林裕美子

 
小林裕美子さんのサイト

2002年 3月 25日 月曜日
【異郷と故郷】

故郷より異郷が魅力的で、人生そのものが異郷への旅のように感じられたのは、四十歳くらいまでの事ではないだろうか。
その年齢を過ぎると、過去の人生そのものが捨てた故郷のように感じられるし、これからの人生もまた永遠という絶対の故郷へ帰る旅のように思えてきた。人生の異郷は今この時、生きているこの地点にしか無いと感じるようになったのである。
 
東京都世田谷区桜新町。
インターネットで知り合った出身中学の先輩、そして同様にネット上で再会した中学・高校時代の後輩と、桜咲く初めての土地で待ち合わせをした。先輩の会社がその町にあるのだ。
少し早めに着いて町を散策していたら、喫茶店で時間潰ししていた先輩に呼び止められ、町内観光案内をしていただいた。かつて電機メーカーの会社員時代の後輩が住んでいて、何度となく聞かされていた、いわくつきの町であり、漫画「サザエさん」の作者、長谷川町子が暮らした町でもある。
通称「サザエさん通り」を歩き、長谷川町子美術館へ。満開の桜並木から脇道に入ると、わずかばかりの畑もあり、かつては農地だったという往時が忍ばれて楽しい。
 
今この時こそが人生の異郷のように感じ始めてから、私は散歩が楽しくて仕方ない。見知らぬ路地を見つけ、あの角を曲がる瞬間にどんな光景が開けるのかと、想像しながら歩くのが楽しくて仕方ないのだ。そして、歳を重ねるうちに見飽きた町ですら、街角を曲がる度に気づく小さな季節の移ろいに、異郷を垣間見ようと努力する楽しみ方ができるようになってきた。
 
 ***
 
私は人生で二度故郷を捨て、二度とも別れの儀式に参加していない。
 
高校卒業を機会に、何としても郷里を離れたかった。
息苦しさを感じる田舎町を捨てて、ひとり異郷に暮らしてみたかった。
高校の卒業式は、大学の受験日と重なり、私のかわりに母親が出席して卒業証書を受け取っている。同級生や恩師に別れも告げず、異郷の地への進学で故郷に別れを告げたのだ。
 
大学卒業時には、郷里への就職も考えないではなかったが、親から金銭的援助を受けることからの卒業も考え合わせて、異郷の地でさらなる見知らぬ世界へ旅することを選んだ。
卒業式の日、私は既に就職の決まっていた会社でのアルバイトを理由に、卒業式を欠席している。今になって思えば、完全に故郷と決別することへの後ろめたさもあって、意地になっていたような気もする。かつて、卒業後は郷里のために働いて欲しいとの願いを書き添えた奨学金をいただき、故郷をあとに上京していたのである。
 
今の自分なら、東京ではなしに、たとえかつて捨てた故郷でも、毎日を小さな異郷への旅に喜びながら、淡々と残された人生を生きて行けそうな気もするのだが、一度東京劇場の観客になってしまったら、幻の異郷の卒業式を自ら執り行い、座り慣れた席を立とうとしても、それは容易ではない。

 
 ***
 
黄昏時の二子玉川へ友人たちと繰り出す。
かつて野菜畑だった土地に建ち並ぶ、誘蛾灯のような夥しいビル群の放つ光に、誘われて集う人の行列で道路は大渋滞。心の中にしか異郷は無いなどと思い込み、どうして人はこんなまやかし物の街に群れたがるのだろうと訝しんではいても、いつの間にか新たな異郷創造の企みにまんまと嵌まり込んで行く自分を感じて戸惑う。やがて酒も回って表通りに繰り出せば、一人前の夜盗蛾になって、ふわふわと彷徨い行くのみなのである。
 
 ***
 
面白き こともなき世を 面白く 生きなすものは 心なりけり
 
高杉晋作辞世の句の心境を実践するのは容易ではない。

※高杉晋作の上句「面白き こともなき世を 面白く」に晋作の最後を看取った、野村望東尼が「生きなすものは 心なりけり」と句を継いだと言われている。写真は二子玉川と友人たち。

 

2002年 3月 26日 火曜日

【装丁拾遺抄】
2……投げ飛ばし介助術

装丁の仕事を引き受ける時、私はデザイン料の多寡をあまり気にしない。
 
時にはデザイン料を支払えない依頼者からの仕事も引き受けるし、料金が安すぎてこちらの持ち出し分だけ赤字になる仕事もある。それでも引き受けたくなるほど魅力ある仕事に専門を絞って、自分が生活していられることを有り難くさえ思う。
 
毎日忙しそうにしている私に、
「他の同業者は仕事が無くて悲鳴を上げている昨今、どうしてそんなに仕事が有るのか、その秘訣は何か」
などと素直に質問をされる方もいる。
「一銭の金にもならない仕事でも引き受けて来たことの積み重ねがあるからではないか」
とお答えすると、
「それはそもそも、そういうやり方で食えるだけ最初から豊かであったのであり、豊かな者の言い草にすぎず嫌みに聞こえる」
などと言われることもある。
何とも空しく、哀しく、“貧しさ”というものも、その尺度は“所有する金の多寡ではない”のだなぁということを実感する。
 
装丁という仕事は楽しい。お金にならなくても楽しい。
わずか数千円の装丁料の振り込みがあると妻と大喜びし、その夜は少しだけ贅沢な食卓を囲めることに感謝しあったような貧しい時代からずっと、その仕事は楽しかった。
 
自分の装丁した本が書店に並ぶのも嬉しいが、私は本の作り手に会えることが何よりも嬉しい。
打ち合わせで編集者と会い、その本がどういう内容の物で、書き手がどんな方で、どんなにその本が素晴らしく、どんなしつらえで世に送り出したいかを、滔々と語るのを聞くのが好きなのである。
 
編集者の計らいで、著者に引き合わせていただけることは、さらに嬉しい。著者が素晴らしい方であればあるだけ、どんな労力も苦にならないほどの、働く意欲を与えていただけるからだ。
そして、さらに本文のレイアウトを担当する方、写真家、イラストレーター達との共同作業も楽しみの一つで、完成した一冊の本を囲み、皆で乾杯する夜ほど、人と人とが関係の中で働くことの喜びを感じる瞬間はない。
 
振り返れば、引き受け手のない仕事でも進んで引き受け、その機会の中で出会った、編集者、著者、レイアウター、写真家、イラストレーターなど、本作りに携わる人々に引き立てられて、こうして忙しく仕事をさせていただけるようになっていたのである。
 
   ***
   
『腰痛を防ぐらくらく動作介助マニュアル』、一流の出版社で、相応の報酬をいただいて仕事させていただいた本が出来上がって来た。医療の現場で働く方のためのマニュアルであるから、ことさら奇を衒った装丁ではないが、手に取ってパラパラとページをめくる度に感慨深い。
 
患者のトランスファーに関する画期的なマニュアルであるという説明を編集者から聞き、著者自ら撮影されたというビデオを拝見し、感激した私は「投げ飛ばし介助術」と題して日記を書いた。その日記を編集者がプリントアウトして著者にお見せしたら、いたく感心されてしまったなどというエピソードも懐かしく思い出される。
 
その頃の日記を読み返すと、私は両親との葛藤に決着をつけたくて、日記の中で煩悶していた時期であり、この本の仕事で関係者にお会いするのが、何よりもの慰めになっていたのである。ビデオが余りにも素晴らしいので、いっそのこと動画CD-ROMを付けることにした、などと編集者との会話が盛り上がるたびに、しばしの安息を与えていただいていたのである。
 
一冊の本ができ上がるまでに、沢山の人々との交流があり、ページをめくる度に懐かしい思い出が温もりとして感じられる本を手にすることはありがたい。
仕事の喜びというのは、人と人との関係の中にこそあり、多寡を尺度とするならば、それは金銭だけではないという思いを共有できる人々と、私はのんびりと歩きたい。
 
『腰痛を防ぐらくらく動作介助マニュアル』|山本康稔・加藤宗規・中村惠子|医学書院|3,600円(動画CD-ROM付)|装丁:石原雅彦|本文レイアウト:池田編集事務所

2002年 3月 28日 木曜日

【装丁拾遺抄】
3……煌めく星座

満天の無数の星たちが占める位置が重なり合うことのないように、人それぞれ、二つとない独自の個性を持っていて、どんな人の心の中にも、覗き込む気になりさえすれば、もう一つの目も眩むような宇宙が内包されている。
 
時に、一人の人に心引かれて、その心の宇宙を旅することもある一方、映画館の券売所でキップを買う時は、窓口の女性の心の深奥に思いを馳せたりすることなど無く、あたかも壁と向きあうように接することもあり、私たちは都合よく、その両方を使い分けているのだろう。
それは、一人ひとりの個性を煌めかせることを標榜しながら、無情に雛を選別する養鶏場のごとくシステム化されて行く、教育の現場にも似ている。
 
片や、自分が他人にどう認知されたいかと決断を迫られる時にも、他人と違うかけがえのない私という個性を主張することもあれば、他人と何ら変わらない何処にでもいるような私と思われたいと、没個性を希求することもあり、私たちは、それもまた器用に使い分けているのだろう。
 
   ***
 
イラストレーターなどという肩書きで、絵を描くことを生業としている方と名刺交換すると、ご自身の似顔絵を印刷されている方が多い。ファックスの送信表に、にっこり笑った顔が描き添えられていることもある。
 
なるほど、良く特徴を捉えて似ているなぁ、と感心するものが多いのだが、中には全然似ていなくて、本物以上に美化されているものもあり、また、この人は自虐嗜好のある人なのかしらと首をかしげたくなるものにも出逢う。
 
東京都中野区東中野、JR中央線の数ある駅の中でも、私鉄沿線の小さな駅のように、奇妙に影の薄い不思議な駅だ。
 
本の装丁にイラストが必要になった時、私が書き手を探すこともあれば、編集者と相談しながら探すこともある。そして、年に一度有るか無いかだが、描き手を指定されて、私が直接指示を出して仕事を進めて欲しいなどという依頼がある。親の決めた縁談を強制されるようなものであり、なんとか良い面を見つけて良い家庭を築けるようにとの、潔い覚悟が必要になる。
 
伊藤真理子さんは、そのようにして出逢ったイラストレーターの一人である。
東中野というのは敬愛する天才画家貝原浩さんの仕事場のある町でもあり、伊藤真理子さんとの縁も貝原浩さんが仲介役になられていたと聞く。
 
早めに着いて、鄙びた商店街を歩き、満開の桜を眺めたから、あれは2001年の春のことだろう。
伊藤真理子さんからいただいたファックスに似顔絵が添えられていたので、待ち合わせの改札口で行き交う人びとの顔を照合しながら指定の時刻まで待つ。江戸時代、瓦版屋の似顔絵片手の下手人探しのようだ。私は背が高く丸い眼鏡をかけてジーンズをはいています、と電話で伝えておいたので、彼女の方から見つけてくださった。
 
(な、な、なんだ、なんだ、なんだ、似顔絵にぜんぜん似てない!)
 
ちょっと、どぎまぎしてしまい、喫茶店を探すのだが彼女に相応しい気の効いた喫茶店が無く、ミスター・ドーナツに入る。
 
(コーヒーと一緒にドーナツはいかが?僕はフレンチ・クルーラーが好きです)
 
なんて、初対面では言えないし、コーヒーだけではご馳走するにも安すぎて情け無い。
そそくさと打ち合わせを済まし、早々にお別れしてしまった。
彼女も Macintosh ユーザーであり、インターネットも使えるというので、あとはメールでのやりとりということになったのだ。
 
Photoshop で仕上げていただき、添付ファイルで受け取るのだが、
 
「JPEG はファイルサイズは小さくなるけど、非可逆圧縮だからダメ、TIFF は可逆圧縮できるけど、できれば EPS で保存して圧縮ソフトを使ってくれると有り難い」
 
などという話しも何とか理解していただけるので一安心。
と思ったら、添付しているはずのファイルが届かない。メール・ソフトは何をお使いかと訊ねたら、何と“ポスト・ベット”だと聞いて、目の前がピンク色になった。
 
(仕事では、ポスト・ペット以外のメーラーを使おうよ〜)
 
などと女性に強要するような無粋な男では無いので、早速ポスト・ペットをダウンロード。
メールをピンクの熊さんが運んでくれるので、早速自分のペットに名前を付けて飼育開始。おやつをあげたり、撫でてあげたり、お風呂に入れてあげたりしないと、いかにひどい飼い主かを先方に郵便配達した際、告げ口したりするとも聞いて居り、悪印象を持たれたりしてはいけないと、仕事の合間にも世話を欠かさない毎日が続いた。
 
仕事終了後にも、伊藤真理子さんと、Photoshop での着彩法、Illustrator での版下作成法などを、ペットが仲介する添付ファイルを利用して指導するやりとりが数回続き、ペットが何やら宝物を頂いて持ち帰るなどということもあった。
 
ふと我に返ると、四十代後半にもなってマウスでペットを撫でている我が身が恥ずかしく、ピンクの宇宙から脱出し、音信も途絶えてしまった。その後、ポストペットのフォルダを見る度に、中で垢だらけになって餓死寸前になってるのかなぁ、いやミイラ化したか白骨化していて、壁には書き殴った怨嗟の言葉が、などと想像すると恐ろしく、ゴミ箱に捨てて消去してしまった。ペットのポイ捨てに似ていて後味の悪いことこの上ない。
 
   ***
 
今年もまた桜が咲き、伊藤真理子さんとお仕事するご縁が巡って来た。
頂いたメールのヘッダを見ると、Microsoft-Outlook-Express-Macintosh-Edition とあって一安心。ご丁寧な礼状のシグネチュアを見ると URL が書かれていて、ご自身のサイトを構築されたらしい。
どれどれとクリックすると……
 
(あらら、プ、プライバシーが、ま、丸見えじゃん。あ、ま、前が前が……見えないか)
 
伊藤真理子さんの膨張宇宙はインタネット上で今も元気に拡大中である。
 
『福祉キーワードシリーズ――ボランティア・NPO』|雨宮孝子・小谷直道・和田敏明編著|中央法規|1,800円|装丁:石原雅彦|イラスト:伊藤真理子
『主婦うつ――あなたの笑顔を奪う7つのうつ病』|大野裕著|法研|1,200円|装丁:石原雅彦|イラスト:伊藤真理子

伊藤真理子さんのサイト
いとうまりこだよ!

2002年 3月 29日 金曜日
【野鳥名鑑】

コンビニエンスストアというのは駄菓子屋に似ている。
 
子どもの頃は、消費のまねごと、友達との腕比べ、博打的な刺激、目眩いのするような快楽を求めて駄菓子屋に通ったものだ。
 
そしていい大人になっても、外で酒を呑んで気持ち良くなると、用も無いのに友人や妻と連れ立って深夜のコンビニに立ち寄ったりする。
用も無い時に、用の無い物の並んだ棚を眺めるのが楽しく、用の無い商品を買い込んで、翌日の朝、
 
「なんでこんなもんを買ったんだ?」
「あなたが、絶対これが欲しいって駄々をこねたから買ったんでしょう? 覚えて無いの?」

 
などという会話になって大笑いする。
 
必要になった時、即座に手に入ると便利な商品が並んでいるのがコンビニであるようにしか、素面の生活者の時間帯には見えないのだが、酔って店内を歩いてみると、何でこんな物を売ってるんだ?と、思える奇妙な商品に気づいたりする。そして奇妙に思えば思うほど、買って見たくなって仕方ないのである。
 
私の場合は、形の必然性が見えて来ない奇妙な形のライターであったり、遊び方の全く想像できない玩具であったりするのだが、妻の場合は奇妙な食材を組み合わせ、珍なる商品名を付けられ、封を切った途端ペットフードのような匂いのする珍味であったり、価格不相応で美味しいはずがないと思える巨大ロール・ケーキだったりする訳で、酔って人間が羽目を外すと、しでかすことにも差があって面白い。
 
昨夜も肌寒い夜風に吹かれて近所のコンビニに寄り、リアルな小鳥の置物を買ってしまった。食品の棚に突然そんな物が出現しただけで奇妙に可笑しく、八種類ある中から語感が良いので「ホトトギス」を買ってみた。鳥の置物に何で賞味期限が書いて在るのかも不思議だったのだ。
 
合成ゴムで作られたリアルな鳥や枝を、ABS 製の台座に取り付けると出来上がりで、ちょっとジオラマを見るようなリアルさがあって面白い。ABS 製台座の下に電池室があり、ボタン電池が入っていて、絶縁ビニールを引き剥がし、台座の上の小さなボタンを押すと、その鳴き声が聞こえるのである。
 
子どもの頃母親が、アイディア商品の店で電子音の鳥の鳴き声が聞こえる鳥篭の置物を買って来たことがあるが、とても癇に障る音で聞けたものでは無かった。だが最近の電子部品は進化しているようで、実際に録音された鳥の鳴き声が再生されるようになっているようなのだ。「カワセミ」などは、川のせせらぎまで聞こえる。まさに立体野鳥図鑑なのだ。
 
うーんと感動しながら空箱を振ると、透明フイルムに入ったタブレット状の乾燥剤か脱酸素剤とおぼしき物が転がり出て来た。合成ゴムが湿度を嫌うからかなぁ、などと考えながら眼を近づけて見ると「ラムネ菓子」と書かれている。ラムネ菓子を一つ入れることによって、菓子売り場で私たちのような奇妙な出逢いを喜ぶ者の衝動買いを誘う戦略なのである。
 
販売者である株式会社バンダイのサイトを訪れて見ると、このような商品は「キャンディ・トイ」と呼ばれて、中々のヒット商品らしい。
 
翌朝、妻が義父母に見せると大喜びして早速買いに行くという。妻も興奮して「カワセミ」「ヤマガラ」「モズ」を買い込んできた。予想外の好評なので、仕事の打ち合わせで訪れた理化学系出版社の編集者に見せると、
 
「良く出来てるなぁ、これで300円なら電池代と思っても安いじゃないですか!」
 
と興奮して、帰りに買ってお土産にするという。酔漢だけでなく、素面の生活者でも欲しがるような知育玩具が、驚くべき販売価格を実現するために中国大陸で製造され、裏技のような策を弄して食品棚に置かなければ売れないことが、この時代を象徴しているのかもしれない。

野鳥名鑑のラインナップは次のとおり。【1】「カワセミ」【2】「ウグイス」【3】「ヤマガラ」【4】「メジロ」【5】「モズ」【6】「ホトトギス」【7】「オオルリ」【8】「コマドリ」

2002年 3月 31日 日曜日
【如何わしさの向こう側】

毎日たくさんの如何わしいメールが届く。
 
サイトなどを公開し、実名で駄文を書き殴り、メーリングリストを主催し、どこにでも平気で実名入りメールアドレス付きで登場したりするので、「おめでとうございます! あなたは如何わしいメールを送りつけるのに最適な男性であると認定されました!」などというメールが、いつの日か、突然届いたとしても大して驚かない。
 
如何わしいメールを読み、喜び勇んで URL をクリックするような愚行はしないし、それどころか社会風俗観察の貴重な手がかりになるので面白く拝読している。
メールの先、数クリックの向こう側にあるものは、確かに如何わしいものなのだろうが、その誘惑メール文面の何と貧相なことか。如何わしさの薫るような、もう少しましな惹句が書けないものだろうか。書き手は単なる馬鹿なのだろうか、いや、いきなり他人のズボンに手を突っ込むような商売をネット上で思い付くような薄汚れた才気ある者が、薄汚れた馬鹿相手に馬鹿を装っているのか、その辺のところにも興味が尽きない。
 
かつて、「芸能人」や「制服の女子高生」などという人々は仮面の下に自己を隠して生きているわけで、ダイヤモンドが傷つかないように、多少の如何わしさのネタにされたところで、大した痛みも感じないに違いないと思い込んでいた若い時期がある。
だが最近は、仮面の下に自己を隠して、如何わしいものにも平気で手をつける「一般大衆」こそが、気味悪くも強固な人造ダイヤであり、「芸能人」や「制服の女子高生」などという、有りもしない仮面を押しつけられた人々の生の痛みにこそ、思いを至らせられる年頃になったことを感じる。
「芸能人」や「制服の女子高生」を如何わしさ耽溺の踏み台にすることは「死体陵辱」に似ている。
 
   ***
 

仕事の合間に、メーラーの受信メールを整理していたら、タイトルも本文も盛大に文字化けしているメールを見つけた。
如何わしいメールの送り手が、あろうことか送信時の文字コード選択を誤ったのであり、とぼけた誘惑メールだなぁなどと思いながら本文を見ていたら、文字化けの海の中に、「引用」と「署名」の島影らしきものを発見して、如何わしさが薄らいできた。「引用」と「署名」のある如何わしいメールは少ない。
 
このような誤送信メールの発信元は Outlook であることが多く、私のように Outlook Express や Microsoft Entourage を使用しない Macintosh ユーザーは正常に受信できないことが多い。「間違った書き方・送り方をされたメールを無理に修復して受信できるようにする必要はない」と、オンライン・ソフトのサポート・メーリングリストで論破されたことがあるが、それも一理あると思う。
 
私は so-net のメールサーバーをメインに使用しているのだが、すべての着信メールを、サイトがあるレンタル・サーバーのメールボックスに自動転送するように設定してある。Windows マシン(現在故障中!)ではそちらのメールサーバーを利用しているのだが、理由は無料のウイルス駆除サービスが組み込まれているからだ。
件の文字化けメールは so-net のメールサーバーからは時間切れで削除されてしまったが、レンタル・サーバーのメールボックスには保存されていることに気づき、急遽、Macintosh で Microsoft Entourage にアカウント設定をして受信してみた。
「初めまして」と題して、管理人の日日抄「僕の細道」に関する感想をお寄せいただいたものだった。
文字コードを切り替えてメール交換される方なのかもしれず、危うく善意のお便りを読まずに消去してしまうところだった。慌ててお返事を書こうと思う。
それにしても、今まで捨てていた文字化けメールが気にかかる。
 
日日抄でも取り上げている某出版社からは、担当者のほとんどから文字コード選択を誤った文字化けメールが届き、私は指摘するつもりもないので、相変わらずその方式でやりとりしているらしい。送信者が間違いを発生させたソフトで、受信者が受け取ると「文字コード自動判別」機能で修正してしまうという、マッチポンプ式のメールソフトが OS と抱き合わせで市場を寡占している状態なのだから、間違いも間違いでないように見えてしまうわけで、まさに「一般大衆の如何わしさ爆発!」のように、思えてならない。

 


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