電脳六義園通信所管理人 石原雅彦の日日抄

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三好春樹主催・生活とリハビリ研究所サイトの管理日誌です。

1999年12月31日 金曜日
1999年早送り

12/28
仕事納め。午後9時から浅草にて忘年会です。帰りのタクシーでとんでもない運転手に遭遇しました。かなりの高齢者ドライバーなのですが、とてつもない話好きです。妻が富山出身と聞いたら、かつて女性客を東京から富山まで乗せた話を語り始めました。話の途中でわが家の前まで到着してしまったので「ここで降ろしてください」と言ったら最寄りの交差点に車を寄せてドアを開けてくれません。

「お客様、ここからいい所なのでもう少しお聞きください」だって。

世の中変わった人がいるものです。

12/29
年末年始の恒例行事のため母と犬のイビを迎えに清水に出発。昼頃、清水ポートサイドマーケット着。なんと入り口で元富士サプライ社長の山田さんに遭遇しました。いや、奇遇奇遇。鰤を買い込んで山中湖行きだそうです。夜は母の営む居酒屋で飲むんでいて中学時代の同級生(女性)に偶然遭遇。30年振りの再会。「石原君、いい男になったね」等とおだてられちょつといい気分。巴川製紙の遠藤実さんにも会うことができて良い年末になりました。

12/30
静岡リビング新聞社のみどりちゃんと母と三人で、お気に入りの金田食堂へ。さくらももこの雑誌『富士山』創刊号のサイン入りをカウンターで発見。なんと『まる子の郷里めぐり』で金田食堂が取り上げられていました。そうか、息子のかねやんは同級生だったのか。う〜ん。

12/31
東名高速をぶっ飛ばして一路東京へ。親族をすべて東京に集めたので、Y2Kで何が起ころうと、まあ一安心。

1999年12月27日 月曜日
はなくそ

「目くそ鼻くそを笑う」という言葉がありますが、クリスマスの日記で耳くその話を書いたら鼻くその話を思い出しました。

最近、青っ洟を垂らした子どもを見かけなくなりました。栄養状態が良くなったからでしょうか。私が小学生のころはクラスに何人か必ず、永久凍土上を氷河が流れた後のようにに洟垂らしの筋がある子どもがいました。当時の子は、きっと鼻水も鼻くそもたくさん出たであろう事が想像されます。

私が通った小学校には「図書館」というものがありました。とても古い建物でしたが、図書室ではなく一戸建の単独の図書館なのです。プールを掘った際、たくさんの土器が出土したそうで、その展示室も附属していました。2階は確か視聴覚室と放送室だったと思います。下町の割にはハイカラな学校だったのです。私が1年生として入学したとき6年生には小川知子と羽田健太郎がいたようです。

週一回、その図書館で読書をする時間があるのですが、読書など大勢でするものではありませんので、皆退屈していたようです。退屈で、私語が許されないとなると、貧乏揺すりや欠伸が出ます。さらに、鼻くそがほじりたくなります。で、鼻くそをほじると指に付いた鼻くその始末に困り、結局座っている椅子の裏側にチョロッとなすりつけたくなるのです。白状しますが私もやりました。

6年生になると、各クラスに教室以外の清掃当番が割り振られ私のクラスは図書館担当になりました。床を掃く前に50脚以上ある椅子を逆さにして机の上に並べるのですが、これがなかなか大変な作業です。ふうふう息を切らして椅子を上げ終えた時、私は唖然としました。なんとすべての椅子の裏側、両端という両端にびっしりと無数の鼻くそがこびりついていたのです。本当に壮観でした。

この話をすると作り話じゃないかと疑い、果てには、すべてお前の鼻くそじゃないかと言い出す人もいますが、本当の話ですし、私1人が週1時間、6年間かけてもあれだけの鼻くその大壁画を完成させることはできません。集団の力、継承の力の凄まじさを感じずにはいられません。たかが鼻くそ、されど鼻くそ。

1999年12月25日 日曜日
お引っ越し

今日は友人夫婦の引っ越しです。引っ越し業者に依頼したそうですから、昔の引っ越しほどの気苦労はないでしょう。しかも引っ越しの「達人」を自称する友人が助っ人に行っているようですので、さぞや心強いことでしょう(別の気苦労があるかも)。

引っ越しも終了して、楽しい乾杯の宴に移行した頃を見はからって電話をしてみましたが、電話局に、移転に伴う番号変更案内の申し込みをしていないらしく、連絡が取れませんでした。まあ、私も含めて電話やファックスで迷惑をかけている輩が若干いるようなので賢明な措置かもしれません。

私は引っ越しが大好きです。ことに、翌朝目覚めたとき一瞬自分が見知らぬ所にいるような目眩い、そして初めての新居からの出勤、そして新居への帰宅。新居に慣れるまでの数日間が大好きなのです。

ローンで家を買ったりするとなかなかそんな楽しみも味わうことができません。引っ越し以外でその楽しみを味わう方法としては、一人なら酔っぱらって公園のベンチで寝て翌朝ぶったまげる、夫婦なら山の湯の宿に日が暮れてから到着する等の方法があります。

1999年12月25日 土曜日
赤耳のトナカイ

先日、公共放送のテレビ番組で耳垢が話題になっていました。耳かきなどを使って頻繁に耳垢取りをする習慣は欧米人には無いそうです。これは初耳でした。で、結論は耳垢なんて取らなくていいんだよ、ということだったようです。耳垢取りの嫌いな家内は、我が意を得たりと嬉しそうです。某女性編集者は子どもの頃、学校の健康診断で「凄い耳垢だ」と担当医に指摘されたのがショックで、それ以来耳垢は取っていないそうです。家内と「やっぱり耳垢取りなんてしなくていいんだ」と手を取り合わんばかりに意気投合したようです。

先日、銀座の出版社で、同社が出している健保関係の雑誌を、待ち時間にパラパラ流し読みしていたら、面白い記事を見つけました。日本人医師が、耳垢を取ったことのないアメリカ人を集めて(何人だか知らないけど)耳垢取りをしたら、70%の人が耳の聞こえが良くなったり耳鳴りが解消したと解答したというのです。

ははあ、某女性編集者が頻繁に人の言葉を聞き間違えるのも(自称:難聴)、家内が人の言うことをちっとも聞いていないのも(自称:聞いてるわよ)、すべては耳垢のなせる業だったのかとポンと膝をたたいて納得しました。

ちなみに、私は耳垢取りが大好きです。子どもの頃、「頭を使う人ほど耳垢がたまる」と聞いたことがあり、「やっぱりなぁ」と得意になって耳垢取りを毎日励行していたのですが、「そんなに掘ると脳味噌が出ちゃうよ」と母に脅かされてから程々にしています。

1999年12月24日 金曜日
師走を歩く

今日はクリスマスイブで今年最後の金曜日。銀座の出版社で色校正が出ているというので午後から出かけたいのに、大久保方面の出版社御用達の印刷会社担当者が約束の時間になっても来ないのでイライラ。結局郵便受けに放り込んで置くことに。

担当者「あと1時間ぐらいで取りに伺いますが(ホントかよ)オートロックの入り口から入れますか?」
ワタシ「入れませんよ。誰かが入る隙を狙ってください」

JR山手線に乗ると東海道線が平塚で人身事故があって止まっているらしい。東京駅から横須賀線に乗るか、川崎までなら京浜東北線に乗るようにとの車内放送。クリスマスに身投げかなぁ。

銀座に到着すると担当者がはれぼったいムクミ気味の顔で咳をしています。風邪だそうですが、相当辛そう。大丈夫かなぁ。

銀座線で秋葉原へ。本日書店に並ぶはずのAppleScriptの本を買いに行ったのですが、まだ棚に並んでおらず、奥で若い店員がチンタラチンタラ荷ほどきしているのでその中にあるのでしょう。バカヤロ〜。

バスで東大正門前の出版社へ色校正に。若い担当者がついにiMacを買うというので嬉しそう。購入相談にのって、外に出るとすっかり夜になっていました。再び東大正門前からバスに乗ろうとすると本郷通りは大渋滞。営業の白いバンがやたら多くて、赤信号の交差点内に無理やり突っ込み収拾がつきません。あきらめて上富士まで歩くことに。しんとと、しんとと。

本郷通り高崎屋酒店の二股を左折して旧白山通りへ。飲食店に限らずどの商店も閑古鳥が鳴いています。不景気は相当深刻なようです。客が来ないかと外を見ているまなざしがとても切なげです。白山上三徳で鉢マグロの赤身を調達。再び本郷通りへ戻り、しんとと、しんとと。

吉祥寺前あたりに「大山地鶏」の看板を掲げた店があり、前から気になっていたので覗いてみました。軒を接している豆腐屋も同じ経営者のようで内部でつながっていました。確かに美味しそうな地鶏が並んでいます。ブロイラーとは血色が違いますね。鶏肉屋のほうにはおじいさん、豆腐屋のほうにはおばあさんが店番をしており、客はおらず、店頭でお孫さんらしき少女が縄とびをしていました。可愛らしいおばあさんに「いらっしゃい」と声をかけられてしまったので「京がんも」1個50円を4個調達、金200円なり。おばあちゃん、メリークリスマス、良いお年を。しんとと、しんとと。

1999年12月23日 木曜日
肥満の時代

1999年も残すところ後1週間になりました。西暦2000年を期してY2K問題は起こるのでしょうか? 「何も起こらないと困る」というのは、先日Y2K問題の本を出版した出版社の弁。

少なくとも仕事で使用しているパソコンでは何も起こらないような気がしますが、万が一に備えて年越しする仕事のバックアップだけはしておこうと思います。近所の出版社の女性編集者にも一応越年仕事の分だけは640MBのMOにバックアップしておくことを勧めたのですが「面倒くさい」そうです。何という時代になったものでしょう。

わが家にパソコンが初めてやってきたのは1992年で、その時付いて来たハードディスクは当時としては大容量の240MBです。パソコンで仕事をするならバックアップが肝要と教えられていたので2HDのフロッピーに圧縮・分割コピーしてバックアップを取りましたが、なかなか楽しい作業でした。バックアップを終えたフロッピーがずらっと並んだときの達成感には清々しささえ覚えたものです。

今にして思うと、当時のパソコンソフトのサイズはなんと小さかったことでしょう。1枚のフロッピーに入ってしまうほどの大きさでした。ところが今のパソコンソフトの大きさと来たら…。確かに多機能になってはいますが機能向上とサイズ増大は比例していません。当時のソフトを動かしてみるとこのサイズでよくこれだけ高度なことができたものだと感心しますし、使用メモリーも大変小さいです。当時4MBのメモリーを4枚増設して20MBにするのに10万円近くしましたから、ソフトが「小さい」ことは、とても大切なことだったのです。今のプログラマーにとってソフトを小さく設計することは、もう「面倒くさい」ことなのかもしれません。

仕事上どうしても必要なのでWindowsのノートパソコンもいじっていますが、こちらのサイドでは「小さなソフト」に熱心に取り組んでいる開発者が多いようで、なかなか楽しいです。最近気に入っているのはフロッピー1枚に楽々入ってしまうメールソフトです。各種設定をすべて内部に保持してしまうので、フロッピー1枚持ち歩けば、インターネットに接続できるパソコンを借用してメールの読み書きができるのです。相手のパソコンの設定は一切いじらないので、セキュリティは守られますし、ダウンロードしたメールは一時的にハードディスクに保存されソフト終了時に自動削除されます。その他、実によくできていて肥満型メールソフトに比べても遜色無い機能を持っています。究極のモバイルとはデータだけ持ち歩いてパソコンなど持ち歩かないことではないかとさえ思わせてくれます。

Y2Kで、たとえ思いがけないことがあろうともバックアップしたMOを1枚持っているだけで得られる安心感はとてもスマートなパソコンライフだと思うんだけど、「面倒くさい」気持ちのほうが勝っちゃうのかなぁ。

1999年12月21日 火曜日
ホイールつき光学マウス(続編)

先日買った光学式マウスが非常に優秀なのですべてこいつに変えてやろうと調べたらいくつかのメーカーが同様のものを出していました。秒間1500回のイメージ・スキャンを売り物にしているのは共通なので読み取りユニットは同じなのかもしれません。

いかんせん最初に買ったマイクロソフトのものは巨大なので、今回は女性用ということもありELECOMのものにしてみました。良い点は、とても小さいことと、コードが細いこと、不要な長さのコードを巻き取る工夫がされていること。但し私の仕事場では実用になりませんでした。致命的なのはマウスのスピードが遅すぎるのです。とはいえ基本的なスピードには準拠しているようなのですが、今までスピード調節可能なマウスで最速にして使用していたのでストレスが溜まります。

マイクロソフトのものはその設定ができるのですが、ELECOMのものはできません。スピード調節は「マウス」コントロールパネルに準拠しているので、さらに加速するコントロールパネルをインターネットで探してみたのですがOS8.6でさらにUSBマウスをコントロールできるものは見つかりませんでした。iMacユーザーはこんなに遅いマウススピードで満足しているのか不思議です。

ということでELECOMのものはお蔵入りです。ただし光学センサーはかなり優秀で、私の使っている北欧製のデスクの白いデコラ(古い表現だなぁ)でも問題なく読み取りますし、白い紙でもOKなのでバラしてペン型の入力装置を作ってみようかと思っています。これならタブレットなど使わなくても相当優秀なトレースペンができると思います。

1999年12月20日 月曜日
山茶花逍遥

妻が金子みすゞの詩にそえる「さざんか」の写真が撮りたいというのでカメラ片手に散歩してみました。確か六義園の「季節の花」になっていたはずなので、園内のガイドをかってでたのですが、庭園内のさざんかは元気が無くてだめでした。上富士交差点から電通生協会館方面への道筋で見た記憶があるのでそちらへ回ってみると、あるわあるわ、さざんかというのは生け垣用の植木としては超人気種なのだと再認識しました。

次々に各家のさざんかを観賞していくと実に多様な種類があるのに驚きます。調べてみると120種以上もあるそうです。

子供時代清水の茶畑で寝そべって遊んだことを思い出します。茶畑の中に入るとたくさんの茶の種子が落ちています。枇杷の種ほどの大きさでしょうか。すべすべで固くて大変美しいものです。その種子と種子を押しつけあって硬さ比べのゲームをするのです。仲間うちでは「茶の実友達」と、呼んでいました。

さざんかも同じツバキ科なので種子があるはずだと探してみたら、たくさんありました。小指の先程の大きさの可愛らしいものです。実がパカッと割れて種子を弾き飛ばした後の抜け殻は枝に残っていますが、造形的に美しく良くできているなぁと感心します。

1999年12月19日 日曜日
A面/B面 補遺

昨日の日記で、2.6GBのDVD-RAMメディアを買ったつもりで5.2GBの物を買ってしまったことにぶつぶつ言っていたら、いつの間にやら今浦島になっていたようです。

現在書換可能DVDは片面4.7GBの抗争になっているようです。具体的には東芝・松下・日立組の「DVD-RAM」、パイオニア組の「DVD-RW」、SONY組の「DVD+RW」、NEC組の「MV DISC」の4方式。なんでこんなことになっているのかというと、ポストVTRの有力候補なのだそうです。確かにハエ取り紙のようなテープメディアには私も嫌気が差しているのですが、単に今ディスカウントショップで一束いくらで売られている安売りビデオテープの跡目相続争いに過ぎないような気もします。

だって、たかだか4.7GBの容量と、カメの歩みのように遅い書き込みスピードで新世代メディアになりえるのでしょうか? SONYがやっているようにパソコンでMPEG2に変換しながらハードディスク録画し、その保管メディアにしようというのでしょうか。ハードディスク交換だけで汗水垂らしてトラブルだらけになっている時代遅れの「パソコン」でテレビ録画することが本当にはやるのかなぁ? 

理想的には今のビデオデッキぐらいの大きさでハードディスクRAIDのような機械を作り、複数のハードディスクをスポスポ突っ込んで(昔の8トラックテープみたいに)スイッチオンしておくと丸々1日分ファイル化されるようなものなら、理想的だと思うんだけど。だって20GB超のハードディスクが2万円程度で手に入るのですから。

でも、それをやるなら家庭で1日中ハードディスクをブンブン回しておく必要はなくて、ケーブルテレビのような再送信局がそれを代行して行い、視聴者は新聞のテレビ欄の全番組(未来のは見れないけど)を好きな時間に見れるようにすればいいのではないかな?インターネットみたいにケーブルテレビ局からダウンロードしながら見るということですね。で、わざわざ保存しておきたい方はディスカウントショップで安売りDVDメディアを一束ナンボで買ってくると。

で、そうまでして今の低級なテレビ番組が見たいのか?という問題が最後に残るわけです。

1999年12月18日 土曜日
A面/B面

アナログレコードとカセットテープと縁遠くなってからA面/B面という奇妙な概念の事をすっかり忘れていました。昨日、秋葉原でDVD-RAMのメディアを購入して来たのですが、2.6GBのものを買ったつもりで5.2GBの物を買ってしまいました。これがなんとA面/B面あわせて5.2GBなのです。ああそうか、SONY対松下の仁義なき戦いのようなものがあって、2枚張り合わせて5.2GBという間抜けな方がが採用になったんだっけ?と思い出しました。レコード業界は表面/裏面とは呼ばずA面/B面と呼んでいて、そのうち営業戦略上の都合で両A面なんていうとぼけたことを言っていたのを思い出します。

2枚張り合わせて2倍の容量があることに何の意味があるのでしょうか?パソコンではわずらわしいだけです。単にメディアの主導権争いで1MBあたりの単価をカタログ上で下げたかっただけではないのかとも思えてしまいます。しかもA面の方は「DVDロゴ」や「ブランドロゴ」その他色々と一緒に5.2GBとでかでかと印刷してあるくせに、B面には「sideB」と小さく印刷してあるだけなのです。こんな間抜けなデザインがあるでしょうか。公正な表示をするならA面/B面それぞれに2.6GBと表示するべきではないかなぁ。これじゃあ「5.2GB※但し裏面も利用した場合です」と書いているようなものです。

レコードの世界ではミリオンセラーになるとA面の作詞・作曲者には印税ガポガポ、B面の作詞・作曲者には最初の買い取り料だけという悲劇がままあったと聞きます。A面の2.6GBの方には儲け仕事、B面の2.6GBにはボランティア仕事を入れておくといいかもしれません。

1999年12月17日 金曜日
知恵鼠探検家

Microsoft IntelliMouse Explorer なるものが発売されています。いわゆるスクロール・ホイールつきマウスです。Windowsの世界からやって来て、最近ではMacintoshの世界でも愛好者が多いようです。今月号の日経Macで紹介されていたのでさっそく使ってみました。

DOS/VマシンでPS2またはUSB端子に接続して使うものですが、下記のサイトからMacintosh用ドライバをダウンロードすれば使用できます。ちゃんと日本語版も出ていました。

http://www.microsoft.com/mac/000mouseinfo.htm

このマウスの一番の特徴はボールが無いことです。いわゆる光学式マウスというものなのですが、専用のマウスパッドを必要としません。相当精度が良いようでどんなものの上でも機能するようです。ドライバ・コントロールパネルでの設定が秀逸であらゆるアプリケーション個別での機能を4つのボタンに自由に設定することができます。Illustrator8.0.1J用にカスタマイズしてみましたがなかなか便利です。スクロール・ホイールというのも使ってみると良さがわかります。

欠点はただひとつ、巨大だということです。フロッグ・デザインのルナリスマウスという小さな物を使っていたので、かなり違和感があります。底面がスケルトンになっていて赤色ランプが付いているのですがうるさい感じがしますが、こちらは我慢。スタートアップのパレードに出てくるアイコンがダサいですが、これは最近の傾向なので気にしない。

1999年12月16日 木曜日
熟れ鮨(なれずし)雑感

生活とリハビリ研究所ホームページで三好春樹さんの「どさまわり日記」を更新していたら、富山の鱒の寿司の話が出て来ました。

高岡市で「マスの身の厚さ、やわらかさ、脂の乗り具合が全く違う」鱒の寿司を食べて美味しかったという話です。

富山出身の妻に聞くところによれば、かつて富山市内の神通川河畔には屋形船を所有する割烹料理店がありそこが鱒の寿司を作っていたそうです。神通川といえば鉱毒による公害で名高くなってしまいましたが、かつては大量の鱒が遡上する清らかな川だったそうです。今でも若干見られるものの鱒の寿司に使用するほどの漁は無いといいます。

三好さんご指摘の塩辛くてパサパサの鱒の寿司は大手が首都圏にまで出荷するようになってポピュラーになりました。しかし富山市内には小さな手作りの鱒の寿司を作っている店がたくさんあり、滋味あふれるものがあります。私と義父は大好物で、少し熟れ気味の物が好きです。熟れ鮨ですから、古式に則れば脂のある部分は避けて塩漬にした後、米飯とともに漬けて自然発酵による酢味を出したものをいただくものなのです。大量生産で学校給食のような雑味の無いものを賞味期限内に食べては本来の美味しさは味わえません。

かつて仕事で和歌山県新宮市を訪ねた際、三重県方面に向け熊野川を渡る橋のたもと付近に有る(あまりに闇が深く、しかも酔っぱらっていたので場所を特定できず)小粋な飲み屋で、「鮎の熟れ鮨がだいぶ良い加減になって来た」というものを食べさせてもらいましたが鮎とご飯がまさに渾然一体化する直前という感じで秀逸でした。吉野のアユの釣瓶(つるべ)鮨というのもこうなのだろうかと想像しましたが、そちらは食したことがありません。

台東区根津にちょっといい寿司屋が有り(ハナコ族が殺到するようになって疎遠)、そこの板さんが自家製熟れ鮨を作っていたのですが、東京なら冷蔵庫の野菜室ぐらいで十分に自然発酵は進むそうです。雑菌の抑制に山椒の葉(鱒の寿司の笹も同様の効果が有るという)をたくさん入れるのがみそです。鱒の寿司は賞味期限を無視して野菜室で保存し笹の葉が水分・脂分・酢分を吸って濃緑色に変化した頃が一番美味しいと「私」は思います。

1999年12月15日 水曜日
京都大原…

友人と飲んでいて馬鹿話になりました。

向田邦子が「田原坂」の歌詞を子どもの頃、聞き間違い・覚え違いをしていた話(ここではとても書けませんが)は面白いです。

私は子どもの頃「女ひとり」(作詞は永六輔だったと思う)の歌詞を、

「京都大原三千里〜」

と聞き間違い・覚え違いしていました。なんか凄く遠いところに有るのだなぁと。ところが友人は、

「京都大原三千人〜」

と聞き間違い・覚え違いしていたそうです。とても混雑しているところなのだなぁと。もう一人の友人は、

「京都大原三千円〜」

と聞き間違い・覚え違いしていたそうです。そりゃ、何のこっちゃと聞くと、

「だって三千円って言ったら凄い大金じゃん。それくらい有り難いところなのかなって…」

私たちは、何故かじ〜んと納得してしまいました。1日10円、月300円が一般的小遣いだった時代のお話しです。

1999年12月14日 火曜日
ボボ・ブラジルとブリジット・バルドー

昔、ボボ・ブラジルというプロレスラーがいて大好きでした。日本国内を移動巡業中「ボボ」というのが、口にするのを憚られる言葉になっている地方があり、あわてて「ポポ」に変えたが手遅れだった…というのは有名な話です。

中学生時代「ビバ!マリア」とかいう映画を見て、登場するブリジット・バルドーの可愛らしさにクラクラした覚えがあります。その後、彼女の愛称が「ベベ」であると知ったときには赤面してしまいました。静岡で「ベベ」は「ボボ」と同義なのです。議員会館で某国会議員と与太話をしていたら山梨も同じだそうです。

小学生時代、悪友が血相を変えて「図書室で凄いイヤらしい本を見つけたぞ」と言うので、放課後皆で行ってみるとその本は燦然と輝きを放って本棚に並んでいました。背の書名を見て私たちは「本当だ、イヤらし〜!」と叫びました。書名はこうです。

「宇宙はまっている」

少なくとも昭和30年代の北区立王子小学校で「はまっている」はイヤらしい言葉だったのです。今でも若い女性が「はまっている」を連発するとちょっと耳たぶが熱くなります。

1999年12月13日 月曜日
不思議のままの喜び(補遺)

12/12の日記でサンビームのトースターについて書いたら妻に突っ込まれてしまいました。

「あら、あのトースターコンセントにコードを差してないとパンが沈んでいかないようになっているのよ」

試して見ると本当です。またまた、不思議が増えてしまいました。

1999年12月12日 日曜日
不思議のままの喜び

サラリーマン時代のアザラシ顔の友人がサンビームという会社のトースターを絶賛していました。脱サラ後は職住接近で朝食の時間に余裕ができたこともあり、早速そいつを買ってみました。

いかにもアメリカン・スタイルのちょっとレトロなオブジェです。食パンの差し込み口が二つあって、片方はパンをのせても焼き位置に落ちることはありません。もう一方にパンをのせると初めてゆっくり沈んで焼き始めます。この仕組みで1枚焼きと2枚焼きに使い分けられます。

そのパンの上下する仕組みが秀逸で、パンの落下はパンの自重と上むきの抗力のバランスにパンが優勢勝ちしたといった風情でゆっくりと落下して行きます。焼き上がると、先程のお返しですよというように、落下するのと同じような速度でゆっくり上昇して来るのです。子どもの頃わが家にあった国産トースターは、バネをチャージするように力任せに押し込み、焼き終えると留め金が外されてチ〜ンといってパンが飛び上がるといった無粋なものでした。

この舶来トースターのパンを持ち上げるメカにはほれぼれします。モーターなんか使っていないようですし、バネを押しこむような人力も必要としません。分解してみれば容易に構造はわかりそうなのですが、「よく出来ているなぁ」と感心しながら不思議のままにしておく喜びのある数少ない商品です。

1999年12月11日 土曜日
夢の再就職

私は2つ会社をやめています。1つめは、パッケージ専門のデザイン会社。2つめは、電気メーカーのデザインセクションです。

思えば小学校の6年間を通じ一貫して、“協調性がなく、落ち着きがない”と通知表の通信欄に書かれ続けた人間ですので、いずれは組織を離れて一人気ままな生き方が向いているのだろうという自覚はありました。そして脱サラしてフリーランス宣言してから15年が過ぎようとしています。

脱サラ初日のことは良く覚えています。自由宣言しても初日から仕事のあてが有ったわけではないので、ぶらぶら東池袋辺りを歩いていたら、“空が青いなぁ”と思いました。昨日まで、この時間は会社の机に向かっていたのかと思うと“浮浪者になった”ような気がしたものです。

組織を離れたということで自分本位に生きるぞという爽快感はあったものの、心の深層では一種喪失感もあったのかもしれません。今でもやめた会社に出社している夢を見ます。当時の自分に戻っている夢ではなくて、今の私が出社しているのです。朝早めに出社してコーヒーを飲みながら日経新聞に目を通していると、「待てよ、俺はこの会社を一度やめたんだよなぁ」と、思い当たり、やがて「ああ、なんて恥ずかしいことをしているんだ」と煩悶しながら目を覚ますのです。

深層で喪失感はあるものの、夢の世界から帰ってくると、やはり脱サラして一人気ままな人生で良かったなと思います。同時に、幸いに思うのは、嫌いだった学校に「卒業」という形でけりをつけていること、そして定年の無い世界に若くして踏み込んだことです。自主退学した学校に再登校する夢、定年退職になった会社に再出社する夢には耐えられそうにありませんから。

1999年12月10日 金曜日
大蔵達雄氏の漆器展

作家の名前より個々の出来栄えで作品を評価するほうなのですが、食器というのは不思議なもので、この器でなら飲食してみたいと思ったものが何故か同じ作家のものだったりします。結果として、その作家のファンになってしまったようなもので、同じ作家名の器が増えてしまいます。

本日12/10から12/16まで、根来塗の漆器作家、大蔵達雄氏の漆器展が豊島区駒込の工藝舎で開催されています。通常木地師と塗師の分業であるべきところを一人でやってしまう「自称・邪道」だそうですが、なかなか豪胆で珍しく食欲のわく塗り物を作る方です。正月の雑煮碗用に散財してしまいました。

工藝舎
豊島区駒込1-3-2
03-3946-4008/11:00〜7:00(最終日は5:00まで)
本郷通りを駒込駅から上富士交差点方向に進んで左側。私の事務所のすぐ近所です。

1999年12月9日 木曜日
光と遊ぶ

iMacのヒットで、その小さなブームのおこぼれにあずかろうとTransparentな製品群が街に溢れています。

Transparentな商品は昭和30年代にも随分ありました。小学生の私は畳みの上をごろごろ転がりながら、奇麗だなあと飽きずに眺めていたものです。iMac便乗スケスケ商品群を眺めていてもちっとも奇麗だと思えないのは年齢のせいかな…と思っていたのですが、答えは身近なところにありました。

仕事帰りに御茶ノ水からバスに乗ったら、降車用扉の青色ガラスから冬の日差しが差し込んでいました。あまりの美しさに、慌ててデジカメを取り出して撮影しました。光を商品力として取り込む力量と感性が無ければTransparentな商品は作れません。

 

1999年12月8日 水曜日
震える男

朝、北の方角に狼煙が上がっています。

「火事だ」と、夫。
「近いわね」と、妻。

火事というのは大概実際より近く感じるものなのだと説明すると、

「それは夜の火事でしょ」と、妻。
「じゃあ、どこだと思う?」と、夫。

妻は旧古河庭園辺りと答え、夫は近くてもJR王子駅辺りと答えました。

「ブー・豚」や「フー・豚」の作ったような、草や木の家が密集した町に住んでいたので、火事はよく見ました。近所のロウソク製造業を営む同級生の家が全焼したときは頬に熱気を受けながら震えが止まりませんでした。それ以来、火事を見ると決まって足の震えが起きるようになりました。小心者と見られたくないために腕組みしたりしています。太宰治の「新樹の言葉」に全く同じ描写がありびっくりしたものです。

夕刊を見ると火事は北区十条仲原でしたので、夫は面目を保って満足です。妻は、朝火事のことなど覚えていないわと言いたげに、早々に就寝してしまいました。

1999年12月6日 月曜日
Whereabout of the fallen leaves

本郷通りも千川通りも銀杏並木が黄金色の葉をはらはらと落としています。一枚一枚、つけ根を軸にして回転しながらパラシュートのようにゆっくりと落下する様は、見ていて心なごむものがあります。一方商店主たちは、雪かきをするように舗道の清掃に大童です。道路脇には「東京都推奨炭酸カルシウム入り白色半透明ゴミ袋」に入れられた「黄金色の東京都のマーク」が山積みになっています。アスファルトの上に枯れ葉や実を落とす街路樹の姿は切ないものがあります。

バスで東京大学脇を通る時、土の上に落ち葉が厚く積み重なっているのを見ると、落ち葉の上を転げ回って遊んだ子供時代の小春日和を思い出します。

1999年12月4日 土曜日
西暦2000年

担当している月刊誌の西暦2000年1月版の入稿が始まりました。

子どもの頃好きだったテレビアニメに「2000年の未来からやって来た」ヒーローがいました。西暦2000年まであと1ヵ月もありませんが、ヒーローの空飛ぶ愛車はまだ発売されていないので「2000年後の未来」から来た人だったのかもしれません。

そのテレビの主題歌を仲間と口ずさむたびに
「すごいね、僕たち2000年を見られるんだよね」
などと話したものでしたが、年齢を考えても当然見られるはずだった仲間たちで2000年を見ることができなかった者が何人かいます。振り返れば、あの時、あの場所で彼らの人生は終わってしまっています。

あと4週間、息災に過ごせれば私は2000年代に踏み込むことができそうで、感謝しなければなりません。合掌。

1999年12月3日 金曜日
WXG ver.4 for Mac

表題のものが、本日発売になり、さっそく買ってきました。ATOK12がどうも挙動不審、遅い、しかも誤変換が増えてきた、納得できない有料バージョンアップが多すぎる(お布施みたいだ)とストレスが溜まってきたので、入れ換えてみました。WXGに関してはWindows版を使用していて優れているという印象があるのでMacintosh版の発売は嬉しい限りです。

Nifty-Serveのフォーラムでの情報交換やバグ・フィックスも盛んなのも心強いです。しばらく使っていますが軽快だし、なかなか良さそうです。キーカスタマイズが至れり尽くせりで、設定ファイルの持ち運びもできそうなので使いこなし甲斐があります。Macintoshユーザーにはお薦めです。

1999年12月2日 木曜日
すぱげ亭日常氏の憂鬱

「心ある」老人介護の世界では、体中にいっぱい医療用の管ををつけられて、チューブにまみれになって寝かせきりにされているお年寄りとその医療の実態を「スパゲティ症候群」と呼ぶようです。

私のところには、もう一つの「スパゲティ症候群」があります。

パソコンを使って仕事をしていて、たくさんの機器を使っているとその接続コードは膨大なものになります。電気製品ですから、電源コードとコンセントが機器の数だけ必要です。情報を機器間で受け渡しするためのコードも機器数、もしくはその倍数必要になります。それが嫌ならコードレスで空中を飛ばして受け渡しという手がありますが、「ビーイング・デジタル」の著者氏が言うように、無闇に空中に電波を飛ばすべきではない、空中はもっと大切なもののためにとっておけ、という論旨に賛成なので最低限(と思われる)「スパゲティ症候群」は我慢しているのですが、我慢がならないのは「小さな周辺機器」に付属する電源アダプターです。

いったいわが家でコンセントにつながっている電源アダプターがあるか数えてみたら12個もありました。さらに、コンセントがこれらのアダプターを複数個つなげておけるデザインになっていないのでさらに厄介です。コンセントを常時占領していないアダプターを入れると何個になるかと35個まで数えて嫌になりました。ほとんどが5V用の台湾製の黒いずんぐりしたやつです。どうしてこんなに電源アダプターが氾濫しているのか、師匠のKさんに聞いてみると、電源を内蔵していない機器は電取法(電気製品取締法)の規制が緩やかで、製品開発の効率化に有利なのだそうです。

というわけでカードサイズほどの小さな機器にまで立派な電源アダプターがもれなく1個ついて来ますので、ちょっと便利にしようと思うと、ますます「スパゲティ症候群」は悪化の一途を辿ることとなります。

1999年12月1日 水曜日
思い出の夜

あれは12月8日でした。大学を卒業して初めて勤めた会社に、数年遅れて入ってきた女性、苗字は「若井」さんといったのだけど、名前が思い出せません。まあ、その程度の付き合いです。新潟出身で色白、笑顔の可愛い女性でした。残業で2人きりになり、大衆酒場で飲んだことがないというので新宿で行きつけの店で、一杯やろうということになりました。

暖簾をくぐると煙が立ちこめる中に、競馬新聞を読みながら酎ハイを飲んでいるおじさんたちがずらり、若い美人と一緒なので目立つったら有りません。酎ハイもモツ焼きも初めてとのことなので、注文すると大喜びです。おいおい、そんなに感激して笑顔を振りまくと目立つんだからやめろよ。みんなの視線が集まってるぜ。でも、嬉しいなあ。

その時突然テレビのニュースがジョン・レノンの射殺死を伝えました。
「えっ、うっそ〜」
と、彼女が叫ぶと、隣のおじさんが待ってましたとばかり夕刊を見せて、
「おねえちゃん、ほら、本当だよ」
向かいに座ってるおじさんが、すかさず
「おねえちゃんが今食べてるのがジョン・レノンのモツだよ、ぐわっはっは」

しょんべん横町のあの店が焼けて1週間になります。テレビが「思い出横町」という恥ずかしい名前を連呼するたびに「しょんべん横町=通称ションヨコ」はもう帰ってこないのだなあと、しみじみ感じます。


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