電脳六義園通信所管理人 石原雅彦の日日抄

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三好春樹主催・生活とリハビリ研究所サイトの管理日誌です。

2003年 2月11日 火曜日

【Hello,my friend】

今日2月11日は、今は亡き我が家の愛犬【早太郎】の誕生日である。
 
1983年生まれだから、もうふた昔も前になるわけで、過ぎ去る時の早さに驚く。
飼い主がいたらなかったせいで丸二年も生きることができなかったが、早太郎と過ごした短い日々は、永遠に続く夏のように、今でも鮮明に思い出すことができる。
 
早太郎が死んで10年後の夏、フジテレビ系列で『君といた夏』というテレビドラマが12回にわたって放送された。筒井道隆、いしだ壱成というお気に入り俳優が出演していたので毎週月曜午後9時は妻のゴールデンタイムになり、僕は大好きな【夏】のキーワードと松任谷由実の歌う主題歌『Hello,my friend』に惹かれて、付き合いで見ているうちに夢中になった。

その夏、我が家には学生時代からの憧れ、ローパー・ミニ[Cooper]がやってきた。
早太郎の正式名が【Cooper of Nishijima】だったことも奇遇と言えば奇遇である。新しい自動車が嬉しくて、3泊4日で東北地方を旅し、釜石のビジネスホテルで『君といた夏』を見たのを覚えている。
 
この夏、ローパー・ミニの調子が悪くエンジンの冷却ファンは回っているのにオーバーヒートが頻発し、高速道路を降りて一般道をゆっくり走り、深夜のコンビニエンスストアでミネラルウォーターを買ってラジエーターに継ぎ足しながら、深夜東京に帰り着いたのだった。帰京後、友人の自動車修理工場に持ち込み、左タイヤハウス内にある小さなサブファンの故障であることを教えて頂いた。
そのローパー・ミニも、親たちが高齢化したので大型の乗用車に買い換えてしまったが、自動車の購入・整備はすべてその友人に任せてきた。
 
そして今日、11日は大切な友人、向井自動車工業社長、菊池博道さんの告別式である。
語り尽くせないほどお世話になり、気取らない誠実な人柄に惹かれてお付き合いし、互いの親の看取りが終わったら一緒にパリに旅行しようと約束していたのだが、お父上を看取り、妻子とお母上を残して55歳の若さでの急逝だった。
 
大好きな者たちとの思い出は、いつでも真夏のように輝かしい。
僕も死んだ後は、二度と帰らない【夏の日】のように思いだしてくれる人がいたら幸せだなあとしみじみと思う。

僕が生き急ぐときには そっとたしなめておくれよ
 
悲しくて 悲しくて 君の名を呼んでも
めぐり来ぬ あの夏の日 君を失くしてから
 
淋しくて 淋しくて 君のこと想うよ
離れても 胸の奥の 友達でいさせて
 
『君といた夏』主題歌
Hello,my friend』(松任谷由実)より

2003年 2月12日 水曜日

【Safari覚え書き】

OS X 用AppleComputer純正ブラウザ【Safari】を使用中に、【Internet Explorer】で現在閲覧中のページを開きたい時がある。

まずは、【Safari】の不具合があった時、閲覧ページの画像等を含めて【WebArchives】として保存したい時(【Safari】でPDFとして保存するのも面白いけど)、そして当サイト【しりとりしよう】で【つかわれてるよ】で待たされている時(笑)

そんな時、 Okamoto' Homepageさんが公開している【Safari to IE】を【Script Menu】から使えるようにしておくと便利だ。

Safari to IEをScript Menuから使う

 Okamoto' Homepageさんにアクセスし Factory から
【Safari to IE】をダウンロードする。

 起動ディスク第1階層にある【アプリケーション】フォルダに【AppleScript】フォルダがあるので、その中の【Script Menu.menu】(パッケージファイル )をダブルクリック。
これで【Script Menu】のインストールが完了。ファインダーメニューバーに【Script Menu】が常時表示されるようになる(ここから様々なAppleScriptを起動できるようにしておくと非常に便利)。

 【AppleScript】フォルダ内にある【Example Scripts】フォルダ(エイリアス)内に解凍した【Safari to IE】フォルダ内の【Safari to IE】(コンパイル済みスクリプト)を入れる。
 
以上で準備完了。あとは狩猟中に【Script Menu】から探検家を呼び出すだけ。

2003年 2月13日 木曜日

【New Safari Available】

Update 2-12-03 がダウンロード可能になっています。

Desktopにダウンロードしたら起動しているSafariを終了し、Finderのツールバーにあるアプリケーションアイコンにドラッグし置き換えの警告にOKすればインストール完了です……って、あたりまえか(^^;;

「表示に乱れがありますよ」とバグレポートを送った『わたしもひとこと・合併通信』サイトも問題なく表示されるようになって嬉しい(笑)

2003年 2月14日 金曜日

【OS X 10.2.4 Available】

10.2.4 アップデートは、次のアプリケーション、サービス、テクノロジーについての機能強化と信頼性の改良を行うものです:
アドレスブック、Classic 環境の互換性、Finder、FireWire、グラフィック機能、OpenGL、Sherlock。
また、オーディオ、ディスク作成、グラフィック、プリントの各機能の改良のほか、AFP、Windowsファイルサービスなどの機能の改良が行われます。

ソフトウェア・アップデート経由でインストールできます。
サイズは40.9MB。

2003年 2月14日 金曜日

【Valentine Day

バレンタインなどという言葉を知ったのは、社会人になって二十歳代も後半になり、既婚者になってからだった。ホルスタインやフランケンシュタインは知っていても、バレンタインなどと言う名前は聞いたこともなかったと思う。
 
キリスト教国でカードや花束を贈る日に【チョコレート】を贈るという珍風習は、50年も前に日本で発生したそうなので、30年近く知らずに過ごしていたわけだ。
大学選びの時点で【技能系】を目指したので、その後出逢う人々も技能職志向の人が多く、会社員になって【一般職(ヘンな言葉だ)女子社員】に出逢うまで【義理チョコ】の存在を知らず、当然【本命チョコ】なんて知る由もなかった。
技能系社員というのは、自分の腕一本で社会を渡り歩いていこうという意識が強いので、【会社=家族】的な忠誠心が弱く、【本命チョコ】ならいざ知らず【義理チョコ】で仲間意識を強化しようなどという発想に、そもそも縁がなかったのかもしれない。
 
それでも同僚の女子社員に【義理チョコ】を貰うと嬉しくて、食べずに机の引き出しにしまっておいたものだった。脱サラしてからも、時折女性編集者から、気まぐれな妻から、暇な義母からと、年に一つ二つのチョコレートを貰うこともあったが、昨年はとうとうチョコレート無しの寂しい2月14日だった。

デイサービスセンターに通う義父が、
「チョコレートをもろうた」
と嬉しそうに言う。
二十歳代前半、若いケアワーカーからのバレンタインデー・プレゼントである。
利用者全員に行き渡るよう手作りしたのだろう。身体を酷使する業務の傍ら、大変だっただろうなあと思いつつ手に取ると、赤いハートがひときわ眩しい。
ケアワーカーは立派な技能職なのだけれど、チョコレートに思いを託して【家族のような関係】で元気に長生きしようねと願う、ありがたい人たちなのだろう。

こんなチョコレートを貰ったら【本命チョコに違いない!】と元気復活、その気になってしまう老人もいるのではないかと心配になるが、義父はちゃんと【義理チョコ】と知っているようで、
「二つ入っとって一つ食べたからあげる」
と気前よく分けてくれたりする。
会社員時代の【義理チョコ】は脱サラする際に潔く捨ててきたが、義理の父がお裾分けしてくれたチョコレートは永久保存、正真正銘の【本命チョコ】なのかもしれない。

2003年 2月15日 土曜日

【HamletとHelmet

出版社T社の社長Sさんはは千葉県から都心まで、雨の日も風の日も原付バイクで通勤している。
 
雨の日はずぶ濡れで本人もしんどそうなのだが、荷台に自社本を積んで都内の取り次ぎを走り回ったりしなければならない弱小出版社なので、バイクがあるときわめて便利なのだそうだ。偶然外出先の路上でバイクに乗ったSさんに出会うことも多い。
僕の事務所に打ち合わせに来る際も「すぐに失礼するから」とヘルメットを外さないことが多いので、Sさんというとヘルメット姿が目に浮かぶ。
潜水夫のようにすっぽりかぶる大型のヘルメットなので、遠くから見るとマッチ棒が歩いているみたいだし、打ち合わせテーブルを挟んで向かい合うと、帰還した直後の宇宙飛行士に接見しているようで可笑しい。
 
Palm OS 用のメールソフトで素晴らしいのを見つけた。
Palm でも SONY のクリエは【ハイレゾ表示】といって詳細な液晶表示ができるのだが、それに対応したメーラーは少ない。文字は極小になるものの、人間には適度な一行の表示文字数が、心地よく文章を読むためには必要で、デスクトップパソコンで読むような快適さをこのソフトでは感じられるのである。ソフト名を【ハムレット】という。
 
素晴らしいなあと感心し、不具合に関するレポートなどを送り始めたのだが、ソフト名を【ヘルメット】と誤読していることに今朝になって気付いた。どうして【ハムレット】を【ヘルメット】などと誤読していたのか不思議なのだが、【HamletとHelmet】どちらも文字の構成要素が似ていることと同時に、【Hamlet】を公開されているOrangeSoftさんのサイトにある【Hamlet】のロゴが【HONDA】のバイクにある羽のマークに似ており(似てるか?)、そこからT社の社長Sさんのヘルメット姿を勝手に連想したのかもしれない。
 
慌てて頭の中のファイル名を修正したのだが、今でもクリエを起動すると【ヘルメット】と読んでしまう。軽快なモバイルツールに【ヘルメット】は相応しいような気もするが、文字の大きさによる【判読性】を採るか、一行の表示文字数増大による文脈の【可読性】を採るか、ユーザーも悩むところなので、やっぱり【Hamlet】が相応しいのかもしれない。

●2003.02.15 Sat 13:58
 
と、ここまで書いてアップロードしたら、このソフト名はHamletでもHelmetでもない】(よくごらんなさい)と“冷静で聡明で熱心”な友人からメールをいただいた(^^;;
(どうもありがとう)
「えっ!」
と自分で掲載した画像をよく見ると確かに【Hermlet】なのである。
そうかあ、【ヘルメット】じゃなくて【ハムレット】なのか、と思いこむ力が強くて綴りは【Hamlet】だとさらに思いこんでいたのである。
悔し紛れに、もしかするとShakespeareの時代は【Hamlet】ではなく【Hermlet】と綴ったのではないかと調べてみたが、そんな形跡はない。【Hermlet】で全世界のサイトを検索しても当該ソフトの情報ばかり、唯一怪しげな名簿サイトで、海外には【Hermlet】という人名が辛うじてあることを確認できたくらいなのだ。
 
確かにクリエにインストールした【Hermlet】のIconは意味不明で、ロゴの【羽のようなもの】と併せて見直しても、どうしても【Hermlet】の意味を類推することができない。【Hamlet】に【Her】をくっつけて【ハームレット】なんて寒いネーミングじゃあないだろうな。

"Hamlet or Hermlet, that is a question"
う〜んと、腕組みして考え込む(爆)

2003年 2月16日 日曜日

【回転力】

忙しくて昼食の時間もとれない外出時、短時間の食事に最も便利なのが【回転寿司】だと最近になって気付いた。わが家系は皆、何故か早食いなので、10分もあれば食事を済ますことも可能であるし、カウンターに腰掛ければ即座に食べ始められるわけで、行儀が悪いといえば悪いが、数少ない無言でできる便利な食事である。
 
フランチャイズ店であっても経営者によって店の【品質】に違いがあるのが面白い。面白いのでちょっと夢中になり、都内のあちらこちらに贔屓の店ができ、昼時に通りかかることができるような日程を組んだりもする。体調に合わせて食べたいものを食べたいだけ採れるし、基本的に魚介と野菜食(牛刺しや牛タンの寿司が回っている店もあるが)なので【ヘルシー】な気もするしで、最近はそんな慌ただしい昼食がかえって気に入ったりもしている。
 
回転寿司の客の回転はネタの回転で決まる。客を飽きさせないような品揃えで皿を繰り出してくる店は、【満足感】に客が到達する速度も速く、次々に席が空くので有り難い。
よーし、15分で食べるぞと自分で時間制限して食べ始めると、次から次から気になるネタが回ってくるので、ついつい皿に手が伸び、もう駄目、タイムアウトと自分に言い聞かせて席を立つと15皿も食べていたりする。1分間でひと皿食べているわけで、年齢の割に衰えを知らない自分の【回転力】にも満足する。
 
家に帰って義父母に話すと呆れられるが、時間制限がなかったら15皿どころではなく延々食べ続けられそうな気もする。
インターネットで知り合った友人が郷里で回転寿司店を経営しており、帰省時には【割引券】を用意して歓迎してくれるそうなので、自分の最大【回転力】に挑戦してみたいとムキになって思ったりもするのも忙しさゆえのストレスかもしれず、 寿司を目の前にしたら【ヘルシー】なんて二の次だと思わせるのもまた、回転寿司の【回転力】なのかもしれない。

2003年 2月17日 月曜日

【穴を穿つ】

年老いた親たちと暮らしていると、肉体に穿たれた穴を見つめて暮らすことが多い。
 
2001年 9月 7日 金曜日 【「でいいんです」】 と題した日記に関して、徳島大学歯学部口腔外科の吉田秀夫さんからお便りをいただいた。
阿波徳島からの語呂合わせで【ATOK】と名付けられたという説もある Justsystem の ATOK 15 for Macintosh で【こうこう】と打っても【こうくう】と打っても変換される【口腔】の読みに関して書いた日記を、「腔の読み」でキーワード検索されてお便りをいただいたのだ。
 
吉田秀夫さんのサイトでは、【腔】の読みに関して思索が深められ、多くの資料とともに独自の考察が提示されていて興味深い。読ませていただくと教えられることばかりで、早朝の珈琲を飲みながら通読し、いつの間にか講演抄録『老人歯科』まで駆け足で読ませて頂いた。老親の看護・介護に明け暮れる暮らしの中で、このところ【口腔ケア】に関する書籍装丁の仕事が増えてきた事もあり、ついつい夢中になって読んでしまった。
 
それにしても【穴】というのは興味深い。
宀(いえ)+八(左右にわける)の介意で【穴】。穴を穿つ【攻】(こう:突き抜く)、【孔】(こう:突き抜けたあな)ときわめて近い【工】は、穴を穿つ行為に高度な技術を要するため上下二線の間に穴を通すことを指事して【工】。そして、穴が空いて中が空洞になっている状態を穴(あな)+音符工(こう・くう)で会意兼形声して【空】になるわけだ。
 
【服】の月偏と【腔】の肉月は本来別物である。【肉月】+音符【空】で会意兼形声して【腔】であるとき、【腔】を【こう】と読むのは【間違い】と表記する辞書が多いことは知っていても、【口腔】を【こうくう】と読んでしまうことが僕にも多い。【空】自体が音符工(こう・くう)で会意兼形声されていても【空】を【こう】と読む機会がないからだ。
 
【穴】をケアすることの奥深さを老人との【暮らし】の中で痛感する時、【口腔】を【こうくう】と読むのも自然体でいいんじゃないかと、出版社での打ち合わせ時に【こうくう】を連発する今日この頃である。

2003年 2月18日 火曜日

【時間よとまれ】

時の過ぎ行くスピードは加齢と共に速まるのだろうか。
 
一日があっという間に過ぎて行く。深夜に起きて仕事場に行かないと締め切りに間に合いそうもなく、目覚まし時計を頼りに起きるのだけれど、もう30分だけ……と布団の中でもぞもぞし、時計を見ると何と3時間も経過していたりする。時の流れを早く感じるようになる、というのは自分固有の時間を司る体内時計の老朽化なのかもしれない。


昔、NHKのテレビドラマに『ふしぎな少年』というのがあった。
主人公のサブタン(太田博之)が独特のポーズで「時間よ〜、止まれっ!」と叫ぶと、自分以外の物を支配する時の流れが止まるのだ。学校や家の周りで遊ぶ時、得意になってこのポーズをしていたけれど時間が止まったことは一度も無かった。

何歳ぐらいだったのかなあと調べてみたら、『ふしぎな少年』の原作は手塚治虫の漫画であり1961年5月から1962年12月まで『少年クラブ』に連載されるのと並行してTV版も放映されたらしい。
 
「止まれっ!」と言われて即座に停止するのは難しい。小学校の運動会、行進をさせられて停止する時も、「ぜんたーい、止まれっ!いち・に!」と「いち・に!」の緩みを与えられていた。
サブタンが「時間よ〜、止まれっ!」と叫ぶ時、出演者たちは「いち・に!」と口にこそしないが、一瞬間の抜けた停止をし、停止後も微妙に揺れたり震えたりしているのが可笑しかった。機械頼りの高度な効果など無く、人力特殊撮影の時代だったのだ。
 
サブタンが停止させる【時間】というのは【四次元世界】のパワーなのだそうだが、三次元世界に長いこと住んでいると、自分以外の時間が停止するという観念がわかりにくい。それよりも、自分以外の時間が停止しているかのように間延ばしされたに過ぎないと考えた方が理解しやすい。
「時間よ〜、止まれっ!」で1日が10年くらいの長さにサブタンには見えるけれど、サブタン以外の者たちは共有する時間が同じなので違和感がない。サブタンは、10年かかるところを1日で移動できるほどの早さで生きているから、他の者からは見えにくいのだと。こういうことは今この世界でも、気付かないだけで身近で頻繁に起こっていることなのかもしれない。
 
そう考えてみると、乙姫と過ごした数日が故郷の数十年であったという浦島太郎や、ぶよを妻にして幸せに暮らしたが先立たれたため泣いて村に戻ったら僅か半時の出来事だったという農夫、そんなお伽噺の主人公のどちらにも通じる寂しい世界が思い浮かぶ。
 
「時間よ〜、止まれっ!」と得意のポーズで世界を停止させ、仕事を次々に片づけて、「いやあ、いつもの事ながらビシッとした仕事をしますねぇ」などと褒められても、さほど幸せではない気がする。気がするものの、それでも時間を止める誘惑に負けて、今日も深夜に起きて仕事をしているのかもしれない。

2003年 2月19日 水曜日

【母さんの吸引力】

郷里静岡県清水市に戻って母が開いた飲み屋の看板には【おにぎり・お茶漬け 家庭料理】と書かれていた。今思えばコンセプトの甘い看板だなあと思うが、その看板に惹かれてかどうかはわからないが、母の店は大繁盛した。いったい何処に魅力があったのか、実の息子にはどうしても客観的な判断ができない。
 
母が飲食店を始めて一番参ったのは、客の誰もが母のことを【母さん】と呼ぶことだった。小学校を卒業したとはいえ、母子家庭ゆえか甘えたい気持ちがまだまだ抜けきらず、見ず知らずの他人に自分の母親を【母さん】と呼ばれることにひどく抵抗があったのだ。
 
清水弁で面白いと思う言葉の一つが【母さん】である。
「おまっち母さんと、おらっち母さんが……」
と言う時、その意味は
「あなたの母親と、私の母親が……」
ではなく、
「あなたの女房と、私の女房が……」
であり、【奥さん】に近い。
富山県出身で結婚したての妻は、清水を訪れた際、年上の男性から、
「やい、母さん!」
と呼びかけられてびっくりしたという。子どもがいない僕も、清水では【父さん】と呼ばれるのである。
 
母は【奥さん(おかみさん)】の意味合いで【母さん】と呼ばれていたのかなあとも思うが、店をたたんだ後も昔の常連さんに会うと、
「看板の【家庭料理】の文字に惹かれた」
等と言うし、僕とさほど年の離れていない人たちは、いまだに母を【母さん】と呼んで慕っているのだ。

【家庭料理】や【お母さんの味】などという看板を見る機会が減ってきた。
かつては、そんな看板を度々眼にし、僕はどちらかというと清水での切ない暮らしを思い出して敬遠していたのだが、銀座の路地裏で【お母さん】の文字を見て足が止まり、【下町の】という殺し文句(僕はそれに弱い)に背中を押されて、引き込まれるように店内に入ってみた。【1日30食】などと書き添えられていると、1日30人の息子のひとりになりたい衝動が湧いてきたのも不思議だ。
 
地下の店内には確かに【お母さん】が二人いて、胚芽米の御飯に、いかにも家庭風のカレーをかけて食べさせてくれる。代金前払いだというので小銭を探したら見つからず、1万円札しかないので、
「母さん、悪いね。大きいのしか無くて……」
と言ってみたかったのだけれど、清水を離れるとどうしても【母さん】が【母親】の意味になってしまいそうで、甘酸っぱいものがこみ上げ、どうしても他人を【母さん】とは呼べなかった。
 
銀座の【母さん】は、割烹着姿でカウンターの中に二人並んでおり、しかも実の母よりずっと若く、笑顔が眩しいのである。

2003年 2月20日 木曜日

【物語】

「どんな名もない人にも物語はある」とエピローグで締めくくられた連続テレビドラマがあった。義父が外に出て介護を受けるようになってから、“物語”を聞く機会が増えて楽しい。
 
毎日通うデイサービスセンターで、南の島への旅の土産に美しい絵はがきと珊瑚をいただいて戻ったので、
「ケアワーカーも旅をすると利用者の皆さんにお土産を買って来なければならないので大変だね」
というと、義父だけへのお土産だという。
 
週二回の訪問入浴介助で自転車に乗ってやってくる中年男性が大切な息子さんを成人目前にして亡くし、それをきっかけに永年勤めていた会社を退職して、やりたいと思っていた老人介護の世界に飛び込んだ、という身の上話をして義父の前で泣いたという。
 
初めて体験するショートステイに対する義父の評価は散々だった。
「役所のような対応で寒々しかった」
という義父の総合評価は、本当は自分の家で過ごしたかった義父の意趣晴らしの分を差し引いても、細部を Bricolage の編集子と検討すると、意外に冷静な評価のようにも思えたりするのだ。

職場の種類によって行われるべき介護の質が規定されるべきではないと思う。それでは寒々しい介護が生まれるだけだ。
デイサービス終了後、帰宅途中の義父を追いかけて来て山茶花の垣根の影で、
「私が看取った義父にそっくりだから」
と手渡される旅の土産も、入浴介助終了後、お茶を飲み大相撲中継を見ながら涙ながらに語られる亡き息子の想い出も、業務を逸脱しているからこそ暖かい。
 
物語というのは語る勇気があり、そこにたった一人でも聞いてくれる人があってこそ、初めて生まれて来るものなのだ。親たちには物語の生まれる場所での介護を受けさせたいとしみじみ思う。

三好春樹責任編集『Bricolage』2003年3月号・「装丁者のひとり言」の原稿を転載しました。


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