電脳六義園通信所管理人 石原雅彦の日日抄

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三好春樹主催・生活とリハビリ研究所サイトの管理日誌です。

2002年10月16日 水曜日

【 NHK 的表記の夜】

秋の夜長を老人と過ごす。
 
僕は、民放テレビ局の番組をほとんど見ない。
義父の横顔を観察すると、民放テレビ局が発信する意味不明な刺激連発のコマーシャルに、ヒクヒクッと反応して無用な興奮をしている時もあるので、なるべく NHK 総合・教育、BS1・2、BS ハイビジョンなどをつけておくことが多い。
 
昨夜は北朝鮮による拉致監禁事件、生存者一時帰国のニュースが時間を延長して放送されていたので、食事をしながら一緒に見る。
最近は、ニュース番組の画面下部に字幕がスーパー・インポーズされ、それ自体は良いことだと思うのだが、NHK の文字表記が気になって仕方がない。一時期、“日本語の乱れ”を指摘するキャンペーン的スポット番組を連発し、“目くそ鼻くそを笑う”という言葉を思い浮かべることが多かったので、それが目に見える形で表記されると尚更気になる。
 
“目くそ鼻くそを笑う”などのように、引用符をつけて表記する必要がある場合、NHK は和文に欧文のクォーテーション・マークを用いているのだが、「“」で起こして「”」で受ける時、「”」の文字ベースラインを下げて文字面の下部に揃えることに決めているらしい。
書籍の仕事に携わるものは、こういう組み方はしないと思うし、かなりヘンだ。
ヘンなのに NHK がこうも連発すると、それが一般的であるかのような“常識”を形成しかねないので気味が悪い。
 
NHK は文字ベースラインをいじることに固執しているらしく(暇なのか?)、それこそが文字編集の仕事に関わる者が、和欧混植の場合、心を砕く部分なのだが、NHK の心の砕き方は意味不明である。
位取りのカンマ「,」のペースラインを上げて、数字の字面に下揃えにしているのだが、これも相当にヘンだ。数字データの多い書籍でこんな組み方をしたら、編集者は校正時に頭を抱えるに違いない。
 
選挙候補者など人名一覧を表示する時、NHK の「ルビ」表記は悲惨である。
「姓」にあたる文字一字目のセンターからふりがなを振るとルール化しているようなのだが、それでは「名」のほうはどうかというと、全く一貫性が無く、姓名の文字数が違う候補者名が並ぶと、左右均等配置の姓名の上でふりがなが右往左往し、何か規則性があるのかと目をさらのようにして観察していたら、頭が割れるように痛くなったので止めた。
 
最後に小泉総理大臣へのインタビューがあり、拉致監禁事件への今後の取り組みに対する決意が問われ、総理は“一所懸命”に取り組むと述べていたように聞こえたが、字幕は“一生懸命”となっていた。

2002年10月17日 木曜日

【魚と芋】

脳味噌煮込み饂飩店』店主、はまボーズ氏から郷里熊野地方の隠れた名産、「縄巻鮓」(なわまきずし)をご紹介いただいた。
インターネット通販でお取り寄せできるとのこと、早速教えていただいた URL にアクセスしてみた。

ごはんではなく自然薯をふかしてつぶした上に、鰆や鯖などをのせ、竹の皮で包んだものをいぐさの縄でキリキリと巻いて発酵させるという世にも珍しいお鮓です。なれずしの一種ですが、有名な鮒ずしのようなクセはありません。
元は和歌山の田辺附近のもので、昔は紀州の殿様しか食べることができず、“一子相伝”で伝えられていたとか。
現在は一時途絶えていたのを、私の祖父(田辺出身)が復活させ、今は祖母と母が細々と作っております。
あの博物学者・南方熊楠も絶賛したという、“まぼろしの鮓”。
量産はできませんが、ぜひまぐまぐの読者さまにご賞味いただきたいと存じます。
(サイト上の【商品説明】より)

カーボンコピーメールで食いしん坊仲間に届いた便りなので、本物を食する前に想像力を逞しくし、メールでの鮨談義を楽しむべきだったのだが、看護・介護に明け暮れる毎日の忙しさの中で、無粋を覚悟で即決注文してしまった。
10月2日に注文して、一週間ほどで届く。
10月8日に製造し、製造後3〜10日が食べ頃だという。
8日間ほど寝かして、親子3人の食卓にのせてみた。

●マウスを重ねると次の画像が表示されます。

感心するのは、いぐさの縄と笹の葉の香りが良いこと。
まず、その香りで食欲がそそられる。
縄を解き、くるまれている笹の葉を取り去って鑑賞し、良く切れる包丁で、年寄りも食べられる厚さに切り分ける。
ここで「しまった!」と思ったのは、笹の葉ごと切るようにという指示が、どこかにあったのを忘れていたこと。そうしないと、せっかく一体化していた鯖と自然薯が型くずれしてしまうのだ。
 
大皿に盛って、早速いただく。
絶句…。
美味しい!
やはり、ぎりぎりまで寝かせるのが正解のような気がする。
鯖のうま味と塩分が自然薯に染み込み、山羊乳のチーズのような舌触り。
とはいえ、発酵臭などもなく淡泊な味わいで、鯖のバッテラが食べられれば、何の抵抗もないと思う。
 
かつて、和歌山県新宮市に友人を訪ねた際、どの家庭でも朝は茶がゆが出るのに驚いた。
“紀州の茶がゆ”と言って、米作に適した土地が少ないこの地方では、ご飯を非常に尊んだと聞く。
ご飯の代用に自然薯を思いついたのかなぁと単純に思っていたが、“魚と芋”が絶妙に相性が良いのを知ったのも、今回のお取り寄せで収穫のひとつだった。
 
食いしん坊で好奇心旺盛な友人たちに感謝。

2002年10月18日 金曜日

【割り勘以前】

新宿駅西口、『思い出横町』。
居住者には『しょんべん横町』という通称が恥ずかしいのかもしれないが、30年近く通うと『思い出横町』などという、気取った名前を口にする方が恥ずかしい。

急ぎの仕事で代々木に向かい、約束の時間には早すぎたので、遠回りして懐かしい露地を歩いてみる。
この場所で、良く割り勘をした。
飲み終えて店を出て、勘定を均等割りにして精算する割り勘ではなく、飲む前に皆の手持ち金をすべて出して幹事に預け、有り金分だけ全員で飲むのである。
ポケットの数だけ家庭の事情があり、千円札が出れば歓声が上がり、小銭ばかりを恥ずかしそうに出す者も多かった。
飲み物はチューハイだけ、つまみは白菜キムチのみで、持ち金を計算してぴったりになるまで飲んでも安心な、良心的飲み屋があったのだ。
 
懐かしいなぁ、あんな仲間と、あんな飲み方をしてみたいなぁと思うけれど、飲み屋から出て「割り勘にしましょう」と言い、みんな1万円札を出してお釣りに困る中年仲間では、そんな楽しみ方には残念ながら縁がないのかもしれない。金と若さを引き替えにしたみたいな気持ちさえする。
 
貧しいことが輝くように楽しかった時代の残滓が、今もここにはある。

2002年10月19日 土曜日

【秋ふかき隣はなにをする人ぞ】

松尾芭蕉は、元禄7年10月12日、51歳で亡くなっている。
その直前、9月29日、堺の商人芝白の芝柏亭(しはくてい)で開催された歌仙に参加できないため、病床で詠んだ絶唱が「秋ふかき隣はなにをする人ぞ」である。
 
子のない息子にとって、両親はいつまでたっても「お父さん・お母さん」なのだが、他人に「おじいちゃん・おばあちゃん」などと呼ばれる光景を目にすると感慨深い。
だがその前に、「おじいちゃん・おばあちゃん」と呼ばれてもおかしくない歳になってきたな、と思える前兆もあった。
家族の会話について来られなくなり、それでも口を挟みたがり、聞き間違いによる誤解が多くなり、人の目・世間体を気にするようになり、やがて他人への被害妄想を抱き、涙もろくなり、怒りっぽくなり、そのくせ寂しがり、自制を失うと身体が幻想に支配されて錯乱する夜も増えてきた。


onMouseOver

老人の看護・介護が始まると、子ども夫婦、二人だけの会話の時間を持つことが難しい。
深夜、二人きりになりたいのだが、老人が、茶の間の扉を開けたままにして眠りたいなどと言う。
若夫婦の会話に耳をそばだて、妄想で頭をいっぱいにして起き出し、会話の内容を問いただしたりすることも増えてきた。安らかな寝息を立て始めるまで、夫婦の会話は筆談で行わなければならない。
 
共働きの友人のメールに、同じ職場の別セクションで働く妻への、カーボンコピー送信の心配りがされていたりするのを見ると微笑ましい。一緒に暮らす夫婦間でメールのやりとりをしている夫婦って世の中にどれくらいいるのだろうか。
我が家では夫婦間でのメールのやりとりなど、ついぞしたことがない。
心ならずも、筆談によるチャット状態を体験することになったのだが、手書きの文字列を書きなぐるのは疲れる。だが、読むのは楽しく、文字だけを追っていると妻とは別人のように思えたりもする。
 
「こんなことになるなら、手話を真剣に学んでおけば良かったね」
などと書き、開け放した扉の向こうで老人が息をつめ聞き耳を立てている気配を感じながら、声を殺して笑い合う。
時計はまもなく午前0時を過ぎようとしている。
 
秋ふかき隣はなにをする人ぞ
 
我が家にも、深まり行く秋に煩悶しつつ衰え行く魂がひとつ、寝室の闇の中、息を殺してまんじりともせずに横たわっている。

※写真は2001年、晩秋の富山にて。

2002年10月20日 日曜日

【酒の善し悪し】

酒の善し悪しについては今もわからない。
 
自分が美味いと思えばそれが最上の酒である、なんて話しは置いておいて。
社会人になって四半世紀、日本酒党で通したのだけれど、離党して焼酎党に寝返る直前、僕にとって善い日本酒とは“米の味”を残しているものだった。
人肌ほどに燗をして貰うと、かすかに旨みが増して上等な重湯を連想するような酒。
そういう日本酒が飲みたくて、東京一燗上手と噂の高い、大塚駅前『江戸一』に、足繁く通ったものである。
 
焼酎といえば芋焼酎に限ると豪語する熊本出身のカメラマンが友人にいるが、若い頃から僕は芋焼酎が苦手で、神田神保町の某名店などで飲んだりすると、正常な意識で自宅に帰り着いたためしがなかった。
焼酎党に鞍替えしたとホームページで宣言したら、高価な焼酎を大量に送って下さった奇特な方がおり、芋焼酎にも「ああ、芋のお酒だなぁ」と、しみじみ味わいのある、優しい酒があることを知って驚いた。
 
池袋東口で老人ケアに携わる仲間たちと飲んだ際、大分産の麦焼酎に、香ばしい麦の香りを微かに残したものがあることを知った時も同様で、米・麦・蕎麦などを原料にした焼酎は無味無臭、何と面白味のない酒だろうという考えを改めさせられた。
その麦焼酎が忘れられず、様々な銘柄で安価なものを飲みまくったのだけれど、無味無臭のものばかりで諦めかけていた。

池袋西口にほど近い場所に、日本酒の品揃えが良いことで名高い酒屋があり、仕事帰りに立ち寄ってみた。焼酎は入って左側の棚にあり、その中で黒いラベルの一升瓶、鹿児島産の麦焼酎に心惹かれて購入してみた。一升瓶で二千円以下なので、普段呑んでいるものより若干安い。
これが見事に、素材本来の香りを残した焼酎で、沸かし立ての麦茶、日向の香ばしい麦の匂いがする。
 
鹿児島県鹿児島市、本坊酒造株式会社の酒である。
 
本坊元詰 本格焼酎 黒麹造り甕壷仕込み麦焼酎 ひとひろ
 「ひとひろ」とは、「一尋」と書き、両手を広げた身の丈ほどの長さ。地中に埋め込まれたその身の丈ほどの甕壷で仕込まれ、自然の流れに逆らわず、ゆっくりゆっくり醸し、麦焼酎本来のうまみやコクを引き出しました。
 黒麹造りと甕壷仕込みにより生まれる華やかな香りと深い味わいは、従来のものにはない奥深さを感じさせる麦焼酎です。(同社ホームページより※一部誤字訂正)

「両手をのばして広げたら それが一尋(ひとひろ)自分の身の丈 自然の流れに逆らわず あるがままに無理をせず 自分らしさを大切に飲みたいものです」(ラベルのコピーより)
 
素材の味が程よく残る酒に出逢うことは少ない。
日本酒なども、友に心を込めて贈る際には、そういう米の味の残った酒を厳選しているのだけれど、酒蔵の職人さんに「素材の味が残ることの善し悪し」を、お尋ねしたい気がしてならない。
そういうお酒が、きわめて少数派だからだ。
 
酒の善し悪しはともかく、麦焼酎はこれに限ると惚れ込んでしまったので、仕事帰りに一升瓶を三本下げて帰ったら、手が痺れるように痛い。
インターネットで取り寄せられるのだから、そうすればよいのだけれど、手で持って帰りたいというのも、酒飲みの可愛い習性なのかもしれない。

2002年10月21日 月曜日

【父帰る】

興奮・錯乱・幻覚・妄想。
家族にそんな症状が出たら、
「お父さんが呆けた!」
家族が咄嗟にそう考えても、仕方ない気もする。
 
パーキンソン病とは、脳内のドーパミンが不足することによって引き起こされる、振戦・固縮・動作緩慢・姿勢保持障害という4大症候を伴う病気である。よって、治療薬として L-ドーバ製剤というものが開発されており、現在最も有効な治療方法だという。L-ドーバ製剤を飲むと血液脳関門を通り抜けて脳内に達し、ドーバ脱炭素酵素の働きでドーパミンに変わるのだ。
 
パーキンソン病の本を読んでいたら、L-ドーバ製剤には、興奮・錯乱・幻覚・妄想が副作用として現れることがわかったので、主治医に急遽連絡を取り、義父の様子を事細かに伝え、薬の調節をしていただいた。
 
数日たつと、目に見えて変化が現れ、無表情、もしくは猛禽類のような眼差しをしていた義父に、みるみる表情が戻り、優しげな好々爺に変貌しはじめた。ちゃんと話が通じるようになり、笑顔が浮かび、自ら冗談すら言う。悪魔から天使へ、人格が正反対になってしまったようで、僅か数粒の薬の影響力に驚かざるをえない。

会話らしい会話の成り立つありがたさ。
二人きりの夜、義父との間にどれだけの会話が持てるか試してみた。
「お父さんが飲んでいる L-ドーバだけど、他にも L-グルタミンとか“L-”の付く薬があるよね。あの“L-”ってなぁに?」
薬専出の薬剤師だった義父にこそできる質問である。
義父は嬉々として、指でテーブルに分子構造図らしきものを描いて説明してくれた。
聞き取りにくい言葉の中から「せこうど」「させんせい」などという聞き慣れない言葉をメモし、翌日インターネットで検索してみた。
良かった! あったあった。
施光度は物質の検査方法に関する言葉らしいし、アミノ酸には“左旋性”と“右旋性”があり、左旋性を持つアミノ酸がタンパク質を作り出すことが出来るらしい。L-ドーバの“L-”は“左旋性”を持った物質であることの証なのだ。
 
「お父さん、わかったよ、“L-”は“左旋性”を表してるんだね。お父さんの言った通りだった!」
と、言うと義父も嬉しそう。
「違うとるかと心配した」
「いやいや、お父さん、まだまだ呆けて無くて安心したよ!」
照れくさそうに白髪のホヤホヤ頭を撫でながら照れ笑いする笑顔は、この人が義父になってから初めて見た、最上の笑顔である。義父はパーキンソン病治療薬を飲むようになってから、長いこと、“自分らしい心身のバランス”が保てずに、苦しみ続けていたのかもしれない。
この笑顔を忘れずに、主治医との連携に心を砕くこと、それこそが娘夫婦にできる最後の親孝行かもしれない。

2002年10月22日 火曜日

【置き猫】

猫好きの友人宅に招かれると、猫の置き物がたくさんあって驚く。
 
犬好きの家に招かれて、犬の置き物に驚いたことはないから、“置き物好き”が猫好きになるのかもしれない。“犬は人につく、猫は家につく”と祖母は言っていたが、置き物好きの“人”も“家につく”のかもしれず、“家につく置き物好き”が猫を飼うと、猫も置き物のような可愛がり方をしたくなるようだ。
 
ショーウインドウに小さな座布団が敷いてあるお店があって、一瞬、何を陳列する準備なのかと首をかしげたが、障子の爪痕を見てすぐにわかった。愛猫を陳列するのである。
冬場は暖かで猫にとって居心地の良い陳列場所なのだろうが、夏場は蒸し猫になるのを嫌ってか、ご本尊を拝むことができなかった。
日中でも肌寒さを感じるようになって、ふと思い出して拝観に行ってみた。

onMouseOver

いたいた、見事な置き猫。
模様が一風変わっていて、古田織部に預けたら天下の名猫に仕立て上げて貰えそうな逸材である。

カメラ慣れしているのか、嫌がる風でもなくポーズを少しずつ変えて応対してくれた。
正札がついていないので、猫が売り物でないことは間違いないが、このお店、何が売り物なのかさっぱりわからない。それがまた、“地域につく”個人商店の面白いところでもある。

2002年10月23日 水曜日

【鶴は夜運べ】

街に巨大クレーンが建つと、その大きさでビルの規模が知れる。
 
セルフクライミング方式といって、鉄骨を三階分組み上げるごとに、クレーン中央部にあるマストという支柱が伸びてクレーンはどんどん登っていく。
ビルが完成した時点で、大型クレーンを地上から屋上に吊り上げ、そのクレーンで解体した巨大クレーンを地上に降ろし、中型クレーンを地上から吊り上げ、そのクレーンで解体した大型クレーンを地上に降ろし、小型クレーンを地上から吊り上げ、そのクレーンで解体した中型クレーンを地上に降ろし、最後に一番小さなクレーンを解体して普通のエレベーターで地上に降ろすのだそうだ。

で、疑問なのは解体するといっても、巨大クレーンの解体できる大きさにも限りがありそうで、巨大クレーンの部品運搬にも巨大トレーラーが必要な気がするのだが、クレーンパーツ運搬の現場を目撃したことがない。藤原新也に「豚は夜運べ」というエッセイがあるが、鶴も夜運ぶのだろうか。
 
オフィスビルもマンションも、余って余って苦慮しているというニュースをよく耳にするが、都内のクレーン乱立は凄まじく、建設ラッシュの勢いは止まらない。
経済もしくは旧弊な金の使い方の解体が、クレーン解体のマトリョーシカ方式のように、手際よく進まないからだろうか。

2002年10月24日 木曜日

【中心点】

友人のサイト「わたしもひとこと・合併通信」に、郷里静岡県清水市の「中心点」の指標を撮影した写真が掲載されていた。
 
測量器を立てて、紐付きの三角錐を下げてぴったり位置を合わせる時に使用するような、丸に十の字の小さな釦だ。いったい何処にあるのだろう、清水の中心ってどの場所になるのかなぁと興味が湧き、気楽にメールで問い合わせれば済むのだけれど、それが一番つまらない楽しみ方なので、インターネットで調べてみた。
 
例えば日本という国の中心点。
兵庫県西脇市は東経135度、北緯35度の交差点にあたるため、「日本のへそ」と愛称をつけ、日本のへそ公園には、西脇市出身画家・横尾忠則氏の作品を展示する美術館があるという。
栃木県安蘇郡田沼町は「X=rsin(π/2-ψ)・cosλ=rcosψ…」などという計算式で国土の中心を求め(真偽のほどは不明)、自ら日本の中心を名乗り、「日本列島中心の町」の碑を建立し、住民総出の手作りイベント「どまんなかフェスタ」を開催したりしているらしい。田沼町はその名の通り、老中田沼意次ゆかりの土地だ。
石川県珠洲市の禄剛崎にも日本の中心点であることを示す石碑が建てられている。
 
これらの「中心点」の根拠がよくわからないのに対して、なかなか面白いと思ったのは、長野県大鹿村にある分杭峠が日本の中心点であるという説である。
国道152号線にある峠で、20年近く前、富山から清水に帰る時、そのまま一気に南下して浜松近くに出られそうな地図表記にだまされて通過した思い出の場所である。道が細まって農道のようになり、木の札に手書きで「国道」などと書かれている。心細いのでお百姓さんに、
「この道を真っ直ぐ行くと静岡県に出られますよね」
などと聞き、
「さぁなあ、行ったことがないから、わかんない」
と答えられたりしたものだ。秋葉神社に参詣する秋葉街道という古道で、結局車で行けるところまで行って引き返さざるをえなかった。
その分杭峠は中央構造線上にあり、日本列島の中心でぶつかり合う二つの地殻の力が盛り上げた突起で、エネルギーが蓄積された特異点であると電気通信大の名誉教授が書かれているという。

日本の中心はさておき、「清水の中心点」は何処かと、2番目につまらない楽しみ方、「清水+中心点」で検索してみた。
ヒットした中で一番面白そうなサイトをクリックしたら、友人が管理者をしている「次郎長翁を知る会」のサイト。「清水は東海道五十三次の中心点である」。その通り。
 
続いてクリックすると、清水市街地空襲を記録した頁。
1945年7月6日夕方、テニアン島から飛び立った第133航空団のB29、136機が7日0時過ぎ、油脂焼夷爆弾(M47)を約1万3000発、テルミット・マグネシウム焼夷弾(M50)を約26万発投下し、町の52%が焼かれ、337名の犠牲者がでたという。その爆撃中心点は巴川に掛かる鉄橋と言うから、大正橋、僕の好きな金田食堂のあたりだろう。
 
さらにクリックすると、なんと静岡市・清水市合併協議会の議事録で、東静岡駅付近を中心点とするかどうかの議論をしていたらしい。最もつまらない中心点論だ。一極集中型から多極分散型へ移行することこそが求められている時代なのに恥ずかしい限り。
 
発端となった友人のサイトに戻ったら、清水中心点の画像は更新されて消えていた。
それも中心点らしくていいけど。
 
※写真は清水の爆心地。僕にとっての中心点はこの場所に決めた。

2002年10月25日 金曜日

【だらしなく長い安定】

最近、この日記の文章が“長い”と言われてしまった。
 
例えば、道端で草花を見つけ、何となくいいなぁと思う。
人間というのは有機的に変形するジグソーパズルのピースみたいなもんで、ひとつのグループを作る時、一人ひとりが出っ張ったり引っ込んだり、自在に変形しながら全体のまとまりを保とうとする。
良い仲間というのは、仲間が抜けても加わっても随時まとまりを保とうとする力があるもので、そういうところがいいなぁと思う。

自然の事物を見て心安らぐのは、自在に変形しながら、安定しよう、折り合いをつけようとする仕組みを本来持っているからじゃないか、などと考える。
僅かな土を見つけて根付いた草花が共存している姿、その安定感に感動したりする。
 
だが、心の中で、「甘いなぁ、この植物たちだって、人間が気付かない程度のスピードで、互いに侵蝕しあい、生き残りの葛藤を演じているのかも知れないぞ」などという声が聞こえ、ああでもない、こうでもないと、思いを巡らすうちに持って回った“長い”文章になってしまうのだ。
 
たが、考えてみれば、日記というのは言葉のゴミ箱であって頭の中を整頓するために書きなぐるのであり、頭のゴミ箱を引っかき回して作品として整った文章をでっち上げる作業とは違うのだ。
ああでもない、こうでもないと、浮かんだ考えを有機的に変形したりごまかしたりしながら、とりあえず一塊りの文章として書きちらすのが日記であり、それはこの道端の一塊りの草花に似ているのかも知れない。
 
簡潔にまとまったものを書く必要など無く、だらしなく長いことが許されるからこそ、日記というのは長続きするのかも知れない。

2002年10月26日 土曜日

【雨降りだから故郷のことでも考える】

日本最初、おにぎり専門の販売会社「テンジンヤ」が設立されたのは1954年11月。僕が生まれて二ヶ月後のことだ。
子どもの頃から目にしている「テンジンヤ」の看板、静岡県内いたるところで見かけるので、郷里を離れた友人には「テンジンヤ」の看板を見ると、「帰郷した!」という実感が湧いて来ると言う者もいる。
 
「テンジンヤ」のルーツは清水にあるのではないかと仲間と話したりしたのだが、本当のことはわからない。
インターネットで検索すると、経営者も代わられたらしいし、言うに言われぬ(とはいえ、ネットで公表されているが)苦難の歴史もあったようで、なにはともあれ清水エスパルス創立当初からの、ありがたいスポンサーということで、清水にことのほか縁の深い会社、程度に考えることにしている。

清水市には「望月」という姓が非常に多く、石を投げれば必ず当たるくらい望月さんとテンジンヤが横溢している。
清水に帰省し、東京に戻る朝、JR清水駅に向かう途中にも何軒か「テンジンヤ」がある。
朝ご飯を食べたばかりなのに、「テンジンヤ」の前を通ると胃が切ない。
クリスチャンではないので聖母マリア像を踏めと言われれば踏めるが、母が握ったおむすびを踏めと言われれば絶対踏めないし、必ず手で握るという「テンジンヤ」のおにぎりはかなり踏みにくい。賞味期限切れで次々に捨てられているコンビニのおにぎりは機械が握った物だし、セロハンで包装されているので、踏まざるをえなければ踏めるがあまり踏みたくない。
 
子ども時代、「真っ白い炊きたての米粒を握る」という行為を繰り返し見せられ、過剰なほど意味づけされた者が、成人しても、おにぎり像に聖母マリア像を錯綜させてしまう現象があるのかも知れず、この日本人特有の「おにぎりコンプレックス」が、ことのほか清水っ子には強いのかも知れない。そうでなかったら、こんなに望月、いや「テンジンヤ」だらけのはずがないのだ。
 
※写真は「テンジンヤ」清水駅前銀座店。

2002年10月27日 日曜日

【肌寒い朝だから故郷のことでも考える】

清水というのは良くも悪くもいい加減な街である。
 
合併の旗振りをした連中が、合併話が具体化したら、責任逃れを視野に入れていい加減に立ち回っているらしい。
「いい加減にしろ」と苛立つことも多かったが、ここ数年、東京・清水間を頻繁に往復していると、帰省時に感じるいい加減な街の匂いを胸一杯吸い込んで、いい加減さの中に浸っている自分がたまらなく好きになっていることに気が付いた。
もしかすると信州望月の郷あたりの馬の首を引いて、武田信玄に伴って駿河に南下した祖先が、武田氏滅亡後も“野臥せり”のようにしぶとく定住した、きわめて植民地的な街なのではないかと、その居心地の良さを感じるたびに思う。

郷里の友人男子で学校卒業後、清水に定住した者は何割くらいいるのだろう。
帰省の度に電話帳を繰ったり、住まいのあった場所を歩いてみたりするのだが、懐かしい名を見つけることは一割に満たない。一方女子は、成人して市内の誰某に嫁いだという話しを頻繁に聞いたから、かなりの率で郷里に子孫を残す役割を果たしているのかも知れない。
 
郷里に根付いた友人たちが、“いい加減であること”こそが“野臥せり”のような清水っ子の活力源であり、いい加減さを存分に発揮しても「“いい加減な暮らし”の首を自ら絞める」ことだけは、やってはいけないということに気付いて、合併に反対してくれているかしら、と帰省の度に気になる。
 
故郷を捨てた者だからそう思えるのかなぁと、清水の街を歩く時、写真館に掲示された定住家族の肖像が眩しく、その未来が明るいことを祈らずにはいられない。
 
※写真は清水銀座商店街の写真館にて。

2002年10月28日 月曜日

【もうひとつの魚好き】

魚は食べるのも好きだが見るのも好きだ。
 
魚屋店頭の死んだ魚を見るのも好きだが、生きている魚を見るのはもっと好きだ。
小学生時代、部屋に水槽を置いて、埼玉の川で釣ってきた淡水魚を飼い、のんびりと眺めているのが大好きだった。
水槽というのは光学実験装置のようなもので、魚の表情が拡大されてよく見えるし、四角い水槽を対角線上斜め上から見ると、魚の左右側面が、左右それぞれの硝子に、上面が水面に映って、三面図のように見えたりする。角を丸めた部分では工学的に歪曲されて、奇妙な顔になったりして大笑いしたものだ。
 
得意先、渋谷区代々木にある出版社のエレベーター・ホールに水槽があって、僕はそこの魚と仲がいい。
水槽の前に立つと、ぎょろっと横目で見て
「よっ、最近景気はどう? なにか、食べ物でもくれる?」
なんて言いたそうにこちらに寄ってくるので可愛い。カメラを向けると、
「写真撮るなら面白い顔をしてやろうか? ほら、ビロ〜〜〜ン!」
などとサービスしてくれる気のいい奴なのだ。

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退屈な魚と、疲れた人間は、相性がいいのかも知れず、ただひたすらに和む。

2002年10月29日 火曜日

【贅沢な人達】

仕事帰りのお昼時、新宿思い出横町へ。
 
あそこに食堂が何軒有ったかなぁと気になり、昼食がてらふらりと立ち寄る。
“昼食がてら”などと書くと“しょんべん横町”と書きにくいのは、人間としての修行が足りないからだろうか。
端から順に数えていくと食堂は5件。昼間から焼き鳥で飲んでいるおじさん達の店と、立ち食い蕎麦や鰻専門の店を除いた数だ。昔仲間と入った大きな店以外、他に入ったことがないので、鰻の寝床のようなカウンターだけの店に入ってみる。

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注文して、露地を行き交う人々を眺め、耳を澄ます。
「よっ、おめでとうございます!」
「何が?」
「聞いたよ、とったんだってね!」
「んもー、耳が早いんだからっ!」
競馬好きの会話だろうか。
「あーら、パパっ、お久しぶり〜っ! 入って入ってっ!」
正午から、副都心のど真ん中で“パパ”なんて呼ばれて飲むなんて、何と贅沢な人達だろう。
 
びしっとスーツで決めた若者が隣の席に座り、
「たらこ定食、頭切って」
などと注文する。“頭切って”とは何かと注意してみていたら、お櫃からご飯をよそう時、丼の縁から上に出たご飯をしゃもじでお櫃に戻す、要するに“ご飯少なめ”ということなのだ。
「たらこは生? それとも焼く?」
「軽くあぶって」
 
それにしても、お櫃で保温したご飯の美味しいこと。
昔の昼飯は、こんなに美味しいご飯を食べていたんだなぁと、幼い頃が懐かしい。電気保温ジャーというのはやっぱり良くない。
猫の額ほどの広さの厨房で、たらこをあぶり、玉子焼きを焼き、マカロニサラダと大根おろしを盛りつける手際の良さにウットリ。
こんなに美味しいご飯と、公明正大、目の前で鮮度を確かめて注文できる安心さ。
若いくせに何と贅沢な昼食をとっている若者なのだろうと羨ましかったりする。
 
建物は汚くて古いけれど、こういう場所の常連になれるのはとびきり贅沢なことかも知れず、ここには狂乱の時代の焼け跡に芽生えた、新しい豊かさの芽があるのかもしれない。

2002年10月30日 水曜日

【都市の陰影】

ここ数年間、太陽の日差しがおかしい。
秋だというのに、日差しは肌を刺すように痛いし、都市の影は毒々しいほどに、くっきりと強い。

その一方で、路上に柔らかく美しい陰影を見る機会が増えてきた。

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ビル内の電力消費を押さえるため、強い日差しを遮る硝子壁で覆われた建物が増えてきたせいだろう。
「あっ、綺麗だな」
と立ち止まると影の方向がおかしい。
午後になって日が西に傾きかけているのに、陰影は北東方向から伸びているのである。
よく見れば、若干青みがかっていて、大通りを挟んだ向こう側のビルディングが反射している光であることがわかる。
 
スチールの商品撮影にしろ、屋外での映画撮影にしろ、レフ板を上手に使うと、事物を美しく撮影することができるが、ビル街外壁の反射が織りなす路上の陰影は、さながら照明技術の学校のようでもある。

2002年10月31日 木曜日

【無病息災としての吉日】

仕事で渋谷区代々木の出版社へ。
 
エレベーターホールで飼われている仲良しの魚が、また笑顔で近づいてくる。
「よっ、面白い顔を見せてやろうか?」
2002年10月28日 月曜日の日記、【もうひとつの魚好き】で紹介されたのが嬉しいらしい。
「今日のは凄いよ! ほら、ビロ〜〜〜〜〜〜ン」

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暇な魚の相手をしていると、時間がいくらあっても足りないので、足早に新宿駅前思い出横町に行って昼食。
先日、お櫃で保温したご飯の美味しさに驚いたので、同じ店に。
常連さんが食べていた玉子焼きとマカロニサラダと焼きタラコの定食が食べたくなったのだ。
 
「へい、いらっしゃいっ!」
 
カウンターの入り口近く、お櫃を前に置いて元気いっぱいのご主人は、港の桟橋先端に建つ小型灯台みたいだ。この人が一番大事な商売道具は、年季の入ったお櫃に違いない。注文をすますと、隣りに常連さんが入ってくる。
 
「焼きそば、それとシジミの味噌汁。疲れちゃってさあ」
「だーめだよお、人の倍働いてるんだからたくさん食べなきゃあ」
「じゃあ、マカロニサラダ、それと鯖塩」
「その調子っ!」
 
話しをしながら、ご主人がお櫃のフタを逆さまにし、ご飯をその上に乗せ始める。
新しくガス釜のご飯が炊きあがり、お櫃に移し、その上に先ほど取り出したご飯を戻すのである。
なるほど。
フタの上のご飯を戻す前、お櫃を裏返した際、底の板に墨文字が書かれているのが見えた。
 
「平成12年8月28日 吉日」
 
そうだったそうだった。思い出した。
祖母も新しいお櫃の底には、必ず墨で何かを書いていたっけ。
 
家には必ず大黒柱というものがあって、すべての梁にかかる重さを集中させ、日本家屋が歪まないような工夫がなされている。その柱に接する場所には必ず台所が置かれ、厨房の神様として大黒様を祀って、飢える事の無いよう祈願していたのが、大黒柱の名の由来なのだ。
お櫃もまた暮らしを支えるもう一つの大黒柱であり、家内安全、無病息災、商売繁盛…様々な祈りが込められていたものなのかも知れない。


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