電脳六義園通信所管理人 石原雅彦の日日抄

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三好春樹主催・生活とリハビリ研究所サイトの管理日誌です。

2002年 7月16日 火曜日

【暴風雨と雀】

丸一日、仕事の打ち合わせで出版社4社を回って、次々に仕事をこなして行くという見事なスケジュールを立てたら、心ならずも台風7号関東直撃に外出時間を合わせる形になってしまった。
 
朝一番で池袋の編集事務所あてに翌日朝着の宅配便でデータ納品の手配をし、新宿区百人町の出版社で新刊本の打ち合わせ、続いて大久保駅からJR総武線で代々木の出版社に行き色校正作業、新宿駅まで歩いて地下鉄丸ノ内線・銀座線を乗り継いで青山一丁目で降り赤坂の出版社で打ち合わせ。その後、地下鉄有楽町線で銀座の出版社に向かい打ち合わせをするという行程だ。
 
青山一丁目の駅から国道246線沿いの歩道に出たのが正午少し前。
暴風雨の中、柄と骨と布が分離してしまった傘をさして走るずぶ濡れの勤め人、などというニュースでよく見かける都市の台風風景がそこには有る。傘を壊さないように注意しながらカナダ大使館前を過ぎた辺りで、ふと思いついて水浸しの高橋是清記念公園に入ってみた。
 
1936年2月26日、陸軍の皇道派青年将校らによるクーデター、二・二六事件で命を落とした大蔵大臣高橋是清邸が有った場所で、小さな公園になっている。
僕はこの公園を歩いてドイツ文化会館側へ抜けるのが好きなのだ。
個人の邸宅跡というほんのわずかな樹木に覆われただけの場所なのに、そこは暴風雨などとは無縁の別世界のようだ。

かつて、農耕文化を獲得し平地に定住した「向日性」を持った民族がいた一方で、森で獣を追い木々の間で生活する「背日性」を持った民族が日本列島にはいたという。近世における開墾以前の、もっと古い由緒を持つ農村の屋敷林は、さながら森の中に複数の農家や共同の広場を内包したような構造になっているという。平地に定住するようになっても、「森からの自立は母の胎内からの自立過程に似て、意識、無意識のうちにさまざまな退行心理が発現する」(高取正男著作集4生活学のすすめ「住まいの原感覚」法蔵館)くらいに、森の構造というものは限りなく生き物に優しく、懐かしいものだったのだろう。
 
正午というのに夕暮れ時のように暗い園内を歩いて行くと、笹藪のあたりで生き物が動く気配がする。
目を凝らすと、夥しい数の雀が地上に下り、一塊になって暴風雨が通りすぎるのを待っているのである。雀もまた森の優しさを忘れていないのだ。

2002年 7月17日 水曜日

【六義園雑記帳】……(1)「溺れる亀」

子どもの頃、顔から火が出るほど恥ずかしかったことで、中年になっても恥ずかしさが持続していることというのは少ない。
 
僕は子どもの頃、水泳がからきしだめで、それがとても恥ずかしかった。
恥ずかしければ、恥ずかしくないよう努力すれば良いのだけれど、「努力しよう」とすればするほど、身体に力が入って浮かんでいることが困難になるのが、水泳の厄介なところだと思えた。
 
数少ない父親との思い出の中で、水泳指導をしてもらった記憶が今でも鮮烈に残っている。
伯父が大磯ロングビーチ(現大磯プリンスホテル)のコック長をしていたため、同ホテル内のプールで1歳年下の従妹と遊ぶことが多かったのだが、父が二人に「浮輪無しで泳げる」ようにしてやるという。
プールサイドに二人を座らせ、父がプールの中ほどに立ち、苦しくなったら必ず助けてやるから、ここまで浮輪無しで泳いで来いというのだ。従妹のこずえちゃんは見事に父の元までばた足で泳ぎ着き、抱き上げられてきゃっきゃと笑っている。次は僕の番なのだけれど、どうしても水に入って父の元まで泳ぐ気がしなくて、終いには泣きべそをかいていた。父は舌打ちし、
 
「雅彦はだめだ」
 
と苦々しい顔で、吐き捨てるように呟いた。
水に身体を任せることが出来ないように、僕には始終、浮き草のように家庭に根を張らない父親を信頼できない気持ちが既にあり、父もそれに感づいて苦々しい思いをしたように思えてならない。
 
中学校は港町にあったので水泳の授業も厳しく、卒業時には25メートルプールを往復する競技会に出ることも出来るようになっていた。50メートルしか泳いだことが無いと友人に言うと、プールで50メートル泳げるなら海だともっと泳げるはずだと励ましてくれたりしたのだが、どうしても水に対する恐怖心がぬぐいきれないまま大人になり、今でももっとも恐ろしい死に方が溺死だったりする。

台風が通り過ぎた翌日も東京の気象状態は不安定で、激しい雨が降った後、手の平を返したような晴天になったので、雨上がりの六義園内を散歩してみた。雨上がりで、園内の池の水はひどく濁っているのだが、それにしてもカメの多さに驚く。しかもミドリガメが圧倒的に多い。ペットとしての飼育に飽きて放流された外来種のミドリガメが、在来種のクサガメやイシガメを駆逐しているという話は良く聞くけれど、六義園内でも同様の現象が進行しているようだ。
 
あちらこちらの岩場で甲羅干しをしているカメがいるが、定期的にこれをやらないと皮膚病になるという。ミドリガメはテリトリー意識が強いらしく、岩場から仲間を突き落としたりする姿も見られる。これなら爆発的に増殖するわけだ。しかし、こんなに岩場を独占されると、陸上にあがれず溺死するカメもいるのではないかと心配になる。そう、カメも溺死するのだ。
 
静岡県清水市にあった祖父母の家は巴川沿いにあったので、雨上がりなど、卵からかえったばかりの子ガメがよちよちと歩いているのをよく見かけた。

従弟が捕まえてきて金魚の水槽で飼うというのだが、
「上れる岩場がないから溺れちゃうよ」
と言っても、耳を貸そうとしない。水に浮かんで水上に首をもたげている子ガメを指さして
「ほら、大丈夫」
と得意げに笑うのだ。
数日後、水に浮かんで、首を水中にうなだれ、子ガメが水死していたのは言うまでもない。水陸両生のこの生き物の飼い方を知らない人は意外に多く、それが縁日などで手軽に売られているのが問題なのだ。
 
文京区、根津神社の祭礼でゼニガメ(これもミドリガメだった)を買った親子を見かけた。
ビニール袋に少し水を入れ、空気をたくさん入れてパンパンにして持たせてくれるのだが、この父親は水があまりに少ないと思ったらしく、水飲み場で袋を開き水をいっぱい追加しているのだ。
僕の隣でビールを飲んでいたお年寄りたちが、遠目に見ながら、
「あーあー、そんなに水を入れたらカメが溺れちまうよ」
「はっはっは、最近の父親はなーんにも知らないんだなぁ、まぁいいか」
「それも勉強になるからなぁ」

などと笑っていた。
 
中学時代、大嫌いだった水泳の授業だけれど、一つだけ自信を持って臨める競技があった。
水中に潜水し、無呼吸で何メートル進めるかを競うのだが、僕は、ずば抜けて肺活量があったので、浮かなくて良い、この泳法には自信があったのだ。
もうだめだ、という限界まで水中を突き進み、どうだとばかり水面に浮かび上がったら、級友たちが爆笑している。なんと、本人は得意げに潜水していたつもりなのだが、お尻だけがぽっかり水面に浮かんで移動しており、さながらカメの様だったというのだ。浮かぶのが苦手な人間は、潜るのも苦手らしい。
 
ということで、カメを見るたびに思い出す水泳競技は、今でも少し恥ずかしい。

※写真は、2002年7月16日、六義園内のカメたち。

2002年 7月24日 水曜日

【人生横丁】

今思い出せば、三十歳などという若造の分際で、脱サラして独立宣言などしてみたのだけれど、さしあたって独立初日から期待していた仕事があるわけでも無く、真昼の池袋を歩いていたら、“失業者になった”という感覚しかなかった。
 
空しい一日が終わり、仕事場に帰って、留守番電話を再生し、仕事の依頼が入っていると嬉しくて、デザインの依頼であればどんな仕事でも大喜びで飛びついたものだ。
会社組織を飛び出してみると、世の中には奇妙な職業で食べている人々が多いことに驚き、奇妙な場所まで出掛けて行き、奇妙な仕事をさせられた揚げ句、奇妙な倒産に遭遇し、デザイン料や外注費を取りっぱぐれる事もあった。
 
奇妙な人が、お気に入りの店でご馳走してくれると言い、夜の池袋、奇妙な路地を通り抜け、奇妙な一角で流しのギター演奏を聴きながら、夜更けまで飲んだことがある。時代の地層が激しくズレた剥き出しの断層のような一角。そこで過ごした奇妙な一夜が、不思議に思い出深く、いつまでも忘れられずにいた。
 
黄昏時の池袋東口でカメラマンの川上さんと待ち合わせしたので、ふと、そんな話をしてみたら、その一角は今でも残っていると言う。サンシャイン60が聳え立ち、すっかり様変わりして新宿渋谷の盛り場と変わりない喧騒の通りから脇道に折れたところに、懐かしい横丁は18年前のままで残っていた。

「そうか、こんな場所に有ったのかぁ」

と感慨深く、旧友との再会を果たしたようで嬉しい。バブル経済と呼ばれた時代、地上げ屋などと言う奇妙な職種の者たちが跋扈した揚げ句、跡形も無く消え失せてしまったと思い込んでいたので、「やった!」と快哉を叫びたい気持ちになる。
 
インターネットなるものの恩恵で、見知らぬ人々と広く交わり、他人の思考に触れる機会が増えて驚くのは、一見、時代遅れのような町並みが残っていることを有り難がる人種は“意外にも”少数派であるということだ。
時代から取り残されたような飲み屋街を発見するたびに大喜びする友人しか身近にいないので、それが世の良識だと思い込んでいたのだが、“古い、汚い、恥ずかしい”などと時代遅れを嫌悪する人が世の中には多いようなのである。“古い、汚い、恥ずかしい”もまた人それぞれ、勝手な好みで他人がとやかく言うべきことではないのだろうが、こと論点が地域再生に及び、それが生まれ故郷の話であったりすると、黙っていられなくなる。
“古い、汚い、恥ずかしい”もまた地域の文化に欠くべからざる、かけがえのない資源と思えてならないのだが、根こそぎ叩き壊して行政や大企業から資金を流入させ、役に立たない箱物を作らせることで、多少なりともおこぼれに与り、暮らし向きが良くなるのでは、などという“古い、汚い、恥ずかしい”幻想を、“文化創造”などという虚飾を塗して抱き続けている人々が多いのだ。

異常な経済の暴走で浮かれていた時代も醜かったけれど、経済の低迷の中で地域文化破壊の走狗となっている者どもを見るたびに、大災害に乗じて商店を焼き打ちし略奪を繰り返す暴徒を見るようで醜いことには変わりがない。
開店前の「人生横丁」、うだるような暑さに呆れて、往来でふて寝している猫に、「なぁ、そうだよなぁ」と語りかけたくなる。

2002年 7月25日 木曜日

【山村楽団/サンソンBAND】

地域生活応援誌『Juntos(ふんとす)』の表紙イラストを描いてくださっている中里仁さん(東北福祉会せんだんの杜 杜長)から、自主制作CDをプレゼントしていただいた。
 
グループ名「山村楽団/サンソンBAND」。ジャケット写真の雪景色を見ただけで、山村の空気間が伝わってくる。全四曲の曲目が繰り返しで計八曲の詰め合わせになっているのが微笑ましい。少なくとも二度は聴けと強制しているのか、650MBのディスクスペースがもったいないと思ったのか、いずれにしても中里さんらしい。

聴き始めて、う〜んと唸ったのは、宍戸望さんのギターが上手なこと。
この人上手いな〜。

近くて遠いアジアの国は
今日も今日とて ももひきいらず
ちんたら歩いて獲物を探しゃ
うようよ集まるハイエナたちよ

日照りが続きゃ この国は
若い娘が春を売る
エアコンバスで獲物を探しゃ
札びら切ってしたり顔
 
(「ボランティア・エレジー」詞・曲 中里仁)

 
中里さん、真骨頂の曲である。
 
おやっ、と思った北村みどりさんの曲。
さりげない暮らしの襞が垣間見えて素敵だ。
 
ポットを暖め カバーをかけて
きちんと時間も計って
あなたの紅茶が
そんなだってこと
ずっとずっと 忘れてたね
 
誰のせいでも 何のわけでもなく
今までだって
そうしたって良かったんだ
男も子供も放っておいて
たまには一緒に紅茶の時間

 
(「紅茶の時間」詞・曲 北村みどり)

 
音楽の贈り物というのは、理屈抜きに嬉しい。

  Vocal:北村みどり、中里仁
  Backing Vocal:宍戸望、北村みどり
  Guitar. Harmonica:宍戸望
  Bass:太田茂樹
  Bongo. Okarina. Shaker:岩佐未弧
  Percussion:北村みどり

2002年 7月26日 金曜日

【商店にとって美とは何か…なんちゃって】

シェークスピアのマクベスに次のような一節がある。
 
"fair is foul, and foul is fair"
「きれいはきたない、きたないはきれい」などと訳されているようだ。
渋谷区恵比寿で、二十年ぶりに再会する友人たちと待ち合わせて飲もうと言うことになり、早く着きすぎたので代官山方面へと散歩していたら、素敵な酒屋さんを見つけた。


相当に年季の入った酒屋さんで、見た瞬間「ああ、きれいだな」と思い、何枚もカメラに納めた。
正面の神棚風のショーケースはサントリーが「純生」でビール業界のシェア獲得に躍起になっていた時代のものだろう。母親が飲食店をやっていたので馴染み深いのだけれど、酒造メーカーからは看板や冷蔵庫、暖簾や食器類などに驚くほどの販促費としての援助があるのだ。おそらく店の間口分の大看板そっくり丸ごとメーカーからの補助があったのかもしれない。

しかし「ずいぶん昔のままなんだなぁ」などと思ってはいけない。
その下にある飾り窓は“TWO DOGS”という天然レモン発酵酒のもので、TWO DOGS同盟なるファンサイトもあるトレンド商品だし、その下にある飾り窓の“KIRIN ALASKA”は2002年5月22日発売の夏季限定発泡酒なのである。
要するに、時代に敏感に反応している店なのである。

そして店内を覗くと、マスコミの宣伝を見て飛び込んでも商品が必ず見つかりそうな品揃えだし、店の脇に置かれたビールケースを積んで店頭のHONDA業務用バイクで忙しく配達にいそしむ姿も容易に想像できる。

店頭にティッシュ・ペーパーやトイレットペーパーが積まれているのも好もしい。高齢化した家庭ではこの手の嵩張る商品を、酒・醤油の配達ついでに届けてもらえることが何よりも有り難く、配達を当たり前の業務にしている酒店や米店は地域の救世主になり得るのだ。

さらに、“こども110番の家”の看板が見えるのも嬉しい。
“こども110番の家”とは、子どもたちが大人による“声かけ、ちかん、つきまとい”などの危険に遭遇したとき、この店に駆け込めば助けてくれますよ、という宣言であり、世相に即応したボランティア活動なのだ。常に地域住民に密着した経営方針を貫いているお店なのである。

個人商店というのは、その辺すべてを含めた総体として見るとき、店の表層の新旧に関わらず、きれいに見えたり、きたなく見えたりする。たとえ庇が曲がり、ペンキがはがれ落ちようと、地域住民とギブアンドテイクで繁盛する店は“きたなくてもきれい”であり、親の代までの蓄積を精算し、品揃えを合理化し、トレンディな内装ですっきりし、無愛想な二代目主人がエアコンの効いた店内で座ったまま御茶を挽いている店は、実は“きれいでもきたない”のである。

2002年 7月29日 月曜日

【揺らぐ一貫性】

仕事で銀座一丁目へ。

先週末、首の筋を寝違え、付け根から首筋にかけての痛みが和らいだと思ったら、側頭部から頭頂までの筋が痛くて仕事どころか日常動作も思うに任せない土日だった。
出版社でそんな話をしたら、女性編集者に、ちょうど僕が担当している“脳梗塞の本”の症状そのものかも、などと脅かされたので、もう一冊担当している“自分で病気を治す本”の成功を祈願して、絶対病院には行きませんなどと強がってみた。

強がってはみたものの、保健室を出たようなふわふわした感じで裏通りに出ると、斜め向かいにある小さなギャラリーの立て看板が目に入った。
『阿部守展/7月22日(月)―8月3日(土)・ギャラリーセンターポイント』。
思わずそのままエレベーターに乗って三階の会場へ。

阿部守さんは僕の大学時代の同級生で、工芸・工業デザイン専攻だった。同じ授業を受けることが多く、しかも全体の学生数がきわめて少ない大学だったので、一緒に飲んだりする比較的仲の良い友人でもあり、酔うと互いに“兄弟”などと呼び合ったこともある。

卒業後、ひたむきに金属板を叩き続け、現代美術の世界で活躍するようになり、何度か個展会場に足を運んだのだが、一貫した営為には感服するものの、いささか退屈で、よくやるよなぁ、僕のような軽佻浮薄なデザイナーに対する反骨なのかしら、などと思ったことも正直に言えばある。

ほぼ20年振りに近い時を隔てて相変わらずの作品を見ると、思ったより一貫性などは無くて、一枚一枚の金属板に浮かび上がる寓意性に喜びながら、ふわふわと叩き続けていたのかも、などと楽しみながら鑑賞できるようになっていた。もしかすると、彼も、軽佻浮薄なデザイナーの道を選んだ僕の方が、透徹した一貫性を持っていたのかもしれないと、気づくような年頃になっているかもしれない、などと思えてきた。

そんな懐かしさもあって、会場内を探したけれど、本人の姿を見つけることはできなかった。

まぁいいや、そういうことにしておこう。
一貫性があったのは、一人、へそ曲がりなデザイナーで通し続けている僕の方なのだ。
だって彼はオックスフォード大学ラスキン美術校客員教授を経て、現在福岡教育大学教授に納まっているのである。

2002年 7月29日 月曜日

【パームにおねだり…1】

宮城県仙台市在住のソフトウェア開発者、Kyasu Soft の安原啓悦さんが東京出張されたのを機会に、初めてお逢いした。
 
Windows ソフトを開発されるかたわら、個人的なファンである Macintosh 用のソフト開発を手掛けられており、愛用しているのをご縁に当サイトとも相互リンクさせて頂いている。
 
都内での仕事が終了し、仙台まで日帰りするわずかな時間を有効に活用するため、“東京駅銀の鈴待ち合わせ場所”を落ち合う地点に決めた。僕はサイトで安原さんのお顔を拝見しているので、見つける事に関しては、別段心配はしていなかったのだが、安原さんの方は不安だったらしく、僕が見つけやすいような工夫をしてくださっていた。実は安原さんも僕と同じ小型情報端末、Palm OS のファンなのである。
 
すぐに見つけることができた僕を、妻が訝しがるので、
「位牌を目線の高さで捧げ持つようなポーズで Palm を使ってる人なんていないよ」
と種明かしして後に大笑いした。
人が他人に識別して貰うために、自らを記号として演出するのは楽しい。僕も見習わなくてはいけないと思う。初めての人と待ち合わせする時は、
「改札口前でスポーツ新聞を逆さにして読んでるのが僕です!」
なんていうのはどうだろう?
 
お逢いした記念に何か、と考えてすぐに思いつくのがデジカメによる記念撮影なのだが、互いが愛用する Palm マシンを見せっこしているうちに、その正方形の画面が“色紙”に見えてきたので、サインして頂くことにした。これはなかなか面白い。

カメラで写す外見より、本人が手で書いた文字に滲み出る人柄というのは、もしかすると写真なんかを凌駕するくらいの情報量を持つのかもしれない。文字を眺めていると、その生き生きとした伝達力に感心することしきりである。これはちょっと癖になりそうに楽しい。
 
Windows/Macintosh ソフトを公開されている安原啓悦さんの Kyasu Soft はこちら。

2002年 7月30日 火曜日

【回転の誘惑】

僕の小学生時代、母は良くデートに誘われていた。
 
既婚者にデートの誘いがあるなんて、そうある話ではないような気もするけれど、夫と別居中の三十代前半女性ともなれば、今思うと、さほど不思議ではないのかもしれない。
デートから戻ると、よほど嬉しかったと見えて、次々に土産話が飛び出すのだけれど、話でお腹が膨れるわけでもなく、僕には退屈な自慢話に過ぎなかった。
 
中でもとりわけ興奮していたデートに、オータニだったかオークラだったか、ホテル最上階円形展望レストランでの食事があった。食事中にレストラン全体が回転し、1時間で360度、一回転するのだという。1時間で360度、1分間6度、1秒間0.1度回転するのだというが、子どもながら、“だからどうなんだ?”という思いが強く、“回転しなくていいから、僕もレストランに連れてってよ”と叫びたい気分であった。

母のみならず女性というのは“回転の誘惑”に弱いものなのだろうか。彼氏に見つめられている自分の背景で、都心の夜景がパノラマ式に一回転する光景を思い浮かべただけで、女性というのは陶然とするものなのかもしれない。そのせいか、回転式レストランの惹句には「銀座の夜を独り占め!」などと書かれている。「独り占め!」なんて、陶然とした女性でなければ思いつかない。
 
女性に詳しいわけではないので話を母に戻せば、僕が中学に入り立ての頃、知り合いの夫婦が、「最近のホテルはベッドが回転するらしいので是非行ってみたい」と、嬉々として出掛けて行ったという話を、母は興奮して話していたが、実は自分も羨ましかったのかしら、と今になって思う。母はまだ三十六歳の若さだったから。
 
結局、七十過ぎた現在まで、再婚することもなく独り身で人生を過ごしているその母に、帰省した際、「何処か行きたいところは無い? 連れて行ってあげるから」と聞くと、「お母さん、回転寿司ってのに一度でいいから行ってみたい」などと言い出して驚いた。席に座らせ、セルフサービスのお茶を母の分も煎れ、回転して巡ってくる皿を手元に取って食べ、空いた皿は積み重ねておくのだ、と説明すると、母は「ふ〜ん」と呟いて教わった通りに数皿食べ、「もうお腹いっぱい」と言った。
 
それ以来、回転寿司に行きたいとは言わなくなったので、母にとってあまり楽しい“回転デート”では無かったらしい。女性から見れば、回転して陶然としているのは鮨ネタの方かもしれないのだ。
 
※写真はJR有楽町駅から見た東京交通会館最上階の「銀座スカイラウンジ」。これもまた回転する(笑)

 


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