電脳六義園通信所管理人 石原雅彦の日日抄

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三好春樹主催・生活とリハビリ研究所サイトの管理日誌です。

2005年08月27日 土曜日
8月の黄昏
●●今日の寄り道→

 

母の暮らしの後かたづけとゴミ捨てのための終末帰省が始まった。
  
黄昏時に気の合う友人たちと清水大正橋たもとの『金田食堂』で待ち合わせる。男女5人で閉店まで呑んだのち、二次会のため浜田の『かしの木亭』に行ったら店主と店主のお兄さんに遭遇してさらににぎやかな飲み会になり、日付が変わるちょっと前にしたたかに酔って帰宅する。
「明日の朝、5時半に店に来い。一緒に由比の新生丸に乗ってシラス漁に出よう」
と言われたが「(起きられそうもないな)」と思う。
 
   ***
 
就寝前にメールを受信したら海津ヨシノリさんからメールが来ていた。なんと当サイトにコラムを掲載させていただいた友人、フォン・ハウゼンこと大湯照夫さんが3日ほど前に亡くなられたという。びっくりした。
 
大湯さんとはインターネット以前、パソコン通信ニフティサーブの某フォーラムで知り合って以来、雑誌の仕事を2年ほど手伝って頂いたりし、公私にわたってお付き合いいただいた。大湯さんと合作した膨大なフォントとMacintosh用ファインダ型テキストエディタ『文撰組』(いずれも非公開)は永遠の宝物である。
 
数年前、突然愛用のトプコンREシリーズのカメラと交換レンズやアクセサリー一式をくださるといい、売却すれば相当な額になるものをいただいてしまった。なんと一部の交換レンズはコンタックスマウントに改造され、トプコールレンズがコンタックスのボディに完全連動するという珍品だった。僕が銀塩カメラはコンタックスユーザーだったのを知っておられたが故のご厚意だったと思う。

写真上:8月26日清水銀座の黄昏時。
写真下:8月26日大正橋からリバーサイド玉川と柳橋を望む。
撮影レンズは晩年の大湯さんがご執心だったDC VARIO-ELMARIT。
DATA:Panasonic LUMIX DMC-FX8

それが今年に入って、
「あのトプコールレンズを送り返してもらえませんか」
とメールが入り、オリンパスのレンズ交換式一眼レフデジカメを注文したのでトプコールレンズをつけてみたくなったという。
 
そもそも大湯さんはデジカメに対して冷ややかであり、最も簡便なデジカメを購入してお孫さんのスナップ写真を撮って送ってきて「デジカメなんてこの程度の用途にしか使えない」と言っていたのである。どういう風の吹き回しだろうと驚いた。
 
こちらは毎週末の看護・介護帰省が始まり、荷物を梱包する時間もないのに矢の催促のメールが届き、最後に必ず「急がなくていいですよ」と書かれているという、我が母同様、急かしているのに裏腹なことを言うという年寄り臭いメールに「(ハウゼン年老いたり!)」と苦笑したものだった。
 
一式をお返ししたら今度は次々にトプコールレンズデジカメ転用レポートが届き、母がいよいよ大変な時期にさしかかったこともあってお返事も差し上げないままだった。
 
   ***
 
大切な人との別れは意表を突くように突然やってくる。
 
もし別れの時が近いと前もってわかっていたら、もっともっと丁寧に残された日々を共にすることができたのに、と慚愧の念に苛まれるのは肉親も友人もかわりがない。人はそう言う宿命を背負って生きている。最後の写真用レンズ談義に花を咲かせられなかったのが申し訳ない。
 
またひとり大切な人が去っていった八月の黄昏に合掌。

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