電脳六義園通信所管理人 石原雅彦の日日抄

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三好春樹主催・生活とリハビリ研究所サイトの管理日誌です。

2002年12月21日 土曜日

【コミック雑誌の夜】

仕事で銀座へ。
 
JR 神田駅ホームでは、警察官が黄色いテープを張り巡らして、人身事故の実況見分らしい。
満員すし詰め、山手線車内の押し黙った乗客達の陰鬱なムードを振り払うように有楽町駅で降り、イルミネーション煌めく銀座の街に出る。
 
得意先前の小路を進むと、テレビ局のレポーターやカメラマンが詰めかけて、何やら大騒ぎ。
上空にはヘリコプターまで飛んでいる。
編集の方に聞くと、出版社前の路上で銀行の現金輸送車が二人組の強盗に襲われ、デパートの売上金7500万円が強奪されたのだという。
 
自分の目と鼻の先で凶悪事件が起こったりすると、人間誰でも興奮するものらしいけれど、疲れているせいか僕にはあまり刺激的ではなくて、打ち合わせ後、ふらふらと犯行現場の取材風景を眺めて帰ってきた。

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内田裕也主演、滝田洋二郎監督による映画『コミック雑誌なんかいらない!』が公開されたのは1985年。当時世間を騒がせた凄惨で陰鬱な事件を盛り込んだ後味の悪い映画だった。

足掛け17年が過ぎてみて、暗い世相を反映してか連日起こる人身事故、パワーショベルで堂々とキャッシュコーナーを破壊したりして行われる連続現金強奪事件、食事時のニュースにてんこ盛りの殺人事件の報道なと、なんだか時代が『コミック雑誌』そのものと化しているようで、僕の感覚が麻痺しているだけなのかもしれないなあと感慨深い、都会の黄昏である。

2002年12月21日 土曜日

【夢は夜ひらく】

PowerBook G3 2000 通称 Pismo はドーターカード両面のソケットに 512MB のメモリを装着して、最大1.024GB まで拡張できるように「一応」なっていた。
 
なぜ「一応」なのかというと、2000年春頃ようやく登場し始めた 512MB のメモリが 1枚 20万円近くもし(国内でアドテックが発売したものは店頭小売価格は 1枚 178,600円)、2枚で Pismo 本体が買えてしまいそうな、およそ現実的でない価格だったのだ。
 
深夜、何の気無しに覗いたメモリの通販サイトで、「512MB SODIMM 144pin PC100(メーカー保証品)(PowerBookG3 2000年モデル) 単価:8960円」という表示を見てびっくり。底無しに下落するメモリ価格だけれど、「お待たせ!」の天の啓示かもしれず、ここが買い時かなと思って 2枚注文した。
 
10分ほどの作業で換装終了。
無事に最大メモリで動作している。
OS X では仮想メモリが標準なので、早いとは言えない G3 では、ハードディスク上の仮想メモリをなるべく作業中に使用させたくないし、ソフトも起動時にメモリの空きがあれば、高速な実メモリ上に起動領域を確保するため高速化するのだ。
 
「新しい PowerBook G3 はメモリ最大 1.024GB まで拡張可能!」などというメーカーの謳い文句につられて購入しても、夢が叶うのは数年後で、しかも深夜だったりするのだ。

2002年12月23日 月曜日

【山茶花】

義父が週6日、デイサービスセンターに通い始めて四ヶ月ほどになる。
若い職員たちの素晴らしいケアに支えられ、表情に生気がよみがえり、大好きな遊びリテーションでの活躍を得意げに話すようにまでなった。医師と相談しながらのパーキンソン病治療薬調節の効果も絶大だが、一日5時間、週30時間の生活ケアの効果は感動的ですらある。
 
今流行りの複合施設というのだろうか、義父の通うデイサービスセンターは小学校の敷地内にある。窓から見える運動場で、朝礼をしたり、体操をしたりする児童の姿を見るのも楽しみらしい。
センター内で粗相をしてしょげ返っていたりすると、職員が手を引いて義父と小学校運動場を一周してくれた等という、微笑ましい話も聞く。
 
児童との交流も盛んで、秋の運動会にはたくさんの子どもたちから招待状も届いたし、
「おじいちゃん、竹馬の作り方を教えて」
などと聴かれたと言って、嬉しそうに、僕に竹馬の作り方を確認することもあった。
 
二十代の頃から社会福祉関連の仕事をしていた僕は、児童や老人に行政や教育者が「半強制的」にさせているようにしか見えない、社会奉仕教育活動に疑問を感じたりしていたこともある。
奉仕する側も、受ける側も、本当に福祉の心をはぐくみ、互いに感謝し合う社会の仕組みが、こんなやり方で構築できるのだろうかと。

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義父が毎日、デイサービスセンターで一日を過ごした証にいただいてくるスタンプ、そのスタンプ帳は千代紙を丁寧に張り合わせた、厚い表紙の手作りである。どこかでボランティアたちが製作してくださっているのだろうが、それを初めて見た時は胸にこみ上げるものがあった。児童から時折届く義父宛の手紙、そのたどたどしい文字を見ることで、介護する家族の心がどれだけ和むことか。
身近なものに病を得て、初めてわかる有り難みである。
 
今年も小学校の正門前にたくさんの山茶花が咲いた。
今年の山茶花の紅はひときわ鮮やかで胸に染み入る。

2002年12月23日 月曜日

【六義園 季節の手触りガイド】

『六義園 季節の手触りガイド』を公開しました。

2002年12月24日 火曜日

【老いとユーモア】

老人と密着して生活していると、彼らの驚くべきユーモアの表出に驚くことが多い。
 
パーキンソン病の本を読んでいると同様のことが書いてあり、パーキンソン病に関わらず、人間年をとると同様の技能が自然に身に付いてくるように思えてならない。
 
可笑しくて可笑しくて、他人に話したくてたまらないのだが、厄介なのは老人のユーモアをユーモアとして解す人と解さない人が極端に分かれるのである。
後者の人だと、しかつめ顔で聞いていてちっとも笑ってくれないし、人間誰でも年老いれば耄けるのだから、笑いものになどするものではない、などと説教を始めたりする。

違うのだ。辛い介護を担わされている意趣返しに、精神的優位を良いことに老いて耄けた人を笑い物にして面白がっているわけではない。その辺のことがわからないと、主婦の介護記などを読んで、辛い介護労働の明け暮れの中で、老人の意表をつくユーモアに驚き、泣き笑いし、せめてもの慰めになっている、などという事例を理解できない。
 
人間に限らず、子どもというのは大人から愛されるための記号表出機能を生来持っているものだ。良い老い方をすると老人は他人から愛されるための精神的な緩み、ユーモアのセンスを自然に身につけ始めるのではないだろうか。子どもに戻るのとはちょっと違う。ある程度の知識と経験、そして年相応の顔形をした者だけが用いることのできる、独特なユーモアなのである。
 
「ああ、可笑しい。素晴らしい笑いのセンス。良い老いというのは愛おしい」
そう日記に書いて読んでもらいたいなあと思ってもそれはできない。お叱りののメールが来るに決まっているのだ。だから、「老いとユーモア」の不思議な関係を理解してくれる友と逢うのを心待ちにする毎日だし、自分が老いたら「それ」を解するような人の愛をもって、介護されたいなあと思う。

2002年12月25日 水曜日

【クリスマス】

先の見通しが立つ、というのは有り難いものだ。
 
今この時も戦場で暮らす人々には“先の見通し”など望むべくもないのだろうが、日本での先の見通しが立たないその日暮らしだと、帰りがけにふと気付いてコンビニエンスストアで小さなクリスマスケーキを買ったりする余裕もまだある。
 
義母が急性白血病で入院し、義父と子ども夫婦、親子三人のクリスマスイブである。
蝋燭を三本立てて祝い、不思議なもので、その小さなケーキもいつの間にか四等分している。一つずつ取り分けて、残った一つがちょっとだけ重い。その“重さ”を見越したように、病院の医師から呼び出しの電話が入る。

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“完全看護”を標榜し、目玉が飛び出るほどの差額を請求しているのだから、病院に文句を言えという友もいるけれど、老人であり、メンタルなケアも伴うとなると、病院側ができることに“完全”などというものはない。無理に“完全”を望めば、“薬”の量を増やし“身体拘束”まで許容することになるのだ。
家族が添い寝することで“薬”と“身体拘束”なしで、通常の治療が続けられる時、病院側に“完全”を強要することは、“家族であること”まで“完全”の名の下に放棄するように思えてならない。
 
無菌治療中の義母に食べられるはずもないのに、1/4のケーキをタッパーウェアに入れて娘は病院での泊まり込みに向かう。娘というのはそういうものなのだろう。
一方、連休中の母への添い寝を終えた娘と共に迎える久しぶりの親子三人の夜に、突然取り残された義父への打撃は大きい。なだめつつベッドに入れると時計は既に午後10時を回っている。
「今日は靴下をはいたまま眠る」
と言い張る義父に、おやすみなさいを言って灯りを消す。

2002年12月26日 木曜日

【鳥と頂点】

友人のはまボーズ氏に、
「巨大なオオワシが先月から不忍池の弁天島に放されているそうです」
とメールで教えていただいた。
 
鳥類食物連鎖の頂点に君臨するオオワシが野鳥の群れる不忍池に、と聞いてちょっとびっくりするが、千葉県旭市の海岸で、銃で撃たれて大けがをした状態で保護され,1973年6月から上野動物園で暮らしているそうだ。今でも怪我の後遺症で飛ぶことはできないらしい(メールマガジン『里山を歩こう』第138号より)。鳥を見るのは大好きなのでカメラを持って出掛けてみようかと思う。
 
「鳥と空気の親密さ」というのは羨ましい。
飛べないオオワシが空中に凝らす視線は美しいし、飛べる鳥なら両翼で風をとらえて滑空する様は惚れ惚れする。そして木の梢や鉄塔のてっぺんに止まっている姿にも感心する。鳶職人はさておき、人間では足のすくむような高所で悠然と哲学的思索に耽っているような姿は、いつまで羨望を込めて見ていても見飽きることがない。

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写真の右方向、松の梢に鳥が一羽とまっている。
デジタルカメラの8倍ズームでアップにしてみると、木に添えられたパイプ状の支柱(?)にとまっているのがわかる。鳥はこういう先端が好きらしくて、カラスやカモメの群れを観察していても、頻りにその先端の場所を奪い合いしている。
 
何故先端を奪い合うのか?
何故かは知らないし、深いわけなどなく、高所を怖れない人たちが究極の山頂をひたすら目指すのに、似ているだけなのかもしれない。だが人間の場合、人ひとりやっと立てる最高地点だったとしても、登山者が奪い合いをする姿というのは見たことがない。奪い合えば滑落して死ぬからだ。
 
頂点を奪われても、空中で滞空しながら頂点への復帰を試みることのできる鳥というのが、これまた羨ましい理由の一つになっていたりする。

2002年12月27日 金曜日

【撮影年月日時分秒】

日常のメモがわりにデジタルカメラを持ち歩くと、パソコン内に蓄積される画像データは膨大な数になる。
 
同じく、デジタルカメラを持ち歩き、仕事の記録に活用する友人に整理方法を尋ねると、フォルダに適当な名前を付け、個々の画像はデジカメがつける名前をそのままにしているらしい。

片や、僕はどうしても画像に「撮影年月日時分秒」のファイル名を付けて整理したくてしょうがない。九分九厘同じファイル名がつかない保存方法で、時系列で記憶をまさぐる癖のある僕に、もってこいの記録方法なのである。

富士フイルムのデジタルカメラに付属する「FinePixViewer」というソフトにまさにその機能があり、各社のデジカメデータ整理に利用できるので重宝していた。
ところが OS X 上で SONY Cyber-shot U10 のデータを処理しようとするとエラーが出て動かないのである。代替ソフトを探したのだが、「撮影年月日時分秒」にファイル名をリネームしてくれるソフトというのがなかなか無い。そんな風に思う人間は少数派なのかなあと思うと、気に入っている方法だけにちょっと淋しい。
 
「OneRenamer Ver.0.1.2」 というフリーウェアがあって「撮影年月日時分秒」へのリネームに便利なのだが、最終的にリネーム後の画像が入ったフォルダを目的の保存場所に手動で移動しなければならない。もっと「FinePixViewer」に近い機能を持ったソフトはないかしらと探していて発見したのが「ExifRenamer」というソフト。気に入ったら任意の金額を寄付するドネーションウェアだ。
 
デジカメをパソコンにマウントし、デジカメ画像の入ったフォルダをドラッグ&ドロップすると、あらかじめ指定しておいた場所に「年月日」のフォルダを作り、「撮影年月日時分秒」にリネームした画像をコピーし、デジカメ内の画像を消去してくれるのである。非常にきめ細やかなカスタマイズができるのも素晴らしい。
 
ExifRenamerはこちら

2002年12月28日 土曜日

【明治神宮の御神籤】

12月27日、原宿界隈で買い物のついでに、28年振りくらいで明治神宮を散歩してみた。
 
既に初詣客を迎える準備が整いつつある。
神様にお祈りをしたら、その答えをいち早く聞きたいのが人情なのか、我が母もそうだが必ず御神籤を引きたいという人が多いらしい。大群衆相手に御神籤を売りさばくために、特設の売店が設えられるようだ。

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明治神宮ともなると外国人の参詣者も多いのか、外国人向けの御神籤販売コーナーもある。
「POEM DRAWING」とあるのだが、これで正しいのだろうか?
和英辞典で調べると御神籤は「a fortune (slip)」であり「運命・運勢」などを記した「(紙,木などの)細長い切れ端」ということになる。これならなるほどと思うのだが「POEM DRAWING」というと「詩や韻文の抽選」ということになる。これで正しいのだろうか。
 
明治神宮で御神籤など引いたことがないのだが、明治神宮ともなると「失せ物・待ち人・縁談」などという下世話な問題への御託宣などではなく、天皇様の有り難い御詠でも書かれていて、それで POEM DRAWING のだろうか?
 
うーん、知りたい!
知りたいがわざわざ出掛けていって引いてくる気にはならないし、友人は皆、正月は暖かい部屋でぬくぬくと酒浸りという神をも恐れぬ好漢ばかりなので、永遠の謎になるのかもしれない。

2002年12月29日 日曜日

【六義園の馬と猿】

家族に病を得て、全員揃ってのお正月が無いと決まると、余所のお正月が妙に気になる。
とはいえ他人の家庭の正月行事予定を根ほり葉ほり聞いても詮無いので、『特別名勝六義園』の正月行事を聞いてきた。

『懐かしいお正月を大名庭園で!』と題して、1/2・3の二日間、特別な催し物が開かれるそうだ。
猿まわし(12:00、14:30)
南京玉すだれ体験(午後・午前随時)
初釜(1/2=裏千家、1/3=表千家)
庭園ガイド(11:30、13:30)
獅子舞とお囃子(1/3のみ11:30、13:30)
振る舞い酒(大人のみ(^^;)
お楽しみ袋(小学生以下のお子さま)
開園時間:9:00〜17:00(入園は16:30迄)
 
それにしても、大名庭園で江戸時代『猿まわし』などが行われたことがあるのかしらと可笑しかったので調べてみた。

絵馬の絵柄には馬を引く猿の絵が多いそうだ。昔から馬と猿は仲が良いという言い伝えがあり、馬と人が密接な暮らしをしていた地域では、馬が病気で元気がない時、厩に猿を入れてやると、軽い病気なら治るという伝承があったとも言う。更に室町時代頃までは同じ理由で馬と猿を同じ厩内で飼う習慣もあったらしい。
 
もっと調べてみると「疵馬温」【ピーマーウェン】(馬の疵を避ける)という言葉が中国にあり、西遊記の孫悟空は「弼馬温」(厩の管理人)という役職に一時就くのだが、この「弼馬温」の読みも【ピーマーウェン】なのだそうだ。ということで、猿が馬の保護者であるという言い伝えは日本・中国・インドに残っているという。
 
都内の大名庭園では唯一、見事な馬場が残っている六義園だが、猿は馬の病気を防ぐという俗信から、その昔、大名屋敷では厩で猿まわしを舞わせたというから、往時の六義園をしのぶ良い企画なのかもしれない。

2002年12月30日 月曜日

【賑やかな酒場】

病院通いが足繁くなると、今まで気付かなかった医師一人ひとりの個性などがあらためて見えてきて面白い。
 
自分の得意分野に集中して治療一筋、家族の事情などが治療の現場に入り込むと、
「家庭のことは家庭で解決してください!」
と、言い放つ医師。
一方、家庭の事情、我が家の場合は両親の介護を考慮して、
「年末年始、デイサービスも休みでご家族も大変でしょうから、お父様も一週間ほど検査入院していただいたらどうですか?」
などと気配りをしてくださる医師もいて有り難い。

義父母のいない静かな年末。
何か希望はと妻に聞いたら、まる5か月振りに大塚駅前の居酒屋に行ってみたいという。
午後4時半の開店と同時に駆けつけたのだが、既にカウンターは満席に近い。かろうじてカウンターの隅に二人分の席を確保する。
大学の先輩、太田和彦さんが著書で“東京一燗の上手い店”と絶賛する「ぬる燗」を味わいながら杯を重ねる。次第に出来上がった常連からお勘定が始まるのが6時頃。
「今年もありがとうございました。良いお年を」
「お母さんこそ、来年も元気で。良いお年を」
常連と女将が交わす言葉が、しみじみと心地よく、妻は感極まって泣き出す。
 
義母は義父と同じ病院内で眠れる年末年始に安堵したらしいし、義父は日頃のデイサービスでの成果を早朝のベッドでの体操で披露して職員の人気者になっているという。
家族が病を得るというのは、家族全体が病を共有することであり、医師のちょっとした気遣いで家族全員が癒されることもあり、しみじみと有り難い年末年始である。

2002年12月31日 火曜日

【行く年来る年】

子どもの頃から風邪を引くと耳の聞こえが悪くなる体質で、人より耳の穴が狭いから少しずつ広げていこうね、と優しく言ってくれた耳鼻科医から逃げたので、今でも風邪を引くたびに難聴に悩まされる。他人の声が聞き取りにくく、自分の声が頭の中で響くので、よほど気心の知れた相手でない限り、人付き合いがおっくうになる。
 
昔なら市販の風邪薬を飲めば数日で治ってしまったものだが、歳のせいか治りが遅くなり、どうやら難聴のまま越年しそうで悲しい。一生難聴のままなら、格段に進歩している補聴器のお世話になることに何の抵抗もないので、いっそ清々すると思うのだが、必ず治るという確信があるので我慢の日々が続く。
 
歳をとると“必ず治る病”というのは少なくなる。
難聴に悩む義母には補聴器が役立ちそうに思ったりするのだが、老いを受容するのも本人にとっては容易でないらしい。杖や歩行器、入れ歯に頼る暮らしをいち早く受容した義父や実母に比べて、驚くほど健康体で暮らしてきた義母だからだろう。体裁より“聞こえる”方がよっぽども良いのにと、僕は思うのだが。

「来年があなたにとって、もっと良い年でありますように」
さりげなく年賀状に書き添えて来た言葉が、今年はひときわ重い。来年は更に歳をとり、多少の浮き沈みはあっても更に病が重くなって行く親たちがいる。
それでも何とか一年が終わり、それでも何とか新しい年が迎えられる大晦日。
ありがとう2002年と感謝し、明日の夜明けには、ありがとう2003年と感謝できることだけが、生きていることの喜びであるとつくづく思う。
 
来年は静岡市に実質合併吸収される静岡県清水市。
午前0時に停泊中の船舶から一斉に鳴らされる“清水市最後”の汽笛も聞き取りにくそうで、残念で仕方のない大晦日の朝を迎える。
 

 
この一年間、拙文を読まれて間違いの訂正や励ましのメールをいただいた皆様に感謝します。『しりとり掲示板』で遊んでくださった方にも、ありがとう!
ともに新しい年を迎えられる喜びに乾杯(^^)!


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