電脳六義園通信所管理人 石原雅彦の日日抄

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三好春樹主催・生活とリハビリ研究所サイトの管理日誌です。

2002年 5月21日 火曜日
【ユビキタスの時代】

友人の娘さんが、デザイナー養成のための専門学校に入学し、最初に出された課題が「ユビキタスを表現せよ」であったという。
 
「ユビキタス」などという言葉は聞いたこともなかったので調べてみると、「ユビキタスの語源はラテン語で、いたるところに存在する(遍在)という意味」とあり主にインターネットの世界で用いられ、情報が大気のように遍在し至るところでそれにアクセス可能な世界の在り様を指すらしい。
インターネット関連企業のサイトに行くと、この言葉が惹句として盛んに用いられ、尤もらしいことがくだくだしく書かれているが、今更何をかいわんやという気がしないでもない。子供の頃から否応なしに電波という情報に取り巻かれて生きてきたし、手元にある、この道具、あのガラクタでも、遍在する情報にいますぐアクセスする準備は整っているのだ。それなのに情報の最後の蛇口を握って放さない連中が、自身の金儲けの思惑や駆け引きで阻害しているに過ぎない気がしてならない。そういう時代が続いているだけなのだ。
 
まあ、放って置いても、やがて手元から漏水し、情報は社会に迸り出るに違いないので、別の事、「ユビキタス」じゃなかった時代のことをふと思い出す。
 
   ***

見渡す限り、田圃の中の一軒家だった祖父母の家に、少し年下の二人の従姉妹がいて、彼女たちは御飯に「生玉子」をかけて食べるのが大好きだった。随分、貧しい食卓だったように今では思え、事実貧しかったのだが、当時鶏卵は今より遙かに高級だったし、品質が良く美味しかったのだ。夏目漱石だって死の直前、好物だった「生玉子かけ御飯」を馬鹿喰いし、喀血して果てたというほどに。
 
今より数倍しっかりした玉子の殻を小鉢の縁でコチッと割り、黄金色の球体に醤油をかけ、カッカッカッとかき混ぜ、アツアツの御飯にかけ、サクサクっと混ぜて、おもむろにいただくのである。
 
ある夜、従姉妹たちが、その楽しい儀式に入ったとたん、彼女たちを唖然とさせる事実が判明した。醤油が切れていたのである。叔母は、しかたないから塩で食べろと言い、粗塩の入った壷を持って来た。当時の鶏卵の味を今思い浮かべれば、塩味の生玉子かけ御飯も美味しかろうと思うのだが、幼い従姉妹たちには醤油味以外、許容できなかったらしい。
 
妹が箸を持ったまま俯いてしくしくと泣きだし、多少分別のつく歳になっていた姉も、もらい泣きするように泣き出した。
大人たちの間に気まずい沈黙の時がしばし流れ、叔母が「明日、買って来るから、今晩我慢するだけなのに、なんで泣くの?」と笑って言い、他の大人たちも、思い出したように「そうだそうだ」と場をとり繕うように笑った。
 
電話もテレビも無く、終夜営業のコンビニも無く、自家用車も無ければ、当座の貸し借りができる隣家も無い暮らしだった。夜間、聞こえる音といえば田圃の生き物大合唱と、家族の語らい、闇を照らす明かりは満天の星と、乱舞する蛍と、食卓の裸電球だけだった。
 
四十代になった従姉妹たちに、あの時なんで泣いた、どうしてそんなに悲しかったのか、と聞けば、きっとこんな答えが返ってくるに違いない。
 
生玉子にかける醤油が無い、御飯にかける物が無い、箸を片手に茶碗の中を覗いていたら、茶碗の外、食卓の外、家庭の外、村の外、闇夜の果てまでが、「無い」という文字で埋め尽くされたようで、無性に悲しかったから。ものが「無い」ということは「貧しい暮らし」なのだと、身をもって思い知らされた気がしたから。だけど、今思えば、何故か懐かしくて、あんな暮らしもそう悪くない気がするのが不思議だ、と。
 
田圃の中の一軒家があった場所、現在は国道一号線バイパスの高架が走り、田圃は整地され廃材置き場になり、コンビニエンスストアができ、道路沿いには自販機が林立し、何処にでもあるような灰色の風景になっている。出来損ないの都市の複製で日本中が埋め尽くされて行く時代、これこそがユビキタスの時代そのものなのかも知れない。

※写真:田圃に投げ込まれた空き缶が哀しい、だけどその田圃も今は無い。

2002年 5月28日 火曜日
【非国民のつぶやき】

「国民車」という言葉を何度も聞いた記憶があるのだけれど、「国民車」なんて呼べる自動車が日本に在ったのだろうか?
 
各種辞書を検索してみると、広辞苑第五版に、
【国民車】国民大衆が買えるような廉価な小型乗用車
とある。咄嗟に思いつくのはスバル360のような軽乗用車だけれど、子ども時代、あんな自動車が駐車場にある家に住むのさえ、永遠に叶わない夢のように思えたものだ。何しろ、スバル360がやっと入る駐車場程度の広さの部屋に、親子三人、川の字状態で寝ていたのだから。

「国民大衆が買えるような」で思い出すのが、懐かしい渋谷の町の風景だ。まだ幼稚園児の頃、昭和三十年代前半だろうか、町には武骨な自転車に小さなエンジンを付けた原動機付き自転車というものが走っていた。戦後、物の無い時代、庶民の足がわりとなった可愛らしい乗り物が、消え行く最後の姿を見たのが、あの頃だったのかもしれない。まだ路面電車が走っていた街を、甲高い音と白煙をあげて行き交う原動機付き自転車を、影絵芝居のように思い出す。あの、いたって分かりやすいシンプルさこそ、国民車と呼ぶにふさわしい乗り物だったような気がする。
 

当時、両親が珍しく贅沢をしてタクシーに乗ろうなどと言い出すと、嬉しくてたまらなかった反面、目の前を空車が通りかかってもなかなか手を上げないのが悔しかった。日野ルノーという面白い形をした自動車が日本中を走っていて、その車を用いたタクシーは初乗り料金が安かったのである。日野ルノーが通りかかるまで、両親は長いこと粘り強く待ち続けていたものだ。
かつてスハルト政権時代のインドネシアで国民車計画があり、ある条件の部品調達率を満たせば各種関税を免除する建前で外国車が導入されたらしいが、フランス・ルノー社と日本の間にも、そういういきさつが有ったのかもしれず、日野ルノーは国民車を目指していたのかもしれない。ルノー社出身のカルロス・ゴーン氏が日産自動車を率いて国民車作りに手腕を振るっているのも、今思えば因縁めいていて面白い。
自動車好きだった従兄が日野ルノーファンで、何度か乗せてもらったことがあるが、運転席・助手席側のドアが逆向きに開いたり、ボンネットの開け方が笑ってしまうほどお茶目で、へそ曲がりすぎていたのが国民車失格の要因だったのかもしれず、従兄は「そこがいいんだよ!」と反骨を気取っていたのも懐かしい思い出である。
 
一方、国民「車」ではなく国民「機」と呼ばれる機会がもっとも多かったのは、NECのパソコン、いわゆる「きゅうはち」ではなかったろうか。
黒い画面に緑の文字で、呪文のようなものを打ち込んでいる友人を見るたびに、決してパソコンなどには触るまいと思ったものだが、米国製のパソコンが当たり前になった今、
「ああ、きゅうはちのほうが使いやすかったなぁ」
などとつぶやく中高年に時折出会うのが可笑しい。ある程度の呪文を覚えれば、日常の業務に事欠かない程度の接し方をする人たちにとっては、原動機付き自転車のように「きゅうはち」はシンプルで懐かしいのだろう。
 
PocketPC、Palm などのポケットに入る小さなコンピュータは皆アメリカ生まれで、準国産で孤軍奮闘しているのが SHARP の Zaurus なのだが、こちらも国民機などと呼ばれることがあるようだ。小さな親指キーボード付きのものを1台所有しており、アメリカ製のポケコンに満足できず、ふとあの国民機ならもう少し日本人のことを考慮しているのではないかしら、と思うたびに取り出して弄ってみる。
 
先日も、ふとメールの送受信に便利なのではと思いつき、久しぶりに動かしてみたのだけれど、その設定のややこしいこと。Macintosh でも Windows でも PocketPC や Palm であっても、設定に戸惑ったことなど無いのに、インターネット用語の表記が驚くほどローカルルールなのだ。非常に誤解しやすい表記に苛立ってマニュアルを調べてみると、隅の方に、他社のパソコンではこう呼ばれることもありますなどという用語例が列挙されていたりするのだ。
 
マニュアルに書かれていることを解説したマニュアル本の必要性すら感じたので解説本を購入してみたが、アンチョコ用に教科書ガイドを買うような嫌な気持ちがした。パラパラとめくってみると案の定、
「注意しなければならない点は、一般のメールソフトと違って……」
などと書かれている。
「だから国民機なんですよ!」
と言わんばかりの「仕様」に、非国民は言葉を失う。

2002年 5月29日 水曜日
【仮名と茶】

キーボードを使った文字入力にはローマ字入力と仮名入力があり、さらに決められたポジションに指を置いて目をつぶってでも打てる?タッチタイプと、キーボードを見ながら人差し指二本でタイプする「格好いい」打ち方がある。当然、僕は後者の複合タイプで、咥えタバコでよれよれのワイシャツの襟元を弛め、人差し指二本でおんぼろタイプライターを叩き、新聞記事で巨悪と戦うアメリカ映画の主人公を真似たのだ。
 
冗談はさておき、要は文字を自分の思考に合わせたスピードで入力できれば良いのであり、入力方法などは人それぞれ好き勝手で良いと思う。好き勝手で良いとは言うものの、困ったことに最近のキーボードには「かな」文字の刻印が無いものが増えてきた。仮名入力というのは少数派で、いずれは淘汰されてしまうのかもしれない。
 
さらに情報端末の小型化が進むことでキートップにアルファベットと仮名を併記することが困難になっており、仮名一本指入力派は肩身が狭い。仮名一本指入力者はいずれ、キーボード入力不適格者として情報社会の孤児となるかと思いきや、極小キーボードを操る限り逆転のチャンスもある。何しろ、親指とはいえ一本指入力はお手の物だし、視覚的にアルファベットのキー位置も覚えているので、意外と習熟が早い。
 
出先で文章を書いていたら、思い掛けないことに気づいた。「ティータイム」と入力しようとしたら「ティ」の入力方法がわからないのだ。「TE」と打てば「て」と出るわけで「TEE」かなと思ったら「てえたいむ」になってしまうし、「Te-」と打ったら「てーたいむ」になってしまう。ひょっとして「TEA」と打ったら気を利かして「ティー」と変換してくれないかしらと思ったら「てあたいむ」なんて出てくるのだ。

電話で友人に聞くのも恥ずかしいし、パソコンショップで初心者マニュアルでも立ち読みしようかしらと思ったら、なんとパソコン用品売り場に「ローマ字入力虎の巻」などという商品名で、キーコンビネーションをマウスパッドに印刷した安直な商品があるのを発見した。なぁるほどぉ、と「ティ」の入力方法を調べると、テャ・ティ・テュ・テェ・テョの入力はTHA・THI・THU・THE・THOと入力するのだという。これはひどい。ローマ字入力の方々はこんな国辱的なことを丸暗記したのだろうか。
 
ちなみにデャ・ディ・デュ・デェ・デョはDHA・DHI・DHU・DHE・DHOなのだという。
作家の清水義範氏がローマ字入力で原稿を書かれるとしたら、
「DHAAKOUBUTUHAEBIFURYAADHE-SU」と打って、「でゃあこうぶつはえびふりゃあでーす」と変換しているのだろうか。こんなことをしていて、頭がおかしくならないだろうか。
 
さらに促音など、ぁ・ぃ・ぅ・ぇ・ぉ・ゃ・ゅ・ょ・っ、みたいな文字は、XA・XI・XU・XE・XO・XYA・XYU・XYO・XTU、と入力するのだという。なんてこったい。
このマウスパッド、580円だというので買って帰ろうかとも思ったが、考えてみればマウスパッドを置くような場所では仮名入力なので必要ないわけで、デジカメで撮影して画像として保存しておくことにした。
 
ティータイムと6文字で打てば響く有り難さ哉。

2002年 5月31日 金曜日


【両利き礼賛】

母は左利きだったのを幼い頃矯正されて右利きになったが、都合の良いことには率先して左手を利き腕として使ってきたので、七十歳を過ぎたいまでも両利きである。
 
両利きの母親を見ていて、2本の腕を利き腕として使えるのが羨ましい場面は、何といっても魚を下ろす時である。包丁を左右の腕に持ち替えて難しい部位を解体して行く手さばきは、それはそれは見事なもので、蟹が調理師になったようでもある。若い頃から、周りの者が驚くほど手芸が得意だったのも、両利きならではの効用だったのかも知れない。
 
まだ三十歳代で飲み屋を営んでいた頃、住まいにしていた2階の自宅に、深夜酔った男が上がり込んで来たことがあり、母は、
「あんた男なんだから何とかしなさい!」
と叫び、喧嘩が大の苦手だった中学生の僕は、パジャマ姿のまま呆然と立ち尽くしていることしかできなかった。
母は左右の腕を繰り出し、男を殴りつけて追い出し、鼻血を出して退散する男の姿に、僕は同情したい気持ちにもなったくらいだ。母は喧嘩も強かった。両利きというのはボクサーにとっても有利に働くものなのだろうか。
 
Macintosh のウインドウの右端と下辺にはスクロール用の矢印があり、クリックすると書類の隅々を見渡すことができる。これは Windows も同様である。初期の Mac OS ではスクロールバーの矢印が上下左右に振り分けられており、それなりに理にかなったユーザーインターフェイスだと思っていたのだが、いつの頃からか上下左右をセットにして右下に配置するのが Mac OS のデフォルトになってしまった。もちろんユーザーの好みで変更可能なので、仕事に使っている PowerBook では昔ながらの上下左右振り分け型にしている。
 
一方、自宅で使っている iBook は上下左右セットで右下の設定にしている。マウスを使わない場合はその方がカーソル移動距離が短くて使いやすいのである。どちらも一長一短だなぁと思っているうちに、当サイトとも相互リンクさせていただいている KyasuSoft の安原さんの作品に、DoubleBoth というシステム環境設定ツールがあるのを思い出し、インストールしてみた。
 
DoubleBoth を組み込むと「システム環境設定」から、「スクロールバーの両脇に1つ」「スクロールバーの片方に2つ」に加えて「スクロールバーの両脇に2つ」が選べるようになり、要するに上下左右振り分け型と、上下左右右下集中型の両刀遣いになれるのである。
 
更に、カーソルを CAD ソフトなどで見かける画面いっぱいの十時線型に変更することもできてしまうのだ。広大なディスプレイでカーソル位置を見失わないために便利そうなのだが、小さなディスプレーでちまちま作業するのが好きな僕には縁がない。しかしながら、視覚的なハンディキャップを持たれる方には便利だろうなぁと興味深い。
 
一台の15インチ液晶モニタに、PowerBook と極小 Windows パソコンをつなぎ、キーボードとマウスは Macintosh 用を使い、モニタ前面のボタンで OS X と WindowsXP の画面を行き来し、キーボードとマウスは超小型の USB 切り替え器でスイッチしている。OS X と WindowsXP を同時に使用しているわけだ。何でそんなことをしているかというと、まず第一の理由は、編集者からの添付ファイルに OASIS や一太郎のワープロデータが多いこと。Windows でプレーンテキストに変換しないと使い物にならない。さらに、ダウンロードやインターネット・ブラウズが倍速に近いほど WindowsXP の方が早いのである。
 
そういう環境は非常に快適なのだが、一つ困ることがあって、USB 切り替え器で Macintosh から Windows にキーボードとマウスをスイッチし、再び Macintosh に戻ると「システム環境設定」でスピードアップしていたマウスカーソルの移動速度がデフォルト状態に戻ってしまうのである。考えてみれば、マウスによって最適な設定が異なるわけで、システムはマウスを別なのに交換したと判断してくれているのであり、これはこれで親切な仕様なのだけれど、常に最速を希望する僕にとってはいらぬお世話なのである。何とかならないかと、安原さんに相談すると安原さんの環境では再現性がないという。これでは新しいソフトのおねだりもできない。
 
安原さんによると、システムのプロパティリストをテキストエディタで弄れるそうで、だったらすべての設定位置で最速になるように書き換えられないだろうかとも思ったのだが、そんなことをしなくてもカーソルスピードを6倍まで高める機能も DoubleBoth にはあるという。早速、設定してみると、なんと Macintosh と Windows を行き来してもマウススピードが変わらない。DoubleBoth はいらぬおせっかいをご遠慮する役目も果たしてくれるのである。なぁんだ、安原さん、DoubleBoth を入れろって、ひとこと言ってくれればいいのに〜と苦笑しながら、両利きの宝物に感謝している。


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