電脳六義園通信所管理人 石原雅彦の日日抄

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三好春樹主催・生活とリハビリ研究所サイトの管理日誌です。

2003年 1月 1日 水曜日

【絆】

静岡県「静岡市」に実質上吸収合併されることが決まったので、静岡県「清水市」で迎える最後の元日。
 
朝刊には静岡・清水両市を俯瞰する航空写真と『新「静岡市」』の文字が踊り、とても気恥ずかしい。
合併を巡る経緯を知る者で、恥ずかしくない者がいたら良識を疑いたくなるような田舎政治のどたばた劇が繰り広げられた揚げ句の、火事場泥棒のような合併劇だからだ。これほど郷土が無彩色に見える新年も珍しい。

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道端のマンホールの蓋を見ても虚無感が込み上げるから、大好きな清水市上町界隈を歩く。
この地域の人々は、こうして地域全体をしめ縄を張り巡らせて囲み、神籬(ひもろぎ)のような結界を作って新年を迎えるのである。郷里を売り渡すような珍合併の悪夢が待ち受ける西暦2003年を「上町」の人々はどう迎えるのかしらと気掛かりだったが、昔と何も変わらない強固な地域意識の絆を具現化していて安心した。
 
これが僕にとって最も「清水らしいお正月」であり、永遠に守り継がれて欲しい暮らしの色彩である。

2003年 1月 2日 木曜日

【林檎のお年賀】

「最近のマックはお正月になってもデスクトップに「新年あけましておめでとうございます。」の文字が出てこないのですね。残念。」
 
友人からこんなメールを貰い、東京に残した親娘三人の体調が思わしくないためあたふたと帰郷した午後、Macintosh OS X から試しに Classic システムを起動してみた。

OS 9.2.2 では、ちゃんと林檎のお年賀が出る。間もなく最新型 Macintosh では OS 9 が起動できなくなるらしいので、最終バージョンになると思われる OS 9.2.2 で Macintosh ユーザが大好きな新年の挨拶が永遠に残されるのは何とも有り難い。

2003年 1月 3日 金曜日

【リージョナル】

元日に届いた『静岡新聞』。
 
新年の話題の目玉は「新『静岡市』誕生」らしい。
静岡・清水両市の航空写真が異なる角度から撮影されていて興味深い。
記事に目新しい視点からの言及はなく、平成市町村大合併の棚ぼた待望推進派の域を超えるものはない。
NHK朝の連続ドラマ「満天」でヒロインが夢見る、宇宙船から青い地球を眺望したいという夢の帰結は、地球は一つ、世界は一つ、「宇宙船地球号」的発想の科白が付け加えられるんだろうなあと予想している。

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静岡・清水両市にまたがる日本平。
その山襞に分け入ると、微妙に違う風俗習慣を守って暮らす人々がいる。久能山に面した海岸沿いにも、奇妙な形の砂嘴に囲まれた天然の良港沿いにも、そして山梨・長野に接する山間部にも、様々な風俗習慣と、地域特性に基づく暮らしぶりを守って生きている人々がいる。遙か高みから見下ろせば「所詮一つなんだよ」的“グローバル”=安直に援用した乱暴でズボラな思考をしがちな時代があった。猿が高所に登るとろくな事を考えない。
 
“グローバル”な考えの欠陥・限界が見え始め、心ある人々が少しずつだけれど“リージョナル”な考えに基づく世界観で、誤った人類の歴史を押し戻そうとしている今、地元の公務員や田舎名士が口にするのはカビだらけの“グローバル”なのであり、この地区の後進性を如実に物語っている。
 
写真は静岡新聞2003年1月1日付け朝刊。

2003年 1月 4日 土曜日

【車窓の故郷】

静岡県清水市は東海道新幹線が「通過する町」である。
 
静岡市と清水市を合併させたくて仕方ない連中の中には、合併したら新幹線の駅を清水市にも誘致するなどと言う珍案をちらつかせる者までいる。
東京駅から新幹線に乗り、車内アナウンスで、
We will soon make a brief stop at Shizuoka.
と、放送があって網棚から荷物を下ろし、上着を着て席を立ち、通路に向かう頃通過しているのが清水市なのである。
 
東海道新幹線で富士山の見える山側の席に座ると、清水市というのはどうにも特定しにくいらしい。
新幹線で郷里を通過する友人たちが、「清水市を通過中に写しました!」などと車窓から写した写真を添えて送ってくれるメールは、富士市だったりする。
帰省中は地元のサッポロビールを飲むなどと僕が言うものだから、「清水です」と送られてくる写真が焼津市だったりすることもある。

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人は自分が見たいように世界を見る。
列車が富士川鉄橋を渡り、裾野まで遮るもののない富士山の絶景とお別れし、いくつかトンネルをくぐり、平野部に出て単調な景色が始まる頃、目の前に扇のような弧を描いて麓の集落を抱く小さな山塊が一瞬目の前をよぎるが、それこそが僕にとっての清水なのだ。
扇山とも梶原山とも呼んだりするこの山の麓で育ち、山の中腹にゴミのように見える鎌倉時代創建という霊山寺(通称大内の観音さん)の藁葺き山門を見上げて暮らした。そして、その右下法蟹寺の墓地に僕は骨になって葬られることになっているのだ。
 
故郷の思い出と山というのはなかなかに縁が深い。
車窓を一瞬よぎる山塊や山襞にも、たくさんの人間の小さな故郷があり、思い出が染み付いている。

2003年 1月 5日 日曜日

乱れ撃ち清水ノート』を更新しました。2003/1/5分はこちらから。

【冬の陰日向】

子どもの頃、陰日向のない人間になれと口を酸っぱくして言われた。
 
老人を介護しながら観察していると、様々な日常生活動作の「自分でできる・できない」が、配偶者や実の娘の前、血縁関係のない義理の息子の前、まったくの他人の前とで見事に変化するのに気付く。
ケアマネージャに
「お手洗いはひとりで使えますか?」
などと聞かれ、
「はい」
などと答えるので、
「え?(おいおい!)」
と思ったりするのだが、配偶者や実の娘がいないと、そこそこ自分でできたりするし、デイサービスセンターなどでは達者振りを見せようと奮闘しているらしい。
 
これは陰日向ではなく、無意識に日常生活動作をこなす能力が人間関係に応じて高まったり、減衰したりしているようなのだ。薬でドーパミンを補ったりしながら、副作用のない範囲で限られた「燃料」を燃やし、精一杯自立して一日を過ごそうとしているのだが、薬とは別のところで身体機能を活気づけたり衰えさせたりする「人間関係」が老人にはあるのだ。


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だが考えてみると、老人に限らず、老若男女、人間誰でもそういう側面があるのかもしれない。
泊まり込みの看護で妻の不在を観念すると、炊事もそつなくこなし、必要とあれば下着の洗濯程度はしている夫に、妻は内心呆れているかもしれない。家庭で、学校で、職場で、人は人間関係に応じて能力を高めたり減衰させたりしながら、省エネ的人生を心がけているのかもしれず、それは僕程度の年齢だと他人から見れば「陰日向」にかなり近いのかもしれない。

そんなことを考えながら、年末・年始の検査入院から戻る義父のために、食べ物の買い出しに出る。
坂道を下りながら足元を見ると冬の陽が落とす影の長いことに驚く。見上げた他人の家の洗濯物干し場が美しい影を壁に落としているので、カメラを構えて撮影していると、隣家のおばさんに怪訝そうに睨まれたりする。

2003年 1月 6日 月曜日

【田端あんぱん】

義父の好物「あんぱん」を買いに田端銀座商店街に。
 
「田端銀座」と聞いてJR田端駅から歩いて「田端銀座」を発見するのは難しいと思う。
どちらかといえばJR駒込駅に近いと思われる不思議な場所にある商店街で、要するに「最寄り駅」のない孤島のような商店街なのである。
 
僕はこの商店街にある『夢工房』の【田端あんぱん】が大好きで、本当はコンビニエンスストアで売っている「普通のあんぱん」が好きな義父の昼食を口実に、しばしば自分の好物を買いに行くのだ。
【田端あんぱん】の中身は当然の事ながら餡である。加えて生クリームが注入してあるのだが、「餡と生クリーム」のコンビネーションが秀逸なのだ。以前は栗のかわりに桜の花の塩漬けがお臍になっていて、「餡と生クリームと桜」のトリプルパンチに痺れたのだけれどと、ちょっと残念。

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「田端銀座」の地図はないかしらとインターネットで検索したら、商店街マップを発見。
『夢工房』の紹介をクリックしたら仰天。こんな事もあるんだなあと新年早々夢を見ているような妙な気分。
「どこが?」と聞かれても、ちょっと秘密(笑)

2003年 1月 7日 火曜日

【Smile for Me】

かつて「動物の中で笑うのはヒトだけである」とアリストテレスは言ったそうだ。
 
読売新聞2003年1月6日付夕刊『スペクトル【笑いと遺伝子】』によると、西田利貞・京大教授の研究でチンパンジーも笑うことがわかり、その笑いはLaughであってSmileでは無いのだそうだ。
チンパンジーは飼ったことがないが犬は飼った経験があるので勝手に思うのだが、犬も笑うように思え、それはSmileであってLaughではない。チンパンジーはLaughすると言うのは大学教授で、片や犬がSmileすると言うのは単なる市井の犬好きなので、誰も真に受けて聞いてはくれないだろうが(笑)

ただLaughとSmileと対峙させて考えるのがかなりおおざっぱな気もするので、勝手に犬のSmileとは何かを決めつけて言わせて貰えば、嬉しいことがあると犬は緊張がゆるむ、緊張がゆるむことは無防備になることなので、「嬉しいから無防備なんだからね、その辺を解って君子豹変、急に態度を翻して攻撃しちゃ嫌ですよ」というような微妙な表情をするのだ。これは人間のSmileに似ている部分もあり、人間の笑顔とは似てもにつかないが、それが犬の笑顔であるように思えてならない。
 
実の親子というのは普通の生活でも真正面から向き合うことが多すぎ、介護の場では尚更、義父と妻がやり合うことも多い。婿としてはやや斜(はす)から見て、論理では無しに笑いで義父に活を入れようという気もあり、義父に思わずSmileが浮かぶような話題を毎日探しておき、ここぞという時に発射してみる。Laughも良いものだがSmileの効用はてきめんで、コミュニケーションの大切な「武器」だと思う。

※写真は石廊崎の日本猿。人の子と同様、サルの子もオチンチンが気になるらしい。

2003年 1月 8日 水曜日

【居酒屋探索】

建築物が本来持っている機能的必然性を失った姿は奇妙であり、可笑し味があり、しみじみとした感慨がある。屋外に面しているだけで用をなさなくなった扉にも、かつては、そこにどうしても扉が無くてはならない理由があったのだろう。
 
では確固たる必然性に裏打ちされた四角四面のコンクリート造り、画一的箱物建築が良いかというと、いつか必ず来る老朽化の際には、機能的必然性を失ったら単なる味わいの欠片もない巨大粗大ゴミになるしかないわけで、末路はもっと悲惨に違いない。古い日本建築が末路に見せる味わいある滑稽さを、そう安易には笑えない。

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コンクリートの箱物内にある居酒屋はつまらない。
秋葉原電気街のど真ん中に、良い居酒屋があると聞き、いつか入ってみたいと思っていた。そう思っているうちに同居中の義父母が倒れ、看護・介護が必要な夜の外出など夢物語のような暮らしになってしまった。それでも、気になって仕方がないので昼の営業時間に意を決して入ってみた。
 
店舗の内装というのは面白い。
かつて静岡県清水市で飲み屋を営んでいた母も、初めての店を開業する際は、深夜まで僕の使い古しのノートに、ああでもない、こうでもないと、深夜までカウンターや厨房、客席の配置に知恵を絞って、見取り図を描いていたものだった。古い居酒屋には店主の思いが込められており、従業員が働きやすく、客も心地よいに違いないという、創意工夫が何よりのもてなしとして用意されていることが多い。
 
さて、この店の内部はどんな「劇場」になっているのかな、と初めて暖簾をくぐる時は胸が高鳴る。
一歩足を踏み入れて、外部と隔絶した別世界に入り込んだような衝撃のある店に巡り会うのは幸せである。この店の内部は素晴らしい。素晴らしすぎて写真におさめるのも憚られるほどに。コの字型のカウンターも厨房の佇まいも、頭上の神棚も、壁際にある熊手も。この「劇場」の登場人物になってみたいなあとしみじみと思う。
僕は、ひとりで居酒屋で飲むのが、大勢で飲むのと同様に好きではない。それでも、ひとりで飲まざるを得ない時が来たら、この店の暖簾をくぐってみたいなあと思わせてくれる数少ない店を発見した。
 
居酒屋という「場」は、「劇場性」こそが最も大切な機能的必然性のように思えてならない。

※無用の扉は港区赤坂。秋葉原の居酒屋は『赤津加』。

2003年 1月 8日 水曜日

【safari】

とうとうAppleComputerの純正ブラウザー。
ベータ版が登場。


Safari 1.0 public beta
最初文字化けしてびっくりするけど、PreferenceでTextEncodingをJapanese(MacOS)にすればOK。当サイトのカウンターが表示不能なので改善の要あり。
近日中にカウンターを入れ替えよう(笑)

2003年 1月 9日 木曜日

【駒込看板】

JR山手線駒込駅というと「大人のオモチャの看板がある駅」などと言う人がいる。
“大人のオモチャの看板”なんてあったっけなあと探しても見つけるのに苦労するのだが、その人には“大人のオモチャの看板”が最も印象的らしく、人は自分が興味あるものほど目ざとく見つけるものなのだろう。
 
「駒込駅の変な看板」が気になるという友人もまた多い。
どう「変」かときくと、今時、広告看板料を払って、一点物の意見広告を掲示するような奇特さが「変」なのだそうだ。相当な「奇人」が駒込界隈にはいるのだなあと面白いのだそうだ。
 
以前から気になっていたこの看板、駒込界隈の情報発信サイトの掲示板でも話題になったらしく、なんと広告看板発信者自らレスをつけておられて、改めてその秘密を知った。
仕事で有楽町まで出掛けるついでに最新版を読んでみた。大意は次のようなものだ。

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我々は利子も付かないに等しいのに銀行預金をしており、それは無担保で銀行に金を貸してやるようなものである。で、銀行は恩義ある庶民に金をかさずサラ金に金を貸し、サラ金は銀行に金を借りられない哀れな庶民に高利で金を貸して儲け、破綻者や自殺者を増殖させている。マスコミがこんな奇妙な構造を何故糾弾しないかというと、情けないことにサラ金こそがマスコミの最大の広告主だからである。
 
金儲けのために口を閉ざす者たちの所業を黙認し、至極まっとうな意見を自腹を切って発表する「奇特」な人が「変」に見えるところにこの国の異常さがあり、小さなメディアの必要性、情報のドン・キホーテがいる事のありがたさを痛感する。
 
※『駒込看板』発信元【komy】さんはこちら。サイトトップページから「駒込通信」をクリックするとその成り立ちとバックナンバーが読めます。

2003年 1月10日 金曜日

【メジロ】

夕食時の会話、病気のせいもあって無口で無表情な義父を活気づけるような会話づくりを心がけても、そうそう話の種があるわけではない。
 
自身のホームページで益体もない日記を毎日書き続けているのだから、『日日抄』の朗読タイムにしたらどうかなどとも思うが、無表情な沈黙という反応に弱いので勇気が出ない。義父が喜びそうな話題が見つからないと、面白い話でなくともそれなりに相づちを打ってくれる、妻に向かって語りかけることになる。
 
先の見えない看護・介護の手伝いをしていると、自身の入浴もままならず、早朝に起き出して義父母の住まいから自宅に戻って、震えながらシャワーを浴びたりする。7時近くなって夜が明けた六義園を窓越しに見ていたら、正門近くの梢で緑色の小鳥が数羽、忙しげに動き回っているのが見えた。メジロである。今年の冬は寒いけれど、既に木々の芽吹きは始まっていて、春はそこまで来ているのだ。
 
「今朝、六義園でメジロを見たんだよ」
と妻に語りかけると、いまにも閉じそうに重たげな瞼の義父が、
「おれも見た」
と、嬉しそうに微笑む。
ビル街に面したマンションの9階と小学校に併設されたデイサービスセンターを往復する暮らしの中で、どこで見たのだろうと怪訝な顔で尋ねると、デイサービスセンター内に飛び込んできたのだという。

窓際でポンという音がしたのでセンターの床を見ると緑色の小さな小鳥が落ちており、目の周りが白いのでメジロと解ったのだという。センター内に誤って飛び込み、慌てて脱出しようとして、窓硝子に激突したらしい。
「死んでいるのか?」「近所に野鳥の診れる獣医がいたかな」「動かさない方がいいぞ」
年寄りが額を寄せ合い、動かなくなった小さな緑色の小鳥を囲んで、意見を出し合ったのだという。
そのうち息を吹き返したメジロはパタパタッと羽ばたいて、無事に校庭側の窓から飛び去ったのだという。その間30分と言うが長い気絶時間で、老人にはそれくらい長く感じられたのかもしれない。
 
「こんなに小さくて、それはそれは綺麗な鳥だったよ」
と嬉しそうに語る義父に、どうしてそんな面白い話しを持ち帰って家族に話さないのだろう、僕だったら夢中になって家族に話すし、嘘にならない範囲で話の彩度を上げて、日日抄のネタにするのになあ、などと浅ましい考えも浮かんでしまう。
考えてみれば、義父にとっては娘婿が喜びそうな話題とは思えなかったのかもしれず、話題を提示するというのは難しく、勇気のいるものなのだ。
 
それにしても在宅介護支援センターの床に、心配げな老人たちに囲まれて横たわる小さなメジロの映像は、灰色の冬に点じた翡翠のように美しい。


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