電脳六義園通信所管理人 石原雅彦の日日抄

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三好春樹主催・生活とリハビリ研究所サイトの管理日誌です。

1999年10月31日

卓袱台の上

なぎら健壱さんとの記念撮影に失敗した川上氏から写真付き言い訳メールが届きました。

めんぼくない。
あの日(ライブ)は、朝、パン一切れ食っただけだったもんで、エラク酔っちゃつたよ。
せめて米だったらな〜、米だったら腹にたまるからな〜。
パンじゃな〜、パンはダメだ。

 

写真家の哲ちゃんと、イラストレータの京さんの「川上夫妻」は東京・吉祥寺の井の頭公園にほど近い閑静な住宅街にある木造平屋建ての一軒家で二人暮らしです。二人は、人々の度肝を抜くような電撃入籍を遂げた後、蜜月の日々を、庭に生い茂った雑草と、入れ替わり立ち替わり現れる野良猫たちを眺めて暮らす、隠者のような生活を選んだのでした。

小さな丸い卓袱台で差し向かいの朝食は、おそらく二人が求めて止まないかけがえのない安らぎの一つだったのでしょう。誰でもいつか年老いたらこんな暮らしをしてみたいと思うものに若くして手をつけてしまったのですから、それを維持することはなかなか厳しいでしょう。最近では、この庵を引き払ってマンション暮らしへの移行を模索しているようですが、失うものがあまりにも多すぎる生活転換はあまりお薦めできません。

わが家にも漆塗りの小さな卓袱台があり、親子三人で車座になって朝食を食べた穏やかな春が有ったはずなのですが、あまりに幼く、短かったのでもう心の中に映像を結ばせることすらできません。台所も手洗いも共同の木賃アパート・六畳一間に親子三人暮らしの卓袱台は、明日への不安が立ちこめる中で、ひとときの安らぎに満ちた美しいものだったのだと思います。

おそらく手放したら二度と帰ってこない幸せなひとときを少しでも長く持続するために、食卓には是非、青味の野菜と一杯の野菜の味噌汁を加えることをお勧めします。

1999年10月29日

路上の銀杏

銀杏(ぎんなん)が落ちる季節になりました。どうしたものか、昔から較べると目の色を変えて銀杏を拾う人の数が減ったように思います。枝にたわわに銀杏が実っているのに路上に落ちていない場所には、早起きの「銀杏愛好家」がいるのだと思い嬉しくなります。。

拾ってくれる人もなく、アスファルトに実を落として通行人に踏まれて異臭を放っているイチョウの木は哀れです。その代表的なものが国会議事堂前のイチョウたちです。地下鉄千代田線「国会議事堂前駅」の国会図書館前に出る出口から霞が関ビル方向に向かう歩道は都会の哀「臭」が漂っています。

私の住んでいる本郷通り沿いは延々とイチョウ並木が続き、結構銀杏が拾えるので早起きして軍手をはめた手でビニール袋いっぱい銀杏を拾っている人を見かけました。

ところがその本郷通沿いの歩道に最近異変が起こっています。歩道がベタベタになり銀杏の異臭が漂っていることが多いのです。とうとうこの地域でも、銀杏を拾うようなお年寄りがいなくなったのだろうかと思っていたのですが、最近やっと謎が解けました。歩道に次のような張り紙がありました。

「銀杏を拾う方々へお願いします。足で踏んで種だけ持ち帰らずに、実ごと持ち帰ってください」

情けない世の中になったものです。

1999年10月27日

なぎら健壱コンサートに行ってみた補遺

10/23日なぎら健壱コンサートでの記念写真が届きました。撮影の川上哲也氏ですが、午後4時半から吉祥寺南口の「カッパ」でホルモンの馬鹿食い、ビールと老酒の馬鹿飲み、北口「あぶりや」で日本酒冷やの馬鹿飲み、「曼陀羅2」で焼酎ロックの馬鹿飲みでベロベロ状態になり、撮った写真がこの有様です。うううっ、情けない。私の顔が欠けている。

欠けた顔のままでは不吉なので、顔の半分をコピー・反転してつけてみました。

なんか情けなくなってきたなぁ。哲ちゃん。しっかりしてくれよ。

1999年10月26日

「小沢昭一的」であるということ

小沢昭一という人は凄いと思う。役者としても凄いし、民俗芸能研究者としても凄いと思う。小沢昭一が凄いと思う人は数え切れないほどいるに違いないのだけれど、一体何歳ぐらいで凄いとわかるようになったのだろう。白状しますが、私は20歳代では凄いことに気づけませんでした。20歳代の私には単なるいかがわしいおじさんでした。30歳を過ぎて「にあんちゃん」を見直したらまったく別な世界が開けていました。10代や20代で小沢昭一が凄いと気付いた人は、もっと凄いなぁと思います。

なぎら健壱さんが「小沢昭一的」な素晴らしい歌をたくさん聴かせてくれたので、小沢昭一民俗芸能研究の集大成的なビデオ全集が欲しくてたまらなくなってしまったのだけれど、値段が20万円以上もするので意気消沈してしまいました。まだ凄いと思う度合いが低いのかもしれません。

台東区谷中の夜店通り商店街を散歩しているとよく小沢昭一さんを思い出します。

1999年10月24日

なぎら健壱コンサートに行ってみた

今年の正月、いや去年、待てよ一昨年だったかな、東京で正月を過ごした母と愛犬イビを清水に送り届けた帰り、東名高速ひとり旅の徒然にカーラジオをつけたらなぎらさんが出ていました。ラジオで聴くなぎらさんは学生時代の「セイ・ヤング」以来だったので、懐かしさが胸にこみ上げ、思いがけない楽しい旅になりました。

フォークソング・ブームの頃、初めて聞いたなぎらさんの歌は『葛飾にバッタを見た』だったのですが、「主流」とおぼしき人たちとは少し別の流れの人だなぁと言う感想を持っていました。放送の中で『葛飾にバッタを見た』に触れ、「あの歌の中で、俺は綺麗なマンションに住んではいないけど、お前の住んでる“都会”にゃあバッタはいないだろうと歌ったけれど、あの歌はもう唄えない。だって俺もマンションに住んじゃってるから」とおっしゃっていたのがとても好感が持てました。大邸宅に住んでベンツを乗り回して金の装飾品をじゃらじゃら付けて、演歌を歌う歌手は許せても、大金持ちになって四畳半フォークを唄うフォーク歌手にはどうしても違和感を感じてしまうのです。許せない度量の狭さを指摘されても、どうしてもチクチクと胸が痛んで「人間なんてそんなもんさ」とは思えないのです。

放送の中で『四月十日の詩』というのを聴いたときには感激しました。あの懐かしい「デン助劇場」の大宮敏充さんが舞台を去る日の歌だったのです。

「デン助劇場」は大宮敏充さんが率いる一座による大衆演劇で、「学」は無いけど人情もろくてお人好しでおっちょこちょいの「デン助」と娘の「スミちゃん」を中心とした下町人情喜劇で、浅草で上演されていたものをNETテレビ (現テレビ朝日)が土曜日の午後中継していました。小学生だった私はこれが見たいがために土曜日の午後は走って家に帰ったものです。1972年(昭和47年)3月25日が最終放送日となりました。おそらく4月10日は最後の舞台だったのでしょう。この日私はニキビ面でぼさぼさ頭の高校生として静岡県清水市に住んでいましたから、「浅草の灯が消えた日」に立ち会うことはできませんでした。小学生の頃浅草六区を歩くと路上に首をくるくる振っている「デン助人形」が置かれている小屋があり、ああここで「デン助劇場」をやっているのか、浅草という町は凄い町だなぁとわくわくしたものでした。

コンサートは『なくした歌が多すぎる』(タイトル間違っていたらなぎらさん、ごめんなさい)で始まりました。

もう最初から「あの歌を唄わないかなぁ」とドキドキしていました。結局最後まで唄われることなく、「リクエストはありませんか」というタイミングになり、あの歌をリクエストしたいと思うのですが曲名が思い出せません。気を利かした川上哲也さん(哲ちゃん)が後ろの席の関係者の方に「デン助の歌のタイトルは何ですか」と訊いてくれて、「四月十日の詩お願いしま〜す!」とかわりに叫んでくれました。しかし「あの歌は前回も唄ったからなぁ」ということでパス。絶望落胆白髪三千丈。最後の曲も終わりアンコールになって、なぎらさんが一人登場して唄い出したら、なんと『四月十日の詩』でした。みなさんどうもありがとう。客席からかけ声が響くという歌詞のところで「なぎらさ〜ん!」と声をかけた川上京さんは絶妙のタイミングで参りました。さすがキヨシローの追っかけで鍛えただけはあります。恐れ入りました。なぎらさんがニヤッと反応してましたもんね。

コンサート終了後私たちの席に来て一緒に飲んでくれるし、握手はしてくれるし、記念写真も一緒に撮らせて貰えるし、私もうメロメロでデン助人形状態になってしまいました。


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