電脳六義園通信所管理人 石原雅彦の日日抄

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三好春樹主催・生活とリハビリ研究所サイトの管理日誌です。

2008年03月29日(土曜日)の日記
■清水目玉焼2008…2 高校三年生

 


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写真が好きだった母が初めて買ったカメラはオリンパスペンEEというハーフサイズのカメラで、フィルム代が半分で済むから経済的だというのだけれど、その分焼いて貰う写真代が倍かかるわけで、36枚撮りフィルムなどを入れると72枚以上撮れてしまうので、すべて撮り終わるまでもったいないから現像に出さないと言い、やっと撮り終えて写真屋に持っていくと半年も前の記念写真を見ることになった。
 
静岡県清水の1972年、僕は高校三年生になっていた。
 
三年間を高校写真部に所属して過ごし、白黒写真の現像引き伸ばしはすべて自分でやったので、早く現像したいけれどフィルムが残っているときは、身近にある適当なものを撮ってカメラから取り出しており、今になって見返すと“身近にある適当なもの”こそが懐かしかったりする。

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高校写真部の暗室。
各階を結ぶ階段中程にあるトイレをコンクリートブロックで仕切って作った猫の額のように狭い暗室で、この中に常時三人くらい入って、焼き付け役、現像・停止役、定着・水洗役と役割を分担して作業しており、夏場は薬品の臭いと人いきれでむせかえるように暑く、下級生の女子部員と一緒に入室すると精神的にも息苦しい青春の小部屋だった。
 
入部すると現像液、定着液の処方をすべて暗記して空で言えるようになるまでしごかれる不思議な伝統(写真部員には空手部や少林寺拳法部員を兼ねている者が多かった)があり、どうしてかというと部費が足りなくなると化学準備室に忍び込み、上皿天秤を使って現像剤と定着剤を処方してくるのが下級生の役目だったからだ。

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清水旭町にあった店舗兼用住宅二階の僕の部屋。
三畳間左端は大工に特注した作り付けの二段ベッドのようになっており、木の階段を上ると上段がベッド、下段は洋服ダンスなどが入っていた。
 
足の踏み場がないほど床に物を置いており、ヤマハのギターの右隣に母が「都々逸」や「さのさ」を練習していたコロムビアのオープンリールテープレコーダとソニーのトランジスタラジオ「ソリッドステートイレブン」がある。本棚2段目には戸田書店刊「わが郷土清水」があり、その上段には若い清水芸者のむねちゃんに買って貰ったナショナルの電気鉛筆削りがある。最上段左にあるのは駅前銀座「あかほり」で買ったステレオ録音のソニー製カセットテープレコーダで右に数冊あるのは雑誌「アサヒカメラ」らしい。
 
よくまぁこんな穴蔵のような気が散る場所で勉強できていたものだと思うし、よくこんな部屋を写真に撮って未来の自分に残したものだと呆れてしまう。
 
高校入学と同時に自転車を買って貰って通学していたのだけれど、一年ほどしたら飽きてしまい衆目の前で転んで恥をかいたことをきっかけにやめて、その後はバス通学だった。

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写真は下校途中の静鉄バス運転席後部。さつき通りを北進中で右手に懐かしい公会堂が見えている。花菱デパート前のバス停で下車して丹下健三設計の市役所前を通って旭町飲み屋街の店舗兼用住宅に帰り、店で使うおしぼりを巻き、店の床を掃いて打ち水をし、カウンターとテーブルを拭き、店のカウンターで夕食を済ませ、暖簾を店の玄関にかけたら階段を上がって、高校三年生は穴蔵のような部屋に戻るのだった。

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