電脳六義園通信所管理人 石原雅彦の日日抄

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三好春樹主催・生活とリハビリ研究所サイトの管理日誌です。

2002年 5月 1日水曜日
【僕の居場所】

山形生まれの叔母が自分のことを“わっし”と言っていた。
昔の男が使う“あっし”に近くて奇異な感じがし、女性が自分を指す一人称代名詞といったら、“私”“わたくし”が一般的だよなぁ、“あたし”“あたい”もくだけすぎていて嫌だなぁと思ったりした少年時代があった。
 
一方、男の方はバリエーションが豊かすぎて好き嫌いでは判断がつきかね、“私”“わたくし”“俺”“僕”“小生”“当方”“手前”“我が輩”“予・余”“自分”“わし”“拙者”“身共”“某(それがし)”“こちとら”“おいら”などなど、なんとまぁ“自分”の選択肢が広いことよと呆れたりもした。それほど気疲れしながら自分と外界の接点を模索するのも、男の性(さが)のような気もする。
 
あの人は自分のことを何と呼んでいたっけなぁと、一人ひとり、男の友人を思い浮かべると、話し言葉でも“俺”“僕”“私”“おいら”などをかなりいい加減に使い分けている姿が浮かんできて可笑しい。場面場面で座り心地の良い、身の置き場所探しをしている子犬のようにも見える。
 
管理人の日日抄と副題を付けて日記を書こうと思い立ったとき、「僕の細道」などという主題を思いついたのだが、書き出してみると、自分のことを“僕”と称して綴る世界がどうも居心地が悪い。何だか子ども子どもしているし、自己愛剥き出しのような気恥ずかしさがあるし、そもそも書生言葉としての“僕”の用法が日本語としておかしいなどという話も聞いたことがあるからだ。
 
実際、四十歳を過ぎるまで自分のことを“僕”と呼んで生きて来たので、日記で自分を“私”と綴ろうと決めたとき、一抹の寂しさにも似た違和感を感じた。永年慣れ親しんだ名前を捨てるのはつらい。だが人はどんなことにも慣れてしまうもので、何年間も毎日“私”と自分を呼んでみると、書き言葉の世界でも話し言葉の世界でも、自分を“私”と呼ぶことに抵抗を感じなくなっていた。
 

自分を“私”と呼ぶことに抵抗を感じ始めたのは妻の方で、
「あなたは僕って言ってた昔の方が素敵よ。“私”が“あたし”に聞こえるとすごく嫌なの」
などと最近になって言い出した。自分のことを“あたし”と言う知り合いのことを持ち出されたりすると、そうか、あいつと同類のように妻に思われるのは嫌だなぁとも思えてきたし、多くの女性に好かれたいなどとは思わないが、少なくとも妻に嫌われるのだけは嫌なのだ。
 
話し言葉では“僕”、書き言葉では“私”などと使い分けられる人はいいけれど、私、いや僕はそういう器用なタイプではないので、“僕”に戻るために、友人への私信や、メーリングリストへの投稿などの書き言葉もすぺて“僕”に戻してみた。
「なんだよぉ、“僕”なんて、なんか変だぜぇ」
などと突っ込まれることも無いので、私、いや僕が“私”であろうと“僕”であろうと、どうでも良い友人が多いのだろう。それもまた、ちょっと寂しい。誰も笑う人がいなくたって“よだか”は星になったに違いないのだ。別に笑って欲しいわけでも無いのに寂しがる、人間って不思議だ。
 
日記やメールで“僕”に戻るのは校正さえしっかりやれば容易なのだが、話し言葉ではついつい“私”が出てしまい、妻に、
「あっ、また“あたし”って言った!」
と叱られ通しである。
“あたし”と聞こえるたびに言葉の鞭が飛んでくるのだから、話し言葉の方は早晩、“僕”への回帰を達成しそうなので、書き言葉の方もそのうち校正が要らなくなるに違いないと、“僕”は思うのである。とほほ、男はつらいよ。

※写真は清水中央銀座「高田屋」店頭。“僕”はここのソフトクリームが好きです。こういうときは“僕”がいい。

2002年 5月 2日木曜日
【好き嫌い症候群】

「あなたは、あなたが好きな人の数と、あなたを嫌っている人の数、どちらが多いと思いますか?」
「あ、僕に聞いたんですか? えーっと、あのぉ、まぁ、好きな人の数というのは多いですねぇ」
 
人を嫌うということは疲れる。人生という限られた時間の、ロスでしかない。瞬間的に嫌いになっても、その後もつきあいの続く人なら、好きと思えるように努力し、それなりの関係作りを工夫することにしている。嫌いな人でなければ“好き”ということになるのなら、僕には好きな人が多い。
 
一方、自分を嫌っている人の数というのを類推するのは容易ではない。
というか、“人は人を嫌いつつ、付き合いを続けるべきではない”というのを信条としており、あいつは僕のことを嫌いなのだろうと思う人とは、関係を絶つようにしているので、嫌われつつの付き合いは無いつもりでいるのだ。嫌いなら付き合わない自由を相手から奪うような存在であることを避けて生きて来たから。
 
「もう一度聞きます。あなたは、あなたが好きな人の数と、あなたを嫌っている人の数、どちらが多いと思いますか?」
「わかりません、というか、そんな事、考えたこともありませんねぇ」
 
正直に答えるなら、そう言うしかないのだけれど、好き嫌いが気になって気になって仕方がない人というのも、世の中には多いようなのだ。
“人に好かれたい、嫌われたくない”という思いは、“人を嫌う”ことの多いタイプの人の心根が作り出す、鏡に映った精神の反映像なのだろう。そういう“痛み”に耐えながら、生きていくしか生活の場を持てない人も多いらしいのだ。だから、僕は組織というしがらみ関係に属すことを止めたし、他人を雇用しその長となることで組織を構築する気もない。また権力を持って、他人を自分との付き合いに縛りつけるなどということも、しないように心がけて来たつもりだ。
 

人間、一人であることほど健全なことはないと思うし、その“一人ひとりの健全さ”が集まるからこそ、本当の友情は生まれるとの感が強い。健全な“ひとり”は“孤独”ではないのだ。
片や、“一人でいる自由という健全さ”を持たない人間が集まって友達ごっこをしても、それは友情とはほど遠く“群れ”ているに過ぎないように見える。
 
風に舞うタンポポの綿毛のように、人は“ひとり”であることの自由を生まれながらに持ち、その有り難みさえ忘れなければ、思うに任せない空の旅にも、振り向けば必ず伴走者がおり、そこに“好き嫌い症候群”などという、奇妙な病いは在り得ないように思えてならない。

2002年 5月 4日土曜日
【たかが匂い、されど匂い】

この季節、文京区内を歩いていると“すだ椎(じい)”の匂いをかぐ事が多い。
 
この木の匂いが少しばかり特異なものと感じたのは、大学に入学した春だった。
キャンパス内を歩いていて、春にしては気温が高く、夜半の雨のせいか日中も蒸し暑かったりすると、モワッと包み込むような匂いに包まれてたじろいだりもした。
友人と、
「おい、彼女がいないからって、何もこんなところで! 時と場所をわきまえろよぉ」
などと、からかいあうこともしばしば有った。
 
“すだ椎”の匂いは、精液のそれに似ている。
 
インターネットで検索すると、あまり良い匂いではないなどと言う記述が目立ち、人それぞれ好き嫌いが有って当然なのだが、“自慰”という字に洒落て、ちょっと困った匂いである…などと書かれている事もある。精液の匂い似ているから嫌いだとはっきり言ってしまえば良さそうなものを、なんかズボンのポケットに手を突っ込んでモゾモゾと性器弄りをしているような、極めて日本人的羞恥を感じ、かえって恥ずかしい。似てるからどうだって言うんだと、言い返してやりたい気もする。
 
片や、稲の穂が花開くような精気溢れる匂いに似ていて好きだと言う人もいれば、精液の匂いに似ていて二度と帰らない青春を思い出して切ない、と清々しく実直な述懐をされる女性もいて胸を突かれる。
 
本郷通りを走るバスの窓を少し開けていると、すだ椎の匂いが漂ってきて、ああ春なんだなぁと実感する。歩道を薄黄色の粒々が散り敷き、そうか、この大木は、すだ椎だったのかと改めて気づく。東大構内にもすだ椎は多いようだ。私が通った東京教育大学も、この季節は若々しい匂いでむせ返るようだったのを思い出す。
 
パソコン・パーツを探しに秋葉原に出掛け、ふと、すだ椎がハラハラと落としている黄色の粒は何なのだろうと気になり、思い立って昌平坂学門所跡に行って見た。案の定、昌平坂を黄色く染めて、すだ椎が咲いていた。すだ椎と学問は何か関係でもあるのだろうか。銀行の封筒に一つまみ持ち帰り、デジカメで接写して正体を確かめて見た。
 

すだ椎から垂れ下がる黄色の房は雄花花序といい、その房に雄花がたくさん連なっている。それがハラハラと散り落ちていたのだ。アップにしたらオタマジャクシ型の奇妙な物体だったりしたら面白かろうと思ったけれど、胡麻粒ほどの可愛らしい花だった。この匂いで虫を誘い寄せて受粉し、秋には椎の実を実らせるのだ。
 
そう言えば、教育大児童文化研究会というサークルの名前は「しいのみ」だった。
郷里の母は椎の実を大量に拾ってきて煎り、酒のつまみにするのが好きだったし、森林インストラクターの友人は強煎りにした椎の実をミルで挽いてコーヒーのように飲むのが好きだという。秋の恵みもこの燃え上がるような匂いがなければ、決してもたらされる事は無い。人間の子どもも然り、有り難くも晴れがましい匂いなのであり、好き嫌いは自由だけれど、決して人前で口にするのが憚られるような恥ずかしい匂いなどでは無いのだ。

2002年 5月 5日日曜日
【暮らしをひらく】

「『「清水市が無くなる」を考える』を、読みました。
何処の商店街も、元気のないところが多いですね。
その多くの原因は、お店と自宅を別にしたこと(そこに住まなくなったこと)が大きいと、私は個人的に思っています。」

 
こんなお便りをいただいた。
個人商店は、そこに人が住んでいるということで、パソコンネットワークのハブのように、地域のハブになれる可能性もあるのだ。
 
今は昔、僕の母は、東京での暮らしを引き払い、小学校卒業と同時に郷里に戻り、小さな飲食店を経営することで生計を立てることにした。父との正式離婚手続きが終わり、養育権が母のものになったので、女手一つの子育てを決心したのだ。その結果、僕は父の姓である古澤から、母の旧姓である石原を名乗り、坊主頭になって地元の中学に通うようになったのである。
 
清水での暮らしが始まって何より嬉しかったのは、「ただいま」と家に帰ったとき「おかえり」と言う母が常に家にいるようになったこと。中学・高校と清水で過ごした六年間、僕たち親子は店の二階に寝泊まりしていたのである。飲み屋の二階の子育てが良いか悪いかはわからないけれど、息子と「ただいま」「おかえり」の言葉かけができる環境を選んだ母に、今では感謝している。その後、僕が大学入学で清水を離れた途端、子育ての役目を終えたように、母はかつて僕がこの世に生を受けた一軒家を買い取り、店から住まいを移して気ままな一人暮らしを始めたのである。
 

店と住まいを一緒にするというのは煩わしいものである。
母の店は午後六時開店。午後五時には店のカウンターで二人の夕食を済ませるのだが、その前に店の内外を箒で掃き、水を打ち、カウンターとテーブルを拭き、おしぼりを巻き、冬場はおでんの具作りを手伝い、調味料の補充をし、冷蔵庫を冷えたビールでいっぱいにするのが僕の仕事だった。
 
開店直前、カウンターでのつましい団欒こそが僕の宝物だったのだが、それを守るのは容易なことではなかった。看板が消灯しており、暖簾が出ていなくても、店内に人が暮らしていることがわかると、どういうことが起こるか。明るいうちから酒を飲みたくてたまらない客がやって来るようになるのである。「酒を飲ましてくれ」と現れるのが、五時半であり、それが五時になり、四時半になっても母は断ることがなかった。自分は夕食をとらず、僕には、二階に上がって一人で食べろと言う。悔しくて悲しくて階段を踏みならして上る僕を、かつての常連達は「階段を駈け上がる息子」と今でも笑って呼んだりする。
 
仕事と個人的な生活の境界線を明確にした暮らしは楽である。
個人的な生活をかけがえのないものと考えたい僕の世代(僕は初代“鍵っ子”だった)が商店主になるなら、店と住まいを分離したいと願うに違いない。店を閉め、シャッターを下ろしてしまえば、経営者と客のしがらみを断ち、一人の生活者に戻れるからだ。店に寝泊まりするということは、自分の暮らしを地域にひらくことを余儀なくされるわけで、「商店主にだって生活があるのですよ」と言いたいに違いないのだ。
 
正直に言って、そんな暮らしは二度としたくないのだが、思い起こせば、暮らしを地域にひらいた商店主にどれだけ助けられたか、その有り難さは計り知れない。幼い僕が夜更けに熱を出せば、母は近所の魚屋さんを叩き起こした。家庭に冷蔵庫など無かった時代、常時氷を持っているのは魚屋さんと氷屋さんくらいしかなかったのだ、そして、嫌がりもせずに、誰にでもただで氷を分けてくださった魚屋さんには頭が下がる。
三河屋さんだって、店を閉じても就寝するまでは木戸を少しだけ開けてあり、味噌醤油を切らしたといえば、寝巻き姿で出てきて売ってくれたものである。醤油やソースも瓶を風呂敷に包んで持って行き、升で量り売りしてもらっていた時代の話である。
 
ふらっと飲み屋の引き戸を開け、「開店は何時ですか?」と、暗い店内に声をかける。カウンターで食事をしていた従業員があわてて食器を片づけ「あ、いいですよ、どうぞどうぞ」などと言う。
そんな言葉に甘えてしまう事が僕にもあるのだけれど、それこそが三十数年前、泣きたいほど嫌っていた痛みそのものなのである。自分の暮らしよりお客優先が当然のように思ったりしている自分に唖然とするのだ。
 
「お母さんは僕よりお客の方が大切なの?」
と抗議し、母は
「誰のおかげで食べていけるの? お客さんでしょ!」
と、怒鳴り返していた。
店に寝泊まりして、暮らしを地域にひらく。その裏側、商売人と生活者であることの狭間には、激しい葛藤と痛みがあるに違いないのだ。そして、それらをもう一度乗り越えた先にしか、地域の個人商店の存在意義が見えないところまで、時代は決断を迫っているのかもしれない。

※写真は静岡県清水市、僕の生家前に古くからある中華蕎麦屋さん。現在は休業中。

2002年 5月 6日月曜日
【女の決断】

他人が何かを決断する瞬間というのは見えにくく予想がつかない。
予想しがたいから決断らしいのであり、長期にわたって仄めかされたりすると、その衝撃は少ない。それは決断する者の優しさかも知れないのだが。
 
苦しい決断、哀しい決断はさておいて、楽しく気力溢れる決断の衝撃は心地よい。
母が父との正式離婚を決意し、小学校を卒業したら清水に引っ越して自営業を営むという決断は、僕を喜ばせた。母、三十六歳の春である。
 
そして第二の決断も衝撃的だった。
母は、老いても息子の世話になりたくない人であり、やがて飲食店を畳んだら自分の好きな仕事で自立し、勝手気まま、死ぬまで自由に暮らしたいと言うのである。母にとって、飲酒は好きなものではなく、酒飲み相手の商売も、子育てのために欠かせない「自立」という最終手段だった。母は三度、勤め先の倒産という憂き目を見ていたので、雇われ仕事はもう嫌だったのである。
 
若い頃から裁縫や手芸が好きだったが、店を畳んだ後は、興味の有る絞り染めをやって見たいと言い出し、新幹線に乗って名古屋市有松の染織家のもとへ通い、染色の基礎から学び始めた。母、五十一歳の時である。常に自立願望がある人ならではの決断だったと今になってみて思う。
 

息子にまでライバル心を燃やす母親だったのだが、七十を過ぎて気迫にも陰りが出てきた。
親は好き好んで子どもより老けているわけではない。息子を産み落とすためには、二十数年、年上である必要が有ったに過ぎないわけで、四歳程度の年齢で息子を生む事ができたなら、それを望んだかも知れないのだ。それなら一生ライバルでいられるから。
 
親と子の年齢差、親子尺の分だけハンデを付けてライバルでいてやらねばと心がけており、二十年前の母の決断の年まであとわずかとなった今、負けてはいられないぞと自分を奮い立たせてみるのだが、僕には決断らしい決断が、いまだ見当たらないのである。
 
とりあえず、母の日も近い事だし、敵に塩を送る謙信となって母のサイトを更新してみた。

※写真は静岡県清水市、興津川上流で広げてみた母の藍染ショール。息子の写真のセンスの方が上手だと思うのだが、負けているだろうか…。

 

2002年 5月10日金曜日

【章・節・項の日々】

「章節項、見出しの立て方に一貫性がないんだよ」
 
友人の編集者が嘆く。
「1」があって「【1】」「(1)」「1)」「〈1〉」「・1」「○1」が出てきたりする。さらに「a.b.c」や「イ・ロ・ハ」なども出てきて、いったいどれがどれと上下関係を持つのか、何が何やらわからない。
箇条書きというものは文字伝来の昔から用いられていたように思うが、それぞれにランクを付けて親子関係で整理するというのが日本人は苦手なのかも知れない。そして、算用数字や記号を無分別に乱用するから始末に悪い。
 
優秀な編集者は、筆者のみがわかる暗号を解読し、整理し、著者の了解をとってくれるのであり難いのだが、官公庁絡みの仕事だと、いかに珍妙な記述であろうとも、一字一句訂正はまかりならんなどと言うので呆れる。そんな文章の組み体裁をデザイナーに依頼して、美しく見せてくれなどと言う方が間違っている。文章に美が無ければ美しい文字組などできない。
 
英米人は章節項の柱をまず作ってから文章を書き始めると聞くが本当だろうか。
確かにパソコン用ソフトなどを見ると、そういった機能を備えたものが多い。専用ソフトはアウトライン・プロセッサなどと呼ばれる。
まず「章」に当たる項目を列挙する。これが「親」に当たる。続いて、それぞれの章にぶら下がる項目を列挙してそれが「子」、さらにその下のランクが「孫」であり、文章の骨組みというのは家系図ににているし、コンピューターのディレクトリー構造に酷似している。
そういう基本構造を作ってから、それぞれの項目にぶら下げるように、文章を書き始めるのである。まさに論文向きの構造で、日本人が書く文学には不向きな気もするが、文学を書く調子で論文を書いたりするから、章節項の支離滅裂な論文を書いてしまったりするのだろう。
 
時の流れに支配されて働く者の日々は論文の構造に似ている。
2002年という「章」があり、5月という「節」がある。10日という「項」の中で24の升目が消化されて行く。それが時を構造として見る、感じ方の一つなのだ。そして、それが「働く」という観点からは実に重宝なのである。重宝な世界観を使ってパソコンで自己管理しようとすると、スケジューラーとか PIM(Personal Information Manager)なるソフトを使用することになるのだが、僕はこの7列5行のカレンダー画面というのが好きではない。世界はこういう風にはできていないという思いが強いのだ。
 
そんなわけで、アウトライン・プロセッサを使って勝手気まま、自分の時間割を作るのが好きなのだが、スケジュール管理に適したプログラムになかなか出会えなかったのである。
OS X という新しい環境で、新しいソフトを探していたら、とんでもない逸品を見つけてしまい、即座にオンラインで購入してしまった。

OMNI OUTLINER
Organize your tasks, your projects, your thoughts.
http://www.omnigroup.com/
 
「thoughts」の前に「tasks」「projects」とあるように、スケジュール管理をかなり意識しているのである。
「そうでしょう、時間って章・節・項の整った文章みたいだよね」
と手を取りあって喜びたい気分になってしまい、$29.95を送金して賛意を表明しておいた。


日付の入力には、田中久太郎さん制作のフリーウェア「DateRipper 0.2.0」を使用。スケジュールは随時テキストファイルに書き出し「DOCファイル」化して Palm マシンに入れて持ち歩いている。青空文庫からダウンロードした名作と一緒に Palm の「DOCリーダー」で読むたびに、章・節・項の整った文章のありがたさを思う。
 
D&Dによる日付入力ソフト DateRipper
http://www02.so-net.ne.jp/~tanaq/
D&Dによる DOC ファイル作成 MakeDocDD(Carbon)
http://www.pluto.dti.ne.jp/~yoz/index.html
DOC ファイル・ビュアー Crs-MeDoc
http://isweb41.infoseek.co.jp/computer/crspalm/
Palm でのスクリーンショット HRCapt
http://www.maicca.com/

2002年 5月11日 土曜日
【嘘】

飲食店で自分の注文したものだけ出てこない。
 
友人が言う、「聞いてみたほうがいいよ」。
店員を呼び止めて僕は言う、「あの、僕の注文、まだ時間かかりますか?」
そして店員が答える、「あ、今やってますから…」
小走りに厨房へ駆け込んでいく店員を見ながら友人が笑う、「忘れてたね」。
「まだですか?」と、尋ねて
「あ、忘れてました」と、正直に答える人は少ない。
「今やってます」「もうすぐです」「もう少しお待ちください」は、「これから作ります」に違いないとわかっていても、僕たちは笑って許してしまう。
 
店屋物の出前を頼んで、なかなか届かず、業を煮やして電話すると、「いま出るところです」と言う。それでも届かないので、「もう一度電話してプレッシャーかけたほうがいいよ」などと、友人が面白がって言い、僕が渋々電話すると、「すみませんねぇ、混み合っちゃって」などと言う。先程の「いま出るところです」は嘘だとわかってしまうのだが、嘘だとわかれば僕たちは妙に納得し、笑って済ませてしまうのだ。
 

こういういい加減な関係こそ、日本人の良さ、狭い島国で人生を生きなす知恵と感じることも多いのだが、人間は許せても機械は許しがたい。
僕がいじって壊してしまった Windows XP の極小パソコンを、友人の海上保安官が半日かけて治してくれた。それ以来、快調に使用しているのだが、一つだけ怪訝に思っていることがある。
 
Macintosh の場合、起動後ハードディスクから読み書きするような作業をしない限り、ハードディスクに対するアクセスは発生しないのだが、Windows XP は何の作業もせず、起動したまま放っておいても、しきりにハードディスクにアクセスしている。アクセスランプがランダムに点滅しているので、何かしら読み書きしているようなのだ。
 
Macintosh の場合だと、これは不可思議だ。
以前このような状態になり、友人に相談すると、「ウイルスじゃないでしょうねぇ?」などとメールをいただき、チェックすると AutoStart というワーム型ウイルスに感染していたことがあった。作業していないパソコン内で、ハードディスクに自分の分身を書き込んでいたのである。
Windows XP マシンがウイルスに感染しているのかしらと、最新定義ファイルを使用して全ディスクをスキャンしてみたが、全く問題なし。
気にしないことにすれば良いのだが、ランプの点滅が妙に気になる。
 
「気にしない」では済まされないことが、もう一つあった。
Windows XP マシンをシャットダウンするとき、「シャットダウンしています…」に続き「設定を保存しています…」と出て、終了してくれないことがあるのだ。何の設定を保存してくれているのだろう、まぁ保存してくれるに越したことは無かろうと気長に待つのだが、一向に終了する気配が無い。
Macintosh でこういうことが起こった場合、ディスクアクセスが発生していないようなら、終了時のフリーズなので強制再起動をかけて、改めて終了させるのだが、僕の Windows XP マシンはディスクアクセスランプが常時点滅しているので、いかにも何か作業しているように見えるのだ。
 
よーし、大変な保存作業をしてくれていると信じ、納得が行くまでやらせてみようと思い、朝6時に起動し、終了を選択し、夕方の終業まで 12 時間近く「保存作業」をしていただいた。結局、作業は無限に続くように思われる同じ画面のままだったので、強制終了させてしまった。
「設定を保存しています…」と言ってはいるが、「実は何もしていない」疑いが濃厚になってきたのだ。
 
インターネットで「嘘」を告発している仲間がいないかと検索してみた。
「設定を保存しています & 何もしていない & 嘘つき」と書きたいところだが、「設定を保存しています & Windows XP」と書いて検索すると、なんと Microsoft のサイトがヒット。持って回った言い回しの尊大さに呆れながら読んでみると同社も認める OS の不具合らしい。しかもその修正ファイル導入の面倒なこと。2月の日付のファイルを探せと書かれているのに、3月の日付だったりするいい加減さに呆れる。しかも、インターネットを通じて常に最新修正ファイルを入れているのに、このファイルは奥深くに隠れたままなのだ。
 
「今やってます」という蕎麦屋の嘘は許せても、「設定を保存しています…」の嘘は許せない。人間は永遠には待てないのだ。

※写真は吉祥寺時代、友人の川上家ご常連だった猫の番匠君。猫は正直なのか、気が長いのか、おやつが貰えるまで、いつまでも待っていた。

2002年 5月13日 月曜日
【清水天気予報】

天気予報の当たりはずれを論ずるのは酷というものだ。
住まいのある文京区では一日曇っていたのに、仕事で出掛けた港区では雨が降っていたりするわけで、同じ二十三区内でも地域気象の差異により、「今日は一日曇り空ですが傘をお持ちになる必要はないでしょう」と予報士が言えば、文京区内では「当たり」であり、港区内では「はずれ」なのである。
 
当たりはずれも有ってよしとするから天気予報は楽しい。
ことにお年寄りにとってテレビや新聞で収集した気象情報を総合して自分なりの予報をするのが、家族の役に立つ楽しみの一つになっていることも多いようだ。
長野県の山あいで娘さんと二人暮らしをされていた友人の母上も天気予報が大好きで、僕が訪ねた際にも嬉しそうに明日の空模様を語られた笑顔が、今も忘れられない。

毎朝、八時半に郷里の母に電話し、今日の目覚めはどうか、体調は良いかと、安否確認ご機嫌うかがいの定期便を入れるのだが、話題に事欠くことが多く、受話器を持ってベランダに出て、「今日のお天気はどう?」と西の空を見ながら尋ねることにしている。
 
気象状況が太平洋岸に沿って西から東に移動する季節は、この朝の気象情報が結構役に立つ。
「あいにくの雨だけど、清水はどう?」と尋ね、母が
「こっちはもうやんで晴れ間が出てきたよ」と答えれば、東京での外出は午後からが吉であり、
「こっちはポツポツ降り出して、一日雨そうだねぇ」と母が言えば、東京は曇り空でも外出に傘を持つのが無難なのである。テレビや新聞の天気予報より、よっぽど実用的なのだ。
 
最近は天気予報に奥行きを与えようと思ってくれているのか、犬の散歩の際に予報用の情報収集をしているらしく、
「今日は靄って富士山が見えません」
「今日は竜爪山に雪が積もってます」
などという、清水っ子ならふっと季節の肌触りを感じるような情報も折り込んでくれるのでなかなか楽しい。そして、その一言を当サイト【しりとり掲示板】に書き込むことにしている。
 
郷里での一人暮らしを母が選択したおかげで、一人息子の僕は、
「親の死に目に会えないような勝手な暮らしをしている」
などと他人に言われることも有った。
だが人は互いの死に目に会わんがために親子で同居するわけではない。
人の死は、いつどうやって訪れるのかも知れず、同居していても親の死に目に会えない巡り合わせだって、ままあるのだ。
 
いざとなれば飛行機があり、新幹線があり、どの家庭にも当たり前のように電話やファックスがあり、インターネットも使える社会を、がむしゃらな労働で構築してきた世代が老いを迎えつつある。会おうという気があればいつでも会えるのであり、声を聞きたければ声を、文字が見たければ文字が送れる便利さという、母たちの世代が作り上げたものを、あらためて母のために駆使して、息子は心の同居を忘れないようにしている。
互いに心ならずも、世間体を気にしての窮屈な同居を選ぶより、離れていても心で同居する生き方だってそれなりにいいんだよ、と母の毎朝の天気予報は教えている。

2002年 5月14日 火曜日
【ちゃんとしたものの限界】

子どもの頃、割りばしと輪ゴムでピストルを作るのが得意だった。
昭和三十年代、東京下町の子どもは皆、手先が器用だったのかも知れない。
各家庭から使用済みの割りばしを持ち出し、小刀片手に、割りばしと輪ゴムで、ちゃんと引き金を引くと輪ゴムが飛ぶピストルを作るのであり、それは釘を一切使わない木造建築の在来工法に似ていた。
 
僕の母の口癖は、「子どもに、ちゃんとした教育だけは受けさせてやりたい」だった。
貧しい暮らしで、子どもに「ちゃんとした」ものを与えたいと思ったら、きちっと義務教育だけは受けさせ、高校、大学と本人の努力で学問を身に付けたいと思うなら、できるだけの支援を惜しまない、程度のことしか無かったのだろう。
 
少し家計に余裕のある家庭では、その「想い」を金品で購おうとするのもまた親心なのかもしれない。
割りばしピストルで遊ぶ子どもたちを見て、友人の父親が「ちゃんとしたピストルを買ってやろう」などと自分の息子に言う。
後日、本物そっくりで弾の出るピストルを片手に友人が現れるのだが、妙に白々しい気分になり、別の遊びをしようと誰ともなく言い出すのだった。一事が万事その調子で、僕たちが漫画雑誌付録のソノシートをいんちき紙細工のプレーヤーで再生していると「ちゃんとした電蓄があるから家に来い」などととぼけたことを言う。またある時は、学校の放課後、拾ったボールを木切れで打ってゴルフ遊びをしていると、父親のゴルフクラブを持ち出して来て仲間に入れてくれなどと言う。教師に取り上げられた挙句、みっちり油を搾られ、後日父親が返して貰いに来たなどという馬鹿げた親子であった。
遊びというのは、恵まれておらず、出来損ないであるがゆえの、創意工夫があるから楽しいのだ。


著作権の切れた文学作品をボランティアベースでデータ化し、無償で提供している『青空文庫』(※注1)というサイトがある。目録を見ていたら寺田寅彦(※注2)が書いた「寺田寅彦随筆集 第二巻 映画時代」という作品が目に付いた。
 
へぇ〜、寺田寅彦が映画のことなどを書き残していたのかと興味が湧き、ダウンロードして Palm という小さなパソコンに入れて持ち歩き、仕事での移動中に読んでみたが、なかなか面白い。
幼い頃見た影絵芝居の鮮烈な印象から書き起こして、手づくり幻燈器の想い出話になり、やがて活動写真へと話は向かうのだが、立派な業績を残すような学者さんだけあって、着眼点に土着的な独自性を感じて面白い。
 
 明治二十三年であったか、父が東京の博覧会見物に行ったみやげにほんとうの幻燈器械と数十の映画を買って帰ったので、長い間の希望はついに実現されたわけであるが、妙なことにこの遂げられた希望の満足に関する記憶の濃度のほうが、かの失敗した試みに伴のうた強烈なる法悦の記憶に比べてかえって希薄である。(青空文庫判「寺田寅彦随筆集 第二巻 映画時代」より)
 
そうなのだ、大人にとって「ちゃんとしているもの」が、子どもが夢中になる「出来損ない」に取って代わることはできない。「ちゃんとしているもの」は、ちゃんとしているだけであって、“強烈なる法悦”をもたらしてくれる、子どもにとっての秘境ではないのだ。
 
『青空文庫』で無料の作品を探し、見にくい画面で読むよりも、現在活躍中の作家の作品を有料で販売しているサイトから文庫本より安価にデジタルデータとして購入することもできるらしいが、どうせちゃんとした読書をするなら紙の印刷物を買うに越したことは無いわけで、ちゃんとしていることもそれなりに、上には上がある。無料の本を見難い画面で手当たり次第に読む読書に思わぬ拾い物があるから楽しいのであり、切手ほどのメモリーに溜め込んだ何百冊の書籍にどんな法悦が隠されているか想像するだけでわくわくする。「遊びとしての読書」は出来損ないの電子本にこそ相応しいのかも知れない。
 
※注1
『青空文庫』http://www.aozora.gr.jp/
※注2
てらだ‐とらひこ【寺田寅彦】
物理学者・文学者。東京生れ。高知県人。東大教授。地球物理学を専攻。夏目漱石の門下、筆名は吉村冬彦。随筆・俳句に巧みで、藪柑子と号。著「冬彦集」「藪柑子集」など。(1878〜1935)(広辞苑第五版より)

※写真は用水路の水面。これもまた幻燈のように見飽きることがない。


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