電脳六義園通信所管理人 石原雅彦の日日抄

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三好春樹主催・生活とリハビリ研究所サイトの管理日誌です。

2008年07月05日(土曜日)の日記
■清水と染井と藤堂高虎

 


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豊島区駒込。
 
Photo東京都東京北赤十字血液センターと駒込図書館があるビルの中に駒込地域文化創造館があり、毎月第1金曜日午後7時から「シリーズ駒込歴史勉強会 ふるさと染井・駒込歴史探訪」という地域の歴史を学ぶ勉強会が開かれていることを偶然知ったので出掛けてみた。
 
郷里静岡県清水美濃輪町で魚屋を営む友人から
「慶長の半ば、美濃輪の南端(今の清水小あたり)に藤堂高虎や本多佐渡守などの浜屋敷が出来…」
というメールを貰った直後に、その「シリーズ駒込歴史勉強会 ふるさと染井・駒込歴史探訪」の第五回を聴講する機会を得、駒込染井村に6万8千坪余りの屋敷を構えていた「伊勢津藩藤堂家」に関するものだったことも奇遇といえば奇遇だった。
 
藤堂高虎という人は戦国時代から安土桃山時代、江戸時代前期にかけて波乱の生涯を生きた武将なのだけれど、浅井長政を振り出しに十人も主君を変えたことで名高いので、僕が読んだほとんどの歴史小説で好意的に描かれたものがない。だが彼が歩んだ記録を読んでみると時代を捉える先見の明と実力で、良い条件の働き場所を求めて転職を重ねるうちに大出世して行ったわけで、今思えば現代サラリーマン出世ストーリーの先駆けだったような気もする。

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▲2001年10月27日、散歩の途中で遭遇した発掘現場。今思えば藤堂家駒込下屋敷その物だった。

将才を買われて豊臣秀吉の配下となった際に、伊予板島(現在の宇和島)7万石の大名となり秀吉から日本丸という軍艦を拝領し、慶長2年(1597年)からの慶長の役にも水軍を率いて参加し武功を挙げたという。
 
「山本勘助流城取りの極意縄張り法」を伝授された馬場美濃守が北条水軍に備えて郷里静岡県清水に築城したといわれる袋城、その城があった町に住む魚屋の友人の話に藤堂高虎が水軍がらみで登場するわけだ。

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▲2001年10月27日、散歩の途中で遭遇した藤堂家駒込下屋敷発掘現場。

勉強会最後の質疑応答で、外様大名で次々に主君を変えた経歴を持つ藤堂高虎が、どうしてあれほど家康の信頼を得て重く用いられたのかという質問をしている人がいたが、ひとことで言えばやはり実力こそが信頼の礎だったからのような気がする。
 
郷里清水の袋城を縄張りしたのが勘助流を伝授された馬場美濃守だったが、江戸城の縄張りをしたのは袋城近くに浜屋敷を構えていた藤堂高虎であったわけで、加藤清正と並ぶ築城の名手だった藤堂高虎は一筋縄ではいかないなかなかの切れ者だったらしい。
 
日光御成道岩槻街道や中仙道などに睨みのきく駒込染井村藤堂家下屋敷跡を掘ってみると、時代的に考えられない戦略的用途としか思えない空濠(からぼり)が張り巡らされていたりと、藤堂家下屋敷には謎が多いらしい。

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▲今朝の「先割れくん」



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