電脳六義園通信所管理人 石原雅彦の日日抄

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三好春樹主催・生活とリハビリ研究所サイトの管理日誌です。

2008年06月29日(日曜日)の日記
■雨の日の留守番

 


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静岡県清水桜橋町。
 
友人宅で朝食をご馳走になったら、お義母さんの住まいで用事を片付けるためちょっと外出するので留守番をしてくれと頼まれた。
 
“雨の日の留守番”というのは何歳になっても時の流れから切り離されたひとかたまりの時間として感じられて不思議だ。
 
所在ないので窓から雨の庭を見る。
 
レヴィ・ストロースなどの著作をひき文化人類学などを援用して斜に構えなくとも、人という動物が無意識のうちにやってしまうさり気ない行為の痕跡を見つけることはとても面白い。

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洗濯物を屋外に干す際に使う洗濯ばさみをしまうのが面倒で「(どうせすぐに使うから)」という意識がどこかで働いて、そばにあった木の枝にとめておいたのだろう。木の枝が数日のうちにみるみる延びて洗濯ばさみが手の届かない場所に行ってしまうなどということがないことを、人はあえて考えなくても知っている。母が一人暮らしをしていた実家を片付けていて、そういう意識的とは考えられない行為の痕跡を見つけるたびにしみじみとした感慨がある。そういう痕跡の中にこそ人間らしさが息づいているように思うから。

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実家には母が束ねて軒下に吊しておいた木の葉などがあり、これをいったいどうするつもりだったのかなぁと思いつつ片付けているが、この家にも同じようなものがある。

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窓から見て大きくなっていると手を伸ばして摘んで食べているという友人宅のブドウ。すでに摘まれたのかまばらになった房が雨に濡れている。
 
雨の日の留守番を頼まれてぼんやり考え事をしていると自分がカタツムリになったような気がして、実は嫌いではない。

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