電脳六義園通信所管理人 石原雅彦の日日抄

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三好春樹主催・生活とリハビリ研究所サイトの管理日誌です。

2008年04月09日(水曜日)の日記
■清水目玉焼2008…5 もうひとつのテルファー

 


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静岡県清水入船町。
清水港の水辺に建つ複合施設『エスパルスドリームプラザ』。
その場所はかつて国鉄清水港線清水港駅だった。
 
現在のJR清水駅は、昔はもうちょっと波止場踏切側にあって江尻駅と言ったのだけれど、郷里清水港の弱点は東海道線江尻駅に最も近い船着き場である江尻が、風や波の影響で貴重な収入源であるお茶などの輸出産品や大豆カスなどの輸入物資の荷揚げに適さなかったことであり、神戸や名古屋などの港に対抗して発展していくためにはどうしても江尻よりもっと波の穏やかな清水港内へ引き込み線を作る必要があった。その念願が叶って引き込み線清水港駅が現在の『エスパルスドリームプラザ』の場所、新船渠西岸埋立地に完成したのが大正5年のことだった。

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▲2008年4月6日、エスパルスドリームプラザ前のテルファー

というわけでここで船と貨車の間で直接荷物の積み降ろしができるようになったのだけれど、それでも神戸や名古屋の港には敵わないことがあった。
 
というのは清水では貨車1台分の木材を積み込むのに丸一日かかっていたのだけれど、他の港にはテルファークレーンという荷役機械があって1時間のうちに20トン以上の積み降ろしができてしまうのだった。それがないために荷主たちは人件費ばかりかかる清水港を避けて名古屋港に船を回漕してしまうので、他の港より高性能なテルファー導入が切望されており、念願叶ってこの場所にテルファーが完成したのが昭和3年のことだった。その後のことはかつて“清水市ではなく鈴与市"とまで言われた郷土清水の隆盛を見ての通り。
 
工業都市として栄えていた清水市の礎ともなった産業遺産が『エスパルスドリームプラザ』前に今も保存されている。

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テルファークレーン(木材積込用クレーン)
 このクレーンは、昭和3年国鉄清水港線清水港駅に木材を貨物に積込む荷役機械として作られました。
 当時の我が国には神戸、名古屋にしかない最新式のクレーンで、従前はベルトコンベアーで一日かけて1貨物車に積み込んでいたものが、わずか48分ですむようになり、費用も3分の1になりました。
 その後、木材や石炭の荷役機械として活躍しましたが、時代とともにその用途もなくなり神戸や名古屋では撤去、清水港でも、昭和46年に使用停止になりました。
 しかし清水港発展の歴史をとどめる遺産として、また日本近代産業の遺構としてたいへん価値あるものであることから、平成10年に補修工事が行われ、当公園のシンボルとして保存されることになりました。(解説板より)

   ***

4月6日、『エスパルスドリームプラザ』前で開かれる「あっ!朝市」で友人たちと落ち合うため旭町裏手から清水港線跡の遊歩道を歩き、テルファー下のベンチでにぎりめしを食べていて
「(そうか、このテルファーは昔からこの場所にあったのか)」
と今更ながらに気づいた。僕はてっきり『エスパルスドリームプラザ』ができる際に、使われなくなったテルファーを体の良いオブジェとして移築したものとばかり思っており、どうしてかというとこれと同じようなテルファーを別の場所で毎日のように見ていた記憶があるからだった。
 
はたして清水港のテルファーは何カ所あったのかしらと気になり、調べてもわからなくてふと思い出したのが、以前朝市で会った友人がくれた資料だった。

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▲『鈴与百七十年史』よりフェルケール博物館が転載したものを引用

資料をめくってみたら昭和46年、まさに僕が清水の写真を撮っていた高校生時代の清水港「機械及び倉庫配置図」が掲載されていた。
 
それによると現在の『エスパルスドリームプラザ』あたりには3トン・テルファーが3基あったのがわかる(1)(2)。ここではなくて、高校時代の僕が毎日目にしたような場所にテルファーがなかっただろうかと探したら、巴川河口付近、清水港線巴川可動橋と羽衣橋の間に2トン・テルファーが2基あったのがわかった(3)。

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▲1971年頃の巴川河口付近

僕は当時羽衣橋を渡って通学しており、巴川可動橋が好きで何度も写真を撮っているので、そのあたりの写真を探してみたらちゃんとテルファーらしきものが写っていた。

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▲1971年頃、羽衣橋を渡る静鉄バスの窓から写した巴川可動橋と富士見倉庫脇のテルファー

『エスパルスドリームプラザ』がテルファーを保存し、解説板を添えてくれるまで、そもそもテルファーとは何かどころか名前すら知らなかったのだけれど、それでもちゃんと消えずにいた奇妙なオブジェの目の記憶というのもしぶといものだと思う。

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