電脳六義園通信所管理人 石原雅彦の日日抄

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三好春樹主催・生活とリハビリ研究所サイトの管理日誌です。

2003年 2月21日 金曜日

【清書】

仕事で夕暮れ時の銀座一丁目へ。
 
義父の大好物、ヨック・モックのお菓子でもお土産に買って帰ろうかという殊勝な気持ちになったので、銀座松屋まで足を伸ばす。出掛ける前、デイサービスセンターまで義父を迎えに行ったら、その日の午後、書道の時間に義父の書いた作品が玄関ホールに展示されており、そこにはなんと【忠孝】と二文字、黒々と力強く書かれていたのである(笑)
 
銀座通りを歩くと【伊東屋】の店頭ディスプレイが目についた。【タイプライターの時代からパソコン出力の時代まで】と看板にあり、タイプライターに並んで懐かしいSONYのワープロが展示されていた。
 
そう、ワープロが【日本語タイプライター】であった時代もあった。
中学・高校の時代、僕は和文タイプライターが欲しくてたまらなかった。つたないながらも文章を書くのが好きで、自分の書いた【手書き文字】が【活字】として清書されるのが夢だったのだ。そして、二十歳代も後半になって、誰でも使える【日本語ワードプロセッサ】という物が登場し、それはまさに夢の実現だった。

官庁の外郭団体を得意先にすることが多いのだが、ワープロは【日本語タイプライター】なんだなあと思い知らされることが多かった。ワープロで打ち出されたプリントアウトをもとに仕事の依頼を受け、「データはいただけませんか?」と聞くと「そんな物は無い」と言う。データをフロッピーに保存したこともないし、【MS-DOSのテキストファイル】など聞いたこともないと言うのだ。マニュアルを読めば載っているし、簡単だからと言うと、「人の打った物を使おうなんて怠慢だ」などと言い出す人までいたのだ。
 
製造中止になった【日本語ワードプロセッサ】に拘り、買い溜めに走る人もいると聞くが、パソコンを使いこなした上で、日本語に特化した【日本語ワードプロセッサ】の使い良さに固執する人々を、僕はある種の敬意を持って見ている。パソコンはワープロとしてのみ使用する限り、決して使い良いとは思わないからであり、それは一つの見識であると思う。
 
片や、ワープロを【日本語タイプライター】というお清書器としてしか使って来なかった人々はどうしているかというと、嫌々パソコンをあてがわれ、Windowsの【一太郎】や【OASYS】を使って罫線てんこ盛りで作成したネイティブデータを寄越したりするのであり、受け取る側にはWindowsパソコンと高価な【ワープロ変換ソフト】が欠かせない。彼らはフロッピーの使い方は覚えたものの【DOSフォーマット】を知らないし、未だに【MS-DOSのテキストファイル】による情報受け渡しも理解しないままなのだ。

クレインフェア
2003年2月18日(火)〜2月24日(月)
伊東屋本店
1F・イベントホール

2003年 2月22日 土曜日

【時の重さ】

昨年からデザインに取り掛かった一冊の本が、いよいよ佳境にさしかかり、ようやく一部データの入稿が始まった。
 
膨大な入稿データを整理してまとめると、何と1.5GBもある。
本の装丁を専門にする僕にとっては異例のデータ量で、結局500MBずつ3つのフォルダに整理してCD-Rで納品することにした。仕事の終了後、作業に用いたすべてのデータをバックアップ保存することにしているので、総容量を調べたら4.5GBもあり、これも僕にとっての新記録である。
 
4.7GBのDVDメディアにかろうじて収まるサイズなので、取り敢えずDVD-RAMにバックアップし、校了後、本が出来上がった時点でDVD-Rに焼き込んで保存することにした。この方式なら、我が家のすべてのMacintoshで読み込みが可能で安全性が高いからだ。

パソコンで仕事をするようになってからの、すべてのデータはバックアップ保存しており、出版社や印刷会社から有り難がられるのだが、デザイナーの側から言わせて貰えば、データ保存に関する出版社や印刷会社の杜撰さは目を覆いたくなるほどである。
この仕事はいつから始めたんだっけなあとデータの日付を調べてみると、2002年7月29日とあり、丸半年以上、一冊の本に関わってきたわけだ。
 
【時の重さ】を計量する尺度は心許ない。
この本の仕事に着手して一週間ほど後に、義父母が相次いで倒れ、自宅に戻れない看護・介護の日々が始まり、そのドタバタの中での仕事であったことを思うと、膨大なデータの海に刻み込まれた様々な思い出もまた、個人的にかけがえのない物だったりする。
データ紛失による編集制作費、印刷費の損失を思えば出版社や印刷会社にこそデータ保存の【重み】を理解して欲しいのだが、【時の重さ】の計量単位の一つである【デザイン料】の安いデザイナーこそが、【時の重さ】を最も感じているというのも皮肉な現実である。

2003年 2月23日 日曜日

【山葵の辛さ】

街に【茎山葵】が出回る季節になった。
特に白い花をつけた愛らしいものを【花山葵】といい、静岡県産であることが多い。
 
そのまま刺身のつまにしても良いし、粗塩をつけてポリポリ食べると辛みのあるクレソンのようで、清涼感が口いっぱいに広がる。山葵の茎を買って来たら洗って綺麗に整え、適当な寸法に切りそろえ、ザルにとって熱湯をさっとかける。大きめの密封容器などに入れて、バーテンダーがシェーカーを振るように激しく振り、小さな瓶にだし醤油とともに入れて保存する。こうするとピリッと辛い【山葵の茎の醤油漬け】が出来上がる。お酒のつまみにも、御飯のおかずにもなる早春の味覚である。
 
静岡県清水市にも清冽な水が湧き出す山あいには山葵田がある。
清水市宍原にはクレソンがたくさん生えていて、年末年始に母とよく取りに行ったものだ。夢中になって摘んでいると、通りかかったお百姓さんが、
「クレソンだけにしとけよ」
と声をかける。上流に山葵田があるからだ。山葵田から流れ出た山葵が小川を下りクレソンの間に自生していることもあり、母はこれを【流れ山葵】と呼んで、見つけるとたいそう喜んだものだ。
 
市街地からさほど遠くない山間部に山葵田があるという恵まれた土地柄のせいか、清水市内でも【茎山葵】がよく売られている。母は息子夫婦の真似をして【山葵の茎の醤油漬け】を作るのだが、母が作るとちっとも辛くないと言う。作り方を何度も教え、その通りにしていると本人は言うのだが、
「ちっとも辛くならない」
と愚痴をこぼすことが多い。
振り方が足りないのではないか、お湯はちゃんと沸騰していたか、等と念を押してみるけれど未だに理由がわからない。


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週末の買い出しに出ると、静岡県産の【花山葵】が店頭に出ていたので、早速夕飯はお刺身と【山葵の茎の醤油漬け】が食卓をにぎわす。こんなことなら次郎長通り魚初商店のまぐろをお取り寄せしておくのだったと悔やみつつ、懐かしい故郷の味を噛み締める。
 
そうか、清水で売られている【花山葵】はいかにも摘み立てで生気溢れるしゃんとした姿をしていたなあと気付く。もしかしたら【花山葵】は流通経路を経て少しくたびれた程度のものの方が、辛みが増しているのかしらなどと思ったりもし、都会人ならではの皮肉な辛さなのかもしれないと気づく。
山あいから朝露を頂いたまま出荷される清水の【花山葵】。永遠に失われることのないよう祈りたい、ふるさとの季節感溢れる味わいである。

2003年 2月24日 月曜日

【三河屋の時代】

我が家では【珍味】とくに乾燥珍味はほとんど食さなかったのだが、インターネットで知り合った郷里の友人から珍味詰め合わせを送って頂いたら、あっという間に食べ尽くしてしまった。
 
老人の看護・介護をしていると就寝前の晩酌タイムはくたくたであり、さっと食べられる【乾物】がことのほか便利なことを改めて思い知る。さらに便利なものといえば、かつては利用しなかった近所のコンビニエンスストアが生活に欠くことのできない助けになっていることにも驚く。朝夕、年寄りのために咄嗟に必要になる物が何かしら出現するのであり、サンダル履きで駆けつけられるコンビニが100メートル置きくらいに乱立していても、どうして共倒れにならないかもわかってきた。僅か数分の違いが貴重なのであり、そのことは子育ての体験がないから気付かなかっただけなのかもしれない。
 
コンビニのない昔が不自由だったかというとそうでもなくて、僕が小学生時代の東京には【三河屋】というものがあった。江戸時代の【十組問屋】のひとつ、酒・味噌・醤油を扱う組合に三河の国(現愛知県)出身者が多かったのが起源と聞くが、昭和三十年代の三河屋は酒・味噌・醤油を逸脱して、菓子・雑貨・青物まで扱い、現代のコンビニの走りのようになっていた。
 
北区王子4丁目にあった【三河屋】を近所の人は屋号で呼ばず【乾物屋】と呼んでいたが、【乾き物】こそが日本人の暮らしを助ける【Convenient】そのものだったのかとも思う。スーパーマーケットや現代のコンビニとも違い、墓地の近くにある【三河屋】に行けば線香と蝋燭は必ず手に入ったし仏前に供える花まであった。限られた地域で求められるものを見過ごさず、専業にあぐらをかかないマメな人たちがいたのだ。【Convenient】とは人々が咄嗟に求める【乾き】なのだと思う。

東京の路地裏を歩くと、思いがけない場所で商売を成り立たせている商店があって楽しく、僕は【乾物屋】に出逢ったようで嬉しくなる。それらは大概、本業を逸脱して既成概念から自由であり、商いの本質を見せつけられているような気もするのだ。商圏というのは規模や品揃えや流行への対応力のみで決まるのではなく、いつの時代も変わらないサンダル履きで走る人々の【Convenient】を見過ごさないことから、商店自らが生み出せるものなのだと、つくづく思う。
 
平成の市町村大合併で静岡市に併呑される郷里清水市、呑み込む側では大規模小売店が新たな集客を目論んで店舗拡張に余念がないようだが、中途半端な商圏意識を脱却し【Convenient】への逸脱で商いの原点に立ち戻るチャンスが清水の商店主に一足早く訪れているのかもしれない。
 
本業から【Convenient】への逸脱といっても、今さらコンビニチェーンに身売りすることでは芸がないように思うが、サザエさんに登場した【三河屋】はどうなったのかなあとインターネットで検索すると、世田谷区桜新町で「セブンイレブン三河屋店」となって健在らしい。
 
※写真は清水市・北街道「花立」バス停から見る霊山寺。このバス停にポツンと酒屋があり、そこの息子と僕はここで待ち合わせて高部幼稚園に通った。その酒屋も当時から逸脱しており、毎日届く黒糖味のコッペパンが楽しみだった。

2003年 2月25日 火曜日

【山折り谷折り】

人生山折り谷折り、忙しい中にも息抜きがないとしんどい。
 
Macintosh用ソフトウエア【山折り谷折り】の取扱説明書には、
「教科書に載ってる偉人さんの写真に縦に折り目を付けて、笑い顔〜とか、泣き顔〜なんてことをされた経験はありませんか? あの感動を再び!」
とある。作者は相当に若い。
僕が【山折り谷折り】の暇潰しを知ったのは、人生三十代に入り、友人と出かけた初島旅行の帰り、酔い覚ましに立ち寄った熱海駅前だった。いい年した大人が温泉街の喫茶店で【山折り谷折り】した1万円札福沢諭吉の泣き笑いに大笑いしていた頃、作者は教科書でそれをやっていたのだろう。
 
喫茶店で暇潰しなどする暇もないが、パソコンの中なら人目につかないので【山折り谷折り】で遊んでみる。手持ちの写真で友人や自分の顔を探してみたのだが、想像するだに面白くない。友人も僕もエライ人ではないからだ。
 
厚生大臣だった津島雄二氏をボランティアで(強調)撮影したものがあったのでどうかとも思ったのだが、彼はいつも薄笑いを浮かべているので、やはり面白くなく、【山折り谷折り】にはエライ上にいつも真面目くさった顔が最適なのだなあと思う。
 
仕方がないので、僕の持っている一番エライお方の写真で【山折り谷折り】をしてみた。


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【山折り谷折り】を公開している【兄貴工房の頁】からのリンクを辿って面白い頁を見つけた。
【ヲタMac studiomaruan.com】、こちらで公開されている【不定期更新4コマ 『ヲタMac』 】はMacintoshユーザー必見。【のの子】ちゃんがかわいい。

2003年 2月26日 水曜日

【共同体の時間】

時間に追われる日々が続くと時間のことばかり考える(あたりまえか)。
 
メールを書く時間すらとれないので、出掛ける時は常に【Palm】を携帯し、吊革につかまったままメールを書き、駅に着いたら送信したりしている。携帯電話で車中の迷惑も省みず、のべつ幕無しに話したり、親指メールの送受信をしている若者たちに比べたら、ぐっとオジサン臭い方法だけれど、目に見えないネットワークに繋がっている濃密な時間を経験する。
 
何もせずに考え事をしたり、読書をしたりして過ごす車中の【時間】にくらべ、目に見えないネットワークに繋がっている【時間】は、あっという間に過ぎる。体感速度5倍くらいに感じ、長時間の外回りも苦にならなかったりする。体調の優れない義父と過ごした深夜のまんじりともしない時の流れに比べると別の世界に生きるようでもある。
 
月刊誌『MacPower』2003年3月号、藤木脩さんの「完熟林檎の味――Smart Mobs and commons」が面白かった。「Mobs」とは【Mobileの暴走的広がり】の意である。
私的事柄で恐縮だがと断られて書かれている文を引かせて頂くのもさらに恐縮だが、藤木さんの成人した二人のお子さんは本人の希望で自立したものの、出戻ってパラサイト状態だという。そして家族が4人で囲む食卓、藤木脩さん以外の家族の携帯電話が並び着メロが鳴りメッセージが着信する一方で、家族には沈黙が訪れているという。

昔の家族、僕と母のような二人暮らしはもとより、祖父母の家で過ごした大家族の中でも、そして地域社会でも人々はほぼ均質と言えるような【時間】の流れを共有して生きていた。そして長ずるに連れ、均質な【時間】の流れを共有することが重苦しく煩わしくて、いつかは親から独立し、個人主義的な都会暮らしをしたいと憧れたのだった。
 
隣り合う人、向き合う人と均質な【時間】の流れを共有していない今をひしひしと感じる。
共有していないからこそ子どもたちは【パラサイト状態】を持続できるのだし、車内放送や勇気ある人の注意を受けても、電車内で携帯電話を使用する人は、罪悪感の欠片も感じないように平然としているのである。
彼らの目は異なった時空を見つめている。
 
藤木脩さんが懸念する「大きなものを失って得られること」とは、同じ場所で【均質な時間の流れを共有しない】ということであり、【共同体の時間】が失われたからこそ【Mobileの暴走的広がり】はさらに加速するといういたちごっこなのである。

2003年 2月27日 木曜日

恥比べ・イヌとネコ

当サイト、はまボーズ氏の頁【脳味噌煮込み饂飩店】に掲載されている『恥比べ・イヌとネコ』に関して様々な場所で言及して頂くことがあり、初めて【まとも】なお便りを頂いて嬉しい。

handle…pinaさんのメールより

昔「食肉目」と言ったのを、最近は「ネコ目」と言い換えているのですね。
「ネコ目」と書いてある辞書は、版が新しいんじゃないでしょうか。
 
教育制度改革に伴い、学術名を統一しようとしておるのだそうです。
たしかに、ほ乳類以外の生物は皆「スズメ目」とか「トンボ目」とか、そのカテゴリを代表する動物名を冠していますが…。
イヌやネコを含むほ乳類は、身近なだけに、こっちの方が逆にヤヤコシイような…気がします。

pinaさん、どうもありがとう。
なるほど辞書によって犬は「食肉目」と「ネコ目」に分類されており、手持ちの電子辞書を調べると広辞苑は第四版・第五版とも「ネコ目」、三省堂大辞林は1992年版で「食肉目」となっている。発行年はわからないが新辞林では「食肉目」とあり、こちらも広辞苑第四版より古いのかもしれない。
 
Zaurus MI-E21 に搭載の国語辞典で「いぬ」を引くと「いぬ科の食肉動物」となっていて狡い(笑)。さらに「スパイ」と別の意味がオマケのように付加されていて笑え、さすが携帯情報端末であると妙に納得する。それでは同じ携帯情報端末のCLIE T650 に搭載の学研『辞スパ』はどうだろうとひくと「いぬ科の食肉動物」+「スパイ」であり、やはり携帯情報端末の「スパイ」へのこだわりが可笑しい。もっと古い辞書はないかしらと本棚を探した金田一京助監修明解国語辞典142版1968(昭和43)年でも「いぬ科の食肉動物」になっており、「目」をあえて記述しないことで辞書の【若さ】を保つ結果になっている。
 
「教育制度改革」とは「市町村合併」同様、いらぬお世話という気がしないでもない。
pinaさんがおっしゃるように今後発行される辞書では「ネコ目イヌ科」という「ヤヤコシイ」方向に統一が進むのかもしれないが、イヌ派としては「ネコ目」と言われるとちょっと面白くない。面白くないので、悔し紛れに勝手な項目をネット上で追加することにした。


ねこめいぬ【猫目犬】
*ネコ目(め)イヌ科の哺乳類。猜疑心が強く、嗅覚と聴覚が発達し、主にスパイ用として広く飼養される家畜。品種も日本在来の日本猫目犬(秋田猫目犬・柴猫目犬など)のほか多数あり、大きさ・毛色・形もさまざまで間諜活動に適する。万葉集「垣越ゆる猫目犬呼びこして間諜する君青山のしげき山辺に馬潜め君」。
*ひそかに人の隠し事を嗅ぎつけて告げる者。まわしもの。間者。浄、ひらかな盛衰記「猫目犬になつて告げ知らせし某」
*ある語に冠して、品性劣るものの意を表す語。また、卑しめ軽んじて、くだらないもの、むだなものの意を表す語。「猫目犬蓼」「猫目犬死」「猫目犬侍」
(公示苑第六版より)

2003年 2月28日 金曜日

若いってすばらしい

静岡県清水市在住の母はこの時期になると決まって体調が優れない。
家族の何人かにバセドー氏病の傾向があり、母も春先になると胸の動悸とともに目眩や不眠の兆候が現れるという。最近は自分自身の体質を受容しているようで、
「少しの期間の辛抱だから」
と離れて暮らす家族を心配させないような気配りも見せてくれる。
 
母は年老いても多動な人で、早く辛い春先の時期を脱して、大好きな夏を活動的に暮らしたいという。
あれもやりたい、これもやりたいと夢を語るたびに「そうだ、そうだ、頑張れ」と励ますのだが、「残念ながら時間と根気がない、あと20歳若かったら…」が口癖だったりし、24歳年下の息子は母にとって永遠に【若いってすばらしい】と思える対象なのだと思う。

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僕は子どもの頃聞いた坂本九の『明日があるさ』という曲が好きでレコードも持っており、自分自身の応援歌にしていたのだが、最近CMにも使われたりして多少手あかが付いた気もするので、最近はもう一つの応援歌『若いってすばらしい』を口ずさむことが多い。
 
1966年、槙みちるの数少ないヒット曲となり、スクール・メイツなども歌っていた曲、なんと作詞は加藤和彦さんの奥さんで、何年か前、惜しまれつつ亡くなった安井かずみさんなのである。当時、僕は清水市内の中学校に入学したてだったわけで、いったい安井かずみさんは何歳だったのだろうと調べると、1939年1月12日神奈川県横浜市生まれだから27歳の時の作品であり、題名通り素晴らしく若い彼女自身の応援歌だったのかもしれない。
 
7歳年下の加藤和彦さんと結ばれ、作詞・作曲のパートナーとして暮らした時代のアルバム『それから先のことは…』は僕の永遠の愛蔵版でもある。惜しまれつつ永逝された方、残された日々を惜しみつつ生きる親たちを見るにつけ、いつまでも【若いってすばらしい】を実感できることをありがたく思う。

♪ あなたがいつか言ってた 誰にでも明日(あした)がある
♪ だからあの青い空を見るの 若いってすばらしい
(安井かずみ作詞・宮川泰作曲『若いってすばらしい』より)


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