電脳六義園通信所管理人 石原雅彦の日日抄

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三好春樹主催・生活とリハビリ研究所サイトの管理日誌です。

2008年07月17日(木曜日)の日記
■庵原と白隠とパラグライダー

 


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郷里静岡にはかつて名峰富士と並び称され500年にひとりと称えられた名僧がいて白隠慧鶴(はくいんえかく)と言った。
 
白隠は臨済宗中興の祖とされる江戸中期の禅僧で駿河国原宿(現・静岡県沼津市原)の生まれ。東海道本線下り列車が片浜を過ぎて原に向かう途中、線路際右側の墓地にある史跡表示に書かれた「白隠」の文字が車窓を一瞬よぎり、山下清の画集を見ると彼もその場所に立ち寄っているちょっと気になる場所だが、そこが白隠15歳の時に出家し、諸国行脚の末16年後に住職として戻り、83歳で亡くなった松蔭寺である。白隠は郷里清水にも縁が深く18歳の時に禅叢寺で禅の修行もしたという。

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静岡県静岡市清水区原にある久林寺。
徳川家康の没後10年ほどした寛永初年開基の臨済宗妙心寺派の寺で、庵原氏の末裔が深く関わっていたらしく、庵原中学前の禅法庵も庵原家が白隠禅師の弟子たちが使う坊として建立したものだと久林寺の解説板にあった。

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友人の一周忌法要で住職と共に経を読んだら、平易な文体のお経があり、経が難しすぎるという人々の声を聞いて白隠が平易に書いたものだという。
 
行雲流水、空を行く雲や流れる水のように、悟りを求めて全国を行脚した白隠だが、郷里清水では山奥の両河内あたりにまで足跡が残っているという。

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法要を終えて境内に出たら庵原の山の向こうに雲がわき、パラグライダーが上昇気流をうけてゆったりと浮かんでいた。

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